草冠の下に潜む



 今日は暖かくて気持ちがいいから散歩でもしよう、ついでに町の平和も守るか、とジャージにサンダルというヒーロー感がまるでない軽装で安全圏のA市を抜けて歩き出せば、ヒーローの出る幕など果たしてあるのかというほど町も、人びとも、空の色までもが穏やかだった。ここんとこやたら多かった災害も最近は落ち着いてきているらしく、今日は一層となりをひそめているようだ。行けども行けども目に映るのは平和な町並みばかり。避難警報に破られることのない子供の笑い声、14時の温度、機嫌よく振られる犬のしっぽ、それらに囲まれながら進める歩みは、普段よりいくらか軽い。
 悪を討つのがヒーローの役割で、それがないとプロでやってる以上仕事がないわけだけど、それは別に不満にもなることでもなく、こんなふうに平和ならそれはそれで、まぁだいぶいいもんだと思う。だから、散歩にしてはだいぶ遠くまで来てしまった、と気づいたときにも悔やむ気持ちは生まれなかった。
 が、しかし見慣れない風景だ。
 立ち止まり辺りを見渡す。
 現在地は四つの横断歩道で繋がれた十字路。大きくはないマンションがちらほら見えるから、ここはたぶん住宅街の幾らか手前になるのだろう。それならこの先に行っても何もなさそうだ。
 佇む十字の端には、俺の横にバス停、正面に車屋、その隣に花屋、花屋の向かいには駐輪場が、それぞれ横断歩道を挟んで見える。このまま引き返してもいいが、なにか目を引くものはないかと正面にある車屋からぼんやりと視線を滑らせれば、数メートルずらした先、一軒のスーパーが目に留まった。丁度青に変わった横断歩道を渡り近づくと、ご丁寧にも店頭に、赤字に白抜きの文字が眩しい特売情報がでかでかと掲載されているコルクボードが打ち出してある。奇跡的にポッケの中には500円硬貨。それでも目当ての4分の1カット88円の白菜は余裕で買えるし、人参、玉ねぎ、じゃがいも、3つで60円を買ってもまだ余裕がある。しかも自動ドアから見える店内の野菜コーナーには水曜市のポスター。どうやら今日は野菜が安いらしい。ということはつまり、行くしかないのだ――。
 今日はパトロールより散歩の割合が高かったため私服であるにも関わらず、特売情報を目にした俺は死地に赴く孤高のヒーローのように空想上のマントを翻した。
 そうして約30分後、500円目一杯の特売品で幸せな重みを持つ袋を手首にぶら下げ、来た道を引き返している最中「そこの君!」と午後の静けさの中響き渡るひとつの声に呼び止められた。周りには人もいないし、声をかけられているのは、十中八九俺だろう。無視しようかどうかちょっと迷った末に振り返れば、やけにつやつやとした黒髪の男が、感嘆したように「ああやはり!」と言い、あっという間に距離を詰めたかと思うと、止める間もなくぎゅうっと手を握られた。
 未だかつて、こんなふうに誰かに手を握られたことなんてあっただろうか。そう考えると、包み込まれる手の体温、その生暖かさがいやに気になった。
 これは新しい握手の一種かもしれない、とこの握り込まれた手にまともな理由を宛がう思考を邪魔するように、男はもう一方の手も加えて重ね「君はハナだ」と言葉を捩じ込む。

「いや、俺はサイタマだ」

 握られた手を振り払うべきかどうしようかと悩みながらも訂正を入れれば何が喜びの琴線に触れたのか、男はにっこりと蕩けるような笑みを浮かべて、そこにきて俺は、この男の容姿が随分と整っていることに気がついた。
 イケメンと名高いジェノスと比べてみてもこの男は勝るとも劣らない。男に興味はないし、元来の性分から見惚れたりはしないが、俺が一般的な感覚を持っていたのなら握られた手は今頃手汗でびしょびしょだろうし、目も泳いでいたかもしれない。そう思うほどに、男の顔は整っていたし、きらびやかだった。まるで花のかんばせだ。
 あ、きみはハナだ、って花のこと? いや、俺は花と形容されるように可憐ではないし、華と呼ぶほど華美でもない。むしろ荒野だ。畜生。
 でも、じゃあさっきの一体なんだったんだ。なんて意味? ……まぁ、どうでもいいか。
 目の前で笑みを浮かべる男の唇がふわりと開く。さっきより幾らか落とした声で今度は「君はヒーローだ」と言う。

