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 親しくなってみるとサイタマという男は存外に普通であった。感情の起伏は普通を下回ってはいたけれど、肉体に神のような力を秘めている人間にしては、どうにも、やることなすこと、普通でいて、乏しいと自覚している感情だって、まったくないわけではなく、うっすらと顔をのぞかせている。
 ガロウの一件から、俺はサイタマの強さに興味をもった。あの夜のことをきっかけにして何度か意図的に顔を合わせてみたけれど、その時のサイタマは嫌そうな顔をするばかりでろくに話も出来なかったが、手土産を持って奴の家を訪れるとすぐに追い返されることはなく、長居することを許された。
 それに気づいてからは、手土産ならなにを持って来ればいいのか、甘いのが好きか、辛いのは好きか、たまには食べ物じゃないほうがいいか、それなら何がいいのか、なにが好きなのか手当たり次第に訊ね、その内に、俺は意図せずサイタマに詳しくなっていった。
 手土産として持っていく食べ物でサイタマが一番よろこぶのは老舗和菓子屋の栗が入ったどら焼きだった。食べ物以外だとティッシュとかトイレットペーパーをねだられ、その普通さに笑ったのを覚えている。
 そうやって、サイタマのことをさんざん知ったあと俺に寄越されたのは、訪れるたびに向けられていた嫌そうな顔ではなく「お前はなにが好きなの?」という問いだった。

「なんだサイタマ。藪から棒に」
「いや、お前いつも俺の好きなものくれるけど、そういえば俺、お前のことなにも知らないなーって、この前気づいてさ」

 それは、サイタマが初めて俺に歩み寄った証拠である。
 その日から、俺たちの距離は縮まった。

 映画が好きだと言えば「俺もたまに見るよ。レンタルだけど」と返された。
 酒が好きだと言えば「じゃあどっか呑みいこうぜ」と返された。
 煙草が好きだと言えば「ヒーローなのに煙草吸ってるって、ちょっとかっこいいな。戦隊もののブラックって感じがする」とサイタマは少し笑って、そう言った。
 それらの返事はそれまであった「ふうん」とか「へえ」と言った興味のない相づちとは違っていて、告げられた言葉の通り、一緒に酒を呑みに行ったこともあった。
 どんな時でも自然で、気取らないサイタマと一緒に過ごす時間はなかなか居心地がよく、俺たちは多分、友達と呼んで差し支えない関係になっていると思う。少なくとも俺は、サイタマを興味の向かう対象以上の存在として見ていた。
 俺がサイタマの家に通うのが毎回のことだったが、いつからか、サイタマが俺の家に来るようにもなった。それは大体が、レンタルDVDを借りた時で、今日もそうだった。
 パトロール中のサイタマとレンタルDVDショップの前で出くわし「なにか借りるの?」という言葉に「ああ」と返すとサイタマは当然のように俺のあとに着いてきて、俺もそれを受け入れる。自動ドアを潜って数分もせずにサイタマは一本の映画を手に取って「俺、これな」と差し出した。その、勝手についてきて、一緒に映画を観ることを決定している自由な振るまいに、まるで子供のようだと笑ってしまった。




 テーブルの上にはサイタマの観たがっていたアクション映画と、俺の好きな映画、それから、店を物色して気になった映画が二本並んでいる。
 今日は泊まっていくらしいから、いつもより多目に借りてしまった。
 サイタマは泊まりに来るときいつも手ぶらだ。夕方前に出くわし、じっくりとDVDを選んで、サイタマは俺の携帯を使って鬼サイボーグに「今日帰らないから、家よろしくな」と告げると、そのまま少し早い夕食を適当な店で取り、コンビニで雑誌を立ち読みしてから、家主よりも先を歩いて俺の家へと向かった。出会ってから家に来るまで、一旦帰って服なりなんなり取って来る時間は十分にあっただろうに、サイタマは目立つ黄色いヒーロースーツのまま、まるで最初からそういう約束だったかのように俺のそばにいた。
 シャワーを浴びたサイタマは、勝手に箪笥を漁ったのだろう、俺の部屋着を我が物顔で着ていたが、それにももう慣れた。家にはサイタマ用の歯ブラシまで置いてある。
 驚くほどマイペースを貫くサイタマだけれど、それは不思議と嫌じゃない。
 ぼすんとソファに座ったサイタマに並べた4枚のケースを見せる。

「サイタマ、どれから観たい?」
「一番つまんなそうなやつ。その、なに、英語のタイトルのそれ」

 サイタマの指が少し前に話題になった恋愛映画のケースを差す。
 サイタマがつまんなそう、と半目で見るそれに、俺は少し期待をしていた。

「サイタマは恋愛映画好きじゃないよな」
「そういうの、よくわかんないからな」
「でもきっと楽しいぞ」
「お前が借りたやつなら、まぁなんでも観るけど」

 俺に対する小さな信頼を見つけて気分がよくなる。それだけで、この映画を借りた価値があると思う思考は、気紛れに訪れて、勝手に服を着て、自由に冷蔵庫を漁るサイタマに甘く出来ているのだ。
 DVDをセットして流れるレトロな曲は穏やかに空間を包み、テレビの光りを受けるサイタマの横顔をなんとなくふと見る。
 映画のヒロインは風変わりな女で、男は少し鼻持ちならない。どちらにも欠けている部分があって、そこを補いあうように惹かれあっていく。ありきたりな筋書きだが、心情の移り変わりや、一昔前を意識して画かれた街の風景が好きだった。
 物語の中盤、女を拒んでいた男は己の心変わりを認め、女に想いを伝えた。女はにっこりと、けれど読めない笑みを浮かべる。男の高級車の中で、二人は熱の籠る瞳を交わらせ、掻き抱くように唇を合わせて、息を荒げた。

