家の近所にある青道高校は昔から野球部が有名だった。
何度か甲子園に出たり西東京三強と呼ばれたりしていて、地元の友だちも何人か進学したようだ。結局、あたしの代では惜しくも甲子園出場を逃し続けたみたいだけど。
あたし自身は野球というものにたいして興味がなく、せいぜい『夏休みになると父と弟がテレビを占領してうざい』とか『ミナミを甲子園に連れてって』とか、そんな浅い知識しか持っていない。
人数が多いし、ルールも複雑そうだし、野球マンガすら手に取ったこともなかった。
だから、大学生になって始めたバイト先のコンビニによく来るのが、野球部だということも最初は解っていなかった。
初めて来たのがいつだとかそんなことは憶えていない。ただ、その一団が目につきはじめたのは、バイトを始めて二ヶ月ほど経った頃のことだ。
間抜けな入店音に反応して声を上げると、ジャージ姿の男の子たちがどやどやと入ってきた。
「いらっしゃいませー」
やたらと声のでかい関西弁の坊主頭を先頭に、ヤンキー寄りの三白眼、口数の少ない塩顔、目のくりっとしたリス系男子、キャップをかぶったイケメン眼鏡。最初は見えなかったが、そのなかに女の子が混ざっているのにも気がついた。
すごいな、少女漫画の逆ハーレムみたい。
しかも今どきの読者からはそっぽを向かれそうな感じの、コテコテの逆ハーレム。
ちなみにあたしはスポーツ漫画には食指が動かないが、少女漫画で育ち、少年漫画に触れ、がっつり夢に逸れた女である(あ、でも某べ様に「お前、面白い女だな」って言われた経験はある。……あれがスポーツ漫画かどうかは置いておくにしても)。
半ば感心しながらレジで待っていると、彼らは飲料やお菓子の棚を仲良さげに見て回っていた。
ジャージの男の子たちのなか、紅一点の彼女だけ制服姿だ。
青道の女子制服。そういえば先輩や店長が「うちは青道の野球部寮が近いからよく部員がくる」って言っていたっけ。
ずいぶんきれいな子だった。
まず姿勢がきれいだ。首が細長くて、華奢で、上品な丈のスカートから覗く脚もすらっとしている。商品を扱う手つきも品がいい。立ち居振る舞いがいいと美人に見えがちだが、彼女は雰囲気だけでなくて、ちらっと見えた横顔もお人形さんみたいに整っていた。
うーん、神さまって不公平。
あたしもあんな可愛い女の子に生まれたかったな。さぞチヤホヤされることであろう……。
見える範囲に面白そうなグループがいるとなればその関係性を邪推したくなるのが人間の性というもの。
関西弁……は、女の子に見向きもせず自分の買い物をしているみたいなのでひとまず除外かな。ヤンキーは意外や意外、女の子の隣に並んで「今日の晩メシ何にすんだよ」なんて訊いている。もしかして彼女は一人暮らし? あるいは家族との不仲か何かで夕飯は一人?
塩顔男子とリス男子は仲良さそうに雑誌コーナーで何かを立ち読みしている。イケメン眼鏡は一人で店内をふらふらしていた。
うーん、これはヤンキーが本命か。
美少女とヤンキーの組み合わせはいつの時代もエモいものだし。
「よっしゃ。英の今日の晩メシ当てたるわ」
「なに急に」
いつの間にかお弁当コーナーに移動していた三人がわいわいと盛り上がっている。
英、というのが彼女の名前らしい。
関西弁は「豚カルビ丼。これで決まりやな」とドヤ顔、ヤンキーは「いや特盛麻婆丼だろ。カロリー摂取しろ」と世の中の女子に喧嘩を売る。当の英ちゃんのリアクションは無情なほど薄かった。
「はいはい」
以上。
なんかイメージと違うな。逆ハーレムの紅一点ってもっとこう、「やだ、そんなにたくさん食べられないよ」とか「こんな時間にお肉食べたら太っちゃう」とか……。
自分でも偏ったイメージを抱いている自覚はある。ごめんね英ちゃん。
立ち読みを終えた二人組も後ろからその様子を覗きこんだ。「えーっ」と抗議の声を上げたのはリス男子だ。
「サラダだけ? ごはんは? おかずは!?」
「なんだ、体調でも悪いのか」
夕飯選びに死ぬほど口出しされてなんだか英ちゃんがかわいそう……。
そんななかでも興味なさそうなイケメン眼鏡はお菓子のコーナーに移動していた。お前はもっと興味を持てよ!!
「家に昨日作ったカレーの残りがあるんだってば。そんな心配しなくてもちゃんと食べてますよ」
「お前料理できたのか。つくづく何でもできて面白くねぇな」
「褒められたのか貶されたのか……」
ヤンキーが手を伸ばして英ちゃんのほっぺを引っ張った。うわそんな、美少女のほっぺた引っ張るとかマジ畏れ多い、なにあいつ超不良じゃん。
すると塩顔男子が「倉持、千切れるぞ」と謎のフォローを入れつつ、英ちゃんの両肩に手を置いて救出する。
「ほっぺたはそう簡単には千切れないよ……」と、うんざりしつつも目元を緩めた英ちゃんが塩顔男子を振り返った。
「健二郎さん何か買うの?」
……ケンジロウさんんんん?
