捕食者の機嫌の取り方


「切取くん、送らなくて大丈夫かい?」
「問題ありません、部下に連絡を致しますので」


数時間後、食事を終わらせ店を出たところで、送ろうか?と聞いてきたオールマイトに断りを入れ、エルクレスに乗り込む二人を見届ける。
気を付けて帰るんだよと言い残し発進した車が見えなくなるまで見送った。

それからスマートフォンで連絡を入れると5秒も経たずにダミアンが隣に現れた。
ここまで速いとスマートフォンの前でずっと待っていたのではないかと千歳は思ったが、気のせいだろうと彼は疑問を口に出すことはなかった。――忠実な部下は本当にスマートフォンの前で律儀に待っていたのだが、知らないのは主人だけだ。


「病院にお戻りですか?」
「いや、弔の所に行ってくれ。1日でも空くと機嫌取りが面倒になる」
「かしこまりました」


『S』とラベルが貼られた試験管をコートから取り出すと、中に入っている白銀の髪が月の光に照らされてきらりと少し光る。
1本だけ取り出してそれをダミアンが飲み込むと、彼らが拠点としているバーの近くに降り立った。


「お帰りはどうなさいますか?」
「時間が時間だ、多分帰れないだろうな。明日、今日の事の話をする」
「かしこまりました。どうぞ、お気をつけて」


ペストマスクを外しジャケットを脱いでダミアンに手渡して、ネクタイを緩めながら路地裏から抜け出した。
酒の匂いがしている気がすると思いつつ、バーの扉を軽くノックしてから開ける。
23時を過ぎているものの千歳が来ることを予想していたのか、黒霧がカウンター内でグラスを拭きながら入ってきた千歳を見てゆらりと揺れた。


「弔の様子はどうですか?」
「変わりありません。貴方を待っていたくらいでしょうか。今日一日」
「…嗚呼、そうですか」


協調された言葉から察するに、死柄木の機嫌はあまり良い状態ではないらしいと理解しながら、隣の扉をノックする。
しかし扉を鳴らしたところで、律儀に彼が返事を返すことなどほとんどないという事は千歳も知っていたが、慣れ親しんだ習慣のようなものだった。
思っていた通り死柄木からの返答はなく「入るぞ」と一応一言添えて扉を開ける。

片膝を立てながらベッドで横になっていた死柄木だが、入ってきた千歳に対して目を呉れようとはしない。
天井を見ていた割にふいと壁の方へ顔を横にずらす様は千歳の侵入を拒んでいるようだった。が、嫌なことは嫌だと率直に言う死柄木がこうやって無言の拒否を示すのは、何かしら気に食わないことがあった時である。
ベッドに腰かけて、機嫌を取るようにふわふわとした髪を指で梳く。


「弔、遅くなって悪かった」
「……」
「怪我の様子はどうだ?痛みはマシになったか?」
「…酒くせぇ」
「接待みたいなものだ。許してくれ」


そっぽを向いたままの死柄木の髪を梳くように千歳が撫でていると、機嫌が少しずつ直ってきたのか、徐に上半身を持ちあげた。
気だるげな紅い瞳がじろりと睨みつけてくる。千歳が遅くに自分に会いに来たことが、後回しにされたようで納得いかないといった顔だった。
それを誤魔化すように梳くことに使っていた手を移動させ、荒れた下瞼を撫でるとくすぐったいのか撫でられている片眼を閉じた。その姿を見ていると、野良猫を撫でているような感覚に陥る。

千歳がそうして彼の機嫌を誤魔化そうという気持ちが本人に伝わっていたのか、千歳の手の払いのけて不健康そうな顔がぐっと近付き、死柄木の真っ赤な舌がべろりと唇を舐め上げた。
千歳自身は既に酒の味など感じないような状態だったが、べ、と舌を出して嘘か本当か苦いと文句を言う。


「さっさと傷を見ろ、痛いんだ」
「痛み止めなら渡しただろう…薬嫌いもほどほどにしてくれ」
「前から言ってるだろ。千歳が居れば飲むって」
「……明日は早く来るから勘弁してくれ…弔も私も黒霧さんの小言は得意じゃないだろう」