「ああ、俺はヒーローだ」
「そうして君には華がある」
「あ、ハナってその華ね。どっちにしたってそんなの無いけど」
「君は強い。そして美しい」
「話聞けよ」

 男は俺と会話する気があるのかないのか、成り立っていない会話を独自に成立させている。さっきからずっと、俺は付いていけずおいてけぼりだ。しかし逃がさない、というように手だけはしっかりと握られている。
 目の前の男は美しい容姿とそれに見合う美しい声で、頭でも可笑しくしたのか俺を「美しい」と表し、尚もつらつらとご機嫌に語る。

――僕はA級ヒーロー一位のイケメン仮面アマイマスクだ。きっと君のことだから僕のことなど歯牙にもかけてはいないのだろう。その超然としたあるがままの姿もまた華を背負ったようにあアなんて美しい。ところで、本来ならばすでに名の知れた僕からこうして自己紹介などはしないのだが仲良くなりたい相手にはどうやら話は別なようで、君の特徴的なシルエットを見かけたらこの通りいてもたってもいられなくなってしまった。そういう訳で僕は君と仲良くなりたい。無理なら見ているだけでもいいが可能ならば触りたい。許されるなら手に入れたい。なぜなら君には華がある。強さがある。それも圧倒的な強さだ。強さとは美しさでもあると僕は思っているんだ。誰もが憧れ、畏れ、おいそれとは近づけない。それが強さと美しさの共通点。そう考えると、君はこの世のなにより美しい。そうして僕も、悔しいが君には及ばないまでも強く、そして美しい。美しいものは美しいものに惹かれるのだけれど、君はどうだろう、僕を美しいと思うかい? 僕に惹かれるかな?

