「お前は尸魂界を三回滅ぼすことのできる霊圧を持っている」


 真央霊術院の入学試験を受け、合格した自信はなくとも全力を出しきって帰宅したその夜、技術開発局副局長を名乗る死神がやってきた。
 額に小さな角をみっつ生やした、黒髪短髪の男性だ。
 尸魂界には色々な種族が生きていることは知っていたものの、こうしてあからさまに『人間』の形ではない魂魄に出会うのは初めてだった。
 阿近という名の彼は開口一番に理解の範疇を越えたことを云って、澤村家を唖然とさせた。

「えぇっと……もう一度お願いします……」

 どうも聞き間違えたようだと思っておずおずと切り出すと、出されたお茶を一口飲んで、阿近副局長は口を開いた。
 顔色ひとつ変わらない。まるで明日の天気でも話すような様子だった。

「澤村あとり。お前には尸魂界を三回滅ぼして余りある程の霊力が宿っている。解放すれば周囲どころか自身の魂魄を焼き尽くす恐れがあるため、現在は無意識的に制限できているのだろう。だが此方としては其の脅威を放置することはできない」
「はあ……」
「いつ爆発して、お前が望む望まないに関わらず世界を滅し飛ばすかも解らない。尸魂界が消滅すれば魂魄の出入りができなくなり、現世がやがて崩壊する。隣接する二つの領域を喪っては虚圏も影響を受けるだろう。即ち――世界の消滅だ」

 話の規模が大きすぎて理解できない。
 あたしの後ろには両親が付き添っていたが、此方も無論ぽかんとしていた。
 阿近副局長は付き添いとして鬼道衆の人をひとり連れてきていたが、この人の方は訳知り顔で粛々と頷いている。

「……済みません、実感が湧かなくて理解できないんですけど、本当にそんなに莫大な霊圧があたしに? 失礼ですけど、計器の故障とかではなく?」
「計器の故障なら一番に疑ったさ。朝っぱらから呼び出されて、テメェが入学試験を受けている裏で喧々諤々の議論もみっちり交わした。その最終的な結論が此れだし、若しもこの見当が的外れだったとすれば上の人間の首がいくつか飛ぶだけで、テメェには影響ないから心配すんな」

 本当に世界の危機に関する話をしているのか疑わしく思えてくる程、彼の表情はぴくりとも動かない。むしろちょっと面倒くさそうにも見えた。

「あの、つまりあたしは……どうなるんでしょう」
「そこが問題だ」

 わざわざ本物の死神が来てそんなことを告知するからには、只事では済まない何かがある筈だ。
 若しかして処分されるのだろうか。その可能性に思い当たって心臓がざわりと騒いだものの、それならばこんな懇切丁寧に説明するまでもなく始末するだろう。まだ何かある。

「意見が真っ二つに割れた。世界を消滅し得る霊力の持ち主などとっとと殺して危険性を排除すべきという意見、そして今現在を以て霊力が暴走したことがないのならば制御できる可能性が無きにしも非ずという意見。後者の意見はつまり、『莫迦でかい霊圧は使いようによっちゃ尸魂界の利益になる』ってことだな」
「…………」
「解るな」

 彼の表情は変わらない。
 それでも、短くあたしに問いかけたその言葉には、どこか痛みを堪えるような響きがあった。

「……つまり、真央霊術院に入学し、あなた方の監視下において霊圧の制御を身につけ、この莫大な霊圧で尸魂界に貢献しろと、そういうことでしょうか」
「ああそうだ。筆記試験の成績が悪くないだけあって理解は早いな」

 ――なにも、云えなかった。
 霊術院合格が確実になったことは喜ばしいのかもしれない。しかし事実上、処刑予備軍の宣告でもあった。

『使いようによっては利益になる』ためこの身を見逃されるということはつまり、『利益にならない場合は排除する』ことと同義だ。

 何と返事をすればいいのか解らず黙り込んだあたしに、阿近副局長は小さく息を吐く。

「破道の六十三」
「え――」
「雷吼炮」

 目の前で雷が爆発した。
 悲鳴を上げる間もなく吹き飛ばされ、痛みに頭を抱えながら顔を上げて愕然とする。
 先刻まであった筈の家が、跡形もなく消し飛んでいた。

 咄嗟に父と母の姿を探す。鬼道衆の人の結界に阻まれて無事でいた。駆け寄ろうとして、自分の指先から紅い炎が立ち上っていることに気づく。

 焔の渦の只中に、あたしは一人で倒れ込んでいた。

 ――此れが。
 まさか此の焔が霊圧?

