命ある限り立つ
刃煌めく限り戦う
立ち上がる限り歩く
道さえなくとも


様で何が悪い


第三部、蛇と餞







「十一番隊第三席澤村あとり、山本総隊長令により本日付で三番隊副隊長補佐官に臨時配属を受けました。正式に隊長代行権限が下ろされる迄の短い間ではございますが、どうぞ宜しくお願い致します」


 三番隊々舎の一室にて、副隊長と差し向かい頭を下げる。
 なにか云いたげにむず痒そうな表情になったイヅルくんだったが、やがてきゅっと唇を引き結ぶと、「此方こそ」と畳に手をついた。

「澤村三席に御助力頂きますことたいへん頼もしく思います。できるだけ早く十一番隊にお返しできるよう尽力しますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます」

 内々の任官式ではあるが、十一番隊から一角と、三番隊から戸隠三席が同席している。今日から彼の部下になるとはいえ気心知れた仲であることに違いはないので、上目遣いにイヅルくんを見た。

「……一応ここではイヅルくんが上官になるんだから、敬語じゃなくてもいいのよ、別に」
「いや流石にそういう訳にもいかないですよ!」
「あはは」

 下げ合っていた頭を一緒に上げて二人でちょっと笑いあうと、緊張に強張っていたイヅルくんの雰囲気がいくらか和らいだ。
 顔色はやはり悪いが、彼の場合はこれがいつも通りのことなのかここ最近の問題ゆえなのかいまいち解りにくい。

「ハッ……吉良副隊長と呼んだ方が宜しいでしょうか?」
「わざとらしく『ハッ』とか云わないでください澤村先輩、普通でいいです、普通で」


 藍染惣右介・市丸ギン・東仙要の三名による反乱から二週間が経過した。

 抜けた三人の隊長の穴を埋めるため、護廷十三隊の人事は多少変則的なものになっている。あたしの三番隊臨時配属もそのためで、市丸隊長の業務を引き継ぎ、暫定的に三番隊々長の業務を請け負うことになっていた。
 といってもイヅルくんは真央霊術院の卒業時の成績はいい方だし、副隊長としての評価も悪くない。現在の副隊長の中では経験が浅い方だが能力は高いので、むしろ十一番隊にいた時よりも仕事量が減ったような気がする。

 三番隊は旅禍侵入に際しての被害もそう大きな方ではなかったので、あたしが赴任した時にはもう殆ど通常通りの隊務に戻っていた。



 空いた時間を利用して訪れたのは、反乱後の捜査もひと段落した三番隊々首室だ。
 資料になりそうなものがごっそり持ち出されてがらんとしているが、捜査に関係なかったものはそのまま残っている。詰所の喧騒もどこか遠く静まり返ったその部屋で、窓から差し込む夕日を浴びながら、抽斗や棚の中を物色した。

 ――処刑の前日、市丸隊長にお会いしたんです。
 ――いつも通りお茶っ葉がほしいと仰るから、俺、いつも通りに包んでお渡ししました……。
 ――あれが、最後だなんて。


「……ないなぁ」

 銀爾くんが市丸隊長に渡したという、茶葉。
 三番隊の給湯室と、隊長の執務室は既に捜してみた。あと置いてあるとしたら隊首室だろうと思ったのだが今のところ見当たらない。あんなお茶っ葉、捜査のために持って行ったりはしないだろうし。

「……まさか持って行ったのかな……」

 小さく嘆息して椅子に腰かける。
 背凭れに体を預けて、殺風景な室内を見渡した。

 すっかり傷の癒えた右手首を見下ろす。
 あの日、双極の丘で、あの人は反膜に包まれた藍染を引きずり下ろすために卍解しようとしたあたしを止めた。
 斬魄刀の刃の感触を思い出して掌を握りしめる。

 本当はもう、市丸『隊長』と呼ぶことも許されない人。

 隊長の私物やあたしの持ち込んだ資料類でごちゃごちゃしていた十一番隊とは違って、この部屋にはあまりにも物が少ない。十一番隊の隊首室はあたしや一角たちが居座るので雑然としていたものだけれど、三番隊ではそういったことは殆どなかったそうだ。
 副官たるイヅルくんさえこの部屋にはあまり入らなかったらしい。
 ……そもそも市丸隊長が基本的に隊舎におらず、方々で遊び回っていたということもあるが。