 つらつらつらつらと語られた言葉は句読点の感覚も短く矢継ぎ早な癖に眠くなるほど長い。その喋り方にジェノスを思い出した。20文字で纏めてほしかったがこいつはなんだか20文字じゃ足りないとか言い出しそうだから代わりに「惹かれないけど引いた」と言って握られっぱなしだった手を無理やり引き抜く。
 目の前の男は他にいったいどんな反応を貰えると思ったのか、きらきらと光の散る目を真ん丸くしたと思ったら、そのあとぱちぱちぱちと間隔の短い瞬きをして「じゃあ君を魅了できるようにより強く、一層美しくなって改めよう」とまたも唇の端を吊り上げるとくるりと踵を返して、後方にある如何にも高級ですといった見た目の車に乗り込み、間もなくその場を走り去り完全に姿を消した。
 強さの程は定かじゃないが、ご自慢であろう美しさまでは否定していないんだけど、そこも磨いてくるってのか。しかし一体あれ以上どうやってあの小綺麗な顔面を整えてくるというのだろう。ていうか、いまのはなんだったんだ。あいつ結局何がしたかったんだ? イケメン自慢?
 そんなことを考えながら、手首にぶら下がっていたスーパーの袋になんとなく視線を向けると、薔薇の花が一輪入れられていた。こんなん買ったっけ? と思ったがどう考えても買うわけがない。てことはあの男か。入れられたことに気づかなかったことに驚いたが別に殺気も怒気もない些細な行動の一々に反応するほど敏感な神経は必要ないし、危機を察知して悪を成敗する分だけあればいいのだから別に気にすることでもないか、と考え直しそのまま帰路についた。
 道を引き返すと緩やかな坂が見える、その坂を登ってファミレスやコンビニを幾つか通りすぎるとちょっと栄えた駅に出る、そこを越えてしばらく歩けば家につく。簡単な地図を頭に思い浮かべて、確か迷わないために角は曲がらなかったはず、と来た道の細部を頭の地図に当て嵌めようとするが、元々物覚えがよくないから目印になりそうな建物のひとつも思い出せず、結局うまくいかなかった。電柱に貼られた歯科医院の案内をなんとなく眺めながら、思い出すのは帰りの道順ではなくさっきの男のことだった。
 あいつ、また改める、とか言ってたけどまた来るのか。来るだろうな。めんどうだ。なんだかまたジェノスを思い出してしまう。あと、パニックの奴も。家を教えた覚えはないのにどうしてだか勝手にやって来る奴らが多いことを考えれば、あいつもきっと来るんだろう。もし来ても家には上げないようにしよう。もてなしてるとキリがない。
 駅の喧騒を通り越して、まだ馴染みのない新居への道を辿る。どうやら迷子にはならなくて済みそうだ。学校の下校時間と被ったのか、行きには見かけなかった制服姿が楽しげに輪を作っている。学生ってやつはいつの時代も元気で、下校時間の通学路は駅前よりも賑わっているように見えた。
 俺はこんなふうに人の気配が溢れるところにいるよりも、ゴーストタウンと呼ばれたあの廃墟染みた町にいるほうが合ってる気がする。新居だって、先に入居したというやつらはなんか変だったし。ヒーローだから悪い奴じゃないんだろうし、別に嫌ってもないけど、俺はやっぱり人付き合いが下手なのだ。かつての住みかだったら隣人なんかいやしないから気にする必要もなかったのに。たまに出てくる怪人も、あっけなく片付いてはしまうけど、暇つぶし程度にはなった。暇つぶしでも世界が少し平和になるのならそれだって立派なヒーロー活動だ。
 学生の群れを抜けてまたしばらく歩くと、さっきとは打って変わって建物のない殺風景な景色が広がる。旧A市が消えて、まだ未開発なのか、もう手をつけるつもりはないのか、道路ばかりが続くその静かな道は少しだけ、ゴーストタウンに似ていた。ここまで来たら、家まではもう少しだ。
 整備が行き届いてない粗っぽい土の地面を歩くとサンダルの隙間に小石が入った。歩きながら勝手に出ていってくれるといいんだけど、と大袈裟に足を振りながら立ち止まることなく足を進める。いつだったか、ジェノスと一緒に歩いてるときにも、サンダルの中に小石が入ってきたことがあった。その時も俺は立ち止まることなく足をひょこひょこと振って歩いていて、中々出ないな〜なんて考えていたら、隣のジェノスが「先生! 歩き方が先程と違います! 足をどうかされたんですか!?」と食い気味に訊いてきたのだ。中に入った小石を取りたいだけだから、と宥めるつもりで発した言葉から何をどう深読みしてそうなったのか「お任せください!」と見当違いな台詞を吐き出すと同時にひざまずいたジェノスが、俺の足を持ち上げサンダルを抜き取った。小石を取り除いてから恭しくサンダルを履かされるまでの行動はあまりに素早くあまりに予想外で、呆気にとられている間に終わってしまったから遮ることができなかった。その時のことを思い出すと僅かに眉が寄る。いま隣にジェノスがいないことに感謝した。ジェノスは世間に大人気のS級ヒーローで、俺はA級にはなったけどまだまだ不人気のハゲマントだ。世間的に、ジェノスをひざまずかせるのは不味い。しかも小石ごときで。そもそも誰かをひざまずかせること自体、ヒーロー的にも人道的にも不味い気がする。ジェノスはあくまで弟子として俺の側にいるのに、今のところ弟子というか俺のお世話係だ。小石の件は俺が強要したわけでもなく完全にジェノスの独断だが、もし世間とちょっとズレた感覚を持つジェノスが、師弟関係というものを誤って認識しているのだとしたら、今後の為にも俺は強さ云々より先に、正しい距離感というものを教えた方がいいのかも知れない。手始めにあんまり引っ付いて回るのを止すように言ってみようか。人付き合いが下手を極めている俺がまともなことを教えられるかは微妙なとこだが、このまま間違え続けるよりかはよっぽどマシだ。さっき出会った男も出会い頭に手を握ってきたりしたが、もしかしたらジェノスと同じように人との距離感というものを掴めていないタイプの人間なのかもしれない。俺が強さと引き換えに髪を失なったように、あいつらも顔面偏差値を著しく上げた結果なにか人として割りと大事なものを失っている可能性がある。例えば常識とか。
 そんなことを考えているとコロンとサンダルから小石が転がり出た。小石の煩わしさから解放され普段の調子に戻った歩行速度で近くなった家路を急ぐ。
 程なくして、目の前に聳えるセンサー付きの重々しい扉を潜り抜け数時間振りの我が家に帰ると「おかえりなさい」と家事の途中だったのか、エプロンを着けたジェノスに出迎えられる。
 やっぱり、こういう出迎えとか、当然のように家にいて家事やってくれてるとことか、弟子というか、なんというか……。他所の弟子事情とか知らないから比べようはないけど、とにかくなんか違う気がする。「俺は弟子の身ですから」と言って俺の家では足を崩すことさえしないのに、当然のように近い距離で過ごしたがる辺り、やっぱこいつ距離感おかしいよな、と浮かんだ違和感をひとまず端に寄せ「ただいま」とだけ応えた。
 笑みを浮かべて俺を迎え入れたジェノスは、ふいと視線を落とすと途端に眉を潜める。ジェノスの視線を辿っていくとスーパーの袋から顔を出した薔薇の花。「その薔薇、どうしたんですか?」と問われた。「知らない奴にもらった」と言えば「プレゼントですか?」とジェノスは更に問いを重ねるが、これがプレゼントに当たるものなのかどうかはわからない。

