九 不知火銀爾かく語りき
護廷十三隊入隊後十一番隊に配属を受けてから長いこと経った。
南流魂街第六十八区生まれ、もともと荒事向きだった不知火銀爾は十一番隊――通称更木隊――の気風に馴染んだし、日がな一日煙草を吸ったり酒を飲んだりしているような無頼漢の隊士たちよりもまともだったし、わりと早期に席官入りした。
上位席官に名を連ねて初めて隊務に書類があることを知って顔を引き攣らせたのも今は昔。
一番隊のエリートが三席に据わると聞いて窮屈に感じたものだったが、実際異動してきた澤村あとりはその手腕を以て十一番隊の隊務を次々整え、改革し、長いこと放置されてきた借金を少しずつ清算し、投げやりな配置で欠番も多かった席次を整理し、十一番隊を物凄くまとも寄りに変革していった。
護廷十三隊最強の戦闘部隊を率いる更木剣八さえ、実のところあの澤村あとりには頭が上がらないこともある。
確かに彼女は、十一番隊第三席というには少々腕っぷしが頼りない。
女の細腕ではどうしても隊士に敗ける。しかしそれを補って余りある、いずれは朽木白哉に並ぶかといわれる瞬歩。鬼道衆からも注目されていると噂の鬼道。男の体をいとも簡単に引っくり返す白打。そして何よりあの凄絶なまでの霊圧。
上昇志向は特になかった。自分が卍解に至るところも想像できないので、隊長格になることもないと思う。ならば自分が目指すべきは、直近の上司たる彼女であると考えた。
つまるところ不知火は、あの上官のことがそれなりに好きなのだ。
「あれ。……更木隊長、澤村三席を見かけませんでしたか?」
彼女の指定席、隊首室隅の文机にその姿がない。
応接間のソファに寝転んでごろごろしている隊長に声をかけると、「なんか所用があるつって出てったぞ」と返事があった。
あとりが親しくしていた十三番隊の隊士、朽木ルキアに極刑の判決が下ってから、彼女はどこか思い詰めている様子があった。
旅禍の侵入があってからもなにか考えているようだったし、藍染隊長が暗殺されてからは深刻な表情をしていることもある。基本的に頭の出来はそうよくない不知火なので、彼女の考えを理解できることはないだろうが、どうも一人で突っ走るきらいのある上官なので少々気にかかってはいた。
十一番隊の書類は今日も山積みだ。
旅禍侵入に関する始末書・調査書・報告書がえらいことになっている。
「……この大量の書類を置いて出られるなんてよっぽどの用なんでしょうね」
「アー?」
見事なまでの生返事である。
朽木ルキアの処刑が明日の午後になった。
さすがに処刑を急ぐような猶予期間の短縮には違和感を抱かざるを得ないものの、だからといってどうなるわけでもない。十一番隊には十一番隊の問題が、物理的に堆く積み上がっている。
あとりは昼を過ぎても戻ってこなかった。
さすがに訝しく思って捜しに出てみたが、彼女の足取りは十番隊を訪ねたあとふつりと途切れている。
こてりと首を傾げて、次は檜佐木のもとを訪ねようと歩いていると、前方から見覚えのある銀髪が近づいてきていた。
「市丸隊長」
「お、不知火くんや」
三番隊々長市丸ギン、あとりの淹れるお茶と茶菓子を目当てにたびたび十一番隊を訪れる隊長だ。わりと隊士の間では評価が二分される人だが、あとりがこの人をそれなりに慕っているようなので、不知火も彼のことは嫌いではない。
「今行こう思ててん。あとりちゃんとさっき会うてな、顔色悪かったから帰った方がええで云うて、お部屋の前まで見送ったんよ」
「あ、そうなんですね」
確かに昨晩から疲労を滲ませていた。
顔の広い彼女の知り合いたちが次々と混乱に巻き込まれていく状況に、どこか参っていたように思う。あの人は働きすぎなのだ。
「有難うございます、自分が云っても聞いてくれない方なので」
「ちゃんと見といたらなあかんやん、あの子すぐ無茶するで?」
「見ていても飛んで行ってしまうんですよねぇ」
市丸は本当にあとりの件を伝えに来てくれただけのようで、「ほな」と手を振ってきびすを返した。
その後ろ姿を見送っていると、数歩進んだところでくるりと振り返る。
「そういえばな、あとりちゃんにいっつも貰ってるお茶っ葉なくなってん。貰いに行ってもえぇ?」
「いいですよ。今から大丈夫ですか?」
「助かるわァ」
三番隊の茶は不味いと云っていつもあとりから茶葉のお裾分けを貰っているところは見かけていた。不知火自身も何度かあとりに云われて彼にお茶を渡したことがある。
十一番隊に戻ってお茶を市丸に渡し、「おおきに〜」と嬉しそうに帰っていく後ろ姿を見送った。
白い隊長羽織に【三】の文字がるんるんと揺れる様子を、長いこと、見送っていた。
――翌朝。
朽木ルキア処刑当日。
定時に出勤した不知火は、詰所にあとりの姿がないことに気づいて動きを止めた。
昨晩は隊首室に泊まりこんでいたらしい更木が、お昼寝室の方からどかどかと足音を立てながら顔を出す。その背中には副隊長の草鹿やちると、もう一人見覚えのない少女が背負われていた。
亜麻色の髪の毛のいとけない顔立ちをした少女だ。死覇装を着てはいるが、十一番隊にこんな女性隊士はいない。
「あの、更木隊長、澤村三席がいらっしゃらないんですが……、……その背中の少女は……」
「残るは懺罪宮から脱した以上二名、加えて目撃情報から亜麻色の髪の毛の少女、計三名」
「旅禍だ」
自分がつい先日あとりに上げた報告を脳裡に反芻すると同時に、更木はいつも通りの態度で短く答えた。
旅禍。
――旅禍?
