「最後のワンタッチとブロード凄かったよ、日向」


    バスへ向かってぞろぞろと歩く中、そう声を掛けると嬉しそうに「えへへ」と日向が笑った。その笑顔で安堵を胸に据えると同時に、試合中のズレや違和感が気になってしょうがない。
    私の知っているソレとは確実に違う事実に、妙な焦燥感に駆られるのだ。

    結局あの後、縁下のサーブから始まって青城に難なく速攻で返されるも、例の通り日向のワンタッチからのワイドブロードによって、何とか勝利を収めたのだった。

    タイムアウトなんかとらなくても大丈夫だったのかもしれない。と思考を巡らせても、結果は結果に過ぎず、あとから何と言おうとどうしようもないのが事実である。
    そんな小難しいことを考えていて前をちゃんと見ておらず、突然停止した影山の背中に顔を思い切りぶつけてしまう。


    「いたっ! 急にな、に……」


    文句のひとつでも言おうと、影山の顔を覗き込むと、心なしか表情を強張らせた影山の視線は真っ直ぐ前を射抜いていた。その視線の先を不思議に思いながらも辿る。


    (ああ、そういえば……)


    試合中の違和感に気を取られ過ぎて、本来の展開を忘れてしまっていたみたいだ。校門に背中を預けて佇む及川徹の姿に、影山の表情の理由を理解した。


    「出たな、大王様っ!」


    威嚇する田中とその背中に隠れながら応戦する日向に、及川が「そんなに邪険にしないでよ」と言っている。
    あんなアイドルみたいな顔して体格は良いから何だか変な感じだ。漫画やアニメだと体格の良さはあまり感じないからなあ。

    まあ、あれだけ強烈なサーブを打つのだから筋肉がガッツリついてるのは至極当然ではあるけれど。逆にそれでヒョロヒョロしてたら気持ち悪い。人を超越した何かである。




    (ていうか、あの状態でずっと待ってたんだよね……)




    なんだそれ、面白すぎるだろう。やっぱり作品として見るのと現実で自分が混ざるのでは感覚や勝手が全然違う。
    あそこでずっとカッコつけたまま烏野を待っているという状況を冷静に考えると、笑えてくるしこの上なくダサい。否応なしにダサい。

    だから、良い子のみんなは真似しちゃダメだよ☆ 黒歴史増産防衛軍!!




    「それと……君、どっかで会ったことあるよね?」




    いつの間にか及川が私の目の前に立っているではないか。そして恐らく私に放たれたであろう発言に、ほんの数回瞬きをする。
    答えるために口を開こうとしたとき、私のジャージのポケットから、メッセージを受け取ったスマホの通知音が鳴った。


    (あ、繋心くんかな)


    咄嗟にそう思って、ポケットからスマホを取り出して確認する。そこにはやはり繋心くんからの、いつ帰るんだという旨の文面が映し出されていた。
    それに対して、簡潔に「もう帰るよ」という内容を返す。この世界の烏養コーチはシスコン気味の心配性、という少々残念な設定である。


    「いやタイミング!!」
    「あ、すみません。ナンパなら潔子さん以外の他に当たって下さい」
    「そしてドライ!! てかナンパじゃないからね!?」
    「はあ、てっきりちょっと古臭いナンパの仕方かと」


    私がそう言うと、田中が涙目で「だあっはっはっは!!」と吹き出した。涙目になるほど、イケメンがぞんざいに扱われているのがさぞかし面白いのだろう。分かりやすくて何よりだ。


    「いやいや、絶対どっかで会ったことあるってば! 俺、女の子を見間違えたりしないからサ☆」
    「じゃあ今日初めて見間違えたんですね」
    「ぶわっはっはっは! 明智、お前サイコーだぜ!!」


    そう言って田中が私の背中をバンバン叩いてくる。いや、だから私女の子。痛いです。

    ていうか、何やかんやとマネージャーに引き込まれちゃって? 面倒くさがりながらも思わず練習試合に熱が入っちゃって? 及川徹とも知り合いかもしれないって……どこぞのコミュ力爆高・人脈広い系ヒロイン設定の夢小説だよ?


