八 執行は明日の正午です



「あとり」
「…………」
「オイ。あとり」
「痛いっ」

 昨日から絶賛けんか中の隊長が呼ぶ声をひたすら無視していると、掌で頭をむんずと掴まれて無理やり振り返らされた。首が痛い。
 調査書を書いていた手を止めて、視界に入りこんできた隊長を睨みつけると、微塵も堪えた様子のない彼は「まだ怒ってんのかテメェは」と呆れ返ったような表情で溜め息をつく。

「さっき地獄蝶がきた」
「地獄蝶? この後に及んでなんですか。ルキアの刑の日取りが早まったとでも云うんですか?」
「なんだ解ってんのか。明日の正午だそうだ」
「へええぇぇ、明日の正午。――明日の正午っ!?」
「だからそう云ってンだろ」

 そんな莫迦な。
 ルキアは先日、刑の執行まで十四日を切ったため懺罪宮に移送されたばかりなのだ。どう見積もったって一週間以上は時間が残っていたはずで、その少ない間にどうにか時間を見つけて浮竹隊長のところへと考えていたのに。
 ――書類、どころではない。
 筆を置いて立ち上がり、念のため斬魄刀を佩く。

「どこ行く」
「所用があるので出てきます。隊長は此処にいてください、まだ傷が治りきっていないんですから。あの子、見つからないようにしてくださいよ」

 あの子、とは今も隊長のお昼寝室で副隊長と一緒に花札をやっている旅禍の少女のことだ。

 一応卯ノ花隊長から戦線復帰の許可を頂いた一角と弓親は、旅禍の捜索がてら瀞霊廷内を歩き回っている。隊長と副隊長の中に一人残しておくのは心配だったが致し方あるまい。
 ちなみに銀爾くんは、彼女のことは知らない。
 何かあった際に隊長を始め五席までの首が飛んだ時、不知火四席だけでも十一番隊に残すためだ。

 隣の十番隊々舎を訪れて日番谷隊長への取り次ぎを頼むと、乱菊さんが迎えに来てくれた。
 隊首室へ通されると忙しそうに書類を片づけている日番谷隊長がいて、そういえば五番隊の業務は彼が全て引き継いでいるのだった、とそんなことに思い当たる。
 ひと段落して顔を上げた彼が口を開いた。

「どうした、澤村。十一番隊はいいのか」
「いいか悪いかで云いますと全然よくないんですが――朽木ルキアの処刑が明日の正午になったと聞きまして」

 日番谷隊長の、美しい翡翠色の双眸があたしを見据える。
 間違いない。この人は何か掴んでいる。

「単刀直入に訊きます。日番谷隊長は藍染隊長暗殺について何かご存知なのではないですか」
「…………」
「昨晩、市丸隊長と吉良副隊長、日番谷隊長と松本副隊長、それから雛森副隊長の霊圧が交戦したことには気づいております。何があったのですか」
「…………」
「朽木ルキアの処刑が、関係しているのではありませんか」

 長い沈黙が流れた。
 発言によっては中央四十六室や総隊長に対する叛意を疑われる可能性もある。日番谷隊長が慎重になるのも当然だ。それでも此方も譲れないので、じっとその翡翠を見つめ続ける。

「……鬼道が得意なんだったな」
「え?―――」

 一瞬その意を測りかねたものの、誰かに聴かれないよう結界を張れという意味だと気づいて即座に鬼道を発動した。詠唱破棄できる範囲で最上位の結界を練り上げる。
 その出来を視線で確かめた日番谷隊長は、小さく嘆息した。

「……現時点でお前が抱いている疑念は?」

 彼の傾聴の姿勢に安堵し、なんだか泣きそうな気持ちになりながら口を開いた。

 ルキアの不自然な極刑の判決。前例のない猶予期間の短縮。続いて誤報と思われる緊急警報。ルキアを奪還する目的で侵入した旅禍たち、それに乗じるかのような藍染隊長の暗殺、犯人は恐らく旅禍ではありえないこと。導き出される答えは、瀞霊廷内の何者かが、ルキアの処刑や旅禍の侵入を利用して藍染隊長を暗殺し――『何か』を成し遂げようとしている、気がする。
 今までひとり胸の裡に押し留めていたそれらは、改めて言葉にしてみると、ぞっとするほど根拠もなく空虚なものだった。

