六 みっともねぇ、泣くな
更木隊長と黒崎一護の戦闘が始まってから一時間ほど経った頃、それまで嫌という程感じていた彼らの霊圧がほぼ同時に消失した。
隊首室から外へ出ると、同じようにそれを感知した銀爾くんが詰所の屋根から飛び降りてくる。
指示があるまで待機しておくよう伝えおき、斬魄刀を帯びて瞬歩で詰所の屋根の上を飛び進んだ。戦闘があったはずの区域に差し掛かると、無残に崩壊した建物の瓦礫の山が目立ち始める。
懺罪宮の東側、大部分の建造物が崩れていた。
息を呑んで立ち尽くす。これほど凄まじい戦闘の残骸は初めて見た。
ところどころに残る血痕に胸をざわつかせながら、ほとんど潰えかかっている更木隊長の霊圧を追って、西側の建物の屋根へと上る。
無造作に横たわっているその人の姿を見つけて、呼吸が止まったような気がした。
「――隊長!!」
眼帯を外した顔面は血まみれだった。
全身血に濡れていて最早どこに負傷しているのか判らないほどだったが、特に酷い傷は右肩から胸にかけて深く叩き斬られている。内臓に達していてもおかしくない。意識のない隊長の右手のすぐ傍には半ばで折れた斬魄刀が転がっていて、その想像を絶する死闘のすさまじさを物語っていた。
いつも一緒にいるはずの草鹿副隊長の姿がない。
恐らくは戦闘区域から更木隊長をここまで運んで、卯ノ花隊長に救護を要請しに行ったのだろう。
「隊長……更木隊長!」
悲鳴にも似た声を上げながら、死覇装の上半身を脱ぎ去って斬魄刀で裂き簡易の止血帯を作る。完全に骨や筋肉の露出した右肩の傷を縛り、力ない彼の手を強く掴んで、全霊圧を傾けて治癒を開始した。
呼吸はある。脈拍も微弱だがある。これなら助かるはずだ。大体、この人がそんな簡単に死ぬわけがない。
死ぬわけが。
「御免な。澤村」
「いやです……」
隊長の頭を抱きかかえた腕が血で滑る。固く閉じた瞼は動かない。
――隊長と黒崎の戦闘が始まった時、ちらりと加勢に行くべきかとも考えた。一角が敗けた相手。恋次くんすら倒した相手。確保すべき旅禍。それでも隊首室で待機したのは、隊長が敗けるはずないと思いこんでいたからじゃない、この人自身が邪魔を望まないことを知っていたから。
それでも、駆けつけていれば。
あとから殴られても怒られても斬られてもいい、旅禍確保の命題を引っ提げて隊長と黒崎の間に割りこんでいれば、こんなことにはならなかった。
「隊長お願い起きて、起きてください、死なないで」
「…………、……るせェな」
胸の中に掻き抱いた彼が低く呻いた。
ばっと顔を離して血まみれの顔を拭くと、嫌そうな顔をした隊長が舌打ちを漏らす。
「たいちょ……」
「みっともねぇ、泣くな」
「なら泣かせるような怪我負わないでください!!」
震える絶叫を隊長は「あーあーウルセー」と一蹴して、治療を施すあたしの姿をじろじろと眺めた。なんだなんだと思いながらも問答無用で続行する。やめろと云われたってやめてやるものか。
鬼道による治療ではまず霊圧の回復を先に行い、そのあと術者による外部霊圧と併せて肉体を回復していく。内部霊圧が回復してきたため意識が戻ったのだろう。
だが血を流しすぎれば当然死ぬ。本当の治療はここからだ。
「……お前なんで死覇装着てねぇんだ」
「あなたの止血帯にしましたので」
「…………色気ねぇな」
ぽつりと零した彼の目線はあたしの胸元に向いている。
無言で隊長の斬魄刀に手を伸ばし、その柄頭で思いっきりこめかみを殴りつけた。
その後駆けつけた卯ノ花隊長によって更木隊長は四番隊へと搬送され、きちんとした治療を受けたあとは大人しく横になっている。
傷自体はほとんど治ったし本人もピンピンしているので、本日中に退院してもよしとのことだった。というか退院すると本人が主張しているので卯ノ花隊長が溜め息交じりにうなずいた。
卯ノ花隊長も今朝から藍染隊長の検死でばたばたしていたはずなので、申し訳なくて彼女の顔も見られなかった。
聞いたところによると藍染隊長の死因は斬魄刀による鎖結及び魄睡の摘出と心部破壊。
事故死ではなく、殺害。
血塗れになった身を清め、予備の死覇装に袖を通す。
詰所へ帰ると、副隊長代理で報告会へ出席していた銀爾くんが帰ってきていた。
「藍染隊長暗殺の犯人に関しては未だ不明です」
「うん」
「旅禍については、京楽隊長が一名を確保。また懺罪宮四深牢前の連絡橋にて浮竹隊長が一名の旅禍と、人質になっていた四番隊山田七席を確保。そして現在十二番隊詰所周辺にて涅隊長が交戦中との情報です。卍解された様子とのことですので、近く確保される見通しです」
……涅隊長かぁ。
交戦してしまった旅禍を不憫に思いながら次を促す。
「朽木隊長と浮竹隊長からの報告で、黒崎一護のもとに『四楓院夜一』が現れたとのこと。侵入した旅禍の数は五から六へ変更となりました。残るは懺罪宮から脱した以上二名、加えて目撃情報から亜麻色の髪の毛の少女、計三名」
――四楓院夜一。
九〇年前。
浦原喜助、当時十二番隊々長兼技術開発局初代局長が、死神の虚化実験を行い現世へ追放処分になっていた。
