生を抱いた日

 シン、と静まった医療室には、サンソンが書類にペンを走らせる音が響いていた。微かに漂う消毒液のにおいも、こうして何度か雑用を手伝ううちに慣れてしまった、と書類の並んだ棚に向き合ったマタ・ハリはとりとめなく思考を巡らせる。カルデアの職員やサーヴァントの診療記録はほとんどデータで管理されているものの、紙に書き留めたものも少なくない。
 ふと、気が逸れてしまったのだろう。黙々と整理を進めていた手が滑り、取り出したファイルを落としてしまった。存外大きく響いた書類の散らばる音に、サンソンが振り向く気配がする。
「平気かい?」
「ええ、大丈夫。ごめんなさい」
 しゃがみこみ、散らばった書類を拾おうとした手が止まる。視線の先に、"Sanson"という文字が見えたからだ。どうやら落としてしまったのは彼の記録だったらしい。あまりつぶさに見るものではないと思ったものの、生没年月日の欄に記載されていた数字が思わず目に留まってしまう。
「……シャルル」
「うん?」
「あなた、今日がお誕生日だってどうして教えてくれなかったの?」
 拾い上げた書類を棚に戻し投げかけた問いかけに、再度振り返ったサンソンは虚を突かれたように灰青の瞳を瞬かせた。ややあって、言われて初めて思い出した、というように小首を傾げる。
「ああ。そういえば、そうか」
 確かに今日、二月十五日は彼が生まれた日だった。しかし、最近のカルデアは甘い香りのする恒例のイベント──バレンタインデーの騒動で慌ただしかったし、そもそも、生まれた日と言っても二百年以上昔の話だ。
「サーヴァントに、誕生日も何もないだろう」
「それは、そうだけれど」
「……それに、祝うほどのものでもないさ」
 ぽつりとこぼされた台詞に、マタ・ハリは暫し押し黙った。静かに伏せられた白い瞼を見つめ、やがてふっと息を吐く。診察椅子に腰かけた彼に歩み寄ると、白磁の頬を両の手でそっと包んだ。上向いた視線が彼女の陽の目と混じり、音もなく降り注いだ唇が、灰褐色の髪から覗く額に触れる。
「……"あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもってわたしを囲んでくださる方"」
 囁くように紡がれた祈りは、サンソンの鼓膜を優しく揺らした。ゆるりと離れていった少女の面立ちを見上げ、変わらず頬に添えられた細い指先に手を重ねる。
「……驚いたな。まさか君から祈りの言葉を聞けるとは」
「これでも信仰の気持ちは持ち合わせているのよ、私も」
 交わした会話に小さく喉を鳴らし、次に口を開いた彼女は深い青の瞳をやわらかく細めた。
「祝福と感謝を。あなたを愛してくれた方たちと同じように」
 あなたへ、と続けた言葉に灰青の瞳が僅かに見開き──やがて重ねられた手のひらが、彼女の指先をそっと握りしめる。小さく紡がれた青年の言葉に、少女の頬は満足そうに綻んだ。