3 of us:3人



見た事も無い世界に放り出されて、気がついた時には今まで生きて来た世界を根こそぎ奪われていて、拾ってくれたふたりはさつきにここで生きる為の様々なことを教えてくれた。
こちらに来てからいくつかの曲折を経て心底信頼したのがこのふたり、秋山真之と広瀬武夫で、さつきにとっては彼らの言うことなら間違いない、疑う必要もないと思える程になっている。

怖いけど、インプリンティングみたい。

そう思うたびさつきは軽く笑ってしまう。
このふたりの異性はさつきにとっては信頼できる友人で、また同時に父であり兄弟であり時に子供のような「家族」といった位置づけであったが、それこそ雛にとっての親鳥のような、ある種絶対的な存在でもあった。

さつきにとって、ふたりは大切な存在だ。





秋山は時間の使い方が上手い男だった。
食後暫くは自分の時間と決めているようで、部屋に閉じこもってしまう。
そこで一度思考の海に浸かってしまうと、何度呼び掛けても意識はこちらに戻って来ない。そら恐ろしい集中力で決めた事をする人だった。
しかしその時間が過ぎるとさつきがいる居間に戻ってきては色んな話を聞かせてくれたし、さつきがいた世界の話を聞かれたりもした。
秋山がする講談のマネを見て笑ったり、彼の故郷の話も聞いたことがある。
道後温泉には何度か行った事がある。
うっかりさつきがそう漏らすと、恐ろしく嬉しそうな表情で食いつかれ、東京に幼馴染がいる、会ってみるかと正岡子規を紹介されそうになって酷く焦った事もあった。

秋山と話をするのは楽しかった。
頭の回転が早い賢い人で、偶に何もかもを見透かされているようで怖い気もしたが、話が上手いからさつきを飽きさせない。
海軍に入る迄の経過がやや特殊であったり乱読のためか、話題が広く豊富だった。
随分笑わせてもらったし、また時間を共有して一緒に笑いあう事が過去の世界に放り出されたさつきの不安を随分と和らげていた。
手先がいやに器用で、頼んでいいものか悩みながら日用品の修繕を頼むとどこかから道具を引っ張り出し、「どうせ他にもあるんだろう、一遍にやるから出せ」などと言ってはあれこれ面倒を見てくれたのも彼だった。
困っていたり、凹んでいたりすると不思議とすくい上げてくれる。
彼のさつきの扱い方は家族同様で、甘やかされている、そうさつきが自覚する程秋山は優しかった。
時々遊びに来る彼の同僚が少し驚いた表情を見せるほどだったから、彼の内外を仕切る線の、随分内側に自分は存在しているらしい。
何かあるたびにいつか「家族のように思えればいい」と伝えてくれた秋山の言葉が嘘ではなかったことを思い、さつきはいつも心の奥に暖かい何かが生まれるのを感じる。
秋山には、この人にもたれても大丈夫だという揺るがない安心感がある。




広瀬は秋山とはまた違うタイプの人間だった。
話をするのが大好きで日常生活でも口数は多い。
けれど軽薄という感じはなく、誠意をもって対してくれているというのがよく分かったし、偶に言う冗談でさつきを大笑いさせた。
その一方で広瀬はいかにも「明治の男」とか、会った事も無い曾祖父の世代のあり方を彷彿とさせる雰囲気を持つ男であった。
けれども、近づいて触れられる所にいる広瀬自身は、さつきが思い描く「明治の男」とか「軍人」とは随分とイメージ ― 鉄拳を振るったり酷く石頭だったりどちらかというと芳しくない ― が違っていた。
さつきが見る限り広瀬は一直線(直情径行のきらいはあったが)で懸命な人だった。
秋山と比べる気はないが、ふたりのスタイルは違うのだろう。
広瀬は一足飛びでなくひとつひとつ積み上げる努力型の人で、いつも夜遅くまで部屋の灯りがついていた。
さつきが翌朝の準備をしている時に「何か食うもんある?」と腹をさすりながら台所にやってきたりして、残った白米を茶漬けやおにぎりにして夜食を作ることも度々だった。
台所の上り框に腰をかけて広瀬が夜食を食べ、その隣でさつきがお茶をすする。
薄暗い中でぽつりぽつりと世話話をしたり、新聞小説の展開を予想したり、明日の弁当のおかずの要望を聞いたりする時間がさつきは好きだった。

この時間に会う広瀬は、いつもとはひどく印象が異なった。
いつも感じる強さとか勢いが削ぎ落とされて、穏やかさとか優しさだとか、そんな柔らかなものだけがランプの灯りに照らされて浮き彫りになる。
話しながらたまにこちらが驚くような、蕩けるような笑顔でゆったり笑うのが印象的で、至近距離でそれを目撃せざるを得ないさつきの心臓をよく跳ねさせた。
いつだったか、家に泊った広瀬の同僚がさつきと談笑していた広瀬の様子を偶然目にして、こっそり
「あんな表情もできる奴だったんだな、驚いた」
とさつきに耳打ちした事もあったのだ。広瀬とは、自分よりも遥かに長い付き合いをしている同僚が。

―――この人も、随分私を『内側』まで入れてくれている。
―――こんな限定された笑い顔、見られるのはきっとこの空間にいる自分だけだ。

そう思うと秋山とはまた違う意味で胸が暖かくなった。どうして喜ばずにいられるのだろう。
心が少し浮ついているのを相手に悟られないよう、普通を装って視線を外す。
伏せた睫毛の先に見えるのは膝の上に置かれた大きくてごつごつした男の手で、不器用そうに見えてそれが意外と器用に動くことをさつきは知っている。
この手は線の内側に入った人間にどういうふうに触れるのだろう。
そう思ってまたひとつ鼓動が跳ねる。



秋山と広瀬はさつきに色々な暖かさを与えてくれる大切な存在だ。
それはこの先どんなことがあっても変らない。
自分にとって彼らが大切で特別であるように、自分も彼らの大切で特別であればいい。
大切で特別。
なんて安心感と ――― 優越感、をもたらす言葉だろう。


こっぱずかしさフルスロットルの第2話。このあたりでこの調子で私が広瀬を書き続けていたらどんな大惨事になるんだろうとは思った


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