 あたしの推論を聞き終えた日番谷隊長と乱菊さんが視線を交わす。

「――うちの三席にほしいな」
「だから云ったのに。あとりを引き抜きましょうよって」

 短いやりとりだったが、多分、全くの的外れではなかったということだろう。
 日番谷隊長は懐から取り出した紙の束を此方に投げて寄越した。

「……此れは」
「藍染の私室から見つかった、雛森宛ての手紙の複写だ。昨晩、牢から逃げた雛森と交戦したあと、治療の際に拝借して写しを取っておいた」
「雛森さんとイヅルくんは無事なんですか?」
「雛森は治療したのちうちの隊舎牢に改めて拘禁。吉良は判らん。恐らく市丸と一緒にいるだろう――そうか、お前の後輩にもあたるか」

 小さく肯いて、紙の束を開く。
 唯一の上官が最後に言葉を遺す相手として自分を選んでくれたことは、きっと雛森さんにとって光栄なことだったと同時に、身を攀じ切られるほど辛い現実だったことだろう。



雛森くん

きみがこの手紙を読んでいるのなら、僕はきっと帰ることができなかったのだろうね……

…………

僕は恐らく、すでに生きてはいないだろう。だから、僕の最も信頼するきみのために、僕の暴いた真実の全てをここに記す……

……………………
……………
……



「……此れによると、日番谷隊長がルキアの処刑に乗じて双極を手に入れて尸魂界を滅亡させようとしていて、それに気づいた藍染隊長は貴方に殺されたことになるのですが……」

 読み終わってからおずおずと呟くと、「そうだな」と彼は溜め息をついた。

「――此れを読んだ雛森さんが、日番谷隊長を討とうと牢を出たんですね。そして昨晩、戦闘になった」
「理解が早いな。――俺はこの一連の黒幕は市丸だと考えている」

 口を閉ざして、横目に乱菊さんを捉える。
 こうまで堂々と云いきるということは日番谷隊長のその考えはすでに彼女も知っているということなのだろう。そして乱菊さんも反論はせず、静かにあたしたちのやりとりを見つめている。
 日番谷隊長が語るには、無許可で斬魄刀を解放し旅禍を取り逃がした件に関する査問を行った隊首会中に緊急警報が鳴った時――あたしが誤報だと考えているあれだ――、藍染隊長と市丸隊長が密かに不穏な会話を交わしていたという。


「随分と都合よく、警鐘が鳴るものだな」
「はァ、相変わらずやなぁ。最後の警鐘くらいゆっくり聴いたらええのに」



「『じきに聴かれへんようになるんやから』……?」

 それは、藍染隊長が近く警鐘を聴くことができなくなるという、殺害予告だったのか。
 ……それにしては、迂闊なのでは。
 現に日番谷隊長に聞かれている。聞かれて怪しまれて、敵意まで向けられて……。

 目まぐるしく働く思考の傍ら、無視できない違和感に眉を顰めると、日番谷隊長はそれを別の意味で捉えたのか「ともかく」と溜め息をつく。

「俺と松本は処刑を阻止する方向で動く。恐らく浮竹も朽木のため処刑の是非を問う姿勢でいるだろう。お前の気持ちも解るが今は大人しくしておけ、今の状況でお前まで巻き込まれて何か起きたら十一番隊が今度こそ壊滅するぞ」

 つまり他隊の三席は手を出すなという牽制であったし、真実あたしの身を慮っての発言であったし、これ以上十一番隊が面倒な事態になることは避けたいという意図もあったのだろう。
 隣に座っている乱菊さんを見上げると、言葉なくそっと微笑まれた。



 違和感だらけだ。
 日番谷隊長のもとへ来て余計に疑念が増した。

「駄目だ……こんがらがってきた、一旦隊に帰って整理しないと」

 藍染隊長と市丸隊長の会話は明らかに不自然だと思う。日番谷隊長の考える通りにあれが殺害を予感させる発言であるならば、隊首会解散の最中に、他の隊長に聞かれる危険を冒してまでする必要がない。少なくとも市丸隊長はそこまで莫迦ではないはずだ。

 まるで、わざと日番谷隊長に聞かせたかのような。
 日番谷隊長に聞かせて、その疑いを市丸隊長に向けさせたかったかのような……。

「あとりちゃん見ィ――っけ」
「っ!」

 ふぅっ、と首筋に息を吹きかけられて、ヒリついた思考のまま振り向きざま斬魄刀を抜いた。
 金属音が響く。
 半身を翻して振り抜いた紅鳳をその神鎗で受け、ほけほけと笑う市丸隊長がそこにいた。

「い、……市丸隊長」
「吃驚したァ。そない警戒せんでもええやないの」
「済みません、少し考え事をしていたもので」

 互いに刀を引き、あたしは深々と頭を下げる。市丸隊長は笑いながらあたしの頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。

