春風を泳ぐ魚の群れ

僕たちが各々好きに質問をするものだから、先生は一瞬こめかみに指を当てた。
顔は見えないけれど何となく困っているように見えて、そういえば最初の対人演習の時にオールマイトも同じような反応をしていたのを思い出して、少し笑みが零れる。


「…質問は後だ。とりあえず聞きなさい」


静かな声だけどよく通る低い声。相澤先生に鍛えられた僕たちは自然にぴたりと言葉を止めた。


「状況設定としては逃げるヴィランを4人1組で捕まえること。4人がヒーロー、1人は私と共にヴィラン役をしてもらい、私は共にする者の指示に従う。制限時間は20分、2人の内1人でもこの確保テープを巻き付ければヒーロー側の勝利。ヴィラン側は20分間捕まらないもしくはヒーロー側の降参があれば勝利。配役はくじで決める。以上」


ヒーロー基礎学で使った確保テープを先生が手の中で弄ぶ。
くじでチームメンバーを決めるとなると、雄英体育祭の騎馬戦の時みたいに自分が考える作戦を叶えられるとは限らない内容だった。
プロヒーローたちは現場で即席チームアップを組む事があるって言うのは有名な話だから、多分それに近しい状況になるようにっていう事なんだろう。

先生の強さを考えると先生と組んだ生徒が圧倒的に有利に感じるけど、先生は生徒の指示で動くから状況判断と即決力が必要になる……中々難しそうだ。
うぅんと顎に手を添えて考えていると、皆も各々思うところがあるみたいでまた少し騒がしくなった。


「ケロ…逃げる側は先生をうまく動かさないといけないのね」
「捕まえる側は1人でも捕まえれば勝ちだから、先生を無視するのもアリだね」
「焦って指示ミスしちまったら速攻負ける可能性もあるな…」
「実際の現場でも指示ミスは致命的ですものね」
「気合入るな!先生!早くやりましょう!」


人数で言えばヒーロー役の方が有利だ。それでも先生が単体で強いし、誰が先生の相方になるかで大きく変わる。
索敵力のある障子くんや口田くん、耳郎さんだとこっちの行動は筒抜けになるし、単純に強い“個性”の轟くんやかっちゃんだと捕まえるのに難儀する。うーんどうしたものか。

独り言を呟いていると切島くんの言葉を皮切りに先生の用意したくじの箱に皆が群がって、僕も慌てて近付く。
くじを引くのにも結構性格が出るななんて思いながら、自分の順番が来るのを待った。
活発な切島くんは我先にと手を入れて、八百万さんは手を入れて速攻ボールを取り出したし、峰田くんはがさがさと回してから取り出してて少し面白かった。

ついに僕の順番が来て、恐る恐る箱からボールを取り出すと「A」と大きく書かれた傍に「敵」という文字があって、ヒェッと喉が引き攣る。
僕の手元にあるボールを後ろから葉隠さんが覗いてきて、彼女の顔は相変わらず見えないけれどぱっと笑ったような気がした。


「わっ、緑谷、ヴィラン役だね!」
「うぅわぁ緊張する…!せ、先生、よろしくお願いします…!」
「嗚呼」


緊張からばくばくと心臓が脈打つ。マスク越しで顔は見えないけれど何となく先生が笑った気がするけど、気のせいだったかな。

自然とチーム毎に分かれるよう集まってて、同じだけれど敵同士であるAチームの峰田くんに近寄ると「お前敵かよ!あっちいけ!」なんて威嚇されてしまった。世知辛い…。少し肩身の狭い思いをしていると、Cチームヴィラン役になった麗日さんが近付いてきた。


「デクくんもなんやね!めちゃめちゃ緊張する…!」
「わわわわかる…!先生に僕らが指示しなきゃいけないんだよね…」


麗日さんのCチームで今わかっているのは近距離戦闘が得意な尾白くんと、オールマイティな蛙吹さんだ。これもこれで厳しそうだと自然に喉がごくりと鳴った。
少しして全員がくじを引き終わり、僕が戦うAチームは青山くん・上鳴くん・障子くん・峰田くんだった。さっき僕が索敵力の高い障子くんや耳郎さんがいると厳しいと思っていたのに、本当に障子くんが相手に来てしまって思わず頭を抱える。

後はBチームがかっちゃん、Dチームは飯田くんがヴィラン役で、芦田さんがBチームのボールを持ってるかっちゃんをちらりと見て、うわぁと声をあげた。


「爆豪はキツイよ!」
「純粋なパワータイプは俺だけか…」
「爆豪って先生に指示とか出せんのかな…単騎突撃してきそうだけど」
「いや〜騎馬戦の時も指示はしっかりしてたし、意外とちゃんとしてんだよな…。とりあえず俺らも作戦練ろうぜ」


