五 爆発は東大障壁の下で



「……ンだよ、来たのかよ」
「来たのかよとは随分な云い様じゃない、朝一に見舞った同僚に対して」
「同僚つかテメェも重傷で運ばれたって聞いたぞ俺」
「一角とは体の作りが違うからね」
「アァ!? ンだとコラもっぺん云ってみろや」

 がばーっと起き上がった一角のつるつる頭をぎゅっと寝台に押し戻し、上半身を覆う包帯を上から下まで眺めた。弓親はともかく一角は重傷だったと聞いているのだが、思ったよりも元気そうだ。
 小さく溜め息をつきながら、少し違和感の残る耳朶を触る。
 昨晩四番隊をあとにしてから帰隊し、自室で檜佐木に開けてもらったのだ。久々の耳環の重みにまだ感覚が慣れない。
 それを目に留めた一角がぱちりと瞬いた。

「なんだそれ」
「……霊圧制御装置。昨日うっかり全解放しちゃって」
「へぇ。隊長の眼帯と似たようなモンか」

 似たようなモンというか、見た目はどうあれ仕組みは全くお揃いだ。
 隊長とお揃いという末恐ろしい響きにひとり眉を顰めていると、そっぽを向いた一角は静かに口を開く。

「……鬼灯丸に仕込んでた、血止め」
「ん? ああ、阿近さんに改造してもらったやつね」
「意識を失った隙に、一護のヤロウが傷に塗りやがった。おかげで生き恥晒しだよ俺ァ」

 敗けて永らえることは恥。

 一角のその考えは随分前からなんとなく悟っているし、それを否定するつもりもない。死に様くらい自分で選べばいいし、どれほど無様でも無残でも、彼自身が誇れる最期ならそれはそれでいいと思う。
 思うけれど。

「莫迦」

 右手を伸ばして、ぺちんと彼の頬を叩いた。

「生きててよかった」
「……莫迦たァ何だ莫迦たぁ」

 ふいと顔を背けた彼にちょっと笑いが零れる。
 弓親のお見舞いに行っていた銀爾くんが入口に顔を覗かせてきた。現在の十一番隊の状況であまり隊を空けるわけにはいかないので、「じゃあね」と手を振ってきびすを返す。

「旅禍が」

 病室を出る直前、その言葉に足を止めた。

「――向かった先は懺罪宮四深牢」
「……懺罪宮……?」

 それは――ルキアが拘置されている牢だ。


「朽木ルキアを救けに来た・だそうだ」



「いやああああああああ!!」

 青天を切り裂く悲鳴が耳に入った。
 一角と弓親たちを銀爾くんと一緒に見舞った帰り道のことだ。足を止めて、聞き覚えのある声が響いてきた方角へ目をやる。
 雛森さんの声だった。

「銀爾くんは先に隊へ」
「澤村三席は」
「向かうわ。雛森さんの声だった」
「お気をつけて」

 方角と声の大きさからして、ここからそう遠くない。
 瞬歩を繰り返して建物の屋根から屋根へ移動を繰り返していると、遠目に見える東大障壁に夥しい量の血がべったりと流れていることに気がついた。
 血だけではない。
 誰かが磔にされている。


 ――藍染隊長。


 自分の目に見たものが信じられず目を剥いた瞬間、眼下で爆発が起きた。

 爆風に煽られ体勢を崩す。一旦下りると、乱菊さんと檜佐木、射場さんがいた。少し離れた処には市丸隊長もいる。とりあえず乱菊さんの方に駆け寄ってみると、彼女は「あとり……」と眉を下げた。
 爆発の正体は雛森さんの斬魄刀・飛梅の能力らしい。彼女と斬り合っているのはイヅルくんだ。

「何故ふたりが」
「雛森が取り乱して市丸隊長に斬りかかったんだ」

 檜佐木の簡潔な答えに状況を把握する。藍染隊長の遺体を見て取り乱した雛森さんが、なぜかはわからないが市丸隊長に斬りかかり、上官を守るため立ちはだかったイヅルくんと戦闘に縺れこんだのだろう。

