「今日は本当に助かりました。お手伝いいただきありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ、楽しかったです」
私はよくモストロ・ラウンジのヘルプとして活躍する。ジェイド先輩にとっても、ある程度の動きを理解し、部活も無所属で、突然の欠員に対応できる私は頼みやすいらしかった。何度も召集に応えているうちに、私はヘルプのはずが立派に店仕舞いまで覚えてしまったため、今日も2人で店内を片付けていく。
ジェイド先輩はレジ締めが終わると、「夜食を作ってきますから、そちらで待っていてください」と言って私をソファに促した。ソファに腰かけ、モップのかけすぎで疲れた肩を伸ばす。ヘルプとはいえ、流行の風邪にかかってしまったオクタヴィネル寮生の代わりを4日丸々務めるのは大変だった。体はバキバキだし、明日は授業もバイトもないから1日中寝たいな……と考えながら、向かいの大きな水槽を眺める。水槽の中では熱帯魚が群れを成して泳いでいる。赤や青に光る体がきれいで水の中は気持ちよさそう。
そういえばジェイド先輩もこんなに優雅に泳げるんだよな。実家に帰ったらきっと優雅に泳ぎまくっているんだろう。水のなかで生活するというのは、私には縁がなくて想像もつきにくい。あちらからしてもそうで陸での生活当初は大変だっただろう。
人間の姿になるのも大変だってことは、フロイド先輩が薬を目の前で飲んだ時に少し現実味を帯びてきた。あのまずそうな薬をジェイド先輩も日ごろから飲んでいるんだよな……普段から、笑顔、困り顔、悪い顔の3パターンで構成された先輩の表情に、苦しみというジャンルは存在するのか気になった。
そんなことを考えていると、ジェイド先輩はまかないとしてハンバーグカレーを持ってきた。頼んだのは私だった。今週のセットメニューにハンバーグセットとカレーセットがあったから、そんなチョイス。ジェイド先輩は、最終日だからもっと手のかかるものを頼んでもいいのにみたいなことを言いたげだったが、先輩も忙しいのに店仕舞いまで行って、私1人のために料理を1から作らせるなんて、気が引けた。ちょっと申し訳なさを感じさせるくらいが、私にとってはちょうどいいし。
「冷めないうちにどうぞ」
「ありがとうございます」
私たちは働き詰めでお腹がすいていたので、黙々とカレーを口に運んだ。うん、ジャミル先輩から学び、カリム先輩たちの地元から取り寄せた香辛料の入ったカレー。本格的な風味もありながら、辛いものが苦手な人でも食べられるようなマイルドさのアレンジもあって、ご飯に合うし食べやすい。ハンバーグももちろん手作りだ。
もう夜も更けてしまっているのでゆっくりくつろぎながらの食事とはいかなかったが、それでも味わわざるを得ないほどここのメニューはどんなものでもおいしい。まかない目当てでバイトを希望する生徒がいるのも頷けた。
私たちは、ほぼ同時に食事を終えるとナプキンで口を拭った。一緒に厨房へ食器を持っていき、私が食器を洗い、ジェイド先輩がシンクの吹き掃除をする。もはやこの流れに慣れていたため何も会話もなかったので、試しに自分が気になる話題を持ち掛けてみる。
「先輩」
「はい」
「先輩も、あの薬を飲んでるんですよね」
「……なんのことでしょう」
先輩がきょとんとした顔をしたので「フロイド先輩からひとになる薬の話を聞いて……」と付け足すと、「ああ」と納得したようだった。
「僕も飲みますよ。彼よりは頻度は少ないですが」
「え、そうなんですか」
「フロイドは薬を希釈して飲んでいたはずです。ですから時間も短いんです」
「そんなやり方もあるんですね」
「僕もこの味には慣れないんですが、原液のまま飲み干してしまうことのほうが多いですね……でもどうしてこのような質問を?」
「なんか、気になるじゃないですか。特異なものって」
「その気持ち、わからなくもないです。それにちょうどよかった。そろそろ僕も飲まないといけないので」
ジェイド先輩は会話のうちに手際よく作業を終えてしまっていて、胸元のポケットから薬の小瓶を取りだした。確かにフロイド先輩のときよりは瓶が小さい。
「持ち歩いているんですか」
「今日がその日だったので持ち歩いていただけですよ。中身、見てみますか」
そう言うと、先輩は食器棚から小さいグラスを取り出し水でゆすぎ、そこに薬を注ぐ。その色は確かに濃く、とろみがある深い紫色で、グラス内に残った水と分離していたなんとも口内や食道にまとわりつきそうだ。
先輩はグラスを右手の指先で持ち上げると、くいっと勢いよく口の中へ流し込む。すると先輩の眉間にはしわが寄って、ぎゅっと目を瞑って耐えているようだった。2,3秒ほど経って、上を浮いたまま喉仏が動いて、嚥下したことがわかった。苦しそうな顔を見るのは初めてで、なぜか私は緊張してそのまま見つめてしまっていた。
「フフ、そんなに見つめられると恥ずかしいです」
先ほどの苦しそうな顔は一瞬。よく見る眉をひそめた困り顔で、ジェイド先輩は笑った。
「あ、ありがとうございます」
私はコメントに困ってしまい、咄嗟にお礼の言葉が口から洩れてしまった。どういう意味か捉えづらい私の言葉のせいで、厨房は何とも言えない空気になった。
2020.10.07
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