第四章
My Own Jackknife;05




 こんなときでもまだ、マイキーはわたしを単車には乗せない。
 特攻服に着替えたマイキーとドラケンくんがのろのろとバイクを押しながら歩いているのがなんだか申し訳なかった。武蔵神社が近づいた時点でとりあえず総長はバイクに乗せて走らせ、ドラケンくんに横を歩いてもらう。
 マイキーはだいぶ渋ったが、「さすがに総長がバイク手押しの徒歩はダサい」とハッキリ言うと「たしかに!」と納得してくれた。単純でよかった。

 愛美愛主と芭流覇羅を吸収して四五〇名にも膨れ上がっていた東卍は、稀咲の除名に際してもとの一〇〇人程度にまで縮小。昨日の襲撃で入院した隊員も少なくなく、今日はいつもより寂しい集会となりそうだ。
 ちなみにわたしも顔の怪我が目立つので、マスクをしている。
 ドラケンくんの横をてこてこ歩くわたしに、一番に気づいたのは千冬くんだった。

「あきちゃん‥‥‥!」
「千冬くん。昨日あれからどうしたの?」
「あ、横浜のアジト行ってきました。あきちゃんこそ、怪我は? 救急搬送されたって聞いてオレ、ギャアアアア髪が! あきちゃんの髪が!」
「まあまあ、大丈夫だから落ち着いて」

 バイクを停めたドラケンくんがさりげなく右側に入ってくれた。
 東卍の男の子たちは、たとえ冗談だとしてもわたしを叩いたり小突いたりなんてしないけど、まあ念のためなんだろう。昔から、不思議なくらいよく気が利く人だ。
 千冬くんと一緒にいたタケミっちも、心配やら泣きそうやら複雑に入り混じった情けない顔になっていた。

「あきちゃん、あの、こんなこと言うのアレなんですけど」
「どうしたの?」
「できるだけ、東卍の誰かから離れないでください。マイキーくんが一番いいだろうけど、千冬とかドラケンくんとか‥‥‥もしあきちゃんに何かあったら」

 そういえば、昨日もそんなことを言っていたっけ、この子。
 “あきちゃんがやられたらマイキーくんが泣くじゃないか”、みたいなこと。わたしに何かあったらマイキーがだめになるとでも思い込んでいるんだろう。そりゃ昨日みたいにある程度は気に病んだり落ち込んだりすると思うけど、タケミっちが危惧しているのはもっと深刻な、というか深刻すぎることのような気がする。
 こてり、首を傾げた。タケミっちは一体なにを心配しているんだろう?

「うん、気をつけるようにするね。でも考えすぎだよタケミっち」
「いや考えすぎなワケないじゃないっすか!」
「考えすぎ。もちろん何かあればマイキーはめちゃくちゃ怒るし傷つくだろうけど、それくらいで折れるような人じゃないよ。ヘーキヘーキ」

 左腕で肩をぽんぽんと叩いてやると、タケミっちは何やら納得いかなそうな顔になった。
 その夜の集会では、いまだ未知の天竺に関する情報がいくつか明らかになった。
 昨日の襲撃で送り込まれた隊員の顔触れだ。
 川崎で幅を利かせていた暴走族・呪華武の元総長“望月莞爾”──昨日わたしたちが遭遇した人だ。そして六本木を二人で仕切る“灰谷兄弟”。さらに、東卍結成のきっかけともなった元黒龍九代目総長“班目獅音”。
 昭和六十二年生まれの錚々たる悪童たちが一堂に会していることになる。
 総長クラスの面々を仕切る、天竺の総長って一体誰なんだろう。そのあたりはまだ不明だ。

 隊員たちの多くが解散すると、今度は幹部級だけが境内に集められて、わたしの兄の話になった。
 東卍創設よりも以前の話だ。

「‥‥‥あのときの兄貴か!」

 当時、マイキーたちと一緒に力を貸してくれた三ツ谷くんは忌々しげに眉を顰めた。
 その横で八戒くんも唇を引き結んでいる。柴家の暴君だったお兄さんとの抗争はまだ記憶に新しい。

