飴と欲し

 ジャック・オー・ランタンのオレンジ色を見るとなんだかそわそわする、とは彼のマスターの言だった。
 その言葉どおり、遠くに聞こえるさざめきもどこか浮き足だっているようだ。時折響く笑い声と歓声は幼い姿のサーヴァントたちのものだろう。
 常は殺風景な医療室内も、デスクや棚の上ににんまりと笑うオレンジのカボチャが飾られている。カルテと向き合いながら時折視界に入るそれらに、つい口元がゆるんだ。
「あっ、サンソン!」
「サンソンさん!」
 入口から鈴を転がすような呼び声が聞こえて、振り向けば可愛らしく仮装した少女たちが四人、顔を覗かせている。
「やあ、こんにちは」
「こんにちは!」と軽やかな挨拶を響かせて、ジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィ、ナーサリー・ライム、ジャック・ザ・リッパー、ポール・バニヤンの四人がサンソンの元に駆け寄ってきた。
「随分可愛らしいおばけだね」
「む、可愛いですか。怖くないですか」
 生真面目な顔でそう返したのはサンタ・リリィで、「うん?」と彼が小首を傾げれば、狼の耳と爪を付けたジャックが小さな両手を掲げる。
「Trick or Treat! お菓子をくれないとイタズラしちゃうよ」
 電灯の光を反射してギラリと輝いた爪を前に、なるほど、と得心がいく。彼女たちにしてみれば、この台詞を言うからには怖がらせなければお菓子がもらえないということなのだろう。
「いたずらは、困るな」
 と、わざとらしく神妙な顔つきをして、机上に置いていたカボチャ型の入れ物からお菓子を取り出す。
「どうぞ。ハッピーハロウィン」
 一人、一掴みずつ。サンソンの大きな手のひらで渡されたお菓子の山を、少女たちは落とさないように慌てて両手で受け取った。見つめるその瞳が、きらきらと喜色をまとって輝きだす。
「まあ、まあ! こんなにたくさん! もらっていいのかしら」
「ありがとう、ムッシュー」
「一度に食べ過ぎてはいけないよ」
 その場で飛び跳ねそうな声音に、つられてサンソンも笑みをこぼしてしまう。彼女たちも彼と同じサーヴァントであるとわかっていても、つい父親めいた台詞がでてきてしまうのは、ほとんど癖のようなものだった。はぁい、と素直に声をあげて、駆け足で去っていく後ろ姿に「廊下は走らないように」と付け加えてしまったのは、さすがに過保護だろうか。
「あら」
 と、医療室のドアから出ていった少女たちと入れ違うようにして、細い体躯が現れる。ブルネットの髪に留められた柘榴の花飾りの赤が目にとびこんで、偶然通りがかったらしい彼女の元に歩み寄った。
「今日はここも賑やかね」
 廊下の先に消えていった子どもたちの背を見送り微笑むマタ・ハリに、ひとつ頷くと隣に並ぶ。
「君は、今年はあの衣装は着ないのか」
「覚えていてくれたの?」
「似合っていたからね」
 それにとてもセクシーだった、と冗談めかして付け加えればひどく愉快そうに彼女は笑う。
「考えておくわ。あなたも楽しんでいるようだし」
「そうだな。ああして彼女たちの笑った顔が見られるなら、悪くない」
 自然、相好をゆるめてこぼした言葉にマタ・ハリも眦をゆるやかにする。サンソンの手に残っていた菓子に視線を向けると、楽しそうに目を凝らした。
「たくさん用意したのね……ああ、このキャンディー。私も好きよ」
「同郷の職員に勧められてね。僕も気に入っている」
 ショコラに、クッキー、マシュマロやグミと様々詰め込まれた器の中で、マタ・ハリが指し示したのはフランスの有名な飴菓子だ。
 棒付きの細長いキャンディーにシンプルな包装が巻かれている。創業は二十世紀の半ばということだから、もちろん二人とも生前に口にしたことはなかったが、多国籍なカルデア職員の中にはフランス出身の者もいる。きっと彼女も、彼らのうちの誰かに勧められたことがあるのだろう。味の種類も豊富で、フランスで最も美味しいと賞されるだけあり、キャラメルに近い食感は確かに癖になる。
「よかったら、君もどうだい」
 ニンマリ口角を上げるカボチャの容器を差し出せば、短く礼を言ったマタ・ハリは幾分嬉しそうに中を覗きこんだ。細い指先が迷うようにうろついて、最終的にオレンジの包装の飴を選ぶ。気のせいか、普段よりあどけなさが垣間見えたその横顔に、ふと胸中に悪戯心が湧き上がった。
「……"Des bonbons ou un sort?"」
 小首を傾げ、わざとらしく軽妙にこぼした台詞。青い瞳が瞬いて、小さな手がふくらとした頬にあてられる。
「……大変。お菓子は用意してないの」
 それじゃあハツカネズミにでもされてしまうのかしら。
 そう紡いだ口元は、けれど台詞とは裏腹に艶やかな弧を描いていた。頭一つ低い位置から覗きこむ、愛らしい顔が彼に近づく。
「生憎、カボチャの馬車もガラスの靴も用意できなくてね」
 つられてくすくすと喉を鳴らして、近づけられたその顔に手を伸ばした。そうして、澄ました少女の小さな鼻を軽く摘まむ。きゃっと細い悲鳴が薄い喉からこぼれ、反射的に閉じられた丸い瞳が、すぐに肩を震わせる彼を捉えると途端眦を強くした。
「……もうっ、シャルルったら!」
「お菓子か、悪戯か("Trick or Treat")。だろう?」
 堪らずくつくつと喉を鳴らす。色づいた頬を膨らませて、小鳥のように唇を尖らせるその顔が愛らしくて仕方ない。
「子ども扱いして……ひどいひと」
 ぷいと逸らされた顔に漸く「悪かった」と続けても、拗ねた表情は変わらなかった。真実子どもだと思っていたら、こんなふうに絆されてほしいだなんて思わないというのに。
「……そんな顔をしたってダメ」
 じっと灰青の瞳で見つめても、振り向いた丸い陽の目はやはり色を濃くしていて、伸ばされたやわい手のひらが仕返しとばかりに彼の頬をつねる。結ばれた小鳥の唇が堪えきれずに綻び始めるには、もう少し時間がかかりそうだった。