動揺してレジの変なとこ押しそうになっちゃった。なんだその新妻みたいな呼び方……。
「消しゴム。なくなりそうだったから」と慣れた様子で応じたケンジロウさんは、クラモチくんの魔の手から救出した際に掴んだ肩を放す。
「あ? そういや御幸どこ行った?」とクラモチくん。
「さっきおやつ眺めてたよ」と、リス男子。
一人ぼけーっとおやつを眺めている眼鏡男子はミユキくんというらしい。彼を放置して、残りの五人がわちゃっとレジまでやってきた。
関西弁のおやつとジュース、ケンジロウさんの消しゴムをちゃちゃっと済ませている間、英ちゃんは保温器のなかの唐揚げやアメリカンドッグを凝視していた。
食べたいのかな。
でもいま食べたらカレー入らなくなるんじゃない?
レジが動く音を聞いてかようやく寄ってきた眼鏡男子のミユキくんが、英ちゃんの後ろに現れた。
「天乃さーん。そんなの食ったらメシ入らなくなるぞ」
「……う」
……なるほど、ミユキくんは英ちゃんのことは苗字呼びか。
というかミユキって下の名前かな、男の子にしては珍しい。……しかし、この間見たアニメで「深行」くんが登場していたことを思い出した。まあ、いないことはないのか?(アニメだけど)
「つーかこの間も食っただろ」
「だって唐揚げ美味しそうなんだもの」
「ホラおねーさん待ってる」
おもむろに視線を向けられて思わずびくっとしてしまった。
うーん、タオルを肩にかけていたりキャップを斜めにかぶっていたり、やや気怠そうな感じはあるがやはりイケメンだ。関西弁の子とかケンジロウさんは野球部ですと言われたら納得できるけど、このミユキくんが野球部と言われてもちょっとしっくりこない。
彼に指摘されてハッとこちらを見た英ちゃんは、「わー! ごめんなさい」と慌てて商品をカウンターに並べた。
その様子がなんだか可愛くてちょっと笑ってしまう。
「唐揚げはよろしかったですか?」
「うっ」
英ちゃんが真っ赤になると同時に後ろの男子たちが盛大に噴き出した。
小さな声で「また今度にします」と答えた彼女は後ろを振り返って、お腹を抱えて笑う男子たちの、お腹の辺りをぺしぺしと引っ叩く。
「もー、いつまで笑ってるのよ!」
支払いを済ませてレシートを渡すと、出入口に近いほうにいたミユキくんから順に店を出ていく。
箸が転んでもおかしいお年頃、なんていうのは女の子を指すようだけど、彼らもまあよく笑った。
いいなあ、なんか、ああいうの。
あたしの高校生活は、あんな感じとは無縁だったからなぁ。
楽しそうに去ってゆく一行の後ろ姿を見守ると、奥で休憩していた先輩がひょこっと顔を出した。二十五歳男性、フリーター歴七年目の猛者である。コンビニの夜勤明けに引越し屋のバイトを入れるタフガイ。
「あ、野球部の子たち来てたんだ」
「先輩……。なんかすごい集団でした……」
「面白いよね。ちょっと昔の少女漫画の古典的な逆ハーレムみたいでさ」
この先輩にもそう見えてんのか。
***
「……ということで、あたし的に本命はクラモチくんだと思うんだけど、どう?」
「なにそのバイト先めっちゃ面白いやん」
翌日、さっそく大学でオタク友だちにその話をすると食いついてきた。
野球部のなかに関西弁の少年もいると言ったら興味を示し、「京都か大阪か兵庫だとどこらへん?」と訊かれたが生粋の東京都民たるあたしにそんなことわかるはずがない。
「……見た目的には大阪っぽかったけど……坊主だし」
「坊主で大阪判断すな。大阪弁にも色々あんねん。なにわか摂津か河内か泉州か」
「知るかそんなの」
最初は彼女の関西弁がものすごくキツく聞こえていたが、さすがにだいぶ慣れてきた。
あの関西弁の少年も、見た目ごつくて強面で関西弁だから少々びっくりしたけれど、きっと本当はいいやつなんだろうな……。
「それにしても、そんな美人マネがおって部員同士で泥沼になれへんのかな? ほらオタサーの姫的な?」
「どうだろうね。無難に『俺たちのマネージャーを甲子園に』ってみんなで一致団結するのか、それとも野球一筋だからそもそも恋愛に発展しないのか。それか、クラモチくんと仲がいいと見せかけておいて実はケンジロウさんと秘密で付き合ってたりするのかな」
「ケンジロウさんて。男子の下の名前にさん付けしよる女子見たことないねんけど」
「あたしもないなぁ。新妻かよ」
「とりあえず続報あったら即ラインしてな」
「りょーかいやでぇ」
「下手な真似やめろや」
「すいませんっした……」
次に英ちゃんがコンビニに来たのは、それから二週間ほどあとのことだった。
どうやら野球部の彼らは毎日コンビニに来るわけではないらしい。多分、青道野球部の誰かしらは買い物には来ているのだろうが、あたしにはどれが誰だか区別もつかないので詳しくは不明だ。ここのコンビニ歴の長い先輩や店長なら覚えているかもしれないけど。
間抜けな入店音に反応して声を上げると、制服姿の女の子とジャージ姿の男の子が入ってきた。
「いらっしゃいませー……」
…………、えっ。
英ちゃんとミユキくんだ。
ついつい二人を凝視してしまったあたしに気づかず、二人は雑誌コーナーへと歩いていく。「あったー、野球王国」「メイ載ってるじゃん」と非常に親しげな様子で顔を寄せ合い、一緒に雑誌を覗き込んでいた。
え、今日は二人だけなの?
