松野くんとはじめて出会った日の話




 なんやかんやあって留年してしまった圭ちゃんは、マイキーに吹き込まれた『眼鏡をかけたら頭が良くなる』を馬鹿正直に真に受けて、五度見しても足りないガリ勉スタイルで中学校に通い始めた。
 普段竹を割ったような豪快な性格の圭ちゃんママが、留年の報せを聞いて大きな両目からぼろっぼろ涙を零したのがよっぽど効いたらしい。

 ひと悶着起こしつつ用意したビン底伊達メガネをかけて、昨夏より伸ばしはじめた黒髪をぺたりと撫でつけ、制服のボタンを一番上までしめて。ネクタイの結び方はまだ怪しいから、わたしが結んだやつを引っ掛けて、きゅっと締めて。
 入学してきた一年生たちと一緒に授業を受けているけれど、どこからともなく留年したという噂は回っているみたいで、圭ちゃんは教室で孤立していた。


 そんな彼が、なんと今朝、同級生を紹介してくれたのである。


「コイツ東卍入れるワ」
「場地さん、なんスかこの地味な女は」
「‥‥‥‥‥‥」

 開口一番無礼な一年生の男の子を見上げてわたしは絶句した。
 レモンみたいな色をしたワックスがちがちのダウンフロント。左耳だけのピアス。だるだるに着崩された制服。これは───

「不良だ!」
「オマエ今更なに言ってんの?」
「不良だよ圭ちゃん! この子あれでしょう、入学式の日に三年生をシメちゃった松野千冬くん」
「そーなン?」
「ハイ!」
「やるじゃねーか」

 圭ちゃんに対してぱあっと輝く笑顔でうなずいた彼は、次の瞬間、警戒心マックスの野良猫みたいな顔でわたしを睨みつけた。
 この五度見ガリ勉スタイルの圭ちゃんを、それでも慕っているということは、多分よほどの衝撃的な出会いだったのだろう。東卍に入れると言っているから、圭ちゃんが不良なのはばれているわけだし。

 圭ちゃんのことだからまた何かとんでもないことをして誑かしたに違いない。
 うちの仲間はどいつもこいつも、おバカゆえに人誑しだからな。

「こいつ頭いーんだぜ。昨日、教室で手紙書いてたら漢字間違ってるって教えてくれてよぉ」
「そうなの? 圭ちゃんの手紙なんていくら誤字訂正しても追いつかないのにありがとうね。ちなみにどの漢字間違えてたの?」
「虎とか」
「ホントそれでよく友だち名乗れたよね」
「んで手紙出して家帰ってたらケンカしてたから乱入してやったワ」
「それで東卍に勧誘したの?」
「あ? してねーよ。入れるンだよ」

 つまり本人の意思は確認していないと。
 まあ、圭ちゃんに懐き度マックス、わたしに警戒心マックスというこの状況を見る限り、別に彼も異論はなさそうだけれど。

「はぁ、まあなんとなくわかった。どうせまた圭ちゃんが格好いいことしたんでしょ」

 松野くんがぱっとわたしのほうを見た。
 大きな双眸をカッ開いて、「なんで分かったんだ!?」みたいな顔になっている。この子、考えていることが全部素直に顔に出るなぁ。可愛い。
 圭ちゃんは心底不思議そうに「ハ? 何がだよ意味わかんねぇ」と首を傾げている。

 いつまでも団地の入口で駄弁っているわけにもいかないので、わたしたちは三人並んで歩きはじめた。
 なんと圭ちゃんと彼は団地の同じ棟に住んでいるらしい。昨日は仲良くペヤングを半分コしたとか。なんだそれ。

「こういう人だよ〜。ついてくの苦労するよ?」
「いーんだよっ! つかテメエに関係ねえだろ!」
「千冬ぅ。あきに噛みつくな」
「さーせん! でもコイツ何すか、場地さんの彼女っすか!?」
「ヤメロ」「やめて」

 びしぃっとわたしを指さす松野くんに、わたしたちは声を揃えて首を振った。
 圭ちゃんのことは好きだし、誠に遺憾ながらとても格好いいと思う一面もあるけれど、それ以上に絶望的に成績が悪すぎるし素行が突拍子もなさすぎる。お腹が空いてイライラぐるぐるしてワケわかんなくなって車にガソリン撒いちゃう人の彼女なんてごめんだ。

「二年三組の成瀬あきっていいます。圭ちゃんとは腐れ縁なの。ええっと、松野くん?」
「‥‥‥‥‥‥」
「千冬」
「‥‥‥一年一組の松野千冬」

 圭ちゃんの後ろに隠れてがるがるしている松野くんの、ポッケに突っ込まれている手を無理やり掴んで引き出した。
 はいはい、握手。悪いけど不良の扱いには慣れているんだからね。

「圭ちゃんに目をつけるとは、松野くんもお目が高いなぁ」
「‥‥‥!」

 また目を丸くした彼の手を引いて、よろめいた松野くんの耳元に口を寄せる。途端に彼の体が緊張に竦んだ。

「圭ちゃん、格好いいでしょう?」

 すぐ横で大欠伸している張本人に聞こえないように囁く。
 にこっと笑って手を放すと、身を固くしていた松野くんはぽかんと口を開けてわたしを見下ろした。

 新入生のなかに小学校の頃から不良で有名な生徒がいると聞いてちょっと身構えていたものの、こうして見ると可愛い後輩ではないか。入学初日から三年生に目をつけられて返り討ちにしたというから、かなりケンカも気も強いほうだろう。

 そんなやんちゃ坊主がこんなに心酔するなんて、一体うちの圭ちゃんは何をしたのかな。
 もうちょっと仲良くなったら、松野くんに教えてもらおうっと。

「ん。いいじゃん、松野くん。圭ちゃん、しっかり勉強教えてもらいなよ」
「おー。頼むわ。つかマイキーたちに報告しとかねぇとな」
「まだしてなかったの?」
「今日集会連れてくかぁ。あきも来るんだろ」
「行くよー」




 ちなみに千冬くんはこのあと半月ほど、番犬モードでわたしに威嚇を続けていた。
 のちに『成瀬あき黒板消しで襲撃事件』と呼ばれる事件が起き、ようやく千冬くんと打ち解けることができるのだけれど、それはまた別の話だ。




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