「お待ちしていました。澤村サン」

 茶渡くんの家を出て、月明かりの下をふらふらと散歩すること小一時間。
 浦原商店の店主は、半分だけ上げられたシャッターの前で待っていた。

「待ち構えているということは、余計な前置きは必要ありませんね?」
「勿論っスよ。けどまあどうぞ上がって。温かいお茶でよろしいですか? 貴女に見せたいモノもあるんですよ」

 人を喰ったような笑みを浮かべた彼が、手にした扇子で店の中を指す。
 正直なところ未だにこの浦原喜助という人が苦手なあたしとしては、現状に探りを入れて早々にお暇したかったのだが、どうやらそうも言っていられないようだ。
 僅かばかりの抵抗として小さく溜め息をつき、古びたシャッターを潜った。

 案内された客間には一振りの刀が置いてあった。
 全体を透明な板で覆われた、浅打にも似た刀だ。あたしたちの感覚でいえば刀とは即ち斬魄刀を意味するわけだが、この刀には誰かの霊力が通っているように見えない。
 これが浦原店長の「見せたいモノ」。
 ははぁと合点がいったので、差し出された玉露を一口頂いて、浦原店長を見やる。

「黒崎の力を取り戻す算段がついているというなら好都合です。早急に調整を済ませて、尸魂界に顔を出してください。此方も今後の対応を決定しておきます」
「流石。見ただけでわかっちゃいました?」
「貴方の技術力の高さについては阿近さんから教わりましたので」

 死神代行とは、現世に生きる人間が死神の力を手に入れたときに与えられる役職名だ。
 つまり死神が人間に対して霊力を譲渡することは、重罪だが、無くはない事例である。『死神代行』という名称も、重罪だという判定も、前例があるからこそのもの。


 黒崎の場合は元々人間離れした霊感を持っていて、死神代行の器としての適性が高かった。それがルキアから霊力を与えられたことで、強大な斬魄刀を有する死神代行となったのだ。

 器として適性が高いなら、空っぽになった器にもう一度、霊力を流し込めば。


 技術的なところは委細不明だが発想は理解できる。そして目の前にいる浦原喜助という男は、それを可能にする天才だ。
 なにせあの藍染を封印した男。

「……真っ先に貴女が派遣されてきたということは、尸魂界も対応を決めかねているということでしょうかね?」
「以前は銀城諸共抹殺すべしという意見が大勢だったようですが、あたしの現世派遣に関しては大きな反対はなかったようです。少なくとも、比較的容赦のないほうの隊長格ですら、しばらくは様子を見ていいと考えている。そもそも彼の功績や人柄を思えばこの期に及んで黒崎を処分せよと厚かましく主張できるような隊長もいないでしょう」

 我々はあの少年に対して、大きな大きな借りがある。
 それこそ人間の一生を以てしても返しきれないほどの大恩だ。護廷十三隊は、長い歴史に比例する負の側面も色濃いが、報恩の念を蔑ろにするような組織ではない。
 それに。


「縦しんばそのような意見があったとしても、『友人』を殺させはしませんよ」


 浦原店長は口の端だけで笑い、帽子を下げて目元を隠した。

「それは全く、心強い」


虚静恬淡




「銀爾くーん?」

 夜も遅いし泊まっていけばよろしいのに、という申し出を丁重に謝絶し、浦原商店から少し離れたところで辺りを見渡した。
 微かな土煙を上げながら、音もなく銀爾くんが現れる。

「お呼びですか」
「うん、用は済んだから尸魂界に帰ろう。銀爾くんのほうは何事もなかった?」
「はい。黒崎は自宅にいるようです。……彼、本当に霊圧を失ったんですね」

 黒崎医院を外から見上げると自室に明かりがついていたが、霊圧としては感知できなかったらしい。当然、外にいる銀爾くんに黒崎が気付くこともなかった。
 代わりに、妹のほうが気配を察知してカーテンを開けたので、慌てて屋根に上がったとか。

 少し気落ちした様子の銀爾くんに解錠を促すと、彼はハッと顔を上げた。

「すみません、澤村三席、もう少し待って頂いてもよろしいですか。俺、買い物を頼まれているんです」
「買い物? 誰に頼まれたの、そんなもの」
「檜佐木副隊長から、『ばいくの燃料』とかいうものを」
「解錠」