「ゾンビマン」

 じっと画面を見つめ黙っていたサイタマが唐突に口を開いた。

「なんだ?」
「キスするときって、こんなにはぁはぁ言うもん?」
「は?」
「いやだから、海外の映画だとキスしただけですげえはぁはぁいうじゃん。でも実際はどうなのかなって」
「どうって……」

 こいつは急になにを言っているんだ。
訝しげな視線に気がついたのか、サイタマは「俺、こういうの経験ないから」と表情を変えずに言った。
 経験がない。経験がないって……。

「こういうの、ってキスもか?」
「うん」
「サイタマ、お前幾つだ?」
「25だけど」

 どんな女を前にしても、まごつくことも、格好つけることもなく、常にぼうっとして見える姿は時として無欲にも見えたが、女との経験がない分、掻き立てられることがないだけだったか。

「25でなんの経験も無しって、逆にすごいな」
「うるせーな。いいだろ別に」

 普段表情を変えないサイタマの少し拗ねたような顔に段々とおもしろくなってくる。からかわれると思っていなかったのか、放っておいてほしそうに画面を見つめ出したサイタマを更に構った。

「ま、別にいいけど、勿体ないんじゃないか? なんにも知らないってのは」
「いつか知るからいいんだよ」
「いつかって、いつだ? アテでもあるのか?」
「ある」
「うそ言うな」

 見え透いたうそを吐くサイタマに愉快になって、心情のまま唇が笑みを象る。それに比例してサイタマは腹立たしげな顔をして、しかし、俺を愉快にさせるのは、サイタマのそういった反応だった。
 イタズラ心はむくむくと湧いてくるが、それを悟られないように浮かべた笑みを潜める。酸いも甘いも、それ以外も、長く生きた分人より多くを知っている俺にとってサイタマは、ある種の、からかいの対象となった。

「サイタマ、そのままじゃお前、なにも知らないまま枯れるぞ。俺が少し教えてやろうか?」
「……教えるってなにを? ナンパの仕方ならいらねーぞ」
「そんな回りくどいことするわけないだろう」
「じゃ、なに」
「簡単だよ。お前に気持ちいいこと、教えてやるって言ってるんだ」

 サイタマはたっぷり数秒間を置いてから「は?」と言い、それからやっと言葉を理解したのか「むりむりむりっ! 無理だろ!」と言い放った。

「なんで無理なんだ?」
「なんでもなにも男同士だし、なに、お前、ホモなの?」
「は? なに言ってんだサイタマ」
「なに言ってんだは俺の台詞だよ」

 困惑に顔を歪めたサイタマを内心では笑いながら、しかしそれを隠して表向きは「ああ、そうか」と閃きを溢し目を見開いてみせた。

「お前、経験ないって言ってたな。男同士でもないのか」
「いや! 男同士は普通にないだろ俺が幾ら経験積んでようと男同士はない!」

 ぶんぶんと首を振って拒絶を示すサイタマの傍ら、画面では熱を上げた男女が車の中でもつれあっている。

「悪いがサイタマ、男同士は普通だぞ? お前は知らないみたいだけど、男同士で気持ちいところ触りあうなんて、皆やってることだ。女に触れるより先にやる奴だっているくらいだしな」
「うそつくなよ」
「うそじゃないさ。普通なら、そういうのは10代の内に済ませるもんだけど、お前、友達いなかったのか?」

 まるで誰もがそうしているかのようにすらすらと言葉を並べ、サイタマの警戒を宥めていく。
「いないってわけでも、なかったけど……」と途端に歯切れの悪くなったサイタマに、ここぞとばかりに畳み掛ける。

「普通はな、友達同士でやるんだよ。AVなんか観たりしながらさ。10代のガキなんて大概が性欲有り余ってるんだから、お前が想像つかないことなんか、皆いくらでもやってる」
「でもそんな話聞いたことない」
「俺にはそっちのほうがよっぽど異常に思えるがな」
「それって、そんなふつーなことなの……?」
「ああ」
「みんな知ってる一般常識?」
「男ならみんな知ってるさ。やってきてるんだから」
「そ、そうなんだ……」
「逆に聞きたいんだがサイタマ、お前、何なら知ってるんだ?」

 視線を落としたサイタマが画面の中で縺れ合う男女をちらりとだけ見て、暫く沈黙を貫いたあと「……なにも知らないかもしれない」と小さな声で言った。

「それならせめて、一個くらいは知ってないとな。それに、サイタマだって興味あるんだろう? こういうの」

 隣に座るサイタマの耳元で言う。身体を押し退けられることはない。
 さっき「無理」と言い放ったサイタマはもういない。今目の前にいるのは、未経験に恥を見出だし、思考を掠める未体験の快感に意識を奪われかけている男だけだった。

「大丈夫、最後まではしないし、触るだけだからな。みんなやってることだ」

 まるで悪事を進めるような台詞を吐きながらサイタマの肩にぽんと手を置く。それはあくまで気安く、友人のように。

「ベッド行くか」

 促すと、小さなうなずきだけが返ってきた。





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