:: 1:日常の妥協点
狡噛が織と隣室になったのは、狡噛が執行官へ降格処分されたときからである。
件の彼は狡噛が監視官になって数年目、異例の未成年執行官としてやって来た。自分にだけにほんの少し心を開いたように見えた織を、狡噛は拒まなかった。否、拒むことが出来なかった。
身体は雪のように白く、髪さえも白かった。執行官ならば例外なく汚れているはずの色相も、執行官なのにクリア。全てが白く、並外れた犯罪係数だけが異常に高かった。
知識もあり頭の回転も悪くない。口数は少ないが、しっかり自分の意見を言う。監視官に言いなりというわけではない。かといって我が強いわけでもない。
――不思議な少年だった。
今日、織は潜在犯をドミネーターで撃ち殺した。色相スキャナーに引っかかり、ドローンの警告を無視して逃走した男女のカップルだった。責任転嫁のなすりつけ合いをしながら現実と追っ手から逃げているうちに、嫌な想像でもしたのだろうか。色相はさらに濁った。奴らを追い詰めたときには規定値を遥かに越してしまっていた。
救済の余地はない、この日本で唯一で絶対の判決が下される。奴らはこの世界で生きていく権利を剥奪されるのだ。
猟犬は、猟犬である自らの役目を果たすべく銃口を向ける。一面に飛び散る赤。それを浴びて無表情に立ち尽くす白髪の青年。まるで絵画を切り取ったかのように、現実味の浅い光景だと思った。
織は相手の血にまみれながら何事もなかったかのように宜野座監視官に話しかける。
「今日はこれでおしまいでしょ。ね、早く帰りましょうよ」
かろうじて血の付かなかった服の袖で頬の返り血を拭いながら発せられた言葉。滑らかで何の重みもない。ただの少年のこぼした我儘のような言葉の響きだ。
血でぐっしょり濡れ、その重さを増した上着をドローンに預ける。血色の水滴が昏い路地に散った。
彼は汚れることをひどく嫌う潔癖だ。
――そう、『潔癖』。
「わかった」
宜野座も彼の性格を知っているため、ひとつ頷いて帰還の指示をてきぱきとこなす。護送車の扉が開くと、彼は一番まっ先に軽やかに飛び乗った。
帰れば即、彼はシャワールームへ向かうのだろう。
彼の潔癖症はかなりものだ。汚いものを許すことは出来ないのだと言っていた。人も、モノも、社会も、世界も。嫌悪を感じたすべてのものを憎み、拒むのだ。厭世主義にしてはひどく狂気的で、彼にとってはそれがすべてだった。
だから彼はドミネーターなくして獲物を嗅ぎ付ける。征陸のような刑事の勘などではなく、本能が拒むのだという。
すべてに例外なく当然のように自分もその対象なので、ときたま自傷癖を露にする。何度も止めろと言ってはいるが、聞き入れてくれた試しがない。
誰かを撃つたび心配で毎回様子を見に行くのだが、まだシャワーの音は途切れない。延々と、永遠に続きそうな流水音が聞こえる。
さすがに不安になって不躾ながらもドアを開けると、案の定織はシャワーの下に踞っていた。服はそのまま、水を吸って張り付いている。浸入してきた自分を意に介してはいないようで、ただ水浸しになっていた。
「……織?」
恐る恐る手を翳せば、冷水だった。
「織!」
慌てて水温を上げ、冷えきった織の体を暖めようとする。ふと、張り付いたシャツにうっすらと赤い色が見えた。
素人でもきっと分かる。これは浴びたものじゃない。自分で引っ掻いた傷だ。
「狡噛、さん」
「なに馬鹿なことやってんだ」
「……だって」
「だっても糞もあるかよ」
前髪を掻き上げれば、困ったように苦笑された。これも仕方無い事だと言い張るつもりなのだろうか。
「……とれないんだもの」
嫌なんだ、ごめんなさいと続けて弁明される。
なんと言葉を返すべきか考えあぐねいていると、織が抱きついてきた。首筋に鼻先を埋めて擦り寄ってくる。その様子はまるで猫のようだ。
初めは驚いたものだが、今ではもうすっかり慣れた。不器用な彼なりの表現なのだ。今の自分は信用されているらしい。
「狡噛さん」
「どうかしたか」
「……何故か安心する。サイコパスなんて泥なくせに」
「ほっとけ」
「ごめんなさい」
子供のようにあどけなく笑う。狡噛は織の年齢を知っているのだが、幼いような儚げな印象は出会った当時から変わっていない。
織の頭をひと撫でして、狡噛は彼を抱えてシャワールームを出た。生温い温度が布越しに伝わる。
何故、自分なのかは聞かない。
それでも罪重織という不安定で不完全な存在に寄り添うのは、狡噛にとって当たり前で、不思議と楽しみであった。
/20121230
← back →
≫
top