ただ突然出てきた“マイキーの女”という生々しい単語にはさすがに驚いた、と。
ほとんど有名無実で、ドラケンくんたちが「そういうことにしておいた方がいい」という判断をしたという話から、最近普通にくっついたところまで洗いざらい白状した。
交際条件は「清く正しいおつきあいをすること」。
こんな話につきあわされたドラケンくんが可哀想だ。本当にもうしわけない。
翌日の退院時には、お母さんに加えてマイキーとドラケンくんがまた来てくれた。
昨日の情報収集もしないといけない忙しい時期に申し訳ないなとは思ったけど、何かあってからでは遅いから。
「思ったんだけど」
東卍の冬用ジャケットのポッケに手を突っ込んだマイキーが、白い息を吐きながらつぶやく。
「あき、しばらく誰かの家に泊まったほうがいいんじゃない?」
「うん、それはちょっと思った。いきなり襲撃してくるようなチームだし、お兄ちゃんは当然うちを知ってるし、最悪家とか学校を襲撃してくる可能性まであるよね。わたしのこと『四分の三殺してウチの庭に放り込む』とか言ってたし」
「響平くん物騒だな‥‥‥。ウチでもいいんだけど」
「お兄ちゃん、佐野道場の場所知ってるし。エマちゃんとおじいちゃんに迷惑かけられないよ」
「ケンチン家は却下だし」
「却下なんだ。そういえばドラケンくんの家って行ったことないなぁ。渋谷駅の近くなんだよね?」
「オレんち風俗だからあきちゃんはダメだぜ、立ち入り禁止」
「えっ、そうなの、初めて知った」
「まあ言う機会なかったし」
確かにそれはわたしが行くのはまずそうだ。
第四章
My Own Jackknife;04
わたしと佐野家と龍宮寺家を除外し、兄に場所の割れていなさそうな家。
普通の女の子の友だちの家なんて論外だから、やっぱりどうしても東卍メンバーの自宅ということになる。信用できて実力があってそこそこ近所で‥‥‥と色々考えて、最終候補は三ツ谷くんと千冬くんになった。本人たちには今夜の集会で打診してみることになり、そこでようやく自宅に到着する。
ちなみに、最初は八戒くんの家ならほとんど姉弟二人だし柚葉ちゃんもいるからいいんじゃないかという話になったけど、八戒くんが超ド級の奥手でいまだにわたしともお喋りできないので却下になった。
わたしの部屋でお茶を飲んで一息ついたあと、庭に新聞紙を広げて、大きいゴミ袋を頭からかぶる。
昔お父さんが使っていた散髪用のはさみをドラケンくんに渡した。マイキーは庭にあるベンチに寝転がっている。
「あーあ、無茶したな。あきちゃん頑張って伸ばしてたのに」
いまだザンバラ状態の髪の毛にはさみを入れながら、ドラケンくんは残念そうに溜め息をつく。
「髪の毛掴まれて切って逃げるとかどこの忍者だよ」
「ふふ。ちょっと忍者の気持ちわかっちゃった」
「スマイリーから聞いたけどよ、ナイフなんていつから隠し持ってたんだ、この不良娘」
「‥‥‥まあ、色々と思うところがあって」
「もう使うなよ。──だいぶ短くなりそうだわ」
「どのくらい?」
「んー、三ツ谷くらい」
「切りすぎでしょ!!」
「ウソウソ。ヒナちゃんくらいかね」
髪の長さにはたいしてこだわりがない。なんとなく、女の子らしいかなと思って伸ばしていただけだ。圭ちゃんにはよく「貞子」ってからかわれていたけど、結局圭ちゃんもロングにしたから二人揃って貞子になった。
しゃきしゃきと音が響くのに合わせて、頭がだんだん軽くなっていく。
「とりあえず髪切ったら荷物まとめて、集会まで一旦ウチに避難ね。エマも心配してたよ」
「‥‥‥うん」
ドラケンくんはついでに前髪も整えてくれた。ほんと、この人器用だなぁ。
新聞紙の上には、ここ数年ずっと伸ばし続けていた黒髪が、年月分の重みを伴って散らばっている。
マイキーの隣にいる女の子として、東京卍會の“法”として、そしてマイキーや圭ちゃんたちの仲間として積み重ねてきた記憶、経験。守ってもらってばかりだったわたし。泣いてばかりで、誰のことも守ってあげられない、弱っちいわたし。
昨日、あの瞬間、自らの手で断ち切った。
なんだか吹っ切れたような気がする。
「はい終了ー」
「いーじゃん。初めて会った頃に戻ったね、あき」
マイキーがにこっと笑った。
わたしも傷だらけの顔に笑みを浮かべた。
お父さんたちには逐一居場所を報告するという約束で、わたしは荷物をまとめて家を出た。
卒業間近の中学校は思いきって欠席することにした。もう進学先も決まっているから、表沙汰になるような派手な問題さえ起こさなければ心配いらない、多分。
合格取り消しになっちゃったとしても、エマちゃんや千冬くんたちと同級生になるんだと考えて前向きに生きよう。圭ちゃんとダブリ仲間になると思えば面白い。
「えええええっ!? あきちゃん髪切ったの!?」
「切っちゃった! さっぱりしたでしょ」
「なんかずっと長かったから変な感じー。でも初めて会った頃そのくらいだったよね?」
マイキーとおんなじことを言っているな。
小さい頃はずっと肩につく長さで切り揃えていたから、マイキーもエマちゃんも同じような印象があるみたい。
佐野家でエマちゃんと一緒に台所に立ち、晩ご飯を作った。
