翌日、三ツ谷くんの食材の買い出しに荷物持ちでついて行っている最中、彼のもとにマイキーから電話がかかってきた。
「うん」「いまスーパーだけど」と話をしている三ツ谷くんの手から、大根を受け取ってカゴに入れる。今日はみんなで鍋らしい。
「──伍番隊が?」
その言葉が聞こえたとき、ムーチョくんまで天竺に襲撃されたのかと息を呑んでしまった。
けれど微妙に声音が違う。三ツ谷くんは眉間に皺を寄せたあと、わたしを一瞥した。
「ちょっと待てマイキー、──ムーチョがタケミっちを拉致ったって」
「え?」
「伍番隊引き連れて家まで押し掛けたらしい。タケミっち拉致った先に乾と九井もいて、ムーチョは九井連れて伍番隊ごと天竺に移った。もともとイザナの仲間だった、みたいなこと言ってたらしい」
確かに、六十二年生まれで知り合いもいるだろうし、とは思ったけれど。
その危惧が最悪の形に展開してしまったということだ。
よりによって──裏切りを取り締まる側の伍番隊が。
伍番隊ごとということは、副隊長の春千夜くんも。
「オレ、あきちゃんの味方だから」
慌てて携帯を取り出して春千夜くんの番号を表示した。呼び出し音が続くばかりで応答はない。ありえない、だってついこの間そう言ってくれたばかりなのに。わたしの怪我を、自分の痛みのように労わって、つらそうに眉を下げて。
だって、だって、春千夜くんはマイキーのことが好きで、大好きで、本当に心の底から崇拝していて。そりゃムーチョくんには懐いていたけど、裏切りに加担するなんてありえない。ドラケンくんや三ツ谷くんや圭ちゃんたちとはまた異なる意味で、ありえないはずだ。
「なんで‥‥‥」
なんで、とまさか、が同時にやってきた。
第四章
My Own Jackknife;07
マイキーによると明日、二月二十二日が天竺との決戦になるであろうとのことだった。
十一年前、初代黒龍が誕生したのがこの日だ。事を構えるとすれば黒龍にとって、そして真一郎くんにとって大切なこの日だろう、と。
「チャリ? いいけど、どっか行くなら一緒に行くぞ」
「平気、マイキー迎えに来てくれるから!」
というのは嘘である。
嘘であるし、一人で出歩くのは少し怖かったけれど、わたしは三ツ谷家の自転車をお借りして一人で外出していた。
まずは自宅に戻った。
色々と物騒な事態を想定して行動しているので、もしかしたら自宅付近で兄が待ち伏せなんてことも警戒していたけれど、拍子抜けするほどいつも通りの母に迎えられた。三ツ谷くんは「洗濯機使えよ」と言ってくれたけれどさすがに気が引けていた洗濯物を預ける。両親は特に変わりなく、兄からの接触もないそうだ。
荷物を改めて詰め直してから、お線香やライターを手に、次は圭ちゃんのお墓参り。
圭ちゃんママがしょっちゅうお参りしているので、場地家のお墓はとてもきれいだ。わたしも千冬くんも、思い立ったときにふらりと立ち寄っては、草を抜いたりお水を替えたりしている。
「圭ちゃん。なんだか大変なことになってるよ。なんでこんなときにいないの」
冬だから、あんまり草は生えてこない。
花入れと茶湯のお水をきれいに入れ替えて、香炉の線香の燃え滓を混ぜて均す。
こうやってお墓をきれいにすることで、圭ちゃんのいない現実と向き合えるようになった。きっと圭ちゃんママや千冬くんもそうだっただろう。お葬式とか法事とかって、生きている人が心の整理をするための儀式なんだな、って感じる。
気が済んだら今度は佐野家へ。
門前にマイキーが待ち構えていた。
どうも三ツ谷くん経由で外出がバレたみたいだ。即座に召集をかけて捜索しようとしたマイキーを、エマちゃんが止めてくれたらしい。曰く「あきちゃんの行きそうなトコなんて見当つくし、最終的にウチに来るに決まってるって」。さすがエマちゃんお見通し。
「なんかあったらどうする気だったんだよ」
「自転車だから逃げられるかと‥‥‥」
「向こうがバイク乗ってたらどーすんの。この間の襲撃は電車で来たからって次もそうとは限らねぇだろ」
「うっ、確かに」
マイキーのお部屋でくどくど説教されていると、エマちゃんがジュースとおやつを持ってやってきた。
「もー、そのくらいにしなってマイキー」
「エマうるさい」
「あきちゃん怪我どーお? 背中とか薬ちゃんと塗れてんの?」
「うん、ルナちゃんとマナちゃんがぺたぺた塗ってくれるから」
「だってマイキー。よかったね三ツ谷に塗ってもらってなくて」
「オイ話終わってねーぞ!」
無視である。妹は強し。
マイキーの前に正座しているわたしの頭を、エマちゃんがぎゅっと抱きかかえた。何とは言わないけどほっぺたに当たる柔らかな感触にキャッとなってしまう。
やだななんか‥‥‥自分のリアクションがおじさんくさいのは自覚済みだ。
「よしよし、エマが背中を診てあげるー。なに見てんのよマイキーのえっち。出てってよ」
「ここオレの部屋なんだけど」
「キャーやだやだエマちゃん剥かないで! マイキー見てる! どっちの味方なの!」
「今さら恥ずかしがるなってぇ、お風呂もプールも一緒に入った仲じゃんどうせ〜」
「何年前の話ですか!? やめて本当マイキー出てって!!」