「縛道の九十九・禁!」

 愕然として思考が止まったその瞬間、恐らくこのために同行していたのだろう、鬼道衆は鋭く叫んで縛道を展開した。焔を切り裂いて現れた術式が十字に折り重なり、焔の中心で倒れているあたしを地面に磔にする。
 阿近副局長が霊圧に煽られながらも駆け寄ってきて、あたしの両腕に太い腕輪のようなものを嵌めた。

「気分は?」
「な、何が何だか解りません……」
「そうか。そりゃよかった」

 よく見ると阿近副局長は体の至るところに裂傷を負っていた。
 最初に起きた爆発で負傷したのか、それともあたしの霊圧の渦に足を踏み入れたことでそうなったのか見当もつかなかったが、その時漸く、此の身に潜む得体の知れない莫大な霊力を自覚したのだった。


 阿近副局長があの時あたしに嵌めたのは即席の霊力制御装置だったらしい。
 一度自覚した霊圧に怯えるあまり、それからは小さな暴走が相次いだ。ある程度のものは制御装置のおかげでどうにかなったものの、真央霊術院の入学式を迎えるその日まで実に六回、阿近副局長から支給される装置を破壊し続けた。

 入学式のその日、霊力を暴走させる度に冷や冷やしながら見守ってくれた両親や、心配してくれたご近所のみんなに別れを告げて、あたしは瀞霊廷へと足を踏み入れた。

 霊術院の前で生徒の視線を浴びながら立っていたのは、最早見慣れた阿近副局長だ。

「どうしたんですか? 入学式の来賓とか?」
「入学祝だ」

 無造作に渡された其れは、質素な意匠の耳環だった。
 四度目の改良の際、制御装置は腕輪から耳環へと形を変えている。いそいそと新しいものをつけて、旧いものは彼に渡した。

「漸くお前の霊子解析が完了した。此れならもう暴走で壊れることもねーだろ。あとはお前次第だ」
「ありがとうございます」
「礼を云うのはまだ早い」

 白衣のポケットに手を突っ込んで、いつも通りの仏頂面であたしを見下ろす。

「お前は此れから一生監視される。霊圧の上下、成績、思想、言動一つに至るまで。隊士須らく護廷に死すべし、護廷に害すれば自ら死すべし――」
「…………」
「何か一つでも護廷に害する可能性僅かでも有りと判断された瞬間、隠密機動がお前を迎えにくる」
「…………」
「礼を云うのはお前が死神として真っ当に一生涯を終えるその時にしろ」

 其れは途方もなく、遠い旅路のように思えた。
 返す言葉もなく沈黙したあたしにふと目元を緩めると、阿近副局長はポケットに突っ込んでいた手を上げて、ぽんと頭の上に乗っけてくる。

「今まで見てきた感じ、お前はただの小娘だ。傷も痛みも知らない。此れから知っていく、ただの死神見習いの小娘だ。――お前が俺と同じ『巣』に送られることがないよう、祈っとくぜ」
「巣……?」

 首を傾げたあたしの呟きには答えず、阿近副局長はくるりと踵を返し、遠ざかってゆきながら右手をひらりと振った。


「入学おめでとう。澤村」



「へぇ、そうだったんですか」

 阿近さんとの出会いを語り聞かせると、銀爾くんはぱちくりと瞬きを繰り返して意外そうな表情をした。

「てっきり檜佐木副隊長との付き合いが一番長いんだと思ってましたけど、阿近三席なんですね」
「付き合いが濃いのは檜佐木だけどね、単純な年数とかお世話になった度合でいうと阿近さんがぶっちぎり一位だなぁ。阿近さんが本当、辛抱強く装置の手入れとか改良とかしてくれて、専属技師みたいなところあるし。入隊の時も卯ノ花隊長に口添えしてくださったおかげで無事に死神になれた」

「口添え?」彼はこてりと首を傾げながら、先程自分で淹れたお茶を飲んでいる。
 その声を背中で聴きながら、執務室の書架に収めてある資料を取り出した。あたしが霊術院に入学してからこちらの五〇年近くにも及ぶ記録なので、両腕で抱えないと持ちきれない。
 銀爾くんの机の上にそれらをどさっと下ろす。