「どうなんだろうな。よくわからん」
「しかし赤い薔薇一輪とは……。随分と身の程知らずの奴がいたものですね。ちなみに、俺ならそれに加えあと百本渡しますよ、先生」
「いらないからな」

 なんでだか花の本数に張り合いを見せ始めたジェノスに釘を指せば「花はお嫌いですか?」と尋ねられる。

「好きとか嫌いとかじゃなくて、なんとも思ってないだけだ。綺麗だなー、って思って、終わり」

 今日はやたらと華とか花とか出てくる。そういえばそうだ、あの無駄に顔が整った男は終始ハナハナうるさかった気がする。その上にこうしてほんものの花まで寄越しているわけだが、花が好きなのだろうか。あの長話のなかに花が好きとかそんなワードがあったかどうか。う〜ん、思い出せない。内容はおろか名前すら思い出せない。ちゃんと聞いてなかったし。けどまた来るって言ってたから、名前はまたその時にでも名乗ってもらえばいい。とはいえ、これはわざわざその時を待って「花好きなの?」と聞くほどのことでもなければ、自分がその時までこのささやかすぎる疑問を抱えていられる自信も無かった。
 だから意味なんてないのに、あの男の変わりに、イケメンという括りで同類であるジェノスに訊いてみた。

「お前は好きか? 花」

 ジェノスの口角がゆるりと持ち上がり、あの男の笑みを彷彿とさせる。イケメンはみんな、同じような笑い方をするのだろうか。

「美しい花には俺も目を奪われます」

 それは肯定なのか否定なのか些か曖昧な言葉だったが、薔薇が美しくないってことはないだろうと思い「じゃああげる」と袋から引っ付かんで取り出した薔薇を差し出せば、ぱちぱちぱちと間隔の短い瞬きをしたジェノスが、ふわりと口許を綻ばせたまま「ありがとうございます」と言った。表情を見るによろこんでいるようだった。花もよろこんで受け取ってもらったほうがうれしいだろう、と思いながら、ついでにスーパーの袋も押し付けようやく玄関から上がると「ところで先生、今日の夕食は白菜と豚肉のうま煮にしようと思います」とジェノスが言った。
 思わず、一日半目で過ごした目がぱちりと開く。

「まじで!? やった!!!」

 思いがけず今日一番の声が出たから「いま今日一番元気な声でたわ」とうま煮に高揚したテンションのまま報告すると「先生のそういうところが好きです」と返される。強いところじゃなくて? と思ったがそれはなんとなく言わないでおいた。とにかく今日はジェノスお手製の白菜のうま煮が食べられる日で、必然的に俺の今日一日のてっぺんは夕飯になる。全く大袈裟な表現ではなく、それ以前の出来事はすべて取るに足らない事象で、それ以降にあるのは緩やかな一日の終局。そうなにもかもを隅に追いやって一日のメインになるくらい、ジェノスの作る白菜のうま煮はうまい。ジェノスの必殺マジシリーズに入れてもいいんじゃないかというくらいマジでうまい。それは今日という日がうま煮の日という意識に変わるほどに。俺がジェノスのようにノートに記録だか日記だかをつける質なら、うま煮が出た日は間違いなくうま煮のことを書くだろう。
 しばらく後に訪れる夕飯時にうきうきとしながら洗面所で手を洗い、無駄にしゅこしゅこと石鹸を泡立てながらただひたすらうま煮を思った。
 ああ楽しみだ。我ながら簡単な脳みそをしている。だがジェノスのうま煮は他のことを考える余地を無くすほどうまいからこれも仕方ないことだろう。だからさっきまで考えていたことがうま煮のテンションにすっかり負かされ思い出せないのも当然仕方ない。
 台所から、ザク、と野菜を切る音がする。なにか手伝うことはないか聞いても、ジェノスはいつも通り「俺が全てやりますから、先生はゆっくりなさっていてください」とでも言うんだろう。ジェノスは何から何までやってしまうから、俺の一人暮らしに慣れたはずの生活がすっかり甘やかされてダメだ。いつかジェノスがいなくなったら、以前のように暮らしていけるのか一抹の不安を覚えたが、リズミカルに響き始めた包丁の音にそれも消散していった。
 今日は確かにいろいろあって、ジェノスのことも何か考えていたはずなのに、おざなりに処理された思考が蘇ることはやはり無く、ただ俺が理解できることと言えば、自分には勿体ないほど良い弟子を持ったということだけだった。他のことはまぁ、忘れるくらいだから大したことじゃなかったんだろう。


 


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