その後ろから斑目三席と綾瀬川五席、ついでに平隊士荒巻まで出てくるものだから思考が追いつかなかった。そんな不知火をよそに更木は障子を開け放つ。
「不知火。ちょっくら出てくる」
「……はい?」
この隊長がこうして行動指針を一応伝えるようになったのは、あとりの口うるさい教育の賜物だ。
「捕まってる旅禍を連れ出して処刑を止めるらしい。オメーはあとりを捜してろ」
「いや、……いやいやいや待ってください旅禍を連れ出す? なにを仰っているんですか!?」
「ウルセーな。オメー段々あとりに似てくんな」
「あとりのことは任せたぜ不知火」
「まああとのことはボクたちに任せて」
「ちょっと行ってくるねぎんぎん!」
「副隊長それ市丸隊長とかぶるからやめてっていつも云って……あっ、ちょっと!?」
口々に勝手なことをべらべらと喋るだけ喋り、十一番隊、不知火とあとりを除いた隊長格含む上位席官が全員隊首室を飛び出した。
旅禍の少女を背負って。
残された不知火はぽつんと立ち尽くして、遠ざかっていく隊長たちの霊圧の気配を追う。
――処刑を止めに行く?
正午の執行まではあと四時間弱。どうせ十一番隊は旅禍侵入にまつわる厳戒態勢からは除外を受けているので、隊士の多くは掃除やら警備の当番についている。指示を出す必要もないので、隊長たちがいなくなったことに大きな支障はないが。
「オメーはあとりを捜してろ、って……」
ひとしきり混乱し終えて現状を把握した。
隊長たちが出て行った。処刑を止めるため、旅禍を連れて。処刑を止めるという訴え自体は恐らく問題ない、昨日一日でも隊長同士で処刑の是非を問う論議があったという。
問題は、大問題は、旅禍を連れて行ったということだ。
場合によっては反逆ととられて、他の隊長格による追跡及び捕縛を受ける。
恐らく自分はこの騒動から除かれたのだ。有事の際責任を問われた更木たちが処分された時、せめて十一番隊を支える要員として残ることができるように。
大きく溜め息をついて、隊首室を出た。
あとりの自室に彼女はいなかった。
こうなると昨日の市丸の態度も不自然に思えてくる。大体、早退にしろ欠勤にしろ遅刻にしろ、あとり自身が連絡を寄越さなかったことなどなかった。
いくら体調が悪かったといっても、彼女の性格なら少なくとも不知火か隊長に一言断ってから早退するはずだ。
そこそこ頭の悪い不知火には何が起きているのかなんて判らない。
――だが不穏な空気は感じている。
あとりを捜し回っているうちに、狛村隊長と東仙隊長と思しき卍解が展開された。あの二人掛かりということはあそこで更木が戦っているのだろう。霊圧同士の衝突は斑目や綾瀬川が誰かと交戦しているからかもしれない。
さらには先日牢を抜け出したのち行方不明になっていたかつての部下の阿散井と、六番隊々長朽木白哉と思しき霊圧もぶつかり合っていた。
護廷十三隊の死神同士で戦っている気配に眉を顰める。
突如、重力に重力を加えたような凄まじい霊圧が不知火に膝をつかせた。
「っ……このでたらめな霊圧は確実に澤村三席っ……」
危うく意識を飛ばすところだった。
あとりの霊圧が周囲一帯に襲い掛かり建物の瓦を飛ばす。同時に何かが割れるような音がした。
加圧が消え失せる。
今まで微塵も感じられなかったあとりの霊圧が近いところに揺らめいていることに気づいて、不知火は地面を蹴って走った。何かが割れるような音がしたのは恐らく鬼道による結界だ。
あとりの霊圧が感じられる建物は、不知火が先程目を向けてから見逃した、五番隊の倉庫だった。
存在自体から目を逸らさせるような類の結界が張られていたのだろう。
倉庫の扉には鍵がかかっている。
「澤村三席!! 扉を破壊します、離れてください!!」
怒鳴りつけてから、詠唱破棄の赤火砲を全力で叩きこんだ。
十一番隊では軽視されがちな鬼道だが、場合によっては斬魄刀よりも破壊力が勝ることもあるので不知火は重宝している。
吹き飛んだ扉の残骸を蹴り飛ばしながら倉庫内へ足を踏み入れると、奥の方で地面に倒れているあとりを見つけた。
「澤村三席! 大丈夫ですか!」
「銀爾くん……いま何時!?」
「今ですか? 恐らく正午前――」
閉じこめられた倉庫自体の存在を秘匿する結界に加えて、あとり自身の霊圧を封じる類の縛道、そのうえ両手と両脚を縛られていた彼女の縄を解いていく。
無理やり霊圧を解放して二重の鬼道を打ち破ったらしく、あとりは息を荒げていた。
「あンのくそキツネ隊長ッ、崩点飲ませやがって、おかげで今までぐっすり寝てたわ! 紅鳳が起こしてくれなかったら……!」
「『崩点』!? 強力な麻酔系ですよね?」
「四番隊でもそうそう使わないわよあんな薬っ……くそ、ふらふらする」
くそキツネ隊長ということは市丸にやられたのだろう。いつになく口汚い悪態をつきながら斬魄刀を無造作に掴んだあとりは、膝に手をつきながら立ち上がった。
「澤村三席どこへ? 無茶です、麻酔がまだ……」
「双極の丘へ。――処刑を止める!!」
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