刮目せよ


様で何が悪い


第四部、確固不抜




 現世の夜は明るい。

 一軒のアパートの脇に聳える街灯の下に立ち、あたしはぼんやりと夜空を見上げていた。尸魂界には現世のような電力供給がないから夜の灯かりといえば大体が松明や行燈だ。霊子エネルギーを変換して電力を作る技術もあるが、そういうものが必要なのは技術開発局くらい。

 空座町の夜の帳には針で刺したような星々が浮かんでいる。
 星の数をかぞえるのにも飽いたので、小さく息を吐いてから視線を落とした。

 技術開発局特製の義骸。身体にぴたりと吸いつくようなAラインワンピースは、あけぼの色の上品な仕立て。鮭の切り身みたいな色ですね刺身が食べたくなりました、と褒めたら阿近さんに思いっきり殴られた。
 義骸にもだいぶん慣れたな、と思う。

 遠くから近付いてきていた霊圧は、ようやく足音が聞こえる範囲にまでやってきた。
 こつ、こつ、と革靴が地面を蹴る。ゆったりとした歩幅だ。街灯の下に立つあたしの気配に気づいてやや速度を落とす。しかし彼の住むアパートの外階段はあたしよりも手前にあるので、知らないふりをすることにしたようだ。
 かん、かん、と古びた階段をひとつずつ上がってゆく。

 あたしは足音も気配も消したままそのあとを追った。十七や十八の男の子に気取られるほど生半可な鍛え方はしていない。
 しかし彼のほうも生半可な戦士ではなかった。
 あたしが動くことで揺れる大気でも感じたかのように振り返る。彼がこちらの正体を確信するより先に距離を詰めて、今まさに開けられようとしていたドアを蹴りつけた。
 ワンピースの裾が翻り、ドアノブの下まで振り上げた脚が露出した。これだから現世の服は心許なくて嫌なのだ、スカートは特に。

「妙なお店に出入りしている、悪い子はだぁれ?」

 微笑みながら、闇夜に紛れる褐色の膚を見上げる。
 彼は前髪の隙間から覗く思慮深い眸に微かな驚きを浮かべた。

「……あとりさん……!」


嚆矢濫觴




 一昨日のことである。


 ──初代死神代行・銀城空吾が、現世組『元』死神代行・黒崎一護に接触した。


 この報を受けて護廷十三隊・山本元柳斎重國総隊長は臨時隊首会を招集。

 初代死神代行が姿を晦ましたのは十数年前のこと。以後、各地で死神を殺して逃げ続ける銀城空吾が、尸魂界への叛意を抱いていることは明らかだった。
 もし彼の次にも死神代行が現れたなら、遠からず銀城が接触する筈である。その際には、新たな死神代行は銀城の居所を突き止めるための撒き餌として利用し、然る後に両者とも抹殺すべし。
 それが銀城失踪当時からの隊長格の大勢であった。

 だが臨時隊首会は、もともとの方針とは異なる方向性に転んだという。

「現世出張、ですか」

 あの戦いから十七ヶ月。
 焼け落ちた髪はそこそこ伸び、枯渇しかけていた霊力もすっかり元通り。卍解状態で破損した斬魄刀『紅鳳』は、あたしの霊圧が一定のところまで戻ったある日、まるで「折れた」過去などなかったかのように一振りの刀として息を吹き返した。
 涅隊長に「興味深い現象だネ……」とか言われて死ぬほど焦ったが、更木隊長を盾にして逃げ回ったおかげで実験体にはならずに済んだ。
 閑話休題───

 初代死神代行の出現を受けて招集された隊首会に渋々出席した更木隊長は、欠伸交じりに「オウ」と頷く。

「なんだっけな……話が長くてよく憶えてねぇけどよ」
「イヤイヤイヤそこはちゃんと聞いてきてくださいよ」

 隊首会の話のなかで「澤村を現世に出張させよう」という話になったらしいのだが、肝心な内容についてはこの有様。
 まあ更木隊長に戦闘以外の頼り甲斐を求めてもいないので、問題ないといえば問題ないのだけれど。

 日番谷隊長に訊いてこよう。あの人なら教えてくれる。
 そう考えたのをまるで見計らったかのように、一番隊から出張命令書が届けられた。総隊長令である。要約すると『現世死神代行・黒崎一護の動向を見てこい』『ついでに浦原喜助と接触してこい』の二点だった。
 現世出張や内容に異論があるわけではない、のだが。

「……なぜルキアや恋次ではなくあたしなんでしょう?」

 こてりと首を傾げると、話を聞きつけて命令書を覗き込みにやってきていた一角が欠伸を零した。

「あいつらじゃ正直すぎてボロが出るからじゃねぇの」
「…………」

 然もありなん。



 その後、阿近さんにお願いして義骸の手配をしてもらい、現世へ向かうための霊圧の封印と限定霊印を施した。三度目ともなれば手続きも慣れたものである。
 銀城側にこの動きがばれては元も子もない。念には念を入れて、霊圧を完全に遮断する隠密機能つきの義骸を超特急で準備してもらうことになった。以前に回収された、浦原店長製のルキアの義骸を解析して得た技術だ。
 加えて当然のように今回も斬魄刀は尸魂界に置いてゆく。見事な丸腰になってしまうので、頼れる部下の不知火銀爾くんを先行させることにした。

