暗闇の中から音を立てずに現れた人影。黒い装束は闇に紛れ、隣にいる白い洋服をより一層際立たせている。近づいてくる気配に顔をあげた少女は、その姿を見て安堵の息をこぼした。
「おかえりなさいませ、朽木隊長」
お怪我はありませんか、ともちろん怪我のひとつも負っていないだろうなというあまり心配を含んでいないような声色で問う。それに白哉も「ああ」と短く返事をして少女としっかりと3秒ほど目を合わせた。お互いが任務へ行き、帰ってきた時の約束事だ。少女は律儀なその姿に笑みを浮かべてから、白哉の隣に立つ男へと視線を送った。
「ここからはわたしがかわるよ。……随分と怪我したんだね。阿散井くんはまずは四番隊へ、それから隊舎で休んでね」
「すんません…頼みます」
任務で怪我を負ったせいか、はたまた違う理由でか、普段の粗暴さが目立つ態度とは打って変わって落ち込んだ様子の恋次の肩を叩き怪我の治療をしてきなさいと促す。恋次は去り際、白い洋服の少女に何か伝えようと口を開きかけたが、そのままグッと留まりそのまま去っていった。
「ルキアちゃん」
白い洋服の少女──朽木ルキアはその優しい呼び声に俯いていた顔を思わずあげた。まさか罪人として戻ってきた自分に優しい声がかかるなんて思いもしなかった。
「女の子の顔に傷なんてダメでしょう。誰がやったのよ」
「恋次だ」
「え、阿散井くん?!信じられないなあもう…」
そっと頬に手を当て回道で傷をゆっくりと治していく。「阿散井くん思ってたよりも乱暴な人だなあ」と呟きながら優しく傷口を塞いでくれる姿にルキアは少し混乱した。
「あ、あの猿柿副隊長」
「なあに?」
「その、わたしは牢に拘束されるのでは…?」
「ああ、手当てするくらいの時間はもらっても大丈夫だよ」
綺麗になった、とルキアの頬を撫でることり。どうも気が緩んでしまうような状態に白哉は顔をしかめながらことりの名を呼んだ。するとガラリと変わった空気に、ルキアは背筋が伸び、ああいよいよかと己の今後を悟った。あの時一護の手を解いた時に覚悟はもうできていた。
「うん。そうだね、そろそろ行こうか」
縛道でルキアを拘束し、先導することりの表情はすでに消えていた。
♢
すっかり夜も更けてしまい、思いのほか遅くまでの仕事となってしまったと、ことりは思わずため息を吐いた。明日が非番であったことが救いだ。ルキアの護送を終え自室へ戻ったことりは、寝間着へと着替え、すみに畳んでおいたひざ掛けをひとつ持ち、また部屋の外へと出た。
板張りの床を音を立てずに歩いていくと、すでに隊服を脱ぎ簡素だが気品のある和服姿へと着替えた白哉が縁側に腰かけていた。
「───朽木隊長、隊舎牢への護送完了しました。見張りは席官へと引き継いでおります」
「ああ、」
「一番隊舎への報告は明日に、と伝えてあります。その際に刑が決定されるかと」
傍に膝をつき、頭を下げながら任務の報告をしていたことりは白哉の「ことり、もういい」という一見拒絶を見せるような言葉に、顔をあげ笑みを浮かべると、白哉の隣に腰かけた。持ってきたひざ掛けはとなり合って隙間なく座るふたりの膝にちょうどいい大きさだった。
「おつかれさま白哉くん」
ルキアを拘束し先導していたときの冷徹な表情や、面を下げ隊長に敬意を表しながら話していた堅苦しい表情は一散し、ことりはあどけない笑顔で白哉の肩へ顔をよせて労わった。白哉もそれに表情ひとつ動かさず、手に持っていた羽織をことりへかけた。こうして1日の労働を終え、身を寄せ合うことは、ことりと白哉にとって毎日の習慣なのである。少し肌寒い季節のひざ掛けはことりが、羽織るものは白哉が。暑い季節には───
1日現世へ赴いていた白哉に六番隊を任されていたことりは、業務の報告や明日以降の連絡事項や引き継ぎ事項を伝え、今日隊舎でおきたおもしろかった出来事をクスクスと笑いながら話す。それに白哉も笑い声こそあげないが、穏やかな表情で相槌を打っている。出会った時から変わらない二人の距離感は、イレギュラーな出来事で荒んでいた心を落ち着かせていく。
