32:revealing




何日か前桐野に誘われたのだ。
飯食いに行くかと。
前触れもなくいきなりの言葉だったので、どうしたのだろうと首を捻ったさつきに桐野は笑った。

「忘れたか」
「え?……あ」

そう言えばそんな事言ってた気がする。
言ってたじゃなくて、自分が言ったのだ。
この前の事、美味しいものでも食べさせてくれたら許してやらんでもないと。

(……別にそんな事)
「別にそんな事しなくても良かったとか言うなよ」
「へ?」

顔に出ていると笑いながら指摘されたさつきは目をぱちくりとさせた。
桐野が言うにはやはり”この前の事”、雪緒の件での詫びだとの事、ただそれは桐野からではなく雪緒の家からの申し出だった。

そう言えばとさつきは思う。
あの時、さつきが別室に逃げている間に強制退去になったと聞いたので雪緒とは顔を合せる事もなくあれっきりだ。
彼女とさつきの関係はただただ暴言と暴力の介在で終わってしまい、思い出せば胸の奥にもやもやしたものが生まれるのは確か。
勝手な誤解であれだけの事をしでかしておいて一言もないのか。

謝れよと思う。
謝って欲しいとは、思うのだけど。
(なんてゆーか、もうどうでもいいってゆーか……)
悪いと思っていない相手に謝られても腹が立つだけだし、今更感が漂っている事もある。
痣や怪我は気を付けなければ分からない程度になっていたし、何よりさつきは雪緒の事を忘れかけていた。
本当に今更だ。
でも。

「あちらの”家”からって事は、断らない方がいいんですよね?」

娘の不始末でさえ世間体が悪いのに、その詫びまで断られたとなると……

さつきは考えてしまう。
謝罪を断るという事は許す気がないという事。けじめをつける事なく終わったという事になる。
桐野は高官に分類される軍人だ。しかも今を時めく藩閥の。
桐野がどう思うにせよ、今回の話が外に漏れて桐野の周囲の人々がその顛末を耳にしたらどう思うのだろう。
雪緒の父の面目が丸潰れになるだけで済むのだろうか。
(………………)
黙り込んでしまったさつきが何を考えているかなんてお見通しだったようで、

「周りの事ばかい考えんでヨカ。汝がどうしたいかで決めろ。まあ……美味い飯は食えると思うぞ」
「行きます」

桐野は笑った。




連れて行かれたのは気の利いた料理茶屋で、雪緒も来るのかと思いきや目の前に姿を現したのは雪緒の父親だけだった。
さつきは正直ほっとした。
いくら相手を立てる為とはいえ、できたらもうあまり顔を見たくない。
それに彼女に謝られたからって返す言葉も見つからないし。
(……そうだよ)
謝られた所で何と言えばいいのか。
もういいです?
(いやよくないし)
許します?
(それも何か違う気がする)
そう思っていたのだけれど。


通された一室、目の前で畳の目に沿って指を付き頭を下げる初老の男性には、尚更なんと言葉を返したらいいのかさつきには分からなかった。
(でも謝りたいのは私にじゃなくてきぃさんにだろうしな)
冷静にそう思う。
相手の口上を右から左に聞き流しながら、来た方がいいと判断したからではあるが、食事に釣られてのこのこと着いて来た事をさつきは若干後悔した。

「さつき」

黙思する中、桐野に名を呼ばれて俯き加減の顔を上げれば、スッと視線を正面に流される。
雪緒の父の話は既に終わっていて、さつきに何か声をかけろという事らしかった。
(え〜……)
言い淀んだものの桐野に無言で催促されて口を開く。

「あの、頭を上げてもらえませんか」
「…………」
「お願いします」
「…………」
「……もう、いいんです」
「……え?」
「いいんですよ」

どうでも。

と、後に続く言葉は口の中に飲み込んで軽く微笑んだ。
目元口元が弧を描いているだけで、活きた表情ではない事に気が付いた雪緒の父はハッとして何かを言い募ろうとした。
が、それを遮るようにして、

「私まで呼んで下さって直々にご挨拶までして下さいましたし……それに桐野さんが納得されているなら、それでいいんです」

意味が違って取れるように答えた。
言い訳を続ける事も許さないような雰囲気に、その場にシンと静寂が落ちる。

「……あなた様には本当に申し訳ない事をしました。行き届かない所はありましょうが、本日は精一杯おもてなしをさせて頂きます」

雪緒の父はより丁寧に頭を下げると店の者を呼んだのだった。
万事仰せ付かっておりますので、と挨拶した女将の指示で女中が手際良く膳を誂えてゆく。
それが済むと何かあれば呼んでくれと言い置いて、桐野とふたりきりにされてしまった。
まさか雪緒の父まで行ってしまうとは。

「気バ遣うちょるんじゃろう」
「気って」

いたら気が詰まるのは確かだろうけれど、接待の席なんて長くても精々二時間だ。
どんな感情を持つ相手であっても、その位の時間は社会人として我慢できる。
(そんな腫れ物触るみたいにしなくてもいいのに)
どんな風に思われているのかと溜息が出そうになったのだけれど、
「さつき、食わんのか?美味いぞ」
桐野が普段通り過ぎて、少し笑ってしまった。

しかし。
杯を渡され注がれた酒を見詰めて、さつきは口もつけずに膳へと戻してしまったのだった。
「ごめんなさい」
「ん?如何した」
「私来なければよかった」
何故かとの問いに気を悪くしたでしょう?と返せば、
「なんじゃ。そげん事か」
軽く笑われた。桐野が気にしていないのなら、それでいいのだけれど。

「……正直に言っていいですか?」
ポツリと落とした言葉に返ってきた肯定に、さつきは続けた。

「今日はお付き合いでここまで来ました。行ってきぃさんの顔が立つなら、向こうがこれ以上恥をかかないようにって、それだけです。謝罪なんて本当は初めからどうでも良かったんです。謝る気もないのに謝られてもって思うし。雪緒さんとはもう会いたくなかったから……今日は姿が見えなくてホッとした」

でも。
雪緒の父が頭を下げるのを見て、腹が立ったのだ。
今回の事は家の体面もあり、親が出てくる理由があるのは分かる。
しかし自分がしでかした事を親に謝らせておいて自分は知らん顔なんて。
話がおかしいじゃないか。

「女って男の人がいない所だと悪口とか陰口とか凄いんですよ?同性ながら耳を塞ぎたくなるえげつなさです。私も今まで色々言われたり意地悪されたりしたけど……」
どんどん視線が下がっていく。
「立て続けに怪我をしたり、男の人だらけの所で股が緩いとか言われて怖い思いする事はなかった」

「今日、私おまけですよね?あちらが謝りたいのは私にじゃなくてきぃさんにだって事は分かってます。でも……でも、なんで雪緒さんと藤乃さんが来ないの?散々好き放題しておいて人に謝らせて”はい、終わり”だなんて、あの人たちにとって私にした事ってその程度の事だったの?……私馬鹿みたい。あっちの面目とか考えて付いて来たのにここまでコケにされて……」

「きぃさん、私……」

「私、怒って、いいんですよね?」


revealing:心情を吐露する 20190713(140918)

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