『一護か?……俺だ』

『お前に会いたいという人と今一緒にいる』

『空座駅前の喫茶店にいるから、よかったら来てくれ』

「おいチャド待っ……、……切れた」


合縁奇縁




「や」
「あとりサン!?」

 日当たりのいい席でホットコーヒーを飲みながら片手を上げると、萱草色の髪をした十六歳の少年は、きょとんと眼を丸くして素っ頓狂な声を上げた。

 虚圏侵攻及び空座町決戦からひと月と少し。
 現世の季節は秋。

 仕立てのいいワンピースに慣れないせいで居心地悪く身じろぎながらも、黒崎の威勢のいい反応にちょっと笑った。彼が来るということで隣の席に移動した茶渡くんと顔を見合わせる。
 黒崎は目をゴシゴシ擦りながらしつこく驚愕していた。

「えっ、な……な……なんで俺にも見えてんだ!?」
「落ち着きなさいよ。義骸に入ってるに決まってるでしょ。見えないのこのワンピース」

 藍染との最後の戦いで死神の力を失った黒崎には霊圧も殆ど残っておらず、現世の人間としては異例なほど強かった霊感も今ではサッパリらしい。死神であるあたしが見えることに混乱していたが、ややあって「それもそうか……」と納得して肯いた。
 いつまで経っても立ち尽くしている彼に、目の前の席を指さす。

「まあ座りなさいな。お姉さんの奢りだから」
「え、あ、お邪魔します……てかチャドお前平然としてんなよな」

 あたしの隣でのんびりとジュースを飲んでいた彼を見て、黒崎は呆れたような表情になった。
 茶渡くんは右手に鍵を示す。

「部屋の鍵を返しに来てくれたんだ」
「ああ、そういやルキアがそんなこと云ってたな」
「前から思ってたんだけどチャドってあだ名? 呼びやすくていいわね」

「ム」こくりと肯いた茶渡くんはそれきり沈黙してしまった。
 手を挙げて店員を呼んだ黒崎はしかめっ面でコーラを頼んでいる。それから頬杖をつくと、心底わけがわからないといった表情で「で?」とあたしを見つめた。

「アッチの方はいいのかよ」
「ええ。後処理なんかがあってみんな大変だったみたいだけど、なんとか元通りになってきたわ。あの戦闘に参加した死神もあたしを除いて全員復帰したし」
「……あとりサン以外?」

 ぎゅっと眉間に皺を寄せる。
 まだ若いのに、今からそんな風にしてたら癖がついちゃうぞ。日番谷隊長みたいに。
 今頃向こうで忙しくしているであろう人の顔を思い浮かべながら肩を竦めた。

「黒崎が到着する直前にね、ちょっと無茶な卍解をしたみたいで、あれから霊圧が全然戻らないの。斬魄刀の始解もできなくなっちゃったから復帰できなくて。まあ元々十一番隊には事務作業をするために配属になったようなところもあるし日常業務に問題はなかったんだけど、更木隊長から無理やり休暇届渡されちゃって、いま有給消化中」
「有給とかあんのかよ!」
「あるよ。――で、怪我は治ったけどやることもないし、どうせだから茶渡くんに鍵を返しがてら、空座町の経過観察名目で現世に旅行に来てみました」

「旅行……」なんともいえない顔になった黒崎の前にコーラが運ばれてきた。

 本当は、黒崎に会うかどうか迷った。
 総隊長からは特に接触を禁止されなかったが、死神の力を失った黒崎にのこのこ会いに行くのも無神経かと思ったのだ。あたしの霊圧は死神として誰かが払うべき犠牲であっただろうが、現世に生きる黒崎にとっては、もしかしたら理不尽な代償だったかもしれない。

 だが茶渡くんが後押ししてくれた。
 あの時空座町に駆けつけた黒崎は、解放した自身の霊圧で燃えるあたしを見ている。怪我人のうちで最後まで目覚めなかったのがあたしだと聴いて心配していたからどうか会ってやってくれと、あの静かな双眸で見つめられて決心がついた。

「……霊圧戻らなかったらどーすんだ?」
「死神以外にも色々仕事はあるから。どうにでもなるよ」
「そっか」

 コーヒーはすっかり冷えてしまっている。
 窓の外に視線をやると、自分たちが尸魂界の恐ろしい陰謀に巻き込まれたことも知らない現世の人々が、忙しなく行き交っていた。


「藍染は――」


 気付いたら勝手に口から言葉が零れ落ちていた。
 尸魂界の誰にも、話すことができない想いだ。

「百万回死刑になってもなお許されざる大罪を犯した稀代の反逆者だけれど……、とても、可哀想なひとだったと、あたしは思う」

 黒崎が息を呑む。
 藍染惣右介。大逆の罪人。その名は尸魂界の歴史に永劫刻まれる。彼自身は気が遠くなるほどの長い時間を監獄で過ごすことになるだろう。霊王を弑逆し自らが神になるなどという唾棄すべき野心を抱き、ルキアを巻き込んで多くの血を流し、そら恐ろしいほどの姦計を以て混沌を招いた。