ことりの今日のお話が終わってしばらく沈黙の時間が流れた頃、白哉はいつもとは少し違う、そわそわした様子のことりの膝を軽くたたき、話の続きを促した。
「……現世に行ってすぐにルキアちゃん見つかったの?」
「いや。降りる座標は適当なうえ、義骸に入っていたから見つけるのに手間取った」
「そっかあ…ルキアちゃんが能力を譲渡した人間とは会った?」
「恋次に傷を負わせたのがソレだ……一昨日の晩に大虚に太刀傷を負わせた映像、ことり、覚えているか」
「え!?うーん、なんか…ぼんやりとは…そう、その人なんだね」
朽木ルキア──白哉の妹であり、ことりの友人である、ルキアが死神の力を失って尸魂界に戻ってきたとき、ことりは表情に出さずともかなり驚いていた。六番隊にルキア捕獲及び殺害命令が下されたとき、大げさな話すぎるのではないかと思っていたが、白哉と恋次が連れて帰ってきたルキアからはほとんど霊圧を感じられず、本当に死神としての力を失っていたなんで思いもしなかったのである。
「ルキアちゃん、現世でなにしてたのかなあ」
ぽつりと呟かれたその言葉には、何故重罪をおかしたのか、何故義骸に入って連絡を怠っていたのか、というような責める声色は一切含まれておらず、大虚を退治し恋次に剣先を突き付けた人間との生活に、ルキアが何を感じてどのような時間を過ごしていたのか、心底疑問に思っているような音だった。
白哉もことりの思うことが伝わったのか、また明日からの朽木家と護廷十三隊と多く問題が積み重なっていることも相まって、深くため息をついた。
♢
処刑まで14日を切り、隊舎牢から懺罪宮の四深牢へとルキアの移送の先導をする恋次を見送ったことりは、今日に至るまでのいくつもの気になる刺を思い出していた。
ルキアが拘留され数日経った頃、ついに四十六室が判決の最終決定を下した。ことりは白哉と共に一番隊舎でその判決を聞き受け、信じられないと目を見開いた。
白哉は一審が決まった後もルキアの情状酌量を汲み減刑をするべきだと申し出ていたのにも関わらず、減刑どころか刑執行までの日取りの短縮をもって最終決定とされたのだ。いくら罪人の親族の訴えとはいえ、四大貴族の朽木家当主の言葉に耳を貸さないとは思いもしなかった。
「これからルキアのもとへ行く。もうよい、隊舎に戻れ」
「……ねえ白哉くん。ルキアちゃん、処刑されちゃうんだよ。本当にこのままでいいの?」
「………知っているだろう。私は五十年前の誓いを違えることはできぬ」
「そっか、そうだね…」
ことりは自身の前を歩く白哉の表情を伺ったが、思っていた通り白哉はひとつも表情を崩していなかった。いつもと変わらぬ精悍な姿に見えるが、迷う心に折り合いがついていないのは、もう百年以上一緒に過ごしてきた友人からしてみれば明らかなことだった。
あの時ことりは久しぶりに見たどうしたらいいのか悩んでいる姿にそれ以上の言葉を返すことができなかった。
────あれから白哉は朽木家の会合や事の後処理で慌ただしく、ことりが顔を合わせる時間はほとんどなかった。昨日も瀞霊廷の西の方で騒ぎがあったが、六番隊の管轄外ということもあり、聞き及んだ情報の共有もできずじまいであった。
執務室で誰もいないことをいいことに、ことりは机にグダッと身を預け「わたしにできることって何かないのかなあ」と深くため息をついた。
その時だった。
「隊長各位に通達!!只今より緊急隊首会を招集!!隊長各位に通達!!副隊長各位は───」
カンカンカンカン!と大きな音を立て響く鐘の音と、招集の声。
ことりは反射的にガバリと体を起こし、なにが起きたのかと目を白黒させる。数秒固まってから慌てて自分がするべき行動を思い返したように、立ち上がり副官章を手に取る。執務室を出ようと襖に手をかける前に勢いよく開いた襖に、さらに驚きを重ねた。
