大人っていうのは意外にも単純だが、アオハルするには相当な覚悟と勇気が事前に必要な面倒くさい生き物である。

    体育館の端から異様に放たれる存在感に思わずちらり、と目線がいく――念入りにアップをとっている及川徹は、嫌に爽やかである。
    影山や長身の月島よりも体格の良さを感じ取って、やはり10代の頃の2年という差は大きいんだな、と頭の隅で思った。


    (あと1点でマッチポイントか)


    コート内に視線を戻すと、ちょうど相手コートへスパイクが決まった。そこでもう一度、及川徹の方を見やる。
    負けているという状況であるのに、愛想良く監督の傍に立っていることにイラっとしないような気もしなくない。

    現実で見ると……いや、現実で見てもイケメンだなあ。と暢気に及川の顔を眺めたそのついでに、青城バレー部の1年生と思わしき男子生徒がめくった得点板を再度確認する。


    「あれ……?」


    何か得点板に対して違和感を覚え、ほんの少し眉間に力が入る。それに気付いた潔子さんが「どうしたの?」と私に問いかけてきた。
    私は「あ、いや、何でもないです」としか答えられず、頭の中で違和感の正体を探る。

    初めての青葉城西との練習試合、そして烏野のマッチポイント。しかし、青城の得点が19点。漫画かアニメでは20点台ではなかっただろうか。
    さすがに細かい点数までは覚えていないけれど、記憶違いじゃなければ20点はあったような気がする。


    「調子に乗るな!」


    思考の途中で、らっきょヘッドの声が聞こえてハッと我に返る。そして動いた得点板に視線をやると、20-24の数字が見えた。

    そうだ、マッチポイントをとった後にらっきょヘッドがスパイクを1本決めるんだった。これで青城も20点台だし、やはり私の勘違いだったのだろう。そして笛が鳴って、花巻と及川がハイタッチをして交代をする。


    (ん? 花巻と交代?)


    いや、厳密に言えばピンチサーバーなのだからローテーション的に次がサーブだった花巻と交代することで間違いはない。
    しかし、原作では国見と交代していた。これは絶対に記憶違いではない。はっきりと覚えている。

    たしかアニメで及川と国見が交代しているシーンを見て、ここ国見と交代してたんだ。と、改めて漫画を読み直したのを覚えている。


    「ローテ1個ずれてる……?」
    「えっ、どこか間違えているのですか?」


    私の漏らした独り言に武田先生が反応する。慌てて、「何も間違えてないです」と訂正をしておく。私の様子に武田先生は「そう、ですか?」と、不思議そうに首を傾げていた。

    そんな、ローテーションを回し忘れているだなんて馬鹿なこと有り得るはずがない。


    (やっぱり、青城1点足りないのかな?)


    サーブ権を得る度にローテーションを回すシステムではあるが、連続得点であればローテーションはそのままなので何とも言い切れない部分はある。
    しかし、漫画やアニメでは事細かに描かれてはいないし(そもそも表現していたらキリがないだろう)特に注意して見ていなかった、というのが実際のところだ。

    まあ点差が縮んでいるということならアレだが、点差自体は大きくなっているわけだし、寧ろラッキーな感じがしなくもない。










    ▼▼▼










    「は……?」




    初めての青葉城西との練習試合、烏野のマッチポイントでピンチサーバーとして及川徹が投入。

    そして、及川の強烈なサーブにより烏野は2点失点した後、何とか上げた3度目のレシーブはそのまま相手コートへ返ってしまう。
    しかし、日向のワンタッチのおかげでデュースは免れ、ワンタッチ直後のキレのあるブロードが決まり、見事烏野は格上の青葉城西との練習試合を勝利で収める――。




    (そういう展開じゃ、ないの?)




    大地さんが守備範囲を広げたことでコースが絞られ、相手のチャンスボールとはいえ月島がレシーブを上げられるはず……。


    なのに、なんで、いま、月島はレシーブを弾いたんだ――――。




    「あと1点……!」




    そんな菅原さんの言葉に、そうだ、と思い直す。まだデュースにはなっていない。
    きっと、次のレシーブは上げられるはず。と、ほとんど言い聞かせるようにして膝の上で拳を握った。
    ちょっと原作とは違うけれど。いや、もしかすると私が勘違いしているだけで、こんな展開だった気がしなくもない。

    その時、月島のレシーブしたボールが相手コートへと返っていった。


    「よし――!」


    と、思ったのも束の間。綺麗に上げられたトスから、らっきょヘッドのスパイクがこちらのコートへと叩きつけられる。

    得点板をめくる動作がやけにスローモーションに見えた気がした。

    「及川徹はこんなに強いのか」コートにいるみんなから、そんな気配を感じる。ここで負けちゃダメだ――直感的に、そう思った。

    不意に、暗い外の中レシーブ練習をしている日向と影山を思い出す。そして、コート上を必死に走り回って跳ぶ日向の姿が、高校生の頃の自分と重なって見えた気がした――。




    「た、タイムッ!!」




    思わず、ベンチから立ち上がり主審に向かってタイムアウトの合図を向ける。それに武田先生が「あ、タイムアウトなら僕がっ!」と、私に倣って主審へタイムアウトを要求した。

    笛の音が館内に響き、コートにいた全員が拍子抜けたような表情でこちらを振り返った。そして、ホッとしたような、焦ったような、空気を纏いながらベンチへと戻ってくる。




    「……とにかく当たりましょう」




    私の言葉に、みんなの俯きがちだった顔がこちらを見るために上がった。ベンチの前に立っている少し暗い表情のみんなをぐるり、と見渡す。


    「さっきの月島みたいな感じで十分です、サービスエース決められるより断然マシ。そりゃあ攻撃に繋がるのが一番ですけど……」


    そこで言い淀んでしまう。たしかにその場は凌げるけれど、切れるかどうかと問われれば微妙だ。
    この予想していなかった展開に、きっと一番動揺しているのは他でもない私だと思う。そのため、いまの私には解決策なんてものは持ち合わせていなかった。