    「この及川さんにそんな態度とるなんて」
    「気に入ったとか訳分からんこと言わないでくださいね」
    「食い気味!?」
    「そのセリフn番煎じ感ハンパないですし、ここで言うあたりお決まり過ぎて見てるこっちが痛恥ずかしいです」
    「よく分かんないけど貶されていることだけは分かったよ!!」


    別に及川さん嫌いじゃないけど、寧ろ好きなキャラではあるけど。直にご対面すると、こう心がスンッってなるのは何なんだろう……。
    この世界のキャラたちがやたら生々しいからかもしれない。本当に人間みたいで現実にいる人のように接してしまうというか何というか。


    「黒歴史増産防衛軍・隊長なんで、黒歴史の増産を阻止する活動の一環です」
    「うん、なんて??」
    「はるかって、たまに意味分かんないこと言うよなー」
    「このチビに言われたら終わりでしょ」
    「なんだと月島コノヤロー!」


    月島に食ってかかる日向を菅原さんが物理的に止めている。彼らは無邪気だ。事の深刻さを分かっていない。
    なぜならオタクと黒歴史は表裏一体。すなわちオタクが辿った道には黒歴史が付き物。人によっては、わんさかわんさか出てくるんだぞ……怖いだろ? 恐ろしいだろ?




    「お前らなんかに、毎夜毎夜この黒歴史にうなされている人間の気持ちなんか分からないんだっ! 私が、黒歴史を“そんなこともあったな”と、受け入れられるまでにどれほどの時間を費やしたのか!! これは生命の危機なんだぞ!!!!」
    「なんかゴメン」




    そんな茶番も空しく、及川が私をジッと見つめてきた。上手いこと話しを逸らせたのかと思ったけれど、そうでもないようだ。
    漫画の中の通り、いろんな意味で面倒くさい男らしい。これで高校生って嘘だよね。精神年齢高すぎるよね。

    及川が何も言ってこないので私も何も言えず、少しの間見つめ合うことになってしまう。それにしもイケメンだな。と、他人事みたいに思った。


    「なーんか、雰囲気変わったよね」
    「そりゃ人違いですから」


    私が頑なにそう言うも、「だから人違いじゃないんだってば」と至極真顔で言い返されてしまう。軽いノリでこられれば私も幾らか対応が出来るというものである。
    しかし、真面目に言われてしまってはどうするべきか悩むところだ……まさか本当に知り合いという設定なのだろうか。




    「まるで別人みたい」




    その言葉と及川のゾッとするような視線に目を見開く。何故それに反応したのかは自分でもよく分からないけれど、先程まで感じていた違和感と似たような何かな気がした。
    及川に、何かを見透かされているような感覚と整っているせいか余計凄みを感じる及川の表情に、ひゅっと息を呑んだ。


    「おい、黙って聞いてればさっきから失礼じゃないか?」
    「だ、大地さん……?」


    さすがに戸惑っていると判断したのか、私を庇うようにして大地さんが及川の前に出た。
    なんて男前なんだろう。と、キュンとしてしまったのは内緒だ。男子高校生にときめく独身アラサーOLとか痛すぎて涙が出ちゃう、だって女の子なんだもん(?)


    「ごめんごめん、そんなつもりじゃなかったんだけど」
    「…………」


    及川は眉尻を下げて、苦笑いをしながら両手の平を見せて謝っている。大地さんは私を隠すようにして及川と対峙しているため、表情が窺えない。そのうえ何も喋らないので、私は慌てて大地さんの腕を引っ張った。


    「だ、大地さん?……もう行きましょう? 先生が待ってますよ……?」
    「あ、そっか。引き留めてごめんね?」


    何度か引っ張っても反応が無い大地さんに疑問を抱いた。しかし、この変な空気を何とかしなくては、と言葉を放つ。周りのみんなも少し困惑を含んだ驚きを面に浮かべている。
    「それじゃあ、今度会う時は公式戦で」という言葉だけを残して、及川はこの場を立ち去った。

