The choices did not exist :その選択肢はなかった



玄関を開けると財部彪が立っていた。
別に迷惑というほどでもないのだけれど、今日は何の用事だろう。
さつきはそう思った。
何故かいつも秋山も広瀬もいない時にやってくるという間の悪さ。
僅かに眉を寄せた意味が伝わったのか、「留守か」と肩を竦めると財部はさつきに苦笑を返したのだった。
財部の来訪は、既に片手の回数ほどが目的者不在という可哀相なことになっている。
しかも今日は夏でもないのにこの暑さだ。
そうなるといつものように玄関で追い返すのもさすがに気の毒な気がして
「…お茶でも飲んでく?」
さつきは声を掛けた。家に上がるかどうか打診するのはこれが初めてだ。
とはいえ財部は断るだろうと踏んだ上での社交辞令、お付き合いの言葉だった。が

「ありがとう」

すんなり返されて、さつきはぱちくりとして、玄関に立つ男を見上げてしまった。
(そういう選択肢はなかった…)
自分から誘っておいてなんだが。
今更だが家には秋山も広瀬もいない。男とふたりはまずいかな。
そういう思いがちらりと頭を掠めたものの、まだ日も高いし、財部は知らない仲ではない。
むしろ広瀬・秋山の交友関係の中では一番気安いというか、喧嘩仲間とか悪友に分類される男だ。
特に問題もないかと判断して、慣れた風に居間に向かう背中と
「熱いお茶と冷たいお茶どっちがいい?」
一言二言交わすと、さつきは台所に向かった。



「本当に冷たいな、うまい。もう一杯もらえるか」
コイツ遠慮しやしねえ。さつきは苦笑した。
そりゃ井戸水で長い間冷やした水出しの緑茶だ。冷たい上味が濃いのに渋味がなくてうまいと同居人には好評で、彼らが帰ってきてすぐ出せるようにとさつきが作り置きしているものだ。
まあでも、足りなくなることはないだろうと思い、注ぎながら尋ねた。

「で?」
「ん?」
「ふたりに用事あるんでしょう?私が聞いていいことなら伝えるし、それがだめならメモでも渡しとくし……何?」

机を挟んで目の前にいる財部が、湯呑みを持ったまま固まっているのを見て、さつきは怪訝そうに眉を顰めた。

「今日はいやに親切だな」
「は?」
「家にあげたり、伝言とか」
「あのねぇ、私だって鬼じゃないよ。あんたあのふたりにフラれんの何回目?避けられてんじゃないの?だからアレよ可哀相な子がいるな〜っていう、」
暑い中気の毒になったとは言わないでおく。
「同情かよ」
「憐れみとも言う」
「あっはははは!」
わざとらしく可哀相な子を見るようにさつきが双眸を細めたのに気付いた財部が、声をあげて楽しそうに笑った。

「でも今日はホントに暑いし、しばらく涼んで行けば?待ってる内に帰ってくるかもしれないし」
それは、と財部が口を開きかけたのを遮って、さつきは続けた。
「ん〜…財部、自分じゃ気づいてないかもしれないけど、ちょっと顔色悪い。少し休んだ方がいいと思う」
部屋に差し込む自然光の下で気がついたことを指摘した。
「財部も仕事忙しいの?あのふたりも最近家で遅くまでガリガリやってるし…ここなら誰もいないし気にしないならここで横になってもいいよ…イタっ!何するの!?」
「…さつきに化けた…タヌキ?キツネか?」
「ちょっ…、失礼だな!つねるなら自分つねってよ」
それでもさつきは笑いながら、「ほら」と半ば無理矢理財部から背広を引っぺがすと半分に折った座布団を渡した。

「……」
「…何」
「いや…すまない」
「こういう時はありがとうって言うんだよ」
「あぁ、…ありがとう」
「どういたしまして」

普段は顔を合わせると毒舌合戦になってしまうため、こういった毒も他意のない会話もするのは初めてだった。
それがなんだかくすぐったくて、お互い笑ってしまう。

それがきっかけになったのか、財部は横になったものの何かとさつきに話掛けてくる。
仕方ない相手してやるかとさつきが財部の側に寝転ぶと、
「女の癖に行儀悪ィ」
けれど財部の顔も口調も笑っていたからさつきには文句を言う気も起らなかった。

