お嬢と連れ去り


いくら彼女が柔道空手共に黒帯かつ同年代の女性に比べ危機察知能力に長けているとしても、背後から体格差のある人間――男に複数人で襲いかかられ、持ち上げられてしまったらもはやどうすることも出来ない。
 
こういうことがある度に名前は自身が女であることをひどく恨んだ。兄の幼馴染である毛利蘭と切磋琢磨し、段位上げに勤しんだことは記憶に新しい。
ただ、名前と同等、またはそれ以上の実力を持つ毛利蘭でさえ誘拐されたり負けてしまうのだから名前がこうなっても誰も責めることはできないだろう。
そうはいっても家の人間は一人で出歩くからだ、と怒るのだろう。捕まって間もないが帰宅したとき面倒を考えて憂鬱を募らせた。
 
車に押し込められてすぐ視界を遮られたため、車種も相手の正確な人数も、もちろん向かう先も何もわからなくなった。工藤名前だな、と本人であることを確認してきたということは無差別ではなく名前を狙った犯行で間違いない。
 
「(車に乗せたあとに確認して違ったらどうするんだ)」
 
悲しいかな、自分が命を狙われることには納得していた。邪魔なのだ、単純に。だからこそ奇襲をかけておきながらその場で命を奪わず連れ去る意味が名前には分からなかった。
小学生の頃のあの誘拐は完全な金目当てだった。まさか夕方一人で歩いている少し身なりのきちんとした女児がヤクザの娘だとは思うまい。
 
「(あれは予知夢みたいなものだったのか)」
 
きつく縛り上げられた手首の痛みと、つい最近見たあの誘拐犯に叩かれた頬の痛みを比べ自分が良くも悪くも強くなったことを実感した。
 
 
目隠しをされているため正確にはわからないが二十キロ程度は移動しただろうと目算した。赤く痛んだ手首をわざわざ持たれ引きずり降ろされた場所は裏社会では何かとおなじみの廃工場。好んで近づく人間は限られ、目撃されることが少ない。また、複数人が一か所にまとまっても怪しまれず狭くない、不慮の事故等があった場合は燃やしてしまえばいい。等々、廃工場には後ろ暗い人間にとってのメリットがたくさんあるのだ。
 
男達は道中何も口を聞かなかった。会話から何かを想像することも出来ず兄のような推理力を持たない名前はお手上げだった。目的地に着いてからが勝負である。
雑に目隠しを外され、同時に足首は縛られた。辺りを見渡すも窓はなく、劣化したビニールや朽ちたパレットしか見つけることができなかった。これでは何の手掛かりにもならない。
 
「何が目的?」
「お前は知る必要がない」
 
いやいや、誘拐された張本人なのだから理由を知る権利くらいはあるだろうこの低能、と心の中で男を罵倒した。
 
「ねえ、逃げないから手足の拘束解いてくれない?」
「解くわけねぇだろ、お前が空手の有段者なのは知ってんだ」
 
名前のことは多少なりとも調べ、警戒しているようで車に乗せたとき複数いた人間も今は距離をとって正面にいるマスクの男とおそらく後方にもう二人。
おそらくというのは口を開くのは名前の正面の男だけであり、手足を拘束され地面に横たわった状態ではわずかに聞こえる呼吸音から判別するしかないからだ。
 
拐かされたのが十七時ということもあり、男達の行動に意識を向けつつ本来食べるはずだった降谷お手製の夕飯のことを考えていた。
車内と違い男達は会話を始めたのでさりげなく耳を傾けた。会話の内容から推察するとこの男達は上龍会の構成員のようだ。同業と分かればした手に出る必要もない、 と名前は口端を上げた。
 
「お前さんらの組長は大バカ者だな」
「なに?!」
「だってそうだろう、何が目的か知らないが真正面からウチに喧嘩売るなんざ、バカのすることだ」
「ふざけるな!親父をバカにするな!」
 
名前がのたまった侮蔑の言葉で男は簡単に激昂した。声を荒げ目を血走らせたソイツは地面に横たわったままの名前の腹部めがけて勢いよく蹴りを入れた。さながらキーパーのいないフリーキックのようだ。
砂埃が立ち上がり、同時にカビのにおいが鼻を刺した。

「…ぅぐっ」
「虫ケラ同然だな、滑稽だ」
 
耐えきれず出てしまった声と痛みに顔を歪めた名前を見て男は気味の悪い恍惚の笑みを浮かべた。後ろ手に拘束されているため人間の本能である患部に触れることもできず、呼吸を荒くしながらひたすらに痛みに耐えるしかなかった。
 
外で微かに音がした。

「…来た」
 
 
ーーードガッ、バキッ
建て付けの悪い古びた鉄扉がひしゃげながらゆっくりと開いた。
 
「名前さん!」
 
満月を背負って飛び込んできたのは降谷零。その冷たく大きな瞳でぐるりとあたりを見渡し、目を眇めた。名前が把握できていなかっただけで相手は六人いたようだ。だがその数の劣勢をものともせず素手で男達を地面に沈めていった。
体術は赤井と何度も手合わせしていたはずなのに、構えや繰り出す技、戦略はどれをとっても降谷独自のもので、ライバル視しているからこそ絶対に似たくないのだろうと考えながら降谷の戦いを見ていた。
 