    その姿を見送ったあと、それでも何故か突っ立ったままの大地さんに不安になる。再度、大地さんの腕を引っ張って、「大地さん」と声を掛ける。すると、漸く大地さんは振り返って、申し訳なさそうに笑っていた。


    「すまん、つい」


    呟くように、大地さんは言葉を零した。それに口を開こうとすると、「大地さん、かっけえッス!」と、田中が騒ぎ立てた。
    田中に苦笑いをしながら大地さんは「じゃあ行くぞ」と、みんなに声を掛ける。それを合図に、ぞろぞろとバスまで動き出した。

    その間、私は及川の“まるで別人みたい”という言葉の意味を図りかねていた。
    仮に及川と会ったことがあったとしても、及川自身も「どっかで会ったな」程度の認識ならば、“別人”と称されることなんてあるだろうか。




    (私は私でしかなくない?)










    ▼▼▼










    体育館横の水道で、スクイズボトルを最後に軽く水で流していく。

    学校へ帰ってきた後の練習中も、武ちゃんが音駒との練習試合を取り付けたという報告をしてきた時も、いま練習が終わって片付けをしている時も、ずっと考えている。


    「“別人みたい”……」
    「あんまり、気にしない方が良いよ」


    思わず零れた独り言を、隣で同じようにボトルを洗っていた潔子さんが拾ってくれた。吃驚して潔子さんの方を振り返ると、潔子さんは綺麗な微笑みを携えているではないか。“美”とは、正にこのこと。

    それに少し見惚れていると、「あんな奴の言うこと気にしないで」と、私を励ましてくれた。高校生に気を遣わせるなんてダメじゃないか、と思い直して、私も潔子さんを安心させるために笑ってみせる。


    (ていうか及川、潔子さんに“あんな奴”呼ばわりされてる、可哀想)


    性格は難ありなのかもしれないけれど、あの時のことは及川本人も本当に悪気はないのだろう。それに実際、悪い奴ではないし。だから別にこれで嫌いになるとか、目の敵にするとか、そんなことは全然無い。
    ただ、妙な胸騒ぎというか焦りというか、胸をつっかえる違和感が私を不安にしていく。


    これは本当に漫画の世界なのか――――と。




    (って、いやいや完全確実に、どう考えてもハイキューでしょ)




    馬鹿みたいな思考を軽く顔を横に振って、振り払う。とりあえず目の前の仕事に集中しようと、ボトルを握る手に力を込めた。


    「あ、明智。今日送ってくよ」


    背後からのそんな言葉に振り返ると、そこにはこれから部室へ着替えに行くであろう、大地さんがタオルを片手に立っていた。


    「え、あ、大丈夫ですよ?」
    「いや、もう遅いんだし危ないだろ」
    「ええと、それだったら潔子さんも……」


    そういうことなら潔子さんも送らなければならないだろう。と、潔子さんの方を振り返ると……潔子さんが珍しく笑いを堪えるような表情をしていた。
    果たして、何か面白いやりとりがあっただろうか。私が首を傾げていると、潔子さんと目が合った。


    「大丈夫、私は家近いし。それに逆方向だから」
    「え、でも……」


    どうしたものかと少し思案して、名案とばかりに「あ、じゃあ田中さんを付けますか?」と私が言うと大地さんに「言い方……」と、苦笑いをされてしまった。
    そして当の潔子さんは、真顔且つ無言で首を横に振った。知らないところで振られている田中、ごめん……。


    「でも田中さんだったら、ヘタレなので潔子さんに手は出せないですし、ガラは悪いけどとても良いボディガードになるのでめっちゃ安全じゃないですか?」
    「だから明智言い方」


    大地さんにちょっと咎められている間も、潔子さんは頑なに首を横に振っている。そして、「心配してくれてありがとう」と田中の護衛は断られてしまった。田中、なんかごめん。


    「じゃあ、着替えたら校門で待ってるよ」
    「あ、はい!」


    大地さんが部室へと姿を消すのを見送ってから、早くボトルを片付けてしまおうと水道に向き直った。

    隣で潔子さんがほんのちょっぴり笑っていることに気付かずに。