先生とかっちゃんのペアなんて本当に恐ろしい。
それでも芦戸さんの身体能力に酸、砂藤くんのパワー、耳郎さんの索敵力、瀬呂くんの起動力と束縛力があれば、いくらかっちゃんでも難しそうだ。
でも今はそれを気にしている場合でもなくて、先生が腕時計をちらりと見てから僕を手招きした。


「5分後にAチームからだ。時間になれば照明弾を打つから、私たちを追って来い。他のチームの戦闘をよく見ておくように。緑谷、移動しながら話すぞ」
「はっはい!」


先生の隣を歩く。大きい。ぱっと見て障子くんより背が高いから、190cmは超えてると思う。先生は脚が長いから少し小走りになりながらついて行ってると、そんな僕に気付いたようで少し歩く速度がゆっくりになった。長身とペストマスクで怖い印象もある先生だけれども、声を荒げたり威嚇することはないし意外と優しい人だと思う。

僕は一体どう動くといいんだろうか。ヒーローから逃げるヴィランという設定なのであれば、基本的には逃げた方がいいだろう。でも僕には機動力がない。とはいえ向こう4人もかっちゃんや瀬呂くんのように縦横無尽に動ける人がいる訳じゃあない。でも上鳴くんの放電も危険だし、引っ付くと動けなくなる可能性のある峰田くんの“個性”も危険だ。「緑谷」青山くんのネビルレーザーも直線状に入ったら避けられるかわからない。「…緑谷」何より障子くんの索敵力が強力すぎる。どこに居てもばれてしまう可能性が高い。


「緑谷」
「ぅひゃい!っす、すみません先生!」
「いや、構わない。作戦を練るのに忙しそうだが、私を上手く使え。攻撃はお前の指示がなければ行わないが、防御は自分の意思でするからな」


何度か呼ばれていたらしい。ぽんっと肩に大きな手が置かれてびくりと身体が大袈裟に跳ねた。ちょっと恥ずかしくなって顔が赤くなるのを感じる。
先生の言葉に、そうだ僕1人じゃなくて先生がいるということを思い出した。僕の指示が重要になるけど、僕がしっかりと動けて指示も上手く出来れば相手の攻撃をほとんど受けれる先生が捕まることは確立として非常に低い。気にするべきは障子くんとの近距離戦闘だ。近くに仲間が居れば、上鳴くんの無差別放電と青山くんのネビルレーザーは同士討ちを気にして出来ないはず。峰田くんはとにかく手元を見て――。

再度唸る僕の頭に、大きな手が乗った。皮手袋を付けた大きな手が宥めるように僕の頭をわしわしと撫でる。


「緑谷、ヒーローネームは決まったか」
「あっはい!デクです!」


ヒーロー名を発表した時に皆が驚いたように、頭を撫でていた先生の手がぴたりと止まった。
それでもすぐに再度大きな手がぽんぽんと僕の頭を撫でる。


「…わかった、ヒーローデク。よろしく頼む」
「っ頑張ります!」



―――



グラウンド・βのビル群に囲まれた真ん中辺りで、先生が信号拳銃を懐から取り出して照明弾を打ち上げた。勿論人通りのない大通りを走って照明弾を打った場所から離れていく。

気絶していて僕自身は見られなかったけど、ヒーロー基礎学後に麗日さんから聞いた内容だと、ビル内を裸足で歩く葉隠さんの足音まで聞こえていた障子くんだ。“嘘の災害や事故ルーム”USJでも皆がどこに飛ばされたのかを彼は理解してたらしい。どこに居たって多分ばれる。それならばビルの屋上のような高い所でじっとしておくのもありだと思ったけど、先生はともかく僕には機動力がない。追いつめられると逃げられなくなる。
場所がばれているのであれば、それを前提に動き回るという手を取ることにした。

広範囲攻撃が相手にはないので、僕たちが入ってきた入口から離れるように細かいビル群を走っていく。


「デク、どうする」
「とにかく場所は割れていると考えながら動きます!遠距離攻撃は青山くんだけですが、場所が正確でない以上副作用もあって乱発は出来ないと思います!」


ぐねぐねとした路地裏から出てきたところで、念の為左右を確認して大通りを走る。
その時、ガラス張りのビルに自分と先生が映ったのが見えた。と思った、ら。後ろが光ったような気がして「ドクター!左に避けて!」と反射的に叫ぶ。それと同時に僕が右に跳んだ途端、青山くんのレーザーが僕らの走っていたところを駆けて行った。

