There is more to life than increasing its speed.
※流血表現があります。ご注意下さい
「 」
耳を
***
どれ程の時間が経っただろうか。
少女は目を開ける──目?
ハッと意識が覚醒する。それと同時に疑問が生まれた。あれ程の爆風を目の前で受けて、どうして生きていられる。自然と目が開けられる。うつ伏せた状態のまま視線だけで身体を確認すれば所々火傷や擦り傷等を負っているが大きな怪我はない。
一体、何が起きた。
困惑で呆然としていると、呻き声が聴こえた。それはとても近い所で……否、近いなんてものではない。自分のすぐ真上だ。警戒しつつ身を起こすと、そこにいたのは───
「ど…して……」
───魔王軍、将校。
真紅の軍服は焼け焦げ身体や顔は大火傷を負い、更に爆発の衝撃で肉が所々抉れ大量の血が流れ出る。咽るように咳を零せば赤黒い血が吐き出された。誰がどう見たって助かるとは思えない。そんな状態で、彼は。
まるで少女を守るかのように覆い被さっていた。
息も絶え絶えの将校。呆然と見上げる彼女を見下ろし、血に濡れた口角を釣り上げる。
「『どうして』?
この、こえ、は。
耳に心地よく響く低い声。怒号と陰口しか入って来なかった自分の耳を、穏やかに、優しく包み込むように、癒してくれた。そんな「彼」の。
嗚呼、まさか。
「不思議なお名前ですね」
「そうだろう?だが俺はとても気に入っているのだ。『平和』の意を持つこの名をな」
「『平和』……」
「そうだ。争いもなく、穏やかに、安らかに、ゆっくりと時間が流れる。それが我が名、」
「やはりお前の瞳は美しかった」
「
将校は少女が仲良くなった、友人とも呼べる存在の男だった。
目が治り、戦争に駆り出されたおかげでしばらく会えなかった。完治した旨を報告出来ず、彼の顔を拝む事も出来なかった。しかし声は、この声だけは知っている。覚えている。沢山聴いてきたのだ、忘れていない。忘れるはずが、ない。
「久し振りに会えて色々話したいところだが……それも叶わんようだ」
「ま、って」
ボロボロの身体で、顔で、息を切らせながら言葉を紡ぐ将校。
「お前との約束も守れん。すまないな」
「ねえ、」
彼は愛おしげに少女を見、腕を伸ばす。彼女の後頭部に触れ、引き寄せた。額が将校の胸に当たる。鼻に入るのは煙と、血と、焼けた肉と、そして彼の匂い。
「やだ……やだよ、ねえ、」
駄々を捏ねるように懇願する少女。焼け残った軍服を震える手で握り締める。将校はその様子を見て困ったように、それでいて嬉しそうに、笑った。後頭部に触れる手で彼女の髪を優しく梳きながら、彼は告げる。
「さよならだ。愛してるよ、我が友人」
目の前の真紅が崩れ落ちる。
少女は絶望の表情で、それを目で追う。
こうして将校───イリニは息を引き取った。
***
いつの間にか撤退した最前線部隊を追いかけ、少女は軍へ戻る。ベースキャンプに辿り着けばそこにいた同部隊の者は化け物を見る目で彼女を見た。将校諸共息絶えたと確信していたのだろう。しかし少女は彼らに対して恐れも、恨みも、怒りすらも湧かなかった。彼女の心を占めるのは虚無感と……絶望のみ。それ以外の全ての感情は削ぎ落とされ、虚ろな表情で、瞳で、自国へと帰って行った。
先の進軍が成功し、少女に久々の休暇が訪れる。戦地から戻っても彼女は相変わらず空っぽの心のまま過ごしていた。休暇を手にしても何をする訳でもなく。趣味もない、やる事もやりたい事もない……前は──再度戦場に駆り出される前は──ただただ森へ赴き、ある者と話をする事を楽しみにしていたというのに。
「(………森……)」
久し振りに、行ってみようか。
行ったとしても誰かがいる訳じゃない。期待などしていない……「彼」は死んだのだから。あの森にはもう、誰もいない。だから。
誰かに、「彼」に会いに行くのではない。
「彼」と出会った森に行くのだ。
街に出れば人々の視線が少女を貫く。所々包帯を巻いた彼女の出で立ちは如何にも「戦地帰り」である事を主張していたし、もっと言ってしまえば先の進軍での出来事。大規模な爆発をその身で受け、生還した。あいつは化け物だ。そんな噂が一般人にも広まっているのだろう。だが少女はそんな事どうでも良かった。