財部は枕代わりの座布団を遠ざけ、片肘を枕にして寝そべりながら色々な話をした。
その隣でさつきは俯せになり、畳に両肘をつき両手に顎を乗せて話を聞く。
ふたりの関係を考えると随分と不自然な絵面だったが、そうするのが自然に思えてどちらかともなくそういう恰好になった。
さつきが面白がったのは財部や広瀬、秋山や時々遊びに来る彼等の同僚たちの学生時代の話だった。
彼らの失敗談にさつきは声をあげて笑ったし、広瀬からも秋山からも聞かされたことのない同期の絆の理由には感嘆の声を上げた。

「そっか。そうだったんだ。ありがとね」
いきなりの礼に、財部が畳の目に向けていた視線をさつきに移す。
「ここに来る人、みんな異様に仲良いよね。不思議だったんだ。でも交友関係の強さの理由なんて、部外者があんまり聞くもんじゃないかなって」
間に入れないというか、他者が入ってはいけないような気がする。
「そんなに気にする事でも無いと思うけどな」
「そうかな」
「さつきの言う事も分かる。前泊めてもらった時、夜に台所で広瀬と話してただろう。俺聞いたよな?広瀬もあんな顔して笑うことあるのかって」
「うん」
「ふたりでいる所にあんな空気醸し出されたら、流石に声もかけられない」
遊んでいる手の人差指でトントンと畳をノックする財部の仕草に、さつきは思わず顔を綻ばせた。

「同じ時間とか、空間を共有しないと生まれないものとか、見えないものはある。それが俺達の場合は兵学校とか…海軍だったり柔道だが、さつきの場合はこの家だよな。で、さつきは広瀬と秋山のことで俺に聞かれて困ることはあるか?」
「…財部には…ない、かな」
「俺だって広瀬たちとのことでさつきに聞かれて困ることなんてない。俺でさえそうなんだ。あいつらはもっとそうだろう。それに…」
「ん?」
「あいつらがそんな事気にするタマかよ」
「あはは、それはそうかも」
「…さつき、もっと自分に自信を持て。お前が思ってるよりもあのふたりはお前を信頼してるし、大事にしてるよ。”家族”なんだろ?」
「……なんで財部にそんな事分かるのよ…」
「そりゃ見てれば分かる。ここに呼ばれる奴らなら皆知ってる。……おい、泣くな」
うつ伏せになったまま組んだ両腕に顔をうずめたさつきの頭上に、財部が柔らかな声を落とす。
「…違うもん。目から汗が出てるだけ」
(――― 嬉しくて)
「器用だな」
目の前の女の頭をくしゃくしゃとかき混ぜると、財部は小さく笑った。

「財部、」
ふと上げられた瞳と視線が重なる。

「教えてくれてありがとう」

笑んだ弾みに目尻から雫がひとつ転がったけれど、それは財部が見た中で一番の笑顔だった。


晩御飯食べていく?と聞かれたものの、財部はまた今度呼ばれると断って玄関に立った。
「さつき」
何?と首を傾けた目の前の女に、

あまり小難しい事を考えずにもっと素で対してやれ。
そうじゃないとあいつらが ―――――― いくらなんでも可哀想だ…

伝えるか迷った挙句、違う言葉が転がり出た。

「今度、飯でも食いに行くか」

それはさつきは断るだろうと踏んだ上での社交辞令、とはいえ半ば本気の言葉だったのだが。

「うん、行く。行きたい。財部が都合いい日を教えてくれたらそれに合わせるよ」

(…そういう選択肢はなかったな)

そう思ったものの社交辞令と取られなかったことが嬉しい、だなんて。

「ならまた連絡する」
「待ってるね!」

どうかしてるんだろうか。


はい。続きません!広瀬が気付いた時には財部君にかっさらわれていたという話にするつもりでした。まさかの財部落ちw
Roundabout と所々似ているのは、元々あの話を日露でするつもりだったからです!ざーっと思いつくまま書いてみて、結局桐野に鞍替えしました。この前出て来たノートにちょろっとだけどんな話にするかメモが書いてあって、それに 桐野→ドS ってあった。私…!!(爆笑した)


wavebox(wavebox)
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