靴の底がレーザーに微かに触れたのか、ジュッと焼けるような音が聞こえて額から冷汗が垂れる。障子くんの“個性”で大まかに場所がばれた上で、何もない大通りだからぶっ放して来たんだ…!
前転して地面に手を着いて起き上がって、すぐに距離を取るように走り出す。

どうしよう、どうする。単純に考えて倍の人数差だ。押し切られるかもしれない。ビルの中に入る?ヒーローチームは前提条件として建物を大きく損壊させる訳にはいかないから、狭い場所ならなんとかなるかもしれない。多数相手だと僕の“個性”も咄嗟に上手く制御できる自信がない。屋内戦闘は障子くんに罠を張れる峰田くんがいる以上厳しいかもしれないけど、狭いだけあって上鳴くんと青山くんを封じられる!


「ドクター!ビル内部に入ります!」
「了解した」


近くのビルの中に入り込んで階段を駆け上がる。既に5分以上は経過していて、後は待ち伏せだ。逃げ切りながら確保テープを巻きつけられなければ僕らの勝ちだ。最初に考えた通りに障子くんと峰田くんに気を付ければなんとかなるはずだ。

3階ほど駆け上がって適当な部屋の中に入り、他の出入り口を確認する。左側の扉が隣と繋がっていて、とりあえずなるべく静かに息を整えた。窓から来られる人はいないだろうけど、念のため開ける訳にはいかない。気になるのは両方の部屋とも廊下は一直線に繋がっていることだ。罠を仕掛けられる可能性もある。とにかく息を潜めて、出来るだけ耳を澄ます。

静かな空間で僕の微かな呼吸音が響く。あまり時間は経っていないように思えたけど、多分これは待ち構えている側だからだろう。ヒーローに追いつめられるヴィランはこんな気持ちなんだろうかと考えていると、先生の長い人差し指がそっと入り口側を指さした。ヒタ、と一瞬、ほんの一瞬足音らしきものが聞こえたような気がして身構える。
バァンッと派手な音と共に扉を開けて入ってきたものが、まばゆい金髪だったことに思わず先生に手を伸ばした。


「130万――!」
「窓から外にっ!」
「了解」


先生が伸ばした僕の手を引っ張って守るように抱きしめると、後ろに跳躍する。跳躍した衝撃と背中で窓ガラスを割りながら、3階層分の高さから落下した。振り返らずとも室内がピカリと光ったのがわかって、続けてバチバチと大きな音が響き渡った。室内を選んだのは失敗だったけど飛び降りられる階層を選んで正解だった。上鳴くんが単身突撃で放電をしてくるなんて!

先生は僕を抱えたままぐるりと一回転しながら体制を立て直して、しなやかな猫のような動きで地面に降り立つ。けど、ぶにと鈍い音がしたと同時に「悪い」と先生が呟いた。
飛び降りた先には峰田くん“個性”の黒い物体がたくさん散らばっていて、その一つを先生の靴が踏んでしまっていた。待つ時間が長かったように感じたのは錯覚じゃない。峰田くんは落下個所を読んでこれを置いていたんだ。


「峰田くんの“個性”がない所へ投げてください!」
「おっしゃ先生がかかった!全員追撃だ!」
「任せて!」
「オラァ食らえ!」


投げられてる途中で上から上鳴くんの声が聞こえて、青山くんのレーザーを先生がしゃがみこんで避けるのが見えた。下で待っていた峰田くんが“個性”を投げようとしていて、障子くんが先生に向かってくる。深く考えてる暇はなかった。とにかく先生を2人から守らないと。

地面に着地してすぐさま中指を親指で抑えて力を込める。体育祭で轟くんへの攻撃を見てるから、僕のこの行動を見て無暗に突っ込めないはずだ。峰田くんの投げて来た“個性”は風圧で吹っ飛ばせる。逆に先生は足を地面に固定されてるから、吹っ飛びはしないはず。爆発しないイメージを頭の中で繰り返しつつ極力パワーを抑えて中指を弾くと、ぶわりと風圧が起こる。


「えっ!」
「は?!」
「えぇっ!」


自由な方の左足で踏ん張ってくれると思っていたのに、直前で先生は右足をがこっと外して風圧に飛ばされてしまった。それでも何事もなかったかのように数メートル先で杖と左足を使って着地して、中身のないスラックスが風に吹かれてふわりと揺れる。ここにいる全員がぽかんと口を開けた。

