──────哀side
ぞくりと肌が粟立つ感覚に震えて、何もできなくなった私とはもう違うのよとかぶりを振る。大丈夫、私には二人のお姉ちゃんがいる。こわくない。と言えばうそだけど、もう怯えるだけの私じゃない。無茶はしない。でも、逃げもしない。
そう思ってその忌々しい気配の先をこの目にうつそうと振り向いた瞬間、さっきまでの覚悟が一瞬で霧散しそうになった。
「おね、」
えちゃん、と続きそうになった声をどうにかおさえる。
お姉ちゃんが、連れ去られた。
慌てて駆け寄りたかったけどこの小さな子どもの足じゃ、車になんか追いつける訳がなくせめてもの足掻きでナンバーだけでも混乱する頭に必死に叩きつける。必死に覚えたところであの忌々しい組織が使う車のナンバーなんて、なんの意味もないかもしれない。それでも必死で脳に刻みつけて、走り出した車を追いかけたい気持ちをおさえて反対側に走り出す。
向かう先は、悔しいけれどあの男。
「お姉ちゃんが!」
「……──」
ポアロの扉を勢いよく開いて叫ぶ。いなかったらどうしようなんて考えもしなかった。そんなこと頭になかった。お姉ちゃんのことしか頭になかった。早く助けなきゃ。早く伝えなきゃ。その想いだけで走って、ようやく辿り着いて、叫んで、汗だくになった体が瞬時に冷えて一瞬頭が真っ白になりそうになった。
あの恐ろしい組織の気配と同じくらい、いやそれ以上に恐ろしい気配が刹那滲み出ていて固まる。
「すみません、緊急事態のようですので少し抜けさせていただきます」
さっきのは幻だったのかと思うほどいつも通りの胡散臭い笑顔でのんびりと、だけど誰にも有無を言わせない不思議な表情は末恐ろしくて、私は今何に怯えているのかわからなくなる。
「お姉ちゃんが、お姉ちゃんが、」
「落ち着いてください。あなただけが頼りなんですから落ち着いて、何があったか教えてください」
優しく優しく尋ねられて、やっぱりさっきのは見間違いだったのかとホッとしそうになって心臓が縮む感覚に陥る。動揺を隠そうとしているのか握り込まれた拳は、怒りに震えているのか、恐怖に震えているのか私には判断がつかなかった。
説明をしている最中にも忙しそうに携帯を触りながら私の話を聞き終えて、震えの止まった手のひらでお疲れさまとありがとうを言いながら頭を撫でられて、そこから私は蚊帳の外。目撃者なのに、忙しなく指を動かす姿を横で何もできず見守るしかできない。
電話がかかってきたのが画面内で表示されたことすらわからないくらい秒速で応答する姿に耳をすまして会話内容をどうにか聴こうとするけど聞こえるわけもなく焦るだけ。
「──……こちらにも有能な情報提供者がいまして。時計は、……ああ、安心しました、至急場所を送ってください。……わかってる」
低くなる声に私の心がどうしようもなくはやる。安心しました、ってどういうこと。お姉ちゃんは無事なの。ねえ。
そう聞きたいはずなのに、気持ちだけが先走って何も音にできない。そんな私を見て優しげな笑みが深まる姿が薄気味悪い。
「大丈夫です。場所はわかりました。すぐに連れ戻します」
「……お姉ちゃんを攫った人を、どうするの?」
「どうしましょうね」
更に深まる笑みにゾッと恐怖に身震いする。怒ってる時は怒った表情をして、悲しいなら悲しんで、こわいならこわがって。感情とちぐはぐな表情に何も言えなくなる。あの時の方がまだマシだった。お姉ちゃんがお姉ちゃんじゃないのと、藁をもすがる気持ちであの時はまだ信用も何もしていなかった男に尋ねに行ったとき、その時はちゃんと悲しい表情が出来ていたのに。私に八つ当たりだって出来たじゃない。ちゃんと感情を表に出さなきゃ、壊れてしまうのに。
「……お姉ちゃんを、悲しませることだけはしないで」
「善処します」
──────降谷side
ブー、ブー、と力強く握り締めて壊さないように気をつけていた携帯が静かに鳴る。後ろ暗い用の携帯だ。だからこそ握りしめていた。待っていた。
『よぉ、バーボン』
「ああ、あなたでしたか」
自分でも驚くほどの朗らかな声が出た。
『機嫌が良いな?』
「ええ、とても」
『その機嫌の良さがいつまでも保つといいな』
「ふふ、そうですね」
勝利を確信したように笑うクズにどんどん頭が冷えていく。
組織が関わっているからジンにはついさっき連絡をしておいた。今回は小さなライバルが目撃者としてポアロに駆け込んだから安室として、探偵として行動すると。彼女が目撃してくれたおかげでこうして正々堂々と正しく乗り込める。
『バーボンが最近ちょっかいかけてる女がいるだろ?』
「ええ、いますね。可愛くて可愛くて仕方がないんです」
『はははっ! その女を預かったって言ったら、お前は何を差し出す?』
愉快そうに笑うクズに冷え切っているのに爆発しそうになる。窓越しに見える笑んで揺れる姿を逃さぬようにじっと大人しく見つめる。まだだ。反対の耳から聞こえるヒロの声を拾う。まだだ。全員の配置が済んだ瞬間、ヒロが俺に許可を出す。
「そうですねえ、あなたの首はいかがです?」
『……、は?』
許可が聞こえたのと同時に問いを投げかけ窓をブチ破る。手が血塗れになろうが、耳に当てたまま、強く握りしめた携帯が木っ端微塵になろうが構わない。最後に聞こえた間抜けな声と、窓が割れる音が二重に重なった。
「お迎えにあがりました」
「ひ、ッ」
振り返る必要なんてない。俺の顔を見る必要も、対話する必要も、ましてや交渉する必要もない。
ほんの少し私情が混ざって一発余分にお見舞いしてしまったのはあとで始末書を書く。
「あとひとり」
この騒音に気付いてこの部屋に駆けつける足音が聞こえる。イヤカフでヒロが「あーあー風見さんの胃が可哀想」なんてボヤいた声が聞こえた気がするけど、聞こえないふりをした。
「おいっ、どうした、」
「こんばんは」
慌てて入ってきた男ににっこり挨拶をしてから瞬きする間も与えない。
2020/11/13