マスクにゴム手袋を付けて麻酔の準備をしながら千歳がそう言うと、黒霧の小言に勿論経験のある死柄木は苦い顔をしながら、完全に納得した訳ではないようだが渋々と言った様子で返事をしつつ、服を脱いだ。
巻いていた包帯にガーゼを外して注射針を刺す。

千歳の“個性”の1つである『カット』は発動させながら切る事で、切られた側は痛みや出血を伴わないというものだ。
切り取った部分に何をしようと発動状態を継続していればそのまま痛みは感じない。
しかしもう1つの“個性”『ペースト』で元通りくっ付けた際に、いじられた部分はいじられただけ痛みは感じる様になるのだ。
その為に作業の時には麻酔が必要であった。彼が痛みに鈍くとも、痛みに鈍い割に注射針が得意でない事を知っていても、やらないわけにはいかない。

“個性”を使用して一番傷の状態が酷い右腕を切り離し、傷の具合を確認しながら射創管の洗浄を始めていく。


「この前やったやつ、ありゃチートだチート。こっちは雑魚ばっかりで話にもならなかった」
「…ゲームの話か?」
「嗚呼、あんなもんどうすりゃいいんだ」
「よくわからないが仲間のレベルを上げるなり、新しい仲間を加えるなり、司令塔がしっかりするしかないんじゃないか」


唐突に主語のない話を始めるのはいつもの事だった。
暇つぶしがてらAFOや黒霧からゲームを与えられてよく遊んでいた死柄木と違い、千歳は今の歳までゲームというのを触ったことがない。
故に千歳がそういった関連の物で大したアドバイスなど出来る訳ではなかったし、彼も大層なそれを求めていたわけではないように感じていた。

対処を終えたことで右腕を戻し、今度は両足を切り離していく。
ゲームとしてではなく通常の戦闘での話を照らし合わせて、なんとなくそれっぽい事を言って見せただけの千歳の言葉に納得したのか、死柄木はにやりと満足げに笑った。


「そうだよなぁ…敵情視察も大事か?」
「戦う相手がわかっているなら大事なことだと思うがな」


他の部分の治療をしながら、死柄木の言葉を考える。
千歳はヴィランたちが行っている行為に関して、口も手も出す気はなく、首を突っ込むつもりもない。
それをわかっているAFOや死柄木が何かを言ってくることはないが、ニュースと照らし合わせれば誰がやったのかということを特定することは、警察やヒーローよりも明らかに千歳の方が容易かった。

そして死柄木の怪我が何をして出来たものなのかという事も、予想はできていた。
だが予想が出来たところで、千歳が出来ることなど何もない。
そもそもヒーローという肩書きは元は医師として利用するために取得したものでもあるし、彼らを助ける為に取得するよう命じられたものだ。
それでも、時にはヒーローとしてヴィランと戦うことも勿論あったし、今回は彼らの敵であるヒーローを育てる機関に属することにもなった。

吐き気がするほどの矛盾。年月を重ねるほど、その矛盾ばかりが身体にのしかかっていく。


「面倒だ」
「勝ちたいならそうするしかないだろう…終わったぞ。両足と左腕は落ち着けば先に射入口も射出口も閉鎖できそうだ。右腕はまだしばらく洗浄を続けてからだな」


お疲れ様と言いつつ治療を終え、片方のゴム手袋を外した大きく節ばった手が死柄木の頭をやわやわと撫でる。
器具を消毒しつつマスクともう片方のゴム手袋を外して、脱いでいた服をもう一度着させようと掴んだ時「千歳」小さな声で死柄木が彼を呼んだ。


「風呂も入れないから身体拭いてくれ」
「わかった」
「薬を飲むころに千歳が居ないのも困るからこのまま居ろ」
「…今日だけだからな」


最近は落ち着いたものの機嫌を損ね癇癪を起こして何かされては堪らないと、千歳は素直に死柄木の提案を受け入れる。
タオルを用意してくるから少し待っていてくれ、と立ち上がろうとしたところで、千歳、またしても言葉だけで動きを封じられた。