「白哉くん!?ど、どうしたの」
乱暴に襖を開けるなどらしくない行動をした白哉は、ことりの様子を見てホッと息をついた。
「……問題ないようだな。行くぞ」
「え、えぇ?なに…」
わざわざ隊舎に寄って共に行く必要などないはずなのに、それも何か急ぎの言伝があったわけでもなさそうな白哉の様子に戸惑いながらも一番隊舎へ瞬歩で移動する。
副隊長が招集された部屋への分かれ道に着くと、今度はことりの手を取り、握り、なにかを確かめているようだった。さすがのことりも白哉の言わんとしてることを察して思わず苦笑いをする。
「白哉くん、ちょっとびっくりはしたけど、今のは軽い鐘の音だったし大丈夫だよ」
「…そのようだな」
「心配性だなあ。もう行かなきゃ遅れちゃいますよ、朽木隊長?」
揶揄うような音を含んだことりの言葉に納得したのか、白哉は返事もそこそこに瞬歩で消えた。どんなに時間が経って成長しても優しいままの白哉に嬉しく思うのと同時に、そんなに心配しなくてもいいのにと歯痒い気持ちになる。ひとりごちてないで早いところ二番側臣室に向かわなければと、踵を返すと目の前にはにこやかに笑う男が立っていた。
「朽木隊長ほんま変わらず心配性なんやね」
「え!?市丸隊長!?いつからいたんですか…!?」
「なんや、また堅い話し方になってるやないの。ええのに、僕とことりちゃんの仲やろ?」
白哉の真似をする様にことりの手を握るギンは、いつから見ていたのか「昔と比べて朽木隊長は大きなったから余計過保護な感じに見えるなあ」とケラケラ笑っている。朽木隊長「は」のところに悪意を感じたことりはムスッとしながら、そういう自分こそ大きくなりやがってと高い位置にある顔を睨みつけた。
「もう何がしたいんですか…市丸隊長も早く行かないともっと怒られますよ?」
「主役は遅れて登場するもんやろ?」
「主役って…なんだ、やっぱり旅禍は生きてるんですね」
「さあ、死んだと思っててんけどなあ。まあことりちゃんもそういう日あるやん?」
どういう日だよ…と心の中で悪態をつきながらなかなか話してもらえない手を見やる。この人はいつもそうなのだ。飄々として自分の本心を決して悟らせない。
「まあ、僕も心配しとったんよ。ことりちゃん、あの日のこと思い出したんやないかなあって」
「…たしかにあの日のことがよぎりましたけど、パニックになるほど子供じゃないですよ」
「そうやなァ。もう百一年も経っとるし、ことりちゃんが喧しゅうしとるとこも、もうずぅっと見とらんもんな」
ギンのどこか嘲笑う様子を含ませた物言いに、ことりは内心穏やかにはいられなかった。この人と"あの日"以前の話はもう何十年もしていなかったし、話した時もこうやって揶揄うような言い方などなく、気を使うように思い出話をした程度だ。心配したというのが本心だとしても、何か違和感を覚える。
「……ギンくん、何かたくらんどるやろ」
睨み付けるように言い放ったことりに、ギンは驚いた顔から一転、ニタリと嬉しそうに笑った。
「あかんやん。昔のクセがでとるよ、ことり」
なあんも企んでなんかおらんよ、と言い残して去っていったギンに、嘘ばっかりと重くため息をつく。
こうして隊長、副隊長が呼び出されたのは、昨日の旅禍騒ぎのせいだろう。ギンの態度から見て、その旅禍が生きていることは間違いない。どうして殺さず逃したのか、何故あんなにも昔の話を持ち出してきたのか。ギンとはいくら話しても雲を掴むような、沸きらない気持ちになってしまう。
「……気分悪い」
モヤモヤとした気分ではあるが、随分と足止めされてしまっていたため、急いで控室へと走っていった。
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