「だからオレの部屋だって‥‥‥」
しょーがねーなーも〜〜、とブツクサ言いながらマイキーは出て行ってくれた。
いや、マイキーも背中を見たがるのは心配してくれているからだと解っているのだけれど、さすがにそこまで開けっぴろげになれない。
背中に限らず全身色んなところにできていた青痣は、薬と湿布のおかげでだいぶ黄色くなってきている。エマちゃんは一つ一つじっくり見分して、「ムカつく」と唇を尖らせた。
「エマのあきちゃんなのに、こんなにボカスカ殴りやがって」
「ウッッッ、エマちゃ‥‥‥もっかい言って‥‥‥」
「エマのあきちゃんなのにー!!」
エマちゃんがドアのほうに顔を向けて大声で叫ぶと、バターン!! と乱暴にマイキーが乱入してきた。
「ギャー!! マイキー入ってこないでよ!!」
「エ〜〜マ〜〜。いー加減にしろ! あきは! オレの! 彼女なんですけど!!」
「ウチのお姉ちゃんだも〜ん。ねえあきちゃんエマとマイキーどっちが好き?」
「あああああどっちも好き! どっちも好きだからマイキー出てって!!」
佐野家のDNAには逆らえない悲しいわたしである。
マイキーに付き添われて、わたしは再び三ツ谷家に戻った。
嘘をついて一人で外出したことで三ツ谷くんにもしこたま怒られた。
「なんで一人で出たんだよ。迷惑なんかじゃねぇって言っただろ?」
「あのね、‥‥‥怯えたら負けだと思って」
珍しくめちゃくちゃ怒っている三ツ谷くんが両腕を組んで睨みつけてくる。怖い。
「東卍のみんなだって、あんな襲撃があっても外を歩くでしょ。わたし一人、外出するたびに誰かつけてもらってちゃ、この先どうしようもなくなっちゃう。一人で外に出られなくなりそうで怖かったの」
「‥‥‥‥」
「だから一人で外に出てみた。天竺は襲ってこなかった。それで全部」
三ツ谷くんはむすっと黙り込んだままだ。いや本当に怖い。
普段温厚な人ほど怒らせちゃいけないっていうのは事実なんだなぁ。いつもの優しい表情と相まって、こっちの受ける心理的ダメージが倍増する。怒らせてしまったという罪悪感も。
本当は、今言った理由以外にも、色々とある。
伍番隊の、特に春千夜くんの裏切りを聞いてじっとしていられなかった。なんで、とまさか、が同時にやってきて叫び出しそうだった。春千夜くん、ねえ、本当にムーチョくんについて行ったの? わたしたちを欺くその行為すら実は嘘なの?
あまり考え込むと逆に頭がこんがらがってきてしまった。マイキーとエマちゃんに会って少し落ち着いたから、今はもう平気だ。
「ご心配をおかけしました。嘘ついたのも本当にごめん」
「‥‥‥クソ度胸も考えモンだぞ」
やがて「あきちゃん、変わったな」と少し寂しそうに微笑んだ彼と連れ立って、日付の変わった深夜、三ツ谷家を出た。
徒歩のわたしの横で、三ツ谷くんものんびりと歩いている。さすがに特攻服で自転車二人乗りはダセェな、と彼がつぶやいたからだ。徒歩のほうがまだマシというもの。
途中で八戒くんと合流し、その先ではさらにナホくんとソウヤくんに会った。
二人ともバイクに乗っていたけど、わたしと三ツ谷くんが徒歩なのを見て一旦停車する。
「あきちゃん怪我どお?」
ソウヤくんがわたしの顔を覗き込んできたので、マスクを外して「じゃーん」と笑った。
「おお、ちょっと痣の色変わってきたね。傷も残らなさそうだし。よかった!」
「うん。お腹と背中もだいぶマシになってきたよ」
「おデコの瘡蓋剥がしちゃだめだよ?」
「‥‥‥痒いんだよぉこれ」
「ダメ! 治るの遅くなるよ!」
エンジェルハート。かわいい。最初の頃はずっと顔が怒っているから近寄り辛かったけど、口を開けば優しい気遣いしか飛んでこないので、すっかり大好きになってしまった。
ナホくんは対照的にいつもにこにこしていたから、油断して話しかけたら「うろちょろすんな目障りなんだよ」と怒られた。でも口が悪い人には圭ちゃんで慣れていたからへっちゃらだった。
ちなみに、相変わらず八戒くんは硬直している。これもまあ、慣れだ。あと五年くらいしたら喋ってくれるようになるかもしれない。気長につきあおうと思っている。
そのとき、遠くから近づいてくるバイクの排気音を耳が捉えた。
聞き慣れた音ではない。だけどこの時間だし、集会に向かう東卍の誰かかも。
「オレ断然モッチー!」
「オレはとりあえず響平くんかな」
「誰それ?」
「あきちゃんの兄貴だよ」
「あー、あいつな!」
男の子四人が天竺との抗争で誰とやり合いたいかなんて話をしている傍らで、後ろを振り返ってヘッドライトを見た。
まぁるい光が三つ。
「あれ誰だろうね」
「ん?」
「顔見えないし、メットかぶってるのかな。ってことは東卍じゃないか」
メットをかぶっているから東卍じゃない、という理論も悲しいものだけど。
こっちはナホくんとソウヤくんのバイクがライトを点けているし、関係ない人なら適当に避けていくだろう。そう思ったわたしが顔をみんなのほうに向けるのと、入れ違いに三ツ谷くんが後ろのバイクを振り返ったのは同時だった。
腕を強く引かれる。
「あきちゃん──」
切羽詰まった三ツ谷くんの声は、鈍い音と衝撃に掻き消された。