突き刺さる視線を歯牙にもかけず、彼女は街の外れへと向かう。そこにある大きな森は休日になるとよく足を運んでいた場所。大きさゆえ遭難してしまう者が多く、街の人々すら近寄らない。人気がなく静かなその森は、軍の寮にいる時よりも気が楽で、そして、「彼」と出会った場所だった。
森に着いた少女は更に奥に入る。慣れた足取りで道無き道を進んだ先には「彼」との秘密の場所が───
「(何かが、置いてある?)」
───あったのは良かったのだが。
自分と「彼」しか知らないはずの場所に、何かが置いてある。いつもふたりで談笑していた、この美しい泉の畔に。目を怪我して以来一度も見ていなかったが、相変わらず泉は澄んでいた。
ふたりで談笑していたこの場所に、誰かが何かを置いて行った。
そうとしか考えられず、少女は警戒する。恐る恐る近付くと、置いてあったのは麻袋。両手で抱えられる程の大きさのそれに、見覚えはない。外側を見ただけでは見当もつかないので中を見てみる事にする。慎重に触れ麻袋を開くと、赤い布が顔を覗かせた。取り出して広げればそれは細長く、少女はマフラーだという事に気付く。そしてマフラーを引っ張り出した際一緒に出て来た紙には……イリニの名前が記されていた。手紙だ。
震える手で開くと、丁寧で綺麗な字が綴られている。書かれている内容は、彼自身の事だった。
自分は魔物で、魔王軍である事。
はじめは少女を利用するつもりで近付いた事。
イリニは彼女が政府軍でどのような立場なのかを知っていた。それを利用して人間達を制圧しようと目論んでいたようだ。しかし。
情が湧いてしまった。
自分の話を聞いてただ純粋に共感し、興味を持つ少女を。自らが仕える魔王の為とはいえ、謀る事など出来なかった。
彼女はただ「知らない」だけなのだ。
外の国を。平和を。
純粋で、無垢で、透明な少女。
利用するなど、出来るはずがなかった。
世界を知れば透明な彼女は必ず色付く。外の国へ連れて行ったら、どんな色に染まるのだろうか。
ほんの偶然耳にした話で、あくまで噂なのだが、魔王に仕えていた者がとある村を立ち上げたらしい。そこは魔物も人間も皆入り交じって暮らしており、戦争とはかけ離れた平和な場所……つまり安住の地。俺はいつかその地へ行ってみたい。勿論、お前を連れて。
お前がこの手紙を読んでいるのがいつなのかはわからないが、俺はもうすぐ戦場に行く。もしかしたらそこでお前と出会うかもしれない。お前はずっと目を塞がれていたから俺の事がわからないだろう。だが俺はお前がわかる。だからもし、戦場でお前と戦う事になり、そしてどちらかが死なねばならなくなったら。
その時俺はお前を生かすだろう。
お前との約束は守れなくなるが、な。
逆にもし戦場で会う事がなく互いに生きて帰ったならまた此処で会おう。魔物としての俺を、お前の完治した目で見て欲しい。そして共に安住の地へ旅立とう。
お前も俺も、もう、戦わなくても良い場所へ。
少々長くなったが、今伝えたい事は以上だ。お前も俺に言いたい事、訊ねたい事があるだろう。だがそれはまた今度だ。また、会えた時に。沢山語り合おうではないか。
愛する友人へ、お前の友より
P.S.お前の瞳を見られる事を楽しみにしている。恐らく、とても美しいのだろうな。
少女は知った。戦争の悲しさを。
彼女は教えられなかった。
少女は思い知った。自らの偏狭さを。
彼女は世間を知らなさ過ぎた。
少女は気付いた。イリニを大切に想っていた事に。
彼女は友人に心を開いていた。
少女は怖気付いた。イリニの仲間を殺した事に。
彼女は友人の事を何も知らなかった。
少女は失った。唯一無二の友人を。
彼女は一人だった。
少女は見失った。これからの事を、目的を。
彼女は目標などなかった。
少女は、彼女は、少女は、彼女は、少女は彼女は少女は彼女は少女は彼女は少女は彼女は。
初めて、泣いた。