「もしも浦原さんがもっと早くに出会って叡智を競い合えていたら。もしもあたしがもっと早くに出会って莫大な霊圧を競い合えていたら。……なんて、考えても仕方ないんだけどね」

 決して赦されてはいけない人だ。
 でも、それでも。視線をコーヒーの黒い水面に落とすと、黒崎はどこか辛そうに目を伏せて静かにうけがう。

「……俺もそう思うよ」

 藍染は孤独だった。
 幼い頃から莫大な霊圧を身に宿し、他人の五感を支配する斬魄刀を持ち、穎悟で頭が良かった。自分以外の人を自在に絡繰ることのできた彼はそれゆえ常に孤独だった。いつだって、対等な相手を求めていたように思う。
 四番隊で療養しながらずっと考えていたことだ。
 これを話したのは今日が初めてだった。

 藍染はあたしのこの霊力や斬魄刀が彼の能力を打ち破る可能性のあるものと認めた。厄介な存在として排除しようとしてきたが、もしも蝶の羽ばたき一つほどの差異があれば或いは、市丸隊長や東仙隊長とともに、大切な人たちを裏切った過去があったかもしれない。
 もしも。

「傍に檜佐木たちがいなければ、あたしはあちら側にいたかもしれない」

 年端もいかない子どもたちに何を云っているのだろう。
 どうにか誤魔化そうと口を開いたが、それより先に黒崎は顔を顰めて「ねーよ!」ときっぱり吐き捨てる。

「ねーだろ。あとりサンが向こう側とか。絶対ないな! そうだろチャド」
「ああ。ないな」
「まあ……あたしも云いながら『いやねーな』って思ったけど。それなりに戦って時間稼いで藍染と話もしたけど、徹頭徹尾あの人の云うこと意味わかんなかったしね」

「じゃー何で云ったんだよ!」尸魂界の仲間たちを彷彿とさせる黒崎の鋭い突っ込みにふと顔を綻ばせると、彼の眉間の皺もちょっと緩んだ。

「……あとりサンにお礼が云いたかったんだよ。会いにきてくれてよかった」
「お礼?」
「ああ。あの時あとりさんが空座町で藍染から守ってくれたやつら、俺のツレなんだ。あとりさんが何度も何度も助けてくれた、あの人いなかったら死んでたかもって云ってたから……ありがとな」

 あの時ケイゴと呼ばれていた少年たちのことだろう。
 酷い巻き込み方をしてしまった彼らには洗いざらい、死神のことも含めて事情が説明されたという風に聴いている。

「友人の友人を助けるのは当然のことでしょ。お礼を云われるようなことなんてしてないわ」
「それでもだよ」

 前とは逆だな。
 彼らが旅禍として瀞霊廷に侵入してきて、一応ことが落ち着いた頃、黒崎に対してお礼を云ったことがある。

 あの頃に比べてずいぶんと大人びた表情をするようになった、たった十六歳の少年に、なんだかくすぐったい気持ちになった。

「……解った。受け取っておく」
「おう」

 あたしと黒崎のやりとりを穏やかな表情で眺めていた茶渡くんは、会話に一区切りついたのをみて口を開く。

「あとりさんはいつまで現世にいるんだ?」
「暫らくいるわ。とりあえず茶渡くんのところに来たけど、今から浦原商店に向かおうと思ってる」
「浦原さんトコ? そりゃまた何で」
「夜一さんに隠密歩法を習おうかと思って。とりあえず朽木隊長に瞬歩鬼ごっこで勝つのが当面の目標なの」
「あとりさん常識人だと思ってたけどやっぱ何だかんだいってまともじゃねーよな」

 失礼な。
 とはいえこういう歯に衣着せぬ物言いは十一番隊の荒くれ者たちに似たものがある。黒崎が死んで尸魂界に来たら、いの一番に十一番隊に勧誘しにいこうと思った。
 更木隊長は喜ぶだろうな。
 人間の彼らにとっては死ぬまでの時間は長いだろうが、死神として生きるあたしたちからしてみれば、きっとあっという間だ。

 財布の中から現世の紙幣を取り出してテーブルの上に置き、鞄を肩にかけて立ち上がる。

「じゃあね。あ、浦原さんに断られたら茶渡くんのとこ行くから」
「……前も云ったんですけどあとりさん、男の家に転がり込むのは」
「ん、ちょっと今日、耳の調子悪いみたい」
「唐突だな!!」

 腰を浮かした少年二人の見送りを受けて、ひらりと右手を振った。

 現世空座町の雑踏に足を踏み入れると、どこからともなく紅色の揚羽蝶がひとひら、緩やかな軌跡を描きながら飛んできた。
 薄い雲のたなびく秋空に吸い込まれていく『彼女』を、口元を緩めて見送る。


 今日も現世の空は青い。
 瀞霊廷の空と同じように。


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