慌ててさっきまで先生が立っていた場所を見ると、右足は峰田くんの“個性”に捕まったままだったけど明らかに生身ではないメカメカしいそれは――。


「…それほど驚かれると思わなかったな。悪い、そっちは義足だ」
「コエーー!緑谷が先生の足吹っ飛ばしちまったのかと思った!」
「驚いてる場合じゃない!動きの鈍った先生を狙う!緑谷を足止めしてくれ!」


障子くんの声にハッと固まってた身体が動いたけど彼の行動の方が早く、既に先生に飛びかかっていた。先生の“個性”じゃ障子くんの腕には何も出来ない。それを障子くんもわかっていて、複製腕の先から手を生やして先生の足を捕まえるように執拗に狙っていた。今は何とか片足と杖で避けてはいるけど、時間の問題だ。

僕のせいだ。先生への指示がうまくいってない。急いで向かおうと思って踏み出した足先の地面に、レーザーが刺さって踏みとどまる。続けて発射されるレーザーを何とか避けたけど、遮蔽物がない道路で上から青山くんに狙われるのはまずい。立ち止まると上からと峰田くんにも良い的にされる。もう上に上鳴くんが居なかったから、ビルから降りてきてる。考えることが多い。とりあえず障子くんを先生から引き離さないと。すぐに移動できる方法を考えて、再度爆発しないイメージを唱えながら足を踏み込んだ。

けど、思いもよらない柔らかい感触に踏み込みが上手くいかず膝ががくりと崩れる。


「足元お留守だ!先生に気を取られすぎだぜ緑谷!」
「しまった!」


踏み込んだ先には峰田くんの“個性”が置かれていて、地面に縫い留められる形になってしまった。
先生がこの前にやっていたようにすぐに靴を脱ごうとしたけど、再び投げられたそれに手が靴にくっつく。くそう厄介だこの“個性”…!

ばっと峰田くんが飛びかかって来て確保テープが僕の身体に巻き付けられて、ホイッスルのような音が確保テープから高らかに鳴り響く。負けてしまった。その事実に身体から力が抜けてふにゃりと地面に横たわってしまって、はあぁあと口から重い溜め息が漏れる。


「よっしゃーー! !勝ったぞー!」
「峰田!よくやった!」
「僕のレーザー、ナイスアシストだったね!」


僕の敗因は状況把握ミスと意思疎通不足だ。騎馬戦では黒影ダークシャドウのカバーがあったから目の前の人に集中できたけど、多数相手だと力の制御に気を向けている間に別方向から攻撃される。安易に待ちの姿勢になってしまったから、峰田くんたちに準備をさせる時間を与えてしまった。くそう悔しい…。唯一良かったのはOFAを自損せず撃てたことだけだ。ここだけは反復練習をしたのが生きた。でも、これだけだ。

僕の手と靴から峰田くんが“個性”を取り外してくれている間に、先生が障子くんに抱えられて近付いてくる。勿論先生には確保テープは巻き付いていない。片足であの6本の腕を避け続けるのは流石としか思いようがなかった。
3人は障子くんの複製腕とハイタッチをして、スラックスをまくり上げた先生は峰田くんから受け取った義足を装着して立ち上がる。


「緑谷、悪かった。義足というのを先に言っておけば良かったな」
「いえ!最初の青山くんからの奇襲で焦って室内に逃げてしまったのが失敗でした…」
「色々と考えすぎだったな。単純に走り回ったほうが良かったかもしれない。ただ、体育祭のように自損しなかったのは良いことだ」


先生の大きな手が僕の手を取って、破れたりしていないグローブを確認してからぽんと頭を撫でてから、上鳴くんたちの方を向いた。


「ビル内に上手く誘導出来てよかった」
「最初の奇襲は障子の作戦だったか。峰田の罠の設置。そこに逃げるように誘導した上鳴の攻撃。青山の奇襲と足止め。良い連携だった。よくやったな」
「メルスぃドクター」
「詳しい批評はまた後だ。戻るぞ」


青山くんのウインクを華麗にスルーしたところで、先生は思いついたように「走って戻るぞ、追いついて来い」と言ってさっさと走っていってしまった。
あれだけ障子くんの攻撃を躱していたのに疲れなんて全く見られない軽やかな動きに、一瞬ぽかんとしてから慌てて僕らも走り出す。今回の反省は勿論大事だけど、皆が戦う姿を見れるのが楽しみでつい口角が上がるのを感じながら先生の背中を追いかけた。


title:不在証明