3
「文若どのに空の食盒を送ったのか。なぜ。」
夏侯惇が曹操の私室を訪ねてきた。
「空でなければいけないのだ。」
「……よくわからんが。文若どのは、孟徳に見限られたと思うのではないか。」
「そんなはずは……。」
無い。と言い切れるか。荀ケは、昔のことなど覚えていないかもしれない。夏侯惇の言う通り、そうとられてしまうかもしれないではないか。
「そう、思うかな。荀ケは。違うのだ。私はそんなつもりは。だが、荀ケは、そう思ってしまうかもしれないよな。」
曹操はうろたえ、夏侯惇に問う。夏侯惇がはっきり答えられないでいると、室を訪ねる者があった。荀ツだ。荀ツは荀ケの長男で、父に似た、穏やかな美青年だった。また、父よりもよく笑う男だった。その荀ツが、顔をずいぶん暗くして室に入ってきた。目の下が赤くくすんでいる。
「父が、亡くなりました。」
曹操は瞬間、声もあげられなかった。やがて恐る恐る開いた口からは、消え入りそうな声が出た。
「どうやって、死んだ。」
「病のいよいよ悪くなっている身で、突然、出て行って。帰らなかったら、探すなと。」
「死にに行ったのか。」
「帰ってきたのですが。ただ、私が見たときには、もう。」
そこまで言って、荀ツは俯き、口もとを抑えた。う、と小さく唸る。泣いていた。
曹操は震える手で荀ツの肩を抱いた。自分も泣きたかった。
「お前の父は、私のせいで死んだ。」
曹操は、語気を強めて言う。咎めて欲しかった。憎んで欲しかった。しかし、荀ツは、
「それは違います。」
と、きっぱり言いきった。
「父の亡骸が、これを抱いておりました。」
荀ツは荷物の中から、大事そうに包まれた容れ物のようなものを取り出し、曹操に差し出した。曹操はすぐに気付いた。急いで布を剥ぐと、やはりそうだ。荀ケに送った食盒だった。二人で海を見に行ったときのーー。空にして送ったはずだが、ずしりとした重さを感じる。蓋の上に紙がかけてあり、
《主公へ》
と、手本のように無機質な字で書いてあった。
「荀ケの書いた字だ。」
曹操は恐る恐る蓋に手をかけた。指に砂がついた。さらさらしていて、薄い色の砂だ。
「海砂……。」
静かに、蓋を開ける。盒いっぱいに、貝殻や石が敷き詰められている。蓋を開いた拍子に、白い貝殻が、かたかた、と、いくつかこぼれた。慌てて拾い集める。
「馬鹿か。死んでしまっては意味がないだろうが。」
曹操の瞼からやっとあふれた涙が、貝殻についた海砂を流し、真白な一条を作った。
(私にお前が必要か、などと……。)
「愚問にもほどがある。私の、文若よ。」
了