「なんですか、これ……」

 表紙を捲り、銀爾くんが息を呑む。
 内容をぱらぱらと確認して、ざっとその資料の本旨に目を通すと、絶句してあたしを見つめた。

「霊術院に合格して、入学し、護廷隊に入隊し、四番隊、一番隊、十一番隊に異動してきた此れまでの五〇年の、あたしの記録」
「こんなものが!?……今でも毎日!?」
「日常生活、交友関係、思想、言動、霊圧変動値は勿論、治療記録から制御装置の診断記録、諸々。目を通しておきなさい。あたしの右腕として」

 監視が誰によってなされているのかは解らない。
 ただ所属する隊の隊長は定期的に報告書を提出するようだし、この資料の提出者の中には阿近さんの名前もある。あの入学式の日に忠告されたようにあたしは監視され続けてきたし、此れからもそれは変わらない。

「檜佐木副隊長は……こんなものがあることはご存知なんですか」
「さあ、どうだろう。あたしから云ったことは一度もないし、檜佐木の方から訊ねてきたこともないけど」

 情に篤いやつだから、きっと知れば深く傷つくだろう。
 檜佐木の傷つくところは見たくないなぁ。

「十一番隊にいる以上あたしと最も接する時間が多くなるのは銀爾くんでしょう。こういうものがあることを憶えていて。急にあたしがいなくなるかもしれないことを、常に覚悟していて」

 阿近さんがかつて、あんなにもあたしに親身になってくれたこと。
「俺と同じ『巣』に送られることがないよう祈っている」という言葉の意味。
 本人から聴いたことはないけれど、護廷隊に入隊し、隠密機動の組織を理解し、技術開発局設立の記録を辿った時、なんとなく解ってしまった。

「そしてあたしの存在が護廷にとって害となるとあなたが判断した場合、迷わず後ろから刺して、あたしを死神のまま殺して」
「……澤村三席……」

 死神として真っ当に一生涯を終える。
 その言葉の本当の意味も。

「あなたにはその権利と義務がある」




「双極の丘での治療の際に霊圧が急低下した件だが、どうも霊圧制御装置を着けた状態で意図的に霊圧を限界以上まで上げたせいで反動が起き、霊圧を抑え込もうとした結果らしい」
「はあ……?」
「普段のお前なら内部霊圧の回復なんて必要ないが、今回は其れがあったせいで治療が遅れた。そのせいで右眼は潰れた。以上」
「成る程……?」
「で、昨日義眼を入れる手術をしたわけだが、どうだ」

 四番隊の診断結果のカルテと合わせて淡々とそんな告知をしてくる阿近さんを呆然と見上げて、とりあえず何を云われたのかよく解らなかったので、最後の質問にだけ答えた。

「思ったより違和感ないです」

「異常なしと」カルテに書き込みながら呟く阿近さんの目の下にはくっきりと隈がある。
 重傷を負ったとはいえ、みんながてんてこ舞いになって働いている中、四番隊で療養しているのがなんだか申し訳なかった。

「阿近さん此れ、この目、変な機能とかついてませんよね?」
「お、よく気づいたな。蟀谷の釦を押すと目からビームが出るぞ」
「嘘でしょおおお!?」
「嘘だ」

 どこまでも真顔で阿近さんはしれっと嘯く。
 念のため蟀谷を触ってみたけど、確かに釦らしきものはなさそうだった。一安心。

「……重傷患者をからかって遊ぶのはやめてもらえませんかね……」
「慣れてんだろ、重傷」

 云い返せないのが悔しい。
 重傷を負う度に霊圧測定や霊子解析のためにつきっきりになる人なので、護廷十三隊であたしについて最も詳しいのは阿近さんと云っても間違いはない。

「ま、今回のは霊圧低下の暴走だからな、これだけ瀞霊廷もバタバタしてりゃたいした問題にはならねーだろ。四十六室も丁度よく全滅してることだし」
「丁度よくって。……いつも済みません。ありがとうございます」
「礼を云うのは――」

 呆れ交じりに口を開いた彼の声に被せた。

「『お前が死神として真っ当に一生涯を終えるその時にしろ』でしたっけ」
「……解ってんじゃねーか」
「長い付き合いですからねー」

 ふふふと笑いながら寝台に倒れ込み、布団を顎の下まで引き上げる。用事は終わったのだろう、阿近さんはカルテを脇に挟んで白衣を翻した。

「でも、阿近さんのおかげで死神として此処に立っていられるのも事実ですから、やっぱりありがとうございます」
「……俺ァお前に可能性を提示しただけで、択んだのはお前だ」

 ひねくれ者め。
 掛布団の下であたしが零した小さな笑いはすっかり無視して、阿近さんはひらりと右手を振りながら病室を出て行った。


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