他の野球部どうした。本命候補のクラモチくんとケンジロウさんはどうした?
いや待てまさかミユキくんが本命なの?
でもこの間ミユキくん、英ちゃんのこと苗字呼びだったじゃん……。
てか距離ちかっ。
オタクバイトの妄想の餌食になっているとも知らず、二人はぱらぱらとページを捲っている。やがて英ちゃんはお目当ての記事を見つけたらしく、ばっと自慢げに開いてミユキくんの顔に近づけた。
「あったー。捕手特集!」
「英。近い。見えねぇから」
「一也トップじゃん。さすが超高校級捕手様ですなぁ」
…………ハアアアア?
おま、お前らいつの間に下の名前で呼び合ってんの?
てかミユキくんて苗字か。ミユキカズヤ? お洒落な苗字に対してシンプルな名前でとってもバランスがいい……ってそれはどうでもよくて。
もしかしてこの二週間のあいだに急展開があったのか?
それとも隠れて付き合ってるからみんなの前ではわざと素っ気ないの?
いや〜〜何それ捗る。ありがとう。
三角関係って個人的にはアレなんだけどミユキくん→←英ちゃん←クラモチくんだったら少女マンガみたいで面白いのにな。……いや赤の他人の恋心面白がるって、ダメだよ、生モノでBLするようなもんだよ。失礼失礼。
ゴメンね野球少年少女たち……。
どうかこんなオタクの妄想には気づかず輝かしい青春の日々を過ごしておくれ……。
頭のなかで床に頭を叩きつけながら土下座しているうちに、英ちゃんはミユキくんの載っている雑誌を胸元に抱きしめて、お弁当コーナーへと移動していった。
今日はパスタを買って帰るらしい。
毎日こんな遅くまで部活をやって、家に帰ったら自分でご飯を食べて、きっと学校の宿題もして。世の中にはこんなにも頑張れる子がいるんだなぁと、感心する思いで二人を迎えた。
「いらっしゃいませー」
「唐揚げひとつください」
今日は唐揚げを食べることにしたようだ。
「かしこまりました」と笑うと、英ちゃんはどうやらあたしのことを覚えていたらしく、えへへと照れたようにはにかんだ。可愛いな。
「一也たべる?」
「いーよ、もう俺腹いっぱいだし」
「そっか。今日沢村くんが張り切ってご飯盛ってくれたもんね」
「あいつにどんぶり触らせるんじゃなかった、マジで」
「よく食べました。青道入る前は小食なほうだったのに、人って成長するものだね」
…………んんんんん?
英ちゃんって青道に入る前からミユキくんと親しいのか。
高校入学前から知り合いということは、やっぱりここ最近で関係が変わったわけではないのか。中学生の頃から付き合っていて、高校では関係を隠している?
でも部活も一緒なのに隠しおおせるものなんだろうか……。
パスタと唐揚げをレジ袋に入れて渡す。雑誌は別の袋にしようとしたら、英ちゃんは「こっちは袋いいです」と言って、肩に提げていたスクールバッグに収めた。
そのすぐ傍でミユキくんは、英ちゃんを眺めている。
そして彼をこっそり見つめているあたしの視線に気づいて、こてりと首を傾げた。やばい、へんなやつだと思われたかも。とりあえずニッコリ営業スマイルをしておいた。
英ちゃんがお釣りを財布に入れているあいだに、ミユキくんはパスタのレジ袋を手に取る。
「入ったか?」
「入った! ありがとうございました」
「ありがとうございました〜」
すたこらとお店を出ていくミユキくんのあとを、ぱたぱたとついていく英ちゃん。
自動ドアが開いたところで追いつくと、彼女は「わたしのパスタかえして」とミユキくんの腕をとる。完全に可愛いカップルの距離感だ。うーん、本命はイケメン眼鏡だったか……。
楽しそうに去ってゆく二人の後ろ姿を見守っていると、奥で休憩していた先輩がひょこっと顔を出した。
「あー、あの二人来てたんだ」
「先輩……。英ちゃんの本命はミユキくんでした……」
「いや、俺の見立てではあの二人、まだ付き合ってないよ」
「えっマジですか!?」
先輩! kwsk!!
選りすぐりの夜たち・後篇