「澤村先輩、稽古つけてくれませんか」

 月末の書類ラッシュを切り抜け、今のところは急ぎの仕事もない。現世の駐在任務に就いている隊士や瀞霊廷の巡回をする隊士の報告を受けて取りまとめるくらいが仕事になるので、あたしはたいへんのんびりとしている。
 隊首室でお茶を飲みながら一息ついていたあたしの元を訪れたのは、真央霊術院時代からの後輩、阿散井恋次くんだった。

「……どうしたの、急に。あたし剣術はあんまり得意じゃないよ」
「知ってます。鬼道と歩法を使ってもらって構わないんで、お願いします」

 彼の幼なじみのルキアさんが朽木家の養子になったという話は、大きな噂になったので知っている。
 それからは恋次くんの超えるべき相手が朽木白哉隊長であるということは、本人が語らずとも、それなりの事情を知っている近しい人ならば悟っていることではあった。あたしと檜佐木も然りだ。

 鬼道と歩法。どちらも朽木隊長が実戦にて駆使する術だ。
 十一番隊は云わずもがな剣術勝負の超戦闘部隊。そういう意味では確かに、恋次くんの稽古相手としてはあたしが都合がいいかもしれなかった。

「いいよ。道場内じゃ壊しちゃうから、外に行こうか」
「お願いします!」



 どこから話を聞きつけたのか、更木隊長が愉しそうな笑みを浮かべて様子を見に来た。他にも数人の隊士が見学に来たようだった。
 隊舎前の広場で、十一番隊稽古スタイル(上半身裸)の恋次くんと向かい合う。正眼に構えた木刀の向こうに見える赤髪の後輩の目は至って真剣だ。どこか気負いすぎているような気もするが、滅多にないあたしとの稽古で気合いが入っているのかもしれない。

 呼吸の読み合いが一瞬だけ止まる。

 恋次くんがだんっと一歩を踏み出して木刀を振り上げた。
 木刀を上段に構えてその斬撃を斜めに受け流し、彼がつんのめったところに脇腹へ蹴りを叩きこむ。
 くの字に折れた体から距離を取るが、基本的に膂力と脚力に劣る女の蹴りなので、恋次くんはすぐに復活して斬りかかってきた。今度は正面から受け止めて競り合うが、彼の体重が木刀に全てかかったことを感じて、ひゅっと横にいなして恋次くんの足を引っかける。
 即座に反応して足で踏ん張ったその背中に、指を向けた。

「縛道の一、塞!」
「うっ……参りました」

 縛道を放ってから木刀で彼の背中をぽんと叩き、一本。

「十一番隊の戦い方に慣れ過ぎちゃだめだよ。皆が皆、正面から刀を受けてくれるわけじゃないんだから、全体重を刀にかけるのは危険なこともある。虚だってそうでしょう」
「はい」
「解。……じゃ、もう一本いきましょう」

 縛道を解いて、恋次くんと再び切り結ぶ。今度は体重の移動を意識しすぎて斬撃が軽くなってくることが多々あったので容赦なく押しきり、彼の木刀を弾き飛ばした。
 即座に白打で対応してこようとする彼の目の前から瞬歩で消えて、背後、横と移動し最後に肩の上に乗ってみせる。そこから飛んで、霊圧で足場を作りながら、地面を蹴って追いかけてきた恋次くんの蹴りを木刀で受け止めた。払い除けながらこちらも回し蹴りをお見舞いすると、それを腕で受けて着地した彼に向けて木刀を振り下ろし、転がって避けた先の恋次くんにまた指先を向ける。

「破道の四。白雷」
「うわっ!」

 目を丸くした彼の鼻先へ、白い雷が伸びた。
 間一髪、しゃがんで避けた恋次くんの髪留めが焼ける。はらりと赤い長髪が広がった。「マジじゃねーっスか先輩!」とその低い姿勢のままこちらへ突っ込んできた恋次くんが、あたしと同じく指先を伸ばす。「怪我しないでくださいよ!!」無責任な忠告が聞こえて少し笑ってしまった。
 ここで破道か。