「し、死ねぇええー!」
「零!」
 
最後の一人は名前の腹を蹴り上げたあの男。血走ったままの目を見開き、懐に隠していたらしい短刀を降谷に向けて走った。
だが降谷はそんなもので怯む男ではない。軽々とナイフをはじき落とし、美しいアッパーカットが決まった。突然の顎への強い衝撃で意識を飛ばしかけた男に、とどめと言わんばかりの蹴りを腹に入れて見事六対一の喧嘩に勝利した。
 
これでめでたく全員がまさしく虫ケラとなったのだ。
 
「れいー早くこれほどいてー」
「…名前さん、自分で外せますよね」
「えへ、ばれた?」
 
名前はへらりと笑ってきつく縛られた手首の縄と軽々と外して見せた。“万が一拘束されるような状況になったら外しやすいように縛られなさい”という親の教えを守っていたからである。とはいえ今回は手首だけでなく足首も拘束されており、勝てるビジョンが見えなかったため迎えが来るまで おとなしく していたのだった。
 
「まったく、なんでこんなことになっているんですか?」
「いやーさすがに六人?で来られたらねぇ…」
 
一目見て焦っていることがわかる表情をしながら突入してきた降谷はどこへやら、打って変わって呆れた顔を名前へ向けていた。
ため息に続く言葉はきっとこうだろう、 と名前は確信に近い予想が出来ていた。
 
「「だから一人で出歩かないで下さいとあれほど…」」
 
一言一句違えることなく言ってのけた名前はイエーイ、 とダブルピースを彼に向けた。同時に笑いも零れたが先程男に蹴られた場所が酷く痛み顔を顰めた。
 
「いったー…」
「何かされたんですか?!…これっ!」
 
何のためらいもなくめくられた服の下には痛々しい赤と青紫に染まった皮膚があり、途端に怒りと悲しみが降谷の顔に浮かんだ。
 
「殺す」
 
どのカスですか、名前さんに傷を付けた輩は。 降谷の大きな瞳からはハイライトが消え、地を這うようなどすの利いた声を発した。
 
「いや、ちょっと待って、さっき同じことしていたしもう虫の息だから」
 
虫ケラだけに、 とは言えなかった。名前が男にそういわれたのだと知ったら今以上に怒りに支配されてしまうから。
 
「それよりも、…ん」
 
名前は両腕を降谷に向けて伸ばした。
 
「なんです?」
「歩けない、運んで」
「嫌です。自業自得では?あなたのことです不必要に相手を煽ったんでしょう。ご自分で歩いて家まで帰ってください」
「い、家まで?!」
 
せめて車までだと思っていた。ぷいっと顔を背けた降谷の表情を見てとても焦った。降谷は頑固なのだ。
冗談めかして運んでほしいと言ったが本当に痛くて歩くことがつらいのだ。そもそもここがどこなのか、家までどのくらいあるのかもわからない。携帯は攫われたときに落としたし財布は抜かれた。

 「零、ごめん。気を付けます。だから許して?」
「…っ!ずるいです、置いて行くつもりは最初からありませんが…本当に反省しているのなら僕は、許してあげなくもないです」
 
僕は、と強調したことが少し気がかりではあったが、何とか足は確保できた。
二人が仲直りの儀式をしている最中、最初にドラム缶に背を打ち付け気絶していた男が目を覚まし、息も絶え絶えに質問を投げかけた。
 
「…ぉまえ、どうやってここが…」
「愚問ですよ。僕は名前さんがどこにいようとわかるんです。そう、それが例えイタリアであろうとね」
 
それがどういう意味なのか今一度問う前に気絶させたのち、名前を軽々と抱き上げ外へ向かって歩き出した。
 
「話の続きですが、僕は許しますが帰ったら新一くんが待っていますからね」
「ええーやっぱり!お兄ちゃんいるの?!やだー!!!」
「誘拐はともかく怪我に関してはこってり絞られるでしょうね。あ、志保さんのところに先に行きますので彼女にもちゃんと叱られてください」
「いーやーだー」
「あと、赤井に急げと電話してください」
 
 
誘拐犯は赤井を筆頭にジョディ、キャメルで片付けられた。名前を誘拐した理由は、頼まれたから。実行犯の男達より上にたくさんの人間が関わっているようで、本当の目的が判明するにはもう少し時間がかかりそうだ。お前は知る必要がない、と言っていたがその本人も理由は知らなかったのだ。
 
 
 
―――――
 
病院にて
 
「またこんなケガして!あなたのことだから無駄に相手を挑発したんでしょ。すぐに殺されなかったからってずっと殺されないわけじゃないのよ!?何もできない状況ならおとなしく助けを待ちなさい!」
「だって…」
「だってなに?!」
「下っ端だし頭悪そうだったから煽ったらボロ出すと思って…」
「あなたねぇ…」
「すみませんでしたぁ…」
 


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