「俺は大歓迎」
そう言う広瀬はとてもいい笑顔だった。
例の弁当の件だ。
結局あの日は秋山の家を出る時間が迫っていた事もあり、さつきが、「今決めなくてもいいから、必要ならお弁当箱買ってきてね」とさっさと幕を引いたのだった。
分かったと伝える前に「あれ?もしかして竹の皮?」とか言われて、いつの時代だよと秋山は肩を落とした。
さつきとの会話は脱力する事が多い。
その場に居合わせなかった広瀬には秋山から弁当云々のいきさつを伝えた。
広瀬は話を聞くとそのまま喜ぶだろうと思ったが、その想像通りで秋山は笑ってしまった。
「多分彼女、それも仕事だと思っているだろう。だからそういう面であまり気を使わなくていいんじゃないか」
こっちが気にすると却って向こうも気にするだろうし。
そう返した広瀬におや、と思いながら。
「無理そうなら俺らが止めたらいいか」
「俺はそう思う」
あっけらかんとして言う広瀬に秋山もそれもそうかと思い、結局仕事帰りに購入した新しい弁当箱をさつきに渡す事になったのだった。
「腰弁族か」
広瀬が弁当持参だなんて珍しい。
そう思ったのだろう、話し掛けてきた同僚に広瀬は身体を固くした。
深く考えていなかったが、昨日まで役所で弁当を取っていた独身者が急に弁当持参になるのは変かもしれない。
しかも理由を問われても大っぴらにしたくない内情だけに、「ああ」とか「まあ」とか、広瀬はそんな生返事しか返せなかった。
(こういう時はあれだ、話を変えるべし)
そう思いながら広瀬は弁当の蓋を開けて、パンッ!と速攻で閉めた。
いきなりの行動に同僚は若干驚いた様子。
「ひ、広瀬?どうした」
「外で食ってくる。天気いいし。外で」
言うなり弁当を抱えて広瀬は室を出た。
海軍省の裏庭に出て目につく丁度良い木陰に豈図らんや先客がいた。
声を掛けようとすると向こうも気付いたようで、軽く片手が上がった。
「「どうして」」
ここに、と続く言葉はお互いに嚥下。どうしても何も多分理由は同じだ。
「朝と晩メシの残りじゃなかったのかよ」
「俺だってそう聞いてたよ」
肩を竦めた秋山の隣を陣取って、広瀬は苦笑いと共に八つ当たりじみた台詞を同僚にぶつけた。
ぱこんと蓋を開ける。
半分は飯で半分はおかずだが色がきれいだった。一言で言えば豪華。
広瀬が思い浮かべる弁当と言えばあれだ。煮物や目刺しなんかが中心になる白と茶色のツートンカラー。
所謂茶色いお弁当。
朝、さつきが仕度していた時、箱の中身は一目見て豪華だと思ったのだが、実際には「豪華に見える」が正解だ。
絹さやの緑とか煮人参やケチャップの赤がバランスよく配置されているから、弁当の中の色が多いからそう感じるようで、内容は確かに昨日の夕食で今日の朝食だった。
(朝メシはこの切れっぱしだったのか)
きゅうきゅうと詰められている卵焼きを箸で救出すると、広瀬はそれを口の中に放り込んだ。
「蓋を開けてからここに来たのか?」
「秋山も?」
秋山も中身を見て独身者の弁当とは思えなかったようで、周りに詮索されるのが煩わしくてそっと蓋を閉めて外に出たらしい。
「金払って弁当取ってる奴らのより美味そうってどーよ」
「美味そうと言うか、美味いよ」
広瀬の返事に秋山が緩く空気を震わせて笑った。
とは言えここに穴があった事に彼らは気が付いていなかったのだ。
昨日まで役所弁当だったふたりが突然弁当持ちになり、しかも揃って外で食べるだなんてどこぞの女子かと突っ込みたくなるほど不審で、はっきり言って目立つ。
逃げて来たのに却って好奇の目で追われる事になっているのだが、仕事面では評価もされ度胸もあるのにこういうところではちょっと抜けている軍令部員だった。
(留守……)
この時間ならまだ飯だろう。
そう思って訪ねた広瀬の席は空っぽで、財部彪の顔には少しく落胆の色が加わった。
財部は常備艦隊の参謀で横須賀勤務だ。報告事項があり本省に出て来たついでに同期の顔を見に来ただけで特に用事がある訳でもなかったのだが、暫く待ってみるかと広瀬の席の椅子を引けば、正面の机から声が掛かった。
「広瀬なら裏庭でメシ食ってるよ」
外で?思わず顔を上げる。
「奴さん一週間程前から弁当持って来始めてな、今日も秋山と外で食ってるんじゃないか」
「は?秋山と?」
何とも間抜けな声が出た。
コツン、コツンと海軍省の階段を降りながら、一期上の上村翁輔の親戚留守宅に住んでいた秋山に引っ張り込まれたと広瀬本人から聞いた事を財部は思い出す。
聞いたどころか一度遊びに行った事さえあった。
以前講道館で顔を合わせてあれからどうだと尋ねた時、「独身者同士、気楽で酷い生活だよ」なんて笑っていたのだ。
そんな奴らが弁当持ちだ?
