怒っている人は更木隊長の他にもいた。
十二番隊第三席・技術開発局副局長の阿近さんだ。
どうも霊圧を解放したまま藍染に吹っ飛ばされたらしく、その拍子に卍解の紅胡蝶が真っ二つに折れたようなのだ。卍解状態の斬魄刀の破損は通常の技術では直らない。さすがの阿近さんでもどうしようもないとのことだった。
その真っ二つに折れた紅鳳を持ってきた阿近さんは憮然とした表情で腕組みをしている。
「お前、死のうとしただろう」
「……いやそんなことは」
「ほざくな。テメェの義眼はな、一定以上の霊圧を解放しようとしたら検知して自動的に霊圧制御装置の役割を持つようにしてあった。其の装置が破壊されていやがる」
「ちょっと待ってください初耳なんですけど」
「当たり前だ。云ったらお前目玉抉って戦うだろう」
さすがにそこまで自虐趣味はない。
どうやらメンテナンスをすると呼び出されたあの時、麻酔で眠っている間にこっそりやられていたらしい。
「制御を無理やりブチ破った反動で霊圧も殆ど〇に近いところまで落ち込んでるな。暫らくは戻らんだろう。若しかしたら、永遠に此のままかもしれない」
四番隊の診断書と合わせた検診結果を見ながら、阿近さんは表情を変えず淡々と告知した。
なぜか告知されているあたし本人よりも沈痛な雰囲気でいるような気がするのは、悼んでくれているからだろうか。
「そうですか」
返事をしながら、心の中は不思議と凪いでいた。
だって、現世の黒崎でさえ死神の力を喪った。尸魂界側が無傷ではいおしまいとなっていいわけがない。払うべくして払われた犠牲であると考えるべきだろう。
そうか、と思った。
あの時、市丸隊長の薄く開いた目を見て、だめだと思った。
彼が本当は何のために動いていたのか、今となっては確かめるすべもないけれど、彼を治そうと手を伸ばしたあたしを止めたあの視線は雄弁だった。
彼が何十年もかけて欺き続けた何もかものために藍染を斃す、さもなくば止める。命に代えても。
その強い想いで卍解した。本当ならあたしは生きていない筈だし、空座町が吹き飛んでいたってなんらおかしくなかった程度には霊圧を解放したはずだ。
なんで生きているんだろうと思ったら、阿近さんのおかげだったのか。
「紅鳳は、多分大丈夫だと思います。能力が能力ですから、いつか霊力が戻れば。一応形ばかり修復しておいてもらえますか?」
「……云うと思ったぜ。ったく、此のまま使えなくなっちまえばいいんだよ。あんな無茶な能力の卍解、お前みたいなのが持ってたら危なっかしくていけねぇ」
「そこをなんとか、小娘のよしみで」
精一杯しおらしくおねだりをすると、阿近さんは海より深い溜め息をつきながら病室を出ていった。
餞
あたしが床を離れるのを許されたのは目覚めてからさらに二週間後のこと。
体の傷の治りはよかったが、霊圧は阿近さんの見立て通り回復しなかった。まだ少し怠い感じはするがひとまず退院の許可が出たので、今は隊舎で寝起きしている。其の間当然隊務には携わっていないが、銀爾くんがどうにかこうにか踏ん張っているらしい。
漸く外出できるようになった。
隊舎を出て瀞霊廷内で花束を購入し、双極の丘へ向かう。
瀞霊廷の中でも高みに位置するその丘からは、先日の旅禍の侵入に際して瀞霊門に囲われた瀞霊廷と、その向こうに広がる流魂街が遥か彼方霞むまで見渡すことができた。
何処で悼めばいいのかも解らなかった。
だから一番、空に近い此処へ来た。
小さく息を吐きながら立ち尽くす。あの日のことを、あの人の最期を、詳細に思い出すように目を閉じて記憶を遡った。
最後に触れた手。
いつも通りの飄々とした笑顔。でも多分、ちょっと焦っていた。
藍染に斬られたあと、前髪の隙間からこちらを見た眼差し。
その瞬間に至るまでの平和で穏やかな日々、やりとり。藍染に対抗する手段として数えて貰った。何度も救けて貰った。何度も殺し合いを演じた。
信じてもらえていた、筈だ。
最期まで。
凱歌の風が吹く。
すっかり焼け落ちた髪の毛がさわさわと翻る。ここまで短くなったのは初めてで、耳や首筋が寒かった。
「…………」
あの人の志を、あたしは預けて頂けたのだろうか。
「やっぱ此処にいた」
些か疲れたような檜佐木の声が背中にかけられた。
わざわざこんなところまで追ってくるとは思わなかったので、吃驚して振り返る。
「不知火が血相変えてたぞ。隊舎にお前の霊圧がないって」
「あー……」
「まだ自宅療養解けてねぇんだろ? 卯ノ花隊長に怒られるぞ」
「……うん」
小さく肯くと、溜め息をついた檜佐木が横に並んだ。
拍子抜けするほど今までと変わりない空と、流れていく雲と、飛んでゆく鳥を眺める。眼下で忙しく動く瀞霊廷を、各隊の隊舎で駆け回る黒い死覇装の数々を見下ろす。
「お墓を……」
「ん?」
「お墓を、たてようと思うんだけど、どこがいいかなぁ、って……」
悼むことを赦されないひと。
飄々として軽薄で、気まぐれに舌なめずりをする――蛇みたいなひとだった。
例えあの人の本当に守りたかったものを説いたとしても、あの裏切りが引き起こした数々の痛みは消えない。此れからも稀代の反逆者として語り継がれていくあの人の名を、決して刻むことはできなくても、ただ、手を合わせるための場所がほしかった。
「……流魂街がいいかな。ふたりが過ごした場所がいいと思うんだけどね」
「…………」
「あの人が――護りたかった人と、一緒に過ごした場所が……」
その先は、言葉にならなかった。
最期のあの眼を、思い出していた。
あの人の志はあたしが託して頂いた。
だからあたしは一人で死んではいけないし、どれだけの激戦の只中にあっても生き残らなければならない。託された心を託し、預け、受け取り、そうやって生きていかなければならない。
その意志だけは。
砕けぬ刃と折れぬ心を抱いて戦った――最期まで死神であった彼の志だけは、死なせてはならない。
死神として逝った彼に対して、あたしにできるただ一つの餞だ。
流れる涙のひとしずく、頬を伝って下りる。
あたしの気持ちが落ち着いた頃、檜佐木はなんでもないような表情で肩を叩いてきた。
「気ィ済んだかよ。そろそろ不知火が泣くぞ」
「……最近みんな泣き落としが多い気がする……」
「なに云ってんだ。澤村三席が更木隊長に泣き落としかけてウンと云わせたってすげぇ有名になってんぞ」
「誰がそんなことを!」
「京楽隊長」
「…………くっ……」
冬を間近に控えた日差しは柔らかく、双極の丘に吹く凱歌の風は寂しい。
強い風に煽られて花びらが散っていく。抱えていた花束から手を放すと、風に攫われた其れはあっという間に何処かへ飛んでいってしまった。
きびすを返した先で檜佐木が待っている。
戦いの痕を色濃く残し、まだ僅かに痛みの残る心を誰もが堪える今日も――
瀞霊廷の空は、透き通って青い。
<了>
***
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