    「大地さん、もう少し月島寄りで守って下さい。そうすると、自動的に田中さんの守備範囲が広がるわけですが……」


    ちらり、と田中の方へ視線をやると、少々驚きは含んでいるものの田中は「任せろ!」と胸を張る。それに頼もしさを感じて、これはたしかに「メンタルMVP」だと、私の脳裏にそんな言葉が過ぎった。




    「分かった……やるぞ」




    ひとりひとりの顔を見た後に、たった一言。主将のその言葉に、心なしかみんなの顔が凛々しく引き締まったように見えた。さすが、キャプテン。言葉の重みが違う。


    「月島はレシーブ逃げないで。怖いかもしれないけど、腰が引けてたら取れるものも取れないよ」


    悔しいのか、月島は不機嫌そうに顔を歪めて、「分かってる」とこれまた機嫌が悪そうに言った。あの威力に慄いてしまう気持ちも分かるが、何はともあれ及川のサーブを切ることが先決だ。


    「ここでナイスレシーブかましたらカッコいいぞ、ツッキー☆」
    「ナイスレシーブは無理でしょ。ていうかツッキーってやめてくれない」
    「激励って知らないのかな??」


    私がドヤ顔で、格好良くセリフを決めた。と思ったら、間髪入れずに月島が言い放つ。
    本当にこういう状況でもツンデレのツンが強めである。

    ふっ、そんなツッキーも大好きだぞ☆
    ……ほんとスミマセン。だから睨むのヤメテ?


    月島がツンデレだということを再確認したところで、タイムアウトが終了した。
    コートへ向かう選手たちの背中へ、祈るように「頑張れ」と、声を掛けることしかできない。

    ベンチに座り直して、内心ドギマギしながら及川のサーブを待つ。何でもいいから上げろ、上げてくれ。と、ひたすらに念を送る。

    笛の合図から数秒後、やはり及川は集中が途切れた様子もなく月島へ向かって、強烈なサーブを打ってきた。
    隣からひゅっ、と一瞬息を呑む音が聞こえてくる。ああ、正にみんなが固唾を飲んで見守っているのか、と思った。

    ドンッと、鈍い音が鳴って月島がバランスを崩し後ろへ倒れる。そして、高く高く、天井へ向かって上がっていくボールに思わず立ち上がった。


    「上がったっ!」
    「ヅッギィィー!!!」


    ウォーミングアップゾーンから聞こえるそんな声とは裏腹に、私は声を出せないまま食い入るようにボールの行方を追う。決めろ、決めてくれ。

    ネットから少し離れた位置、影山が素早くボールの落下点へと移動する。あ、日向が前に飛び出した。速攻行く。でも、ブロックに捕まる。そう、思った。

    日向がブロックを振り切るために、助走を逆サイドへ切り返した。それに負けまいと、向こうのブロックも日向を追いかける。


    行け、日向!


    ボールは少しの放物線を描いて、吸い込まれるようにスパイカーのもとへ――。




    「――っ!?」




    そして、ボールは相手コートへと叩き込まれるように落ちた…………って、縁下かよ!!!

    私、完全に日向に上がると思ったわ! 「行け、日向!」とか言っちゃった! どうしよう恥ずかしい! 声に出してなくて良かった! 縁下は何で決めた自分が驚いてるの!? いや、そんなことより……!




    「おおおおッ! 月島ナイスレシーブ!!」




    混乱と興奮が交じり合う頭の中で、微妙に安堵の色が見える月島へほとんど叫ぶように言い放つ。それに月島は「別にナイスっていうほどナイスじゃないでしょ」と、飄々と受け答えた。うーん、素直じゃない。


    「なんだよ蛍くんはツンデレですかっ!!」
    「蛍くんヤメロ。あとなにツンデレって」
    「照れんなよコノヤロー!!!!」
    「照れてないからッ!?」


    テンションが高い私の“蛍くん”呼びが気に喰わなかったらしい月島が物凄く睨んでくる。いや、睨んでくるというか何か軽蔑の意が込められているような気がしなくもない。

    おかしいな、私褒めたはずなんだけど。

    そんな私たちのやりとりに、田中が吹き出した。大地さんと縁下は何故か苦笑いだ。え、こういう場面って何かもっとテンション上がるもんじゃないの。
    隣の潔子さんが、「自分よりハイテンションで来られると逆に冷静になるの法則」と小さく呟いたのが辛うじて聞こえた。うん、なるほど。

    ここはとりあえず「縁下さんナイスキー!」と大きい声を出す。縁下は少し気恥しそうに「おー」と返事をくれた。


    「明智、お前は何で俺らよりテンション高いんだよ!」


    何故かゲラゲラと笑いながら、田中が私を指さして言う。
    田中にまでそんなことを言われてしまうだなんて恥ずかしいことこの上ない。解せぬ。


    「はいはい、お前らまだ試合中だからそれぐらいにしときなさいよ」


    大地さんが私を含めた烏野みんなへ注意を促す。私は試合前の一件を思い出し、いまは怒られたわけではないのに、背筋がぶるりと震えたのが分かった。
    注意通り私は押し黙ることにして「あと1点、頑張って」という旨をジェスチャーで伝えてみる。それは、コートの中のみんなへ思いの外上手に伝わったようで、にやりと(主に田中が)笑ってくれた。




    向き直って、あと1点。死ぬ気で取りに行く横顔から、殺気に似た何かを感じ取って、自分の心が奮い立つ気配がした――。