***



 朝になって現世出張の報告を総隊長に上げた帰り、九番隊の前で檜佐木を見つけた。
 部下らしき女死神数名に囲まれてへらへらと笑っている。硬派っぽく見せかけておいてわりと女好きなのはいい加減身に染みているのでそれはどうでもいいし、普段なら軽く手を上げて挨拶するだけで通り過ぎるのだけれど、今日はそういうわけにいかなかった。

「お疲れさまです、檜佐木副隊長」

 ニッコリ笑って声をかけると、女性陣はあたしを見て「澤村三席」と目を丸くした。
 そして当の檜佐木はというと口の端を引き攣らせている。

「なんだよその不気味な笑顔は」
「あらお言葉ですね。愛想をよくして何が悪いというのでしょうか。檜佐木副隊長」

 何か嫌な予感があるらしい檜佐木は二の腕辺りを擦りはじめた。

「その慇懃無礼な敬語もやめろよ気色悪り───」

 あたしはニコニコ笑顔のままその手首をとり、檜佐木に抵抗の暇も与えず基本に忠実に小手を返した。なんにも構えていなかった檜佐木の体が半回転し、爪先がきれいに宙を舞う。
 受け身も取らなかった腕をとり、腕拉ぎ十字固めで地面に引き倒した。

「いででででっ、なに、何なんだよ!!」
「バイクの燃料を買ってこいですって? なに人の可愛い部下をパシッてんのよ」
「すみませんごめんなさい痛い痛い痛い折れるって!!」
「いっそ折ってやろうか。バイクも運転できないように」
「ごめんなさい!!」

 通りかかった六車隊長に「折られるのは困る」と言われたので放してやった。

 檜佐木が現世から『バイク』なるものを購入してきたのは半年前のこと。
 現世の移動手段は多岐に渡り、中でも小回りが利いて狭い道でも走れる乗り物だというので、檜佐木はずいぶん前から興味があったらしい。瀞霊廷内で乗り回して何人か轢いて怪我人が出たので死ぬほど怒られていた。莫迦者以外の形容詞がない。
 流魂街で乗る分には被害者も出ないだろうということで、たまの休みに楽しそうに出かけていたのを何度か見ている。

 あろうことかうちの銀爾くんをパシリにしようとしたのは許せないが(自分で買いに行け)、瞬歩を乱用する以外の方法で遠隔地に早く到着できる、というのはなかなか便利だ。
 技術開発局がそのうち尸魂界向きの移動手段を開発してくれるかもしれない。

「双極の丘行きのロープウェイとか……いや使う人がいないか……」

 えっちらおっちら丘の上を目指しながら、早く尸魂界にも遠方に行ける公共交通機関が発達しないかなぁ……、と内心ぼやく。
 特に双極の丘なんて、行くだけでも一苦労だ。滅多に使わない処刑台なのだから以前まではそれでよかったのだけれど。

 瀞霊廷や流魂街を一望できる丘の上で膝を抱える。
 懐に包んで持ってきた落雁を地面に転がし、竹筒のお茶を引っくり返した。とぷとぷ地面に吸い込まれていく水出しの玉露をじっと見つめる。

「……。お久しぶりです。市丸隊長」

 本当は「隊長」なんて敬称をつけてはいけない相手なのだけれど。
 でもあたしはそれ以外の呼び方を持っていないのだから仕方がない。

 ころんと寝転ぶと、柔らかな風が前髪を揺らした。瀞霊廷の空は高く、青く、陽射しは優しくて気持ちいい。
 冬でもないし少しくらい昼寝したって風邪はひくまい。現世出張帰り、午前は報告のために出勤したが午後は休みだ。よし寝よう。



 ……銀城空吾が尸魂界に叛意を抱いているのは明らかだ。尸魂界にケンカを売るための取っ掛かりとして黒崎に接触したであろうことも、そのために既に茶渡くんを引き込んでいることも想定内。
 黒崎は銀城とともにあたしたちに牙を剥くだろうか。
 銀城と死神との対立を知ったらば、彼はどちらにつくのだろう?
 彼がルキアや恋次たちとさえ対峙することは考えにくい。だとすると死神側に立つのか。生身の人間の彼らが、同じく生身の人間である銀城ら“XCUTION”と対立する?