紅い瞳がじっと千歳を強請る様に見つめる。
あぁ面倒な顔だと思いつつ、答えがわかっているのに敢えてどうしたんだと返答した。
死柄木は死柄木でわかっているくせにわからないという顔をする千歳が気に入らないのか、ぐっと眉を寄せて不機嫌さを醸し出す。


「…言いたい事があるなら口に出しなさい」


窘めるように言い聞かせると、不機嫌さを更に増したと言うように口を窄める死柄木に対して、小さく溜め息を吐く。
昔からどれだけ言っても、千歳の言う事をまともに聞いた事がないのだ。この大きな子どもは。

しかしそれでも教育係としてめげる訳にはいかないと、死柄木からの言葉を促すためにも何も言わずに頭をぽんぽんと柔く叩いた。
どうせ麻酔が効いて腕などが動く事はないとわかっての行動だ。何かあるなら言葉を発すればいいのだと。

死柄木を置いて彼の望む事を叶える為に再度立ち上がると、ピシリと何かが割れる音がして、千歳は急いで振り返る。
微かに動く五指で一瞬ベッドの縁に触れたらしく、木枠が割れた音だったことに気付きそこから手を引き剥がしながら再び溜め息を吐く。
千歳は結局のところ、こうやってまんまと死柄木のやりたかったように動かされることになるのだ。昔からのことだ。


「癇癪で私を壊さないのは評価するが、寝床を壊すのもやめなさい。困るのはお前だろう」
「……ここにいろ」
「弔が身体を拭けと言ったんだろう」
「蒸しタオルなんざ黒霧に作らせればいいだろ、千歳はここにいろ」


黒霧は死柄木を守る為にAFOから寄越されている人物で、何でも言う事を聞いてくれる執事ではないのだ。
しかし実際のところ死柄木の言う事は溜め息をついても大体言う事を聞くのだから、そう言われると千歳が諌めることなど出来なかった。
結局の所、千歳たちの関係では死柄木が王なのだ。

こうなった死柄木は千歳が言う事を聞いてやるまで意見を変えることはないという事をよくわかっていた彼は、またしても溜め息を小さく吐いてから再度ベッドに腰を下ろした。
その様子に死柄木が口の端を持ちあげてにやりと笑う。してやったりという顔だ。


「だから言う事聞けって言っただろ」
「わかったわかった。なら黒霧さんを――」
「つか、風呂に入れろ。千歳も入れ」
「…………わかった」


結局ここまでが死柄木の考えていたストーリーだったのかもしれない。わかりもしないそんな事を思いながら、もうどうにでもなれといった投げやりな様子で千歳は死柄木の提案のような命令を受け入れた。
怪我人を風呂に入れるのであれば要領を理解している自分がするのが無難だろうと、彼は何とか良いように理解することにしたようだ。

先に浴室への通路を確保しつつ、未だ四肢は麻酔が効いていて動かないので何かをされることはないだろうと考えながら、死柄木の肩と膝裏に腕を通して軽々と持ち上げて浴室へと連れていく。
治療の際に死柄木の服は脱がせていたので、彼が身に纏っている者はボクサーパンツ一つである。
とりあえずそのまま浴槽の縁に死柄木を座らせ、靴と靴下を脱ぎ、スラックスを膝下まで持ち上げてカッターシャツを腕まくりする千歳の様子を、死柄木はふらふらと猫背の身体を揺らしながら見ていた。

彼の身体をどう清めようかと考えて、思いついた方法に元の部屋から仕込み杖を持って戻ってくる。
その様子を見て、げ、と死柄木は嫌そうに顔をしかめる。彼の予想と千歳がしようと考えたことが一致したようだ。
千歳としては迷惑をかけられたのでちょっとばかりの仕返しのつもりでもあったが、これが考えた中で一番妥当なやり方でもあった。


「腕と脚は切って洗うか。それが一番安全で楽そうだ」
「…俺にそれが出来るのはお前だけだよ」
「それは光栄だ」


浴槽の縁に座らせたままではバランスが悪い為、バスチェアに座らせて両手足を“個性”で切断する。
脱衣所の床に敷いていたタオルに切った手足を置いたところで、浴室の扉が閉まった。


title:不在証明