何も知らない。知らなかった。戦争も、世間も、魔物も、人間も、友人も、自分の想いすらも。何も知らず、知ろうともせず。ただ人形のように誰かに従い、事を為すだけ。なんて愚かなのか。
イリニに裏切られていたとは思っていない。裏切ったのは寧ろ自分の方だった。彼は守ってくれた。目の前の、敵だと認識していたものしか見えていない自分を、あの時戦場で会った、あの瞬間から、彼は。
自分を守ろうとしてくれた。
もう会えない。話せない。何も伝えられない。
自分は何も伝えられていない。伝えられなかった。イリニは──結局こんな形になってしまったが──沢山の事を教えてくれたのに。自分は何も、何一つ、全く、彼に告げられなかった。
自分は、こんなにも、彼を。
「愛していたのに……!!」
何も知らず、気付けず、失った。失ってから知った。気付いた。
遅かった。全てが、遅かった。
「平和」の名を持つ友人は死んだ。沢山の哀しみと、後悔と、想いを残して。
愛してる。
愛してた。
愛していたのだ。
外の国を語る彼。
様々な知識を持つ彼。
───平和を愛する彼を。
***
少女は戦う事をやめた。魔物に銃を向ける事が出来なくなったからだ。銃を構え魔物に照準を合わせようとしても、友人の顔がどうしてもちらついてしまう。銃を握る手が震えてしまう。
今この国では戦えない軍人に居場所はない。否、元々彼女に居場所などなかった。処分対象となった少女は亡命を試みる。そこで頭を過ぎったのは、友人からの手紙。
人間も魔物も入り交じる、安住の地。
そこだ、と。少女は偶然見付けたその目的地行きの荷馬車に忍び込んだ。荷物は極少なく、愛用していた魔法銃と友人から貰ったマフラーぐらい。マフラーを首に巻くと、「彼」と同じ真紅のそれは思った以上に長く、三重になってしまった。長時間揺られ、マフラーをいじりながら彼女はこれからを考える。村に着いたら、自分は何をしようか。今までは軍事訓練しかやって来なかった。
だがもう、自由なのだ。
村に着く。袋を担いだシルバーペンギンと箱を抱える蜂──恐らくこの村の運び屋だろう──が荷馬車の近くで何やら会話をしていた。戦場以外で魔物を目にする事がほとんどなかった為、少女は緊張する。彼らの目を盗み荷馬車から降りた。あてもなく歩いているが、それだけでこの村が戦争の被害に遭っておらず加担してもいない事がわかる。しばらく歩き続けていると、白い布を被った誰かが此方にやって来た。
「おや、初めて見るお顔ですね。新しくいらっしゃった方ですか?」
「は、はい、少し前に」
見るからにヒトの姿をしている少女に対して、警戒するどころか丁寧な言葉遣いで話しかけて来た彼はとても大きく、顔をほぼ真上に上げなければならないくらいだった。お互いに人間と魔物である事をはっきりと認識していながら、こんなにも友好的に会話を持ちかけて来たのは彼が初めてで、彼女は物怖じしてしまう。
「そうでしたか。ワタシはこの村の長をしております」
「!」
村長。そうか。このひとが。
魔物と人間の共存を成功させた──………
少女は彼……村長を敬畏の目で見上げる。友人の愛した「平和」を、彼は成し遂げたのだから。
「この村はとても
「……はい」
ゆっくり、知る……そうか、焦る必要はないのか。今すぐ何かをしなければいけない、成し遂げなければならない。そんな風に思っていた。焦らなくていい。急がなくていい。
自分のやりたい事は何だろうか。
興味のある事はないだろうか。
今は見付けられなくても、いつか見付ければいい。
これから、ゆっくりと、探していく事にしよう。
「そうだ、お名前を伺っても?」
だからどうか、見守っていて下さい。
「──『
新しい自分を見付ける、その時まで。
あなたの名前をお借りします。
さようなら、初めての友人。
あなたを想い嘆くのはこれで最後にします。
私はあなたを愛していました。
友人へ、友人より。どうか安らかに。
P.S.瞳が綺麗と言われたのも初めてでした。とても嬉しかったです。ありがとう。マフラー、大事にします。
速度を上げるばかりが、人生ではない。
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