 ……それはあまりにも惨い。
 ……黒崎を、放っておいてやりたい……。

 ……ああでも、彼はきっと自分で戦う道を択ぶんだろうな。



「お前さー、なんかあったらここに来るのやめろよマジで……」

 うとうとしながら黒崎のことを考えているうちに時間が経っていたらしい。
 いつの間にか檜佐木が隣に倒れてぜーはーいっていた。走ってきたのか。それにしたって双極の丘程度で息を切らすなんて。……いやポーズか。

「捜しにくるこっちの身にもなれ」
「何か用事ですか、腕拉ぎ十字固めを極められた檜佐木副隊長。あたし午後休とってるんだけど」
「極められたんじゃねーよ、極めさせてやったんだよ。……乱菊さんが今晩飲もうぜって。現世組の話、聞きたがってたぜ」
「ああ、そうだね」

 乱菊さんは先達ての戦いで現世を訪れた際、井上さんとずいぶん仲良しになっていた。ルキアや恋次も現世のみんなのことが気になっているだろう。

「……現世出張なんてさぁ」
「あ?」
「別にあたしじゃなくて、ルキアとか恋次とかでいいじゃん。特に空座町なんて。あの二人だってもう立派な副隊長なんだから、まあちょっと心配だけど、莫迦正直にボロ出すような真似しないでしょ」
「……いや、どうだろうな……わりとそそっかしいからなあいつら」
「まあ確かにそそっかしいけども」

 ごろんと転がって檜佐木に背を向ける。
 先程供えた落雁を指先で転がしながら、小さく溜め息をついた。

「信用されているといえば聞こえはいいし、使い勝手のいい隊士だと思われているならそれはそれで光栄だけどね」
「何が言いたいんだよ」
「霊圧ゼロの状態で現世に派遣して、そこで運よく死ねば厄介なのが片付くって、思ってる連中もいるんだろうなってことさ」

 別に総隊長がそうだと言いたいわけではない。
 ただ忘れていないだけだ。あたしの霊圧は、藍染との戦いで一度枯渇してその後緩やかに元通りになった。元通り、尸魂界を三度滅ぼせるオバケ霊圧に。

 ──お前が俺と同じ『巣』に送られることがないよう、祈っとくぜ。

 ──散々異端扱いをされた最期はこうして私に対する捨て駒として配置される。


 あたしにとってはもう今更だし、どうせこの檜佐木だって『澤村の友人』として定期的に報告書を上げているに違いないのだが、なぜか彼はがばっと起き上がってあたしの死覇装の腰帯を引っ掴んだ。

「うるせええええ!」
「ぎゃあああああ」

 ぽぽーんと投げ飛ばされる。慌てて受け身を取ると、アホみたいな体勢で檜佐木が飛びかかってきた──アホみたいな体勢というのは、戦闘時に相手を引き倒すような洗練された動きではなくて、カエルみたいに両手足を広げて容赦なく潰しにかかってきたということ。
 避けるのもアホらしくて大人しく潰された。さっき小手返しも腕拉ぎ十字固めも甘んじて受けてくれたのでお返しだ。

「うっ、思った以上に重い」
「いねーよ!! バ──カ!!」
「あーはいはい、重い、重いから檜佐木」
「うるせえ澤村バーカ」
「罵倒の語彙が貧相すぎるんだけど」
「帰るぞオラ! お前見つけるまで帰ってくんなって乱菊さんに言われてんだよ!」
「仕事しろよ副隊長ども……」

 ムッとご機嫌を損ねたような表情の檜佐木が立ち上がり、手を差し出してくる。その手に思いきり体重をかけながら立ち上がっても、檜佐木の体幹はぶれないし文句も言われない。

 そうだよねぇ。
 あたしが浦原店長に、黒崎を殺させはしませんって豪語したのと一緒。檜佐木や他のみんなだって、大人しくあたしを手放すような友人たちではないのだ。

「いまの発言は乱菊さんに報告するからな」
「ごめんごめん、それは勘弁して。ありがと」



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