首を捻るも、海軍省の裏庭で見つけた当の本人らは本当に木陰で弁当を食っていた。
(うげえ)
いい年した男がふたりで気持ち悪い。そんな感想はそっと胸の奥にしまった。
「財部」
「お。うまそ」
「あ」
ふたりの前に屈んで、ひょいと秋山の弁当のエビのなんちゃってチリソースを指で摘む。
「海老か?こっちも」
広瀬からは牛蒡の甘辛揚げを攫って口の中へ。
「おー美味いなコレ」
ビールに合いそう。好きな味だ。
「お、おお」
「どこの弁当?」
その一言で広瀬と秋山のふたりが一様に固まった。
「え、何……」
まさかそんな反応が返ってくるとは思わなかった財部は思わず眉を顰めた。
広瀬と秋山は今までこの話が振られそうになる度に言葉巧みに話題をずらしてきていた。
しかしながら広瀬に至っては兄の勝比古が同じ軍令部勤務、あろう事か職場の先輩なのである。
当然ながら何がしかの話が耳に届いているようで。
面と向かって聞かれた事はない。が、兄の「何かあったのか?」と不思議そうな、けれど温和な表情で微笑まれると広瀬は本当に身が縮む思いがするのだが、それも堪えている。
このできた兄はきっと弟の私生活を尊重してくれていて無理に聞き出そうとしないのだ。
なんてありがたい。
それだけにちょっとばかりの罪悪感もあるのだが、聞かれないから話さないだけだ、嘘はついてないと職場で兄の姿を見る度に広瀬は自分に囁いていたりする。
しかし財部からここまで直球で突っ込まれてしまうと最早話を変えようがなかった。
しかも財部は広瀬と同期、共に柔道を海軍に引き入れた大親友でもある。つまり濃い付き合いをしている男なのだ。
兄とは違う意味で下手にごまかしたり嘘を付かない方がいい。
広瀬はそう判断した。
「店のではないんだ。作ってもらっている」
素を曝す時間が長い相手の前では嘘は必ず綻びる。
とはいえ、嘘ではないのだが、広瀬が与えた事実は半端過ぎて却って財部の不審の念を増幅させだけだった。
「ふ〜ん。……家に若い女連れ込んでいる」
「っ!」
「ごほッ!」
「……とか?」
((とか?じゃねーー‼))
止まるかと思った。一瞬心臓止まるかと思った。
変な所で妙に鋭い。伊達に学年主席になった男ではなかった。
しかし大の男にくきっと首を傾げられても全くかわいくなく、ふたりは一瞬本気で弁当箱で財部の頭を殴りそうになった。
が、まさかそういう訳にもいかず、殊更にゆっくり口の中の物を咀嚼した。
「あほか」
広瀬がやっとそれだけ言い、秋山はだんまりを貫いた。
(あーありゃ本当に女連れ込んでるな)
カマかけたつもりだったのに、一発で答えに辿り着いてしまったらしい。
横須賀への列車の中、財部はそう思う。
そうとしか思えない反応だった。
何故なら彼らが食べていた弁当の中身は自分たちレベルが雇える賄いが作るようなものではなかったのだ。
家で出される料理だと思うが、自分たちの母親世代が作れるようなものでもなかったと思う。
というか見た事ないものが入っていた。海老のナントカとか(聞いたけど忘れた)。
かといって確かに売り物の弁当でもない。本物の料理人ならあんな大きさまちまちの牛蒡の切り方はしない。
「女、ねえ」
彼らの周辺には今のところ親戚やご近所さんでない限り若い娘なんかはいない筈だ。
それとも好い人ができたとか。
(いや。広瀬は……秋山もか、独身主義だろう)
独身主義だからといって、それが女全てを退けるという事には繋がらない。
が、財部は親友がそういう点で自堕落とは無縁な男である事はよく知っている。
秋山もいい加減だとは思われないし、ふたりして家に女を連れ込んでいるなんて何かの間違いではないかと思うのだ。
まさか騙されているんじゃないよな。
財部はそう思う。
(広瀬ならともかく秋山がいるならそんな事もなさそうだがなぁ。もしかして面倒事に巻き込まれているのか)
何にせよ一度確かめた方がよさそうだ。
日が暮れ掛かっている窓の外を見て、財部は嘆息した。
100728
suspicious:不審だよね、やっぱり
何気に酷い財部。軍令部は海軍省の建物内にありました