「お邪魔しまァす」

 入室の許可を得る前に勝手に障子を開けて入ってきたのは、銀髪と糸目の印象的な人だった。
 三番隊隊長、市丸ギン。
 あたしは慌てて立ち上がって頭を下げる。

「申し訳ありません、更木隊長なら道場に……呼んで参ります」
「あ、エエよ。書類持ってきただけやもん。どーぞ」
「有難うございます。……どうぞお座りください」

 応接間のソファを市丸隊長に勧めて、奥の間の給湯室でお茶を淹れる。
 お茶請けに出すお菓子は何にしようかと棚を探って、昨日買ってきたばかりの落雁が奇跡的に副隊長に食べられず残っていたことに気がついた。この時期は椿や鶴を模したものが多い。紅千代結びの有平糖も合わせて菓子器に載せる。

 四番隊時代の後輩であるイヅルくんを通してどんな人かを聞くことはよくあったのだが、市丸隊長と個人的に言葉を交わすのはこれが初めてだ。
 隊長はすぐ仕事をサボってふらふら散歩に行ってしまうんですよう、と酔いながらしくしく泣いていたイヅルくんを思い出してしまった。まさか今もサボって散歩に来ているのだろうか……。

 そんなことを考えながら市丸隊長にお茶とお茶請けの落雁を出し、彼から差し出された書類を捲る。

「……これは」
「うん。ウチと十一番隊さんで合同演習なんてどないやろか〜て思て」

 三・十一番隊合同演習の企画書だった。
 演習とはいってもその内容は試合のようだ。事前に各隊内で予選として試合をし、上位十名でチームを組んで勝ち抜き試合をする。斬魄刀の使用は禁じ木刀を使うこと以外は、白打・鬼道・歩法を駆使しどのように戦ってもよい。
 こういった各隊合同の行事の場合は、それぞれの隊に行事担当者がつき、その人たち同士で打ち合わせをしながら進めていくことになる。三番隊の担当者の名前は市丸ギンになっているが、こういう場合普通は上位席官がつくものだ。三番隊の苦労が偲ばれる……。

「更木隊長に確認を取ってからまたお返事差し上げます」
「うん、色よいお返事待っとります」

 にこりと笑った市丸隊長は、「コレ美味しいなぁどこの落雁?」と嬉しそうに尋ねてきた。
 瀞霊廷内のお菓子屋さんだと教えてあげると、ボクも今度行こうっと、とにこにこする。うちの副隊長と同じで甘いものが好きなのだろうか。そういえばうちの隊長も副隊長も、市丸隊長とは比較的仲が良かったように思う。
 更木隊長は単にあれだろうか、書類が面倒くさい仲間みたいなものなのだろうか。
 市丸隊長は、隊長としての責務がどうの仕事はこうするべきだのと云う性質ではないだろうから、他の人よりはうるさく感じないのだろうな。

「あとりちゃんのお茶美味しいわぁ。三番隊は誰がやっても不味くてな、仕事する気ィ起きひんねんボク」
「有難うございます。茶葉の問題でしょうかね、少しお分けしましょうか?」
「やったァ」

 ゆるりと湯呑を持ちながら喜ぶ市丸隊長の周りにお花が飛んでいるような気がした。
 疲れているんだろうか、あたし。
 普段からむさっ苦しい男どもの相手しかしていないから、お茶や落雁が美味しいという話を振ってくれる市丸隊長が可愛く見えてしまう……。

 市丸隊長の評価は、人によってまちまちだ。

 飄々としたところが格好いいとか、あの訛りが可愛らしいとか、はたまた何を考えているのかわからなくて胡散臭いとか、あの糸目が気味悪いとか。
 こうしてみると飄々とした変わり者でただの甘いもの好きのように見えるのだが、果たして。

 応接間に戻って、袋に詰めた茶葉を渡す。

「十一番隊はどないなん、あとりちゃん」
「楽しいですよ。ようやくここのやり方に慣れてきたところです」
「なんやァ、一刻も早く辞めたいとか云うてくれたらすぐ三番隊に引き抜くのになぁ」
「三番隊、ですか」

 目を丸くすると、市丸隊長はにーっこりと笑って有平糖を摘まんだ。

「せやで。書類仕事は真面目で堅実、部下の育成も上手で実力もある。隊長さんたちの間ではそれなりに評価エエんやで、あとりちゃん」
「それは初耳でした。恐れ入ります」
「謙虚やねェ」

 けたけたと笑う市丸隊長はお茶を飲み干すと、湯呑を置いて立ち上がる。
 飄々として何を考えているかわからない、確かにそうだ。苦手な人もいるだろう。
 音を立てない仕草、滑るような足運び。有するは最速の斬魄刀。いつの間にか首に刃を突き立てられていても、手をかけられていても、気づかないかもしれない。それくらい彼は速いし静かだ。