 今こうして市丸隊長の仕事場に来てみても、あの人に近づけているような気はしない。


あかんよ。あとりちゃん

お大事にしや



 瞼を閉じる度にその言葉を反芻してしまう。
 さらりと揺れる銀髪、朗らかに笑んだ糸目、頭を撫でる不器用な手つき。まるで恋みたいだ。笑えない冗談を胸の裡で零し、膝を抱えた。
 恋なんて生易しい感情じゃない。
 何も残さず此処を離れていったくせに、人の心にはしつこいほど棲みついて、本当に厄介な人。大体、いつもいつもへらへら笑って、ルキアには意地悪をして、乱菊さんのことではいつだって知らぬふりを貫いて、そのくせあたしのことは猫可愛がりして――

 ちりっと胸に違和感を憶えた。
 ルキアと、乱菊さんと、あたし。

 あの人は幼い頃ともに過ごした乱菊さんを遠ざけて、ルキアに警戒心を抱かせて、あたしを手懐けた。

 急速に思考が巡り始める。考えすぎかもしれなくてもいい。これでも勘は悪くない。
 市丸隊長があたしを倉庫に閉じ込めて卍解を止めた意味。
 ……単なる裏切り、反逆と云ってしまえばそれまでだし、あの人の気まぐれだったかもしれないけれど、そんな意味のないことをする必要がどこにある。
 藍染の「始末せよ」の命に逆らってまで、あたしを残しておくべきだと判断したのだ、あの人は。

 あの日双極の丘で朦朧としながら市丸隊長一発ぶん殴ると決めはしたが、その前に訊かなければならないこともできたようだ。

 段々と思考の沼に嵌まりはじめていたが、近づいてくる人の気配を感じて入り口に視線を向けた。
 静かに障子を開けたのはイヅルくんだ。
 入室前からあたしが其方をじっと見つめていたことに気づいてちょっとびくっとしている。

「あ……」
「……御免。なにかあった?」

 市丸隊長の痕跡などひとつも残っていない部屋の中でひとり膝を抱えるあたしに、イヅルくんはほんの少し苦しそうに微笑んだ。

 反乱から二週間。
 体の傷はいくら癒えても、心の傷を癒すには短すぎる。
 今のあたしたちは、確かな裏切りに抉られた傷口を薄絹で覆い隠して、見えないふりをして、平気なふりをして、そうやって無理やり笑い合っているだけだった。

「いえ。その……檜佐木先輩がこれからみんなで飲まないかと誘いに来られたので、澤村先輩もどうかと思って」
「いいね。行く」

 椅子から下りてイヅルくんの方へ向かう。
 一度室内を振り返ってから障子を閉め、どこか名残惜しい気持ちできびすを返した。

「……虚圏にもお湯はあるのかしら」
「はい?」
「銀爾くんがあの人にお茶っ葉を分けてあげたらしいの。何処かに置いてあるなら使わないとと思って捜したんだけど見つからないから、わざわざ向こうに持って行ったのかなって」

 大逆の罪人。稀代の裏切り者。確かにそうだが、彼と築いたあたたかな思い出もまた、確かだったと信じたかった。
 十一番隊のお茶が一番美味しいと笑ってくれた、会えば挨拶してくれた、いつもお茶菓子目当てにわざわざ手ずから書類を持ってきた、怪我を案じて頭を撫でてくれた、一緒に甘味巡りをした、始末しろと云われたにも関わらずそうせずに救けようとしてくれた。

 飄々として軽薄で、気まぐれに舌なめずりをする――蛇みたいな人。

 イヅルくんは眉を下げて嘆息した。

「……十一番隊のお茶、大好きでしたからね」
「向こうにはお茶請けもないだろうからねぇ。いい気味だわ」
「ははっ……そうですね」

 あの日々まで全くの虚実だったなんて、信じたくなかった。


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