現在右手が少々不自由なわたしは、鍋やフライパンの中身を混ぜるくらいしかできないけれど、エマちゃんはなんだか楽しそうだった。
料理をしながら、昨日一日に起こった出来事をぽつぽつ話す。
「じゃああきちゃん、おじさんおばさん公認になったんだ」
「あー、まあそういうことになるかな‥‥‥」
「ていうか、おじさんがそう言ってくれたの意外。ヒナん家とはまた違うんだね」
「ヒナちゃんとこは警察だからっていうのもあるんじゃないかな。うちはまぁ、佐野家とのつきあいも長いですし」
多分わたし、別れろと言われても聞かなかったと思うけど。
お父さんもお母さんもそれがわかっているのかもしれない。それに、もうここまで東京卍會のそばにいる人間として顔と名前が知られてしまったら、今更離れるほうが危ないような気がする。
いっそ東卍解散とか、そのくらいのレベルじゃないと。
「でもよかったー」
ぴと、とエマちゃんがひっついてくる。
「あきちゃんと会えなくなったらウチ寂しいしさ」
「ウッ‥‥‥もし仮にマイキーと別れてもエマちゃんとの友情は永遠に不滅だよぉぉ」
「ちょっとそこなんの話してんの」と不満そうなマイキーの声が飛んできた。エマちゃんは「妹に妬くなってぇ」とニヤニヤした。
晩ご飯をいただいたあと、エマちゃんとデザートを食べながら女子会をする。わたしの右腕のことを気遣ってくれたエマちゃんと一緒にお風呂に入って、何年かぶりに背中の洗いっこなんてものもした。
「うわ、痣ヒド‥‥‥」
「ほんと? 背中のほうは見えないからなぁ」
「治るんでしょ?」
「あはは、治るよ。治らなかったら男の子たちみんな、顔面も全身も青痣だらけだよ」
「たしかに」
いまが冬で、毛糸のセーターにダッフルコートを着ていたおかげでこの程度で済んだ。夏の薄着のときにやられていたら右手の骨も罅じゃ済まなかったかもしれない。
そう考えると、こんな状況でもちょっとはマシに思えてくる。
「痛々しいもの見せちゃってゴメンね」
「ううん、平気。早く治るといいね。まあマイキーはあきちゃんの体に傷痕あっても気にしないと思うけどね?」
「傷痕の理由にもよるでしょ‥‥‥っていうかなんの話してるの」
「え〜? ねえマイキーとどこまで進んだ?」
「エマちゃんが期待するようなことは何も」
「なんだチューまでか。つまーんないの!」
お風呂を出たあと、エマちゃんはドライヤーを持ったまま居間に向かって、テレビを見ているマイキーに「ほい」と手渡す。
「あきちゃん右手痛いんだから、マイキー乾かしてあげなよ」
「んー」
自分の髪の毛を乾かすのは面倒くさがるくせに、思いのほかあっさりスイッチを入れたマイキーの脚の間に座った。
兄妹揃って至れり尽くせり。恥ずかしいけどちょっと嬉しい。
「あき、背中見ていー?」
「なーに? ドライヤーできこえない!」
「せなか! みていい!?」
「いやだよなにいってんの!?」
「エマには見せたくせに」
「エマちゃんとマイキーじゃ全然ちがうじゃないの!」
ドライヤーで乾かしてもらいながら大声で会話していると、なんだかふと安心して、肩から力が抜けた。
いつも通りのマイキー、いつも通りのエマちゃん。顔の傷も右腕のギプスも、なんにも聞かずに一緒にご飯を食べてくれたおじいちゃん。佐野家のあったかい空気はわたしが小さい頃からずっと変わらない。
いいのかな、こんなにいつも通りで。
横浜ではあの人がわたしへの憎しみを募らせているかもしれないのに。
もしかしたら今まさにこっちに向かっているところかもしれない。お父さんとお母さんを問い詰めたり、佐野家を襲ったりするかもしれない。誰かにひどいことするかも。わたしを襲ったときみたいに、集団で押しかけて、武器で脅して、怖い目に遭わせて。
そんなの耐えられない。
マイキーたちはいつもこんな気持ちだったんだ。
こんな気持ちと隣り合わせで、わたしを仲間に入れてくれた。
浅い呼吸を繰り返しながら膝に顔を埋めると、ぴと、とマイキーが背中にくっついてきた。
いつの間にかドライヤーの音は止み、エマちゃんが部屋に戻る足音がぺたぺたと遠ざかっていく。
「あき」
「‥‥‥ゴメン、なんでもない」
「大丈夫だから」
「うん‥‥‥」
「ずっとウチにいてもいーよ」
だめだ。
‥‥‥この家にはエマちゃんがいる。
マイキーのこころの最後の砦。億が一にも危険な目に遭わせるわけにはいかない。
エマちゃんに何かあれば、度重なる喪失に疲れてしまったマイキーのこころが、今度こそばらばらになってしまう。
「怖いけど、平気」
「ホントにー? あきって泣き虫甘えんぼ怒りんぼのくせに、肝心なとこで秘密が多いからなぁ」
「怖いけど、って言ったじゃん。秘密にはしてないもん」
「ならいーけど」
顔を覗き込んできた彼と視線が交わる。
唇と唇が一瞬だけ触れ合って、離れる。
三回目だけど全然慣れない。恥ずかしいやら後ろめたいやらであたふたと目を逸らした。
エマちゃんはチューまでか、なんてつまらなそうに言ったけど、わたしはこれだけで精いっぱいだ。これ以上とか、知識だけならギャルたちに色々吹き込まれたけど、とてもとても。無理むりムリ。
ふ、と深淵を覗く眸がやわらかく細まったと思うと、マイキーはドライヤーのコードをまとめながら立ち上がる。
「着替えてくる」
「‥‥‥うん」