犬も食わない 2



「ちゃんと聞いてる?もう言わないよ?私伝えたからね?土曜だよ?」
「ああ」
「ねえ」
「…ああ」
「…ねえ」
「………」

最近さつきがよく話しかけて来ていた。
しかしちゃんと聞こうとした途端に他から邪魔が入ったり、さつきもいつもなら話しかけないような時に話しかけてきたり。
なんというか、本当にタイミングが悪かったのだ。そうとしか言いようがない。
集中している時は本当に何を言われても聞いていなくて、生返事ばかりしているという意識は自分でもある。
…あるのだ、一応。
悪いとも思っている。一応。
最近は本当に繁忙で、家に帰ってきてはやる事があるし夜が更けては疲れてそのまま寝てしまう。
つまりさつきの相手をマトモにしていなかった。だから余計に。

しかしふと思い返せば、
(…何か…)
ひとつの事を繰り返し言われていたような気がする。何かを約束したような気がするのだが、その内容がどうしても思い出せなかったのだった。
ちょっとおざなりに相手をし過ぎていたのかもしれない。
しかしまあ、必要な事ならその内また言って来るだろう。
そう思い、こんな事があったという事さえ忘れてしまっていた。


だから、
「あれ?秋山、早いじゃないか。…ひとりか?さつきさんは?」
土曜日、夕方に帰るなり同居人にそんな事を言われて、秋山は首をひねってしまったのだった。

「さつき?」
「だって…今日だろう?出掛けるって」
「は?」
「…まさかとは思うが、聞いていなかったのか」

広瀬の口ぶりは、さつきから話されていないのではなく、自分が彼女の話を聞いていなかったという意が明らかで、自覚があるだけに流石に分が悪くて秋山は口答えもできなかった。
「…出掛けるって」
なんだと尋ねると、広瀬は少し言いにくそうに口を開く。

「あのな、今日さつきさん誕生日なんだ」
「はあ!?俺は何も聞いてないぞ」
「特別な事をして欲しい訳じゃないから、言わなくていいってさ」
「………」
「だが、今日はどうしてもお前と出掛けたいと前から何度も彼女は言っていた筈なんだが」
「………」
「聞いてなかったんだよな」

流石に広瀬の視線は冷たかった。

「あのさ、忙しいのも分かるんだがあれじゃ秋山、幾らなんでもかわいそうだ。付き合う気持ちがあるんなら、もっとちゃんとしてやれよ」
「…あぁ」
「銀座、一時集合。今五時前だ。行ってもいないかもしれない」
「―――すまん、行って来る」
「それと秋山、あのな―――」




適当に拾った人力車に飛ばすように頼むと、秋山は溜息を吐いた。

「ダメって事はないんだけど…あのね、私の誕生日なの、土曜日」
「…そうか、うん。分かった。やっぱりさつきさんの所では特別な日なのか?」
「んー…そーかなー…なんて言うか、私はいられるなら折角だから一緒にいれたらいいなって思って、…それに私いつまでここにいられるか分からないから」

広瀬から聞いた話を思い返すと秋山の眉間にはしわが生まれた。
誕生日?いつまでいられるか分からないから?
馬鹿だ。
そうならそうと、何でもっとはっきりと言わなかったのか。
そんな事ばかりが心の中で渦巻くが、必要なら話に来るだろうと高を括ってさつきに確認しなかった自分だって悪いのだ。

銀座で待ち合わせ。
さつきと自分が共通して分かる所なんてそれほど多くはないから、人力車を下りた後幾つか目星をつけて探したのだが、その姿は見つける事が出来なかった。
時計を見れば既に六時前だ。
一時にここに来て、相手を五時間も待つなんて普通ならしない。
…帰ったか?
いや、二時間ここで待って帰ったとしても、秋山が麻布に帰着した時にさつきの姿はあってしかるべきだっただろうと思う。
「どこに行った…」
さつきの行きそうな所を思い浮かべようとしてみたが、最近ロクに話していなかったこともあってか、そんな事も分からなかった。


(12/04/24)


wavebox(wavebox)
prev | M&S | next

top