 疑念の渦中にあるその人の出現に思考が止まる。
 周囲に人がいないことを確認してから、市丸隊長に身を寄せて小声で捲し立てた。

「……日番谷隊長に聴きました。昨晩、牢から抜け出した吉良くんと一緒にいたそうですね? なにを考えていらっしゃるんですか、吉良くんの処分はまだ決まっていないのに――っ」

 掌で口を塞がれる。
 瞬く間に抑えこまれて傍にあった建物に引きずり込まれた。

「――お喋りなお口やね」

 どこかの隊の倉庫だろう。埃っぽいにおいがする。
 口を塞がれたまま壁に押しつけられ、市丸隊長の糸目が至近距離で弧を描いた。両手は一まとめに掴まれている。暗くて周りがよく見えないうえ脚の間に膝をつかれて身動きもできない。

 迂闊だった。
 早鐘を打つ心臓の音を耳元に聞きながら、必死に浅くなる呼吸を整える。
 動けないよう抑えられてはいるけれど、敵意も殺意も感じられないし、市丸隊長なら声をかける前に背後から音もなくあたしを刺し殺すことができるはずだ。
 つまり、あたしを傷つける意図はない。

 思考と同時に呼吸が落ち着いてきたところで、市丸隊長はそっとあたしの口から手を離した。

「……市丸隊長は、日番谷隊長にわざと疑われているのですか」
「なんでそう思うん?」
「何もかも、わざとらしすぎるからです。貴方ならもっと、誰にも気づかれないようにことを動かすことができるはず……」

 ――藍染隊長。
 東大障壁に磔になった遺体。雛森さんに遺された手紙。
 雛森さんと日番谷隊長を潰し合わせるために市丸隊長が改竄したのだと彼は云っていたけれど、雛森さんが日番谷隊長に勝てるわけがないことは解りきっている。そのうえ彼女に何かあれば日番谷隊長は激昂し市丸隊長に斬りかかることだって解っているはず。

 ――藍染隊長のもとに集められた後輩三人。
 現世の魂葬実習の際に救援に来た五番隊藍染隊長と、当時五番隊副隊長だった市丸隊長。
 雛森さんと藍染隊長。――イヅルくんと市丸隊長。

 尸魂界の滅亡が目的。そのための双極の解放。さらにそのためのルキアの処刑。それを阻止するための旅禍の侵入。そもそもの中央四十六室の不自然な判決。猶予期間の短縮。――処刑が明日の正午に。
 藍染隊長が亡くなって瀞霊廷がばたばたしているこの時宜に。

 浦原喜助と四楓院夜一の仕業? 現世へ追放された彼らが何かを企んでいる?
 いや、だとしてもやはり藍染隊長をあそこまで派手に殺害する利点は彼らにはない。ならば、転換すべきはあたしたちの目の前に横たわる絶対的事実。


「……藍染隊長が……」


 緊張でからからに乾いた唇を舐める。

「……藍染隊長が、もし、死んでいないと、したら?」

 慎重に、慎重に言葉を重ねた。
 なにか恐ろしいものに近づこうとしているような気がする。

「藍染隊長のあの手紙が、改竄などではなく、彼の人の意思を以て、雛森さんと日番谷隊長を潰し合わせるためのものだとして、――ルキアの処刑に連なる双極の解放、その力をして尸魂界を破滅させる……」

 突拍子もない推理だということはわかっていたけれど、回る舌が止まらなかった。
 そもそも不可解だったのは藍染隊長の死そのもの。
 派手すぎる。旅禍の侵入で瀞霊廷内全域に緊張が奔り、誰も彼もが警戒し、隊長格から平隊士に至るまで総員が斬魄刀を帯刀して戦闘態勢に入っているあの状況で、わざわざ東大障壁に遺体を磔にして――まるで見つけてくれとでも云わんばかりの殺し方。


 藍染隊長の死それこそが、あの殺害の目的だとしたら。


 ――だとしたら、市丸隊長の「じきに聴かれへんようになるんやから」という言葉の意味は。


「市丸隊長、貴方は――」


 うなじにこつんと衝撃を受けて視界が揺らいだ。

「ぁ――」
「……あかんて。あとりちゃん。やっぱり頭ええ子は怖いなァ」
「い、ちま……」



「消されてまうで」



 意識が遠のいて、その胸元に抱き留められる。
 頭を撫でる手つきはやはり不器用で、それでいて優しく、なんだかあたしは途轍もなく悲しい気持ちになった。


 もう二度と、貴方に会えないような気がする。

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