 昨晩から正式に帯刀を許可されている斬魄刀に手を伸ばした。
 事情はどうあれ市丸隊長に斬りかかった雛森さんは確保すべきだし、それとまともにやりあっているイヅルくんも頭を冷やすべきだ。
 日番谷隊長と思しき霊圧が近づいてきている。

「自分が何をしているか判っているのか! 公私混同するな、雛森副隊長!!」

 雛森さんの斬魄刀の生んだ爆撃がイヅルくんの真横を通り過ぎて背後の壁を破壊した。
 同期の呼ぶ声も耳に入らぬほど――雛森さんはなぜ市丸隊長を攻撃対象として見ているのだろう。横目に窺ってみたものの、攻撃された当の本人はいつも通り飄々とした笑みを浮かべて傍観している。

「面を上げろ――侘助」

 地面を蹴って高く跳び上がったイヅルくんが斬魄刀を解放した。
 特徴的な形状のそれを彼が振り下ろしたその下へ滑りこむ。背中合わせに現れた日番谷隊長が雛森さんの飛梅を抑えて、あたしの紅鳳が侘助の斬撃を受け止めた。

「動くなよ。どっちも」

 日番谷隊長の静謐な声に、雛森さんがようやく動きを止める。

「ひ……日番谷く――」
「澤村先輩……」
「捕えろ。二人ともだ」

 向かってきた檜佐木とともにイヅルくんを抑えこんだ。雛森さんの方は乱菊さんと射場さんがかかっている。
 日番谷隊長の指示で雛森さんとイヅルくんが連行されてゆくのを見送り、確保した拍子に地面に落ちた二人の斬魄刀を拾い上げた。

 飛梅に破壊された壁を見やり、大障壁に磔にされた藍染隊長を見上げる。
 敬愛する上官の遺体を目の当たりにした雛森さんの心痛を思って、すぐに目を逸らした。

 それでも、市丸隊長やイヅルくんに対して剣を向けたことは、許されるべきではない。

「すんませんな、十番隊長さん。ウチのまで手間かけさせてしもて」
「……市丸、てめぇ今、雛森を殺そうとしたな」

 藍染隊長。
 戦う姿を直に見たことはないが、隊長に上り詰める実力のある人だ。檜佐木が霊術院の魂葬実習で巨大虚に出くわした時、尸魂界から救援に駆けつけてくれた人。

 その藍染隊長が、為す術もなく惨殺された?

 ――旅禍の仕業か?

 いや、あたしが対峙したあの少年も、一角と弓親が戦闘した旅禍二人も、死神を殺すことが目的ではないはずだ。それなら十一番隊にはとっくに何十人も死人が出ている。
 一角が云うところによると旅禍の一人はルキアが拘束されている懺罪宮に向かっているという。彼らの目的はあくまで、ルキアの奪還なのだ。
 この状況で見せしめのように藍染隊長を殺す必要がない。
 では一体誰が――

「澤村」
「!……はい」
「お前ももう行っていいぞ、あとは任せて報告を待て。十一番隊も今大変だろう」
「あ……では、お言葉に甘えて失礼致します」

 日番谷隊長に声をかけられたので、まとまりのない思考はそこで打ち止めにして、ぺこりと頭を下げた。
 市丸隊長の横もそうして通り過ぎようとした時、「あとりちゃん」と手首を掴まれる。

「怪我、もうええのん」
「完治とはいきませんが、大部分治してもらいましたから問題ありません」
「無茶したらアカンやん。ボク昨日心配してんでぇ。イヅルが見張るからお見舞い行かれへんかったけど」
「ご心配をおかけしました」

 表面上ほけほけ笑っては、いる。
 けれど日番谷隊長が先程云ったように、飛梅を構えた雛森さんに対して白刃のような殺意を一瞬だけ向けたのは悟れたし、その腕が斬魄刀に伸びていたのも解った。

「……市丸隊長」
「うん?」
「なぜ雛森さんは、市丸隊長に斬りかかったのですか?」

 彼はいらえなかった。
 口角を釣り上げたまま笑っている。市丸隊長は確かに微笑み以外の表情を浮かべていることは少ないけれど、同じ隊長同士で長い付き合いであるはずの藍染隊長の死を目前にしても平時と変わらぬ様子でいることに、凄まじい異物感を憶えた。