その逃亡を助長したとして、当時の二番隊々長兼隠密機動総長四楓院夜一、鬼動衆総帥・大鬼道長握菱鉄裁も投獄の処断が下されたが、行方を眩ました。そして浦原喜助の虚化実験に巻き込まれ、鬼動衆副鬼道長と、各隊の隊長・副隊長七名の計八名が死亡している。
かつて虚の進化形態に疑問を抱いて書庫で調べ物をした際に見かけた記事にその名を見た。この件が起きたのはあたしが霊術院に入学するより遥か以前の話なので、実際にその人を見たことはないものの、『瞬神・夜一』の名は一番隊在籍時に総隊長が零されたことがあるので知っている。
確か調べたのは十年ほど前のことなので、今から一〇〇年は遡っての出来事になるか。
「確保した旅禍二名はいずれも重傷のため、四番隊にて治療後、牢に拘置されています。各隊いずこかの牢と思われますが、具体的な場所に関しては伏せられるとのことでした」
……ルキアの処刑に関して浮竹隊長に相談に行くどころの騒ぎではなくなってしまったな。
小さく溜め息をついて、ひとまず銀爾くんの顔を見る。
「とりあえず四番隊に行って隊長の退院手続きをしてきて。一角と弓親もそろそろ引き揚げさせないと……」
「ああ、なんか荻堂がぼやいてましたよ。お見舞い名目で十一番隊の隊士が押しかけてきて酒飲んだり暴れたりするからどうにかしろって」
「……可及的速やかに退院させてきて」
しばらく卯ノ花隊長に頭が上がらないな、これは。
四番隊へ向かった銀爾くんを見送り、一人になった隊首室でそっと窓を開け、瀞霊廷の騒動など素知らぬ様子でいつも通り青い空を仰ぐ。
旅禍の目的は朽木ルキアの奪還だ。
一角の証言からもわかっていたし、本日確保された旅禍たちが懺罪宮でルキアを連れていたという話からしても本当のことなのだろう。
藍染隊長暗殺の犯人がわからない以上は彼らを最重要参考人として扱うほかないが、果たして本当にそうなのか。
旅禍一団において最も強いといわれていたのは黒崎一護。
だがその彼も、『更木隊長との戦闘で大怪我を負う程度の』実力なのだ。
仮にも長らく五番隊々長を務めていた藍染隊長を、彼の斬魄刀を以て正確に鎖結と魄睡を摘出し心部破壊したうえ、わざわざ東大障壁に磔にするほどの技量はないはず。あの場所や周辺には戦闘の跡さえなかった。つまり藍染隊長は戦闘や抵抗の暇もなく殺されたことになる。
かつての隠密機動総長の四楓院夜一も噛んでいるとなると可能かもしれないが、そもそも彼らには藍染隊長を殺す理由がない。
よって、あの暗殺は旅禍の仕業では、なく。
――内部の死神による……?
思い当たった可能性に鳥肌が立った。
誰かが。何者かが、ルキアの処刑に乗じて――旅禍の侵入に乗じて――藍染隊長を殺害してまで何かを成し遂げようとしている?
思わず震えた手を握りしめた瞬間、隊長たちの足音が近づいてきた。
すぱーん! と勢いよく障子を開けた隊長が、あたしの顔を見て目を丸くする。後ろから顔を覗かせた一角と弓親、銀爾くんもこてりと首を傾げた。
「オウ、どうした」
「隊長……」
……ピンピンしている。本当に。
数時間前まで大量の出血でぐったりしていた隊長が、あたしと卯ノ花隊長の治療と昼寝を経て、本当にピンピンしている。
剣八の名も伊達じゃない。
半ば呆れた気持ちで嘆息すると、「おいあとり。茶」と偉そうにのたまった怪我人は隊首室の奥にある一室へと向かっていった。隊長のお昼寝室だ。
あまりにふてぶてしい態度に頭痛を憶えながらも、反射的に人数分のお茶を用意してしまう。
すると、副隊長の霊圧が隊首室の外に現れた。
隊長が四番隊でお昼寝に突入してから姿が見えなくなっていた――そのため銀爾くんが代理で報告会に出席したのだ――ので、どこに行ったのかと思っていたのだが。
「剣ちゃ―――んっ!!」
再びすぱーん! と勢いよく障子が開けられて、桃色頭の幼女が飛びこんできた。
「あとりちゃん、剣ちゃんは!?」
「更木隊長でしたら奥のお昼寝室に向かわれましたよ」
「わかった! あっ、あとりちゃんあたしもお茶ほしい!」
「畏まりました。ところで」
隊長のもとへ向かおうとする副隊長の襟首を掴み、ぶらぶらと揺らしながら、彼女が連れてきた二名の死神に目をやる。
「誰ですか?」
一人は知った顔だ。十一番隊の隊士で荒巻である。
もう一人は見慣れない顔の少女だった。
亜麻色の髪の毛をした、いとけない顔立ちの少女。
死覇装を身に纏ってはいるものの、戦時特令の発令されたこの状況で、斬魄刀も浅打ちも帯びていない。
――残るは懺罪宮から脱した以上二名、加えて目撃情報から亜麻色の髪の毛の少女、計三名。
先刻の銀爾くんの報告が脳裡に過ぎる。
同時に嫌な予感も脳裡に過ぎる。過ぎるどころか堂々居座る。
草鹿副隊長はきょとんとあたしの顔を見て、荒巻を見て、少女を見て、そしてあたしに視線を戻す。
にぱっと笑った。
「あのね! いっちーの仲間なんだって!」
「そのいっちーとはまさか黒崎一護じゃないでしょうね」
「いっちーはいっちーだよ!」
「…………」
上司とか部下とか知ったものか。
無言で拳を握りしめて、その桃色頭を思いっきり殴りつけた。
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