 それから──


「『現世異能管理局』?」

 取り寄せた資料を眺めるあたしの背後から一角が顔を出す。
 道場で一通り暴れ回ったあとなのだろう、汗のにおいと熱気がびしばし伝わってきたのでつるつる頭を掴んで遠くへ押しやった。暑苦しい。

「んなもんあったのか」
「現世の管轄だから尸魂界とは殆ど関わりがないけどね。現世組の能力がどうなっているのか、ちょっと気になって」
「相変わらず仕事熱心なこって。あ〜動いた動いた。あとり、茶」
「執務室は一角の休憩室じゃないしあたしは一角の召使いじゃない」
「へーへー。言っただけ。で、その現世なんたら局がどうしたよ」

 異能管理局ね。
 その名の通り現世に生きる人間のうち、特異能力を持つ人々を管理する部署だ。といっても能力者に接触することはなく、本当に管理・監視するだけ。数年前まで現世の虚を滅していたことで死神と対立していた『滅却師』も対象に入っている。

「井上織姫、石田雨竜……現世のヤツらじゃねーか」
「空座町付近に所在が確認されている人の資料をお願いしたんだけどね。あたしが銀城空吾で、黒崎を利用しようと思ったらどうするのが手っ取り早いかって考えてみた。ビンゴだわ」


 茶渡泰虎。
 登録名『巨人の右腕』。
 ここ数ヶ月、謎の団体“XCUTION”に出入りしている。


 その団体のメンバーというのがまた錚々たる顔触れだった。全員が異能管理局の観察対象なのだ。
 彼ら自身が『完現術』と称しているらしいその力は、母親が虚に襲われて傷を負ったことで子に発現する後天的な遺伝子変異のようなもので、世界的にも一定の症例が見られる。

「黒崎の身内を引き込んで信用させるのが近道よね。いくら元死神代行でも、すごい力を持っていても、まだ十七や十八の子どもなんだから」
「……お前ってたまに発想が悪役だな」
「図太く生きてますからねぇ」



 そんな彼はなんの疑いもなく、わたしを部屋に招き入れた。
 現世派遣でお世話になったときと殆ど変わらない、殺風景な部屋。

「びっくりしたわよ。久々に休暇を取って現世に来てみれば、おかしな結界の張られた空間ができているし、茶渡くんがそこから出てくるし。怪しい大人に誑かされたんじゃないかと気が気じゃなかったわ」

 ──ということにしておいた。
 実際、空座町付近に、前回来たときには存在しなかった筈の妙な結界空間がある。茶渡くんがそこから出てきたのも事実だ。
 小さな卓袱台にお茶を出してくれた茶渡くんは「子ども扱い……」とでも思っていそうな顔になった。

「本当に、酷いことをされているとか、お金を毟り取られているとか、幸福の壺を買わされているとか、そういうんじゃないのね?」
「あとりさんは俺を何歳だと思っているんですか……」

 死神にしてみれば十七や十八なんて子どもどころか赤子同然だ。
 薄目に微笑んで返すと、茶渡くんは押し黙った。以前にも似たやりとりをしたことを、互いに思い出していた。

「……詳しいことは、口外できないですが」

 茶渡くんはやがて、そう前置きしたうえで静かに語った。
 あたしが純粋に心配して声をかけに来たわけではないことを察して……ではなく、単純にお世話になっている『彼ら』の立場を考慮してのことらしい。

「一護は、いつか必ず、戦う力を取り戻します」
「黒崎が?……どうやって?」
「わかりません。でも、そういう奴なんです」

 不思議と納得できる科白だった。
 確かに、そうだ。黒崎は「そういう奴」だ。
 付き合いの深くないあたしにだって解る、彼の本質にほど近い衝動──「この手でみんなを守りたい」という強烈な意志。或いは、本能。
 ふと、日番谷先遣隊としてこの地にやってきた折に見た、黒崎と茶渡くんのすれ違いを思い出した。

「そのときが来たら絶対に、今度こそ、一護の足手まといになりたくない」

 茶渡くんは強く、強く右手を握りしめる。
 ……これはどうやら、黒崎に対する想いを銀城に利用された、と見ていいのだろうな。この性根の真っ直ぐな少年にその自覚があるかどうか、解らないけれど。
 案外、利用されていることすら利用してやろうと考えているとか?

「あとりさんの霊力は戻ったんですか?」
「ええそれは恙なく。現世に来るに当たってほとんど霊圧を限定されているから解らないかもしれないけど」

 茶渡くんは納得したように頷いた。それで姿が見えるまで気付けなかったのか、と。

「一護の力も、時が経てば戻るものなんでしょうか」
「いや……あたしと黒崎じゃあ、元々の体のつくりや過ごす環境が違うから。もし同じ類いの霊力喪失だったら、阿近さんや浦原さんがそう言ってくれるはずよ。そうでなかったということはつまり、そういうこと」
「……そうですか」

 少し気落ちした様子の彼と、現世組の最近の様子や学校生活など他愛無い話をして、あたしは茶渡くんの住むアパートを辞去した。
 音も立てずに階段を下り、彼の部屋のドアを振り仰ぐ。

「“XCUTION”ね……」



 あまり善良な少年を弄ばないでほしいものだ。
 彼らがそう弱くないことも身を以て知っているけれど、それでも。




***
! 現世異能管理局は創作です。

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