 初めてわかった。
 これが、多くの隊士が抱くという市丸隊長の『気味悪さ』。

「あとりちゃん」

 ぽん、と頭を撫でられる。
 直前の動作を見ていたのに撫でられるまで反応できなかった。

「お大事にしや」



 云いようのない不安を抱えたまま詰所に帰ったものの、所内に更木隊長の霊圧は見当たらなかった。

 昨日のお見舞いで、一角は隊長にあたしと同じ情報を伝えたらしい。
 旅禍の一団で最も強いという少年、身の丈ほどの大刀を帯びた橙色の髪の毛の死神の向かう先が懺罪宮と知ったのだから、恐らく隊長はその場所で彼を待ち構えていることだろう。
 となると、副隊長もそちらにいるのだろうな。

 隊長副隊長の不在。三席二人と五席の戦線離脱。隊のおよそ六割が負傷しその半数以上は四番隊預かりとなった十一番隊は、普段の雑然とした雰囲気が嘘のように静まり返っていた。
 執務室を覗くと、銀爾くんだけが机についている。

「澤村三席! 怪我は――してませんね」
「……あたしそこまでやんちゃしてるかしら」

 顔を見るなり負傷の有無を確認されるあたり、彼の中でのあたしの立ち位置が気になるところだ。

「普段の素行はたいへん立派ですが、いざとなると瀕死の重傷をも厭わない方ですからね、貴女は」
「…………」

 にっこりと押しの強い笑みを浮かべた部下からそっと目を逸らす。
 なんか、あたしが赴任した頃に比べて強かになったな、この子。

 銀爾くんに先程の悲鳴について訊かれたものの、現場の対応は日番谷隊長がしてくださるということだったので、正式な発表を待った方がいいだろうと判断し口を閉ざした。云えないような一件だったことを悟って、彼もそれ以上は追及しない。
 机について報告書の作成に取り掛かろうと筆をとった瞬間、ふと背筋にぴりぴりと電流が奔った。

「――……隊長」

 憶えのある強烈な霊圧がびりびりと建物を揺らす。
 障子を開け放って懺罪宮の方角へ顔を向けると、心底愉しそうな隊長の霊圧が凄まじい勢いで拡散していった。
 無造作に霊圧を感知するのもきつくなってきたので感覚を遮断する。
 隣に立った銀爾くんも同じ方に目をやって、少し不安そうな表情になった。

「隊長、黒崎一護と戦っているんでしょうか」
「でしょうね」
「……斑目三席と阿散井が敗けた相手、なんですよね」

 隊長と副隊長を除けば、一角は十一番隊においてかなり絶対的な強さを誇っている。護廷十三隊に在籍する三席全員の中でも上位の実力者であることは間違いないし、よその隊であれば副隊長の座を戴いていてもおかしくない強者なのだ。だからこそ昨日、一角が旅禍に敗けたという報告は護廷十三隊に大きな動揺を呼んだ。

 だけれど、その一角より何倍も、斬魄刀の始解もできない更木隊長の方が強い。
 それが事実だ。

「……愉しそうね」

 霊圧に正の感情が乗ることは珍しい。
 負の感情に任せて霊圧を解放することはあっても、幸せに任せて解放するなんてことは一般にないからだ。
 だというのに、感知を遮断しても尚頬を撫でる隊長の霊圧は、大きな愉悦を孕んでいる。
 懺罪宮の白い塔を見つめたまま唇を噛んだ。

 不自然なルキアの処刑。
 旅禍の侵入。
 不可解な警報。
 藍染隊長の死。
 市丸隊長の煮えきらない態度。

 なにかがおかしい。
 なにかがおかしいと、確かにそう思うのに、なにがおかしいのかがわからない。先の見えない霧の中、重たい水に足を取られて前に進めないような不安感。
 胸の裡に芽吹いたそれを潰すように、拳を握りしめた。

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