「破道の三十一! 赤火砲!!」
「円閘扇ッ!」

 広場が爆発した。

 恋次くんは鬼道が苦手だったはずだ。それなのに詠唱破棄などしたものだから、通常の赤火砲よりは若干小規模だった。
 稽古というよりも本気の手合せみたくなってきたなと思いながら、煙の中で目を閉じる。この中で木刀を回収するのだろう恋次くんの気配を追って、背後から斬りかかってきた彼を難なく受け止めた。

「ッ、くそ」
「煙に紛れるなら霊圧も消さなきゃ。這縄!!」

 縄状の霊子が彼の腕に絡みつき、そのまま身体を拘束する。
 地面に引き倒された恋次くんの背中を木刀でぽんと叩き、「はい、おしまい」と笑ってみせた。

「あー……もうちょっとだと思ったんスけど」
「まだまだ。大体ね、実戦や真剣じゃないと思って油断したでしょ。刀を飛ばされたらすぐに取り返さないと」
「……ハイ」

 叱咤するような口調になりながら縛道を解き、恋次くんの手を取って立たせる。
 一応最初の配属は斬拳走鬼それなりにバランスのとれた五番隊だったはずだが、十一番隊にやってきてから時間が経ったせいか、戦い方が直球勝負に限りなく近かった。力で押せばどうにかなるという考え方のうちではやっていけるだろうが、鬼道系の力を持つ虚との戦いや、他隊の隊士との演習では通用しなくなる時が必ずくる。
 更木隊長ほど隔絶された実力があるなら別だけれど、今の恋次くんには、上手に力を受け流すことや鬼道を混ぜながら戦うことも必要だ。

 更木隊長はニヤニヤしながらあたしたちを眺めていたが、特に何も云うことなく道場の方へ戻っていった。

 広場での手合せを終えて詰所へ向かっていると、前方から平隊士が歩いてきた。先程、見学に来ていた隊士のうちの二人だ。
 あたしの肩にわざとらしくぶつかってきて、彼らが舌打ちを漏らす。

「……戦いに鬼道を使う腰抜けが」
「剣術ど下手な女の癖になんで更木隊にいるんだよ」

 ぼそりと、しかし聞こえるように零された悪意ある呟きが耳朶を打つ。
 あたし以上にカッとなった恋次くんが彼らを振り向いたから、その腕を掴んで制した。

「澤村先輩」
「放っておきなさいな」
「だけど……!」
「云いたい奴には云わせておけばいいの。実戦であたしに勝つ自信がないから、戦い以外の場でああやって吠えるしかないのよ」

 肩を竦めてそう云いながら、恋次くんの背中を道場の方へ押す。やりきれない顔の彼にひらひらと手を振ると、不承不承といった感じで去っていった。

 まあ、それなりに、キた。
 剣術がからっきしな自覚はあるので、云い返さなかったのではなく云い返せなかっただけだ。
 基本的には書類仕事要員なので剣術など必要ないと割り切ってしまえばそうなのだが、それでもやはり、どことなく違和感があることは否めない。

「…………」

 ぼうっと突っ立っていても頭の中はごちゃごちゃしたままだったから、別のことに集中しようと、あたしは執務室へ戻ることにした。
 いつも首の後ろで一つにまとめている髪を解いてするりと指で梳く。
 ささくれ立った気持ちを落ち着かせながら執務室の障子を開けるが、誰もおらずがらんとしていた。先日の集会で注意事項を三つ厳守するよう伝えたものの、誰も机についていないところを見ると効果はあまりなかったようだ。

 溜め息をついて頭を掻きながら目を閉じる。

 長く付き合ってきた昔なじみの腕が、力を籠めて肩を抱いてくれた温度を思い出す。くしゃりと前髪を乱しながら撫でてくれるあの大きな掌。遠い高みにいる彼の人の汗の光る強靭な身体、裏腹に不器用な手つきで頭を撫でてくれたことを思い出す。お前の作った書類なら問題ない。小さな彼女が精一杯手を伸ばして頭を撫でてくれる。あたしへの罵声を、後輩があたし以上に怒ってくれる。
 うん。大丈夫。
 あたしの周りの世界はまだまだあたたかく、やさしい。

「よしっ」

 両手で頬をぴしゃんと叩いて気合いを入れ直して、溜まりつつある隊士たちの書類に挑んだ。


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