「じゃ、ボクはこれで。おおきに」
「お疲れさまでございます。また伺います」
「怪我、お大事にしや」

 ぽん、と頭を撫でられた。
 檜佐木があたしの頭を撫でるのはいつものことだけれど、最近は更木隊長に乱菊さんに市丸隊長に。撫でやすい頭の形でもしているのだろうか。

 あたしの先日の額の怪我は、痕の残るような怪我でもなかったようだから、止血しかしてもらわなかった。今では瘡蓋が出来始めていて、当初巻いていた包帯もすでに絆創膏になっている。

 飄々として何を考えているかわからない、確かにそうだ。

 ……だけど怖いとは感じなかった。
 撫でてくれた掌は、遠慮なく気安く触れるようでいて、どこか恐る恐るといった優しさを感じた。
 護廷十三隊に入ってからこちら変な人が多いなと思っていたものの、隊長格には全くそれが顕著ならしい。市丸隊長もなんだか、一筋縄ではいかないようなものがあるみたいだ。

 市丸隊長がのんびりと歩いて去っていくのを最後まで見送ってから隊首室の障子を閉める。

 色んな人がいるなぁと思いながら、書類を読み込むことにした。



 いつも通り書類仕事をあたしに丸投げしていた更木隊長に、三番隊との合同演習の話を通したところ、二つ返事で許可が出た。「いいんじゃねぇか勝手にやれ。お前が話進めとけ」とのことだ。
 あんまり適当な返事に本当に大丈夫なのかと不安になったものの、全てあたしに任せてくれるということだったので、明日一番で三番隊に行こうと思う。

 定時の鐘が鳴った後、行事と予算の申請書類の処理手順を一人で確認する。合同演習の行事担当者になるのは初めてだったが、一番隊にいた頃に雀部副隊長の補佐はしたことがあったので、その記憶を掘り起こした。

「……行事許可願に収支計画書と企画内容を添付して提出、総隊長から許可が下りたら四番隊に救護待機申請して……んん、なんだったっけ」

 十一番隊の人は大体あてにならないから、檜佐木に訊いたらわかるかな。明日訊きに行こう。

 火鉢や灯りの処理をしてから隊首室を出て、隊舎へと向かった。
 寮の部屋は隊別で分けられているが、十一番隊は女子があたしだけなのでたいへんに寂しい。むしろ男子寮にあたしが一人で住んでいるようなものなので、部屋の周りを男どもがうろうろするのも珍しくなかった。
 しかし部屋の前に男が一人突っ立ってじっとしているのは、やはり怪しい。

「……何してんの檜佐木」
「何だ、お前また残業してたのか。程々にしろよ」
「……檜佐木って、あたしが会いたいなって思った時に限って会いにくるよね。何なの、何か感じ取ってるの?」
「なに恥ずかしいこと云ってんの?」

 軽口を叩きながら、引き戸の鍵を開けて檜佐木を招く。
 火鉢に火を入れておくように頼んで、あたしは台所でお湯を沸かし始めた。手持無沙汰になった檜佐木が薬缶の前に立つあたしの背後にやってきて、手元を覗きこんでくる。

「何の用だったの?」
「あ、これ、飯。作ったけど調子に乗ってやりすぎたから持ってきた」
「わ、有難う」

 檜佐木が持ってきてくれたのは大根と鶏肉の炊きものだ。調子に乗ってやりすぎたとか云ってはいるが、多分あたしが檜佐木のこれを好きだということを知っていて、わざとたくさん作ってくれるのだと思う。
 嫁かと思うくらい、あたしに対する気遣いが愛に溢れているよ檜佐木。涙がちょちょ切れそうだ。

「あ、ねえ檜佐木。隊合同の演習の担当者ってしたことある?」
「あるぞ」
「聞きたいことあるんだけど――着替えてくるからお鍋お願い」
「おー」

 よく見たら檜佐木は紺色の着流しを着ている。あたしも衝立の向こうで死覇装を脱ぎ、薄い桃色の着流しと、深緑の羽織を着た。
 いい感じに温まった炊きものをお椀によそう。よくできた嫁の檜佐木はご飯も土鍋に温めたり、酒を用意したり、ついでに持ってきていたらしい肴も準備してくれていた。

「あれさ、まず行事許可願出すじゃない。収支計画書と企画内容添付、連名でそれぞれの隊長印を捺して。総隊長に許可を貰った後って四番隊への依頼と何だっけ?」
「添付書類、収支計画・企画書とあと公文書だな。四番隊への待機依頼願の公文書。総隊長から許可が下りたらその公文書持って四番隊へ救護待機依頼に行く。そのあとは行事経過報告でいいよ。その時に参加者の名簿を提出」
「そんなもんだっけ」
「ンなもんだ」

 その後も延々仕事の話をしていた。
 檜佐木とどんな話をするのかと訊ねられたら迷わず「仕事の話」と答えてドン引きされるあたしたちらしい晩餐である。

「檜佐木が嫁に来たらあたし幸せだなぁ」
「何だよ急に」
「料理上手だし、あたしの好みをよく解ってるし、仕事できるし、出世頭だし、よく考えたらすごい好物件だよね檜佐木って」
「結婚するか?」
「檜佐木そんなことしてる暇あるの?」
「……ねえな。今は仕事で手一杯」
「同じく」


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