「恐らく東卍を狙ったのとは別動隊の扱いなんだと思う。最悪の場合は家に襲撃をかけられるかもしれないっていうことで、できたらどなたか‥‥‥この疫病神を宿泊させてくれないかと」

 言いながらなんだか申し訳なくなってきた。
 だって、わたしが泊まるということは、その家にいる誰かも危険な目に遭うということでは?
 佐野家にエマちゃんがいるように、誰かの家にも誰かの家族がいるわけで。三ツ谷くん家なんて小さい妹たちもいるのに。

「‥‥‥思ったけどやっぱナシにしよう、マイキー、わたし家に帰るよ」
「なに言ってんだあきちゃん。ウチ来いって」

 わたしの頭を上から掴んでぐしゃぐしゃにしたのは、当の三ツ谷くん。

「でも三ツ谷くん」
「ウチなら多分、兄貴にも家割れてねーだろ。知っての通りオフクロあんま家にいねぇし、ルナもマナもあきちゃんに懐いてるし」
「‥‥‥でも」
「あきちゃん狙って兄貴どもが来るってんなら、オレだって昨日弐番隊の三ツ谷として狙われてんだから、あんま変わんねーと思うな。よし決まり! 荷物持ってんだろ?」
「でもさ‥‥‥」
「ハイしつこい。決定。いいよな、マイキー」
「ああ」

 もともと三ツ谷くんが候補に挙がっていたのは事実だ。マイキーはすんなりうなずいた。
 今日の要件が全て終わったあと、隊長たちが細かい情報交換している様子を眺めていると、わたしの隣に春千夜くんが腰を下ろす。
 黒のマスクで表情は判りにくいけれど、悲痛な表情でわたしの額の絆創膏に触れた。

「痛くない?」
「もう平気だよ」
「口も怪我したのかよ」
「ふふ。マスク、春ちゃんとお揃いだね」
「嬉しくねぇよ」

 しょぼんと眉を下ろす春千夜くんに幻の犬耳としっぽが見える‥‥‥。噴き出しそうになるのを堪えながら、なぜかわたしより痛そうな顔をしている彼の頭をぐりぐり撫でた。

「あきちゃん」
「うん?」
「オレ、あきちゃんの味方だから」

 当たり前のことを真剣に言う春千夜くんに目を丸くする。

「春千夜くんを敵だと思ったことないよ?」
「‥‥‥うん」

 そのときムーチョくんが声をかけてきた。話が終わったらしい。帰るぞ三途、という声を聞いた春千夜くんがぴょこんと跳ねるように立ち上がる。
 ムーチョくんは長い腕を伸ばしてわたしの頭を撫でくり回した。思いっきり視界が揺れる。ああ、またほら、みんな力加減もうちょっと考えて‥‥‥。
 伍番隊の二人は静かに参道を下りていく。

「“S62”世代の亡霊か……」

 その後ろ姿が見えなくなってからぽつりとつぶやくと、ナホくんが首を傾げた。

「どーしたよ」
「ムーチョくんって確か六十二年組で、暴走族も組んでたでしょ。知り合いもいるだろうし、本当は戦いづらく感じていたりしないかな、って」

 ムーチョくんについて知っていることはそう多くない。わたしたちより三つ年上で、隊長たちの誰よりも武力に勝り、傷害で少年院に入っていた過去がある、というくらい。
 東卍内の風紀を担う特務部隊という特殊な立ち位置もあって、メンバーとは距離を置いていることも多い。わたしは春千夜くんと仲がいいから比較的よく喋ると思うけど、それでも一歩引かれている感覚はある。

「アイツそういうタイプじゃねぇよ」
「そうかな。そうだといいけど」

 ちょっと心配性になりすぎているのかな。
 ムーチョくんのほうも、三つも年下のこんな小娘に心配なんてされたくないだろうな。うちの兄と同い年ということは十八歳で、一般的には高校を卒業する年齢で、もう大人になるんだし。

