「ねえ」
「んー?」
「ちゃんと聞いてる?もう言わないよ?私伝えたからね?土曜だよ?」
「ああ」
「ねえ」
「…ああ」
「…ねえ」
「………」
集中している時に話しかけても聞いてないって分かっていても、これはあんまりだと思ってしまう。
立ち上がって部屋を出て行ったのにもきっと気付いていない。
「………」
いつもならこんなに腹も立たないのに。
「どうしたの」
暗い顔して。
通りかかった居間でお茶を飲んでいた広瀬が話しかけて来たので、とりあえず笑い返したが、彼はおいでおいでと手を振ると、座っていた場所を少しずらしてお茶を淹れてくれた。
「出枯らしでちょっと冷めてるけど」
「んーん。ありがと。おいしい…」
「で、誘えたの?」
「一応声は掛けたよ?」
「返事は?」
「…ねえ、広瀬さん。ちょっとだけ、ちょっとだけでいいんだけどさ…」
「ん?」
「ぎゅってしていい?」
「…別にいいけど…流石にまずくない?」
今は家に秋山もいるのだし。見られたらあらぬ誤解を生むかもしれないのだし。
そう言ってもさつきは大丈夫の一点張りで、広瀬もついに根負けしてしまったのだった。
ほら、と手を広げるとさつきがその中に収まる。胡坐を跨いで背中に手を回してくるのはどうかと思うが、それにも慣れてしまった。
姪を寝かしつけるのと同じようにとんとんと柔らかく背中を叩くと、耳の後ろで大きな息が落ちる音が聞こえた。
「なんて言って欲しい?」
「大丈夫って言って」
「…大丈夫だよ。秋山は君をどうでもいいなんて思ってない」
「ほんとにそうかな?」
そうは思えないんだけど、と疑わしげな声を上げるさつきに広瀬が莞爾と笑って答えると、彼女も少しだけ笑った。
「腹立つなーとは思うけどね、実は楽しみにしてるの」
「うん。どこかに泊ってきたら?」
「あはは。何言ってんの」
ぺしぺし背中を叩きながら笑い声を上げるさつきに広瀬はほっとする。
忙しいの分かってるし、いつもならこんな事言わないんだけど、とふたりでいる時に話しかけて来たさつきを、広瀬は思い出す。
どうしても予定を開ける必要があるなら俺がそう言おうか?
広瀬はそう聞いたのだが、さつきはそれを首を振って断ったのだった。
「その日じゃないとダメなの?」
「ダメって事はないんだけど…あのね、…」
「…そうか、うん。分かった。やっぱりさつきさんの所では特別な日なのか?」
「んー…そーかなー…なんて言うか、私はいられるなら折角だから一緒にいれたらいいなって思って、…それに、」
そのさつきの話を聞いて、広瀬は出来るだけ協力してやろうと思ったのだ。
(それなのに肝心の秋山がこれじゃあなあ…)
秋山は特に乗り気でないという訳ではなくて、ただ話をきちんと聞いていないだけなのだが。
(それはそれで問題だろうよ)
それに一体これで何度目だ。
さつきもさつきで、ちゃんと理由を話せばいいのにと思うのだが、
「特別な事して欲しいとか、そう言う事じゃないから…」
という、いつものセリフで終わってしまう。
(我儘言い慣れてないんだろうな)
近頃になると広瀬も段々分かってきた。
遠慮している所も多少はあるのだろうが、これは多分に性格の問題だ。
甘えられる事に慣れていても、甘える事には慣れていない。
「あ〜いいわ広瀬さん…この安定の安心感…不安吹き飛ぶ…」
「何それ」
広瀬は思わず笑ってしまった。
「なぁ秋山にも同じ事してみなよ」
「えっ?えー…ムリムリ」
(本当に…)
意地っ張り。
素直に甘えるのが恥ずかしいのだ、多分。
「土曜日すぐだね。楽しんでおいで」
「…うん」
一度ぎゅーっと力を込めて抱きしめてやるときゃらきゃらと笑声が上がる。
そして力を抜いて体を離せばさつきは少し俯いて照れたように笑った。
本当に年の離れた妹か何かのようで、つい構いたくなってしまうのだが。
(こんな子放っておいて秋山は何やってんだか)
何となく溜息が落ちた。
(12/04/17)
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