 昨日の件の詳細を報告し終えた千冬くんとタケミっちが、こっちにぺこりと会釈して帰っていく。
 一緒に横浜のアジトでのことを話していたソウヤくんは、次にわたしの横に腰を下ろした。
「はい」と手を差し出してくるので両手で受け取ったのは、昨日の別れ際、彼に預けた折り畳みナイフ。

「ありがと」
「もう、使っちゃダメだよ」
「必要がなければ使わないよ」

 パーちんが長内を、カズトラくんが圭ちゃんを、圭ちゃんが自分を、柚葉ちゃんがお兄さんを刺したもの。
 だいっきらいだ、こんなもの。
 それでも何かに使えると思った。人に攻撃することなんて多分できないけど、一抹の勇気でも与えてくれればそれでよかった。半間の思惑通りになったのは癪だ。

「あきちゃんがこんなの使わなくて済むように頑張るね!」
「ふふ、ありがとソウヤくん」
「いやでもナイフ構えるあきちゃんなかなか迫力あったって聞いたぜ? 天竺のやつら一瞬ビビったってタケミっち言ってたもんな」
「そうなの?」
「うん。言ってたよ」
「やっぱ伊達にマイキーの腐れ縁じゃねぇよなー」

 ナホくんがわしゃしゃしゃーっとわたしの頭を撫でくり回して帰っていく。ソウヤくんは鳥の巣になった頭をぽふぽふと撫でつけて、そのあとを追っていった。




 三ツ谷くんのおうちには、何度かお邪魔したことがある。ルナちゃんやマナちゃんとは当然お友達だし、三ツ谷家のレあきャラであるおばさんにも二回だけ遭遇したことがあった。
 深夜、三ツ谷くんと一緒に帰宅すると、女性陣三人はすでに寝静まっていた。

「悪いけどオレの部屋でいい?」
「平気。お邪魔します」
「あきちゃん布団使って。オレ、リビングで寝るから」
「いやいやいやおかしいでしょ。転がり込んでるのはわたしなんだから。布団は三ツ谷くん使って」
「ギプスしてる女子を床に転がせると思うか?」
「絶対こういう言い合いになると思ってた!」
「オレも思ってたから絶対譲らねぇって決めてた」
「そう言うと思ってたからわたしも心の準備してた」

 コソコソ内緒話をしつつ、とりあえず三ツ谷くんのお部屋に荷物を置かせてもらう。
 お互いにこういう展開になるだろうと想定していたこともあり、話し合いはものすごく難航した。罵り合い寸前までいった結果、リビングに布団を敷いて、二人で雑魚寝することになった。

「三ツ谷家の朝は何時?」
「六時くらいかな。別に合わせる必要ねぇよ」
「でもおばさんたちにあいさつしたい」
「ヘーキヘーキ。全員あきちゃんのこと知ってんだし。ゆっくり休んどけって」

 いやでもうるせーから起きちゃうかもな。三ツ谷くんはフッと笑って寝返りを打ち、天井を見上げた。
 遠くのほうでバイクの排気音が聞こえる。
 よく知るバブじゃない。‥‥‥知り合いのコールじゃない。
 途端にドキドキしはじめた心臓のあたりをぎゅっと掴むと、三ツ谷くんは首を動かしてこっちを見た。

「‥‥‥あきちゃん?」
「なんでもない。‥‥‥貧乏くじでゴメンね」
「思ってねーってそんなこと」
「うん」

 いまの音が、兄だったらどうしよう。

 一瞬頭の隅をよぎったその考えが、不安を取り込んで大きくなって、悲惨なことばかり想像させる。お父さんとお母さんに何かあったら。佐野家に迷惑がかかったら。もし居場所がばれて三ツ谷くんの家族にまで類が及んだら。

 兄が、卑怯でなければいい。
 わたしだけを真っ直ぐに見つめて、わたしだけを殺しにくればいい。周りの人になんか目もくれず、わたしだけを。
 そう祈った。



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