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眠って朝を迎えても、昨日の羞恥は忘れられなかった。むしろ余計に恥ずかしい気持ちが増えてる気がする。なぜ。今日の予定、いつものように言いに行くの、なんだか気恥ずかしいなとカーテンを開いて固まる。景色が、違う。
戻ってきてしまった。
戻ってきて、しまった?
諸手を挙げて喜ぶべきことのはずなのに、どうしてそんな言い方をしてしまったのか、なんて、わかりきってる。私にとってはもうあっちの世界も現実だった。夢か現実か、そんな二択で説明付けられるものじゃなくて、私にとってはどちらも現実になっていた。なのに、残酷な現実はこれで、彼らはまた手の届かない架空の人物になってしまった。
ぼたぼたと布団に涙のしみが広がっていく。止める気なんてない。止め方なんてわからない。蛇口が壊れてしまったかのように自然と生温かい涙が頬を伝っていく。みっともなくわんわんと泣き叫んで、身体中の水分を追い出すことしか今の私にできることなんてなかった。
皮肉なことに何もかもどうでもよくなったくせに、会社に連絡だけはきちんとしていた。涙に濡れて絶望に枯れた声が伝わったのかしばらく休みなさいと優しい言葉をもらってしまった。だけどもう全てがどうでもよくて、布団に涙の染みを増やすだけの毎日。
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ようやく涙も枯れ果てて何日かぶりに名前をつぶやく。
「ふるやさん」
返事なんてかえってくるわけもなく、ただ現実に打ちひしがれるだけ。せっかく友達になれたのに。せっかく。
現実を見たくなくてしまいこんでいた単行本を取り出してはじめからページを追う。ああそうだ、こんな事件もあったなあ。これも、あれも、それも、全部細かく覚えていられたらよかったのに。そうすれば本当に預言者としてもっと降谷さんの役に立てたのに。でも、中途半端な私だったから、疑われもせず、ありがたいことに友達になれたのかもしれない。全部事細かく覚えていたらただの情報提供者で、一歩引いた仕事人としての降谷さんとしか話せなかったのかもしれない。それは寂しいな。あんなに友達になることに抵抗を覚えていたのに、今では、こんなにも友達の降谷さんに会いたい。
萩原さんと松田さんの巻に差し掛かって読む手が固まる。だって私は彼らが楽しそうに話してたのを知ってる。優しく話しかけてくれたのを覚えている。そんな彼らの死を読みたくなかった。だけど、だけど、けじめをつけよう。あれは甘い夢だった。そう、現実じゃない。夢なんだ。そう、夢、みんな生きてない。私が考えた甘い夢だったんだ。現実なわけがない。降谷さんと友達になんてなれるわけがない。
それを脳に叩きつけるために涙で滲む視界で読み進める覚悟を決める。そう、夢だった。あれは優しい、優しい夢。
「え?」
夢だったはずなのに。
萩原さんが、防護服をずっと着ている。
松田さんが、喪服を着ていない。
「どうして」
どうしてどうしてどうして。夢だったと思い込もうとしたのに。ここだけが現実だと思おうとしたのに。夢じゃなかった。現実だった。じゃあどうして、私は、
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残酷な現実に打ちのめされて、泣いて、疲れて、現実を見たくなくて衝動的に本を見えない位置にまた隠したことまでは覚えている。目を覚まして綺麗に片付いた部屋を一瞥してまた涙が溢れでてくる。どうして。
溢れ出る涙を止めもせずにぼんやりとただ泣いていれば、ぴんぽん、と間抜けな音。約束も、配達の予定もないから勧誘だろうと勝手に決めつけて居留守を決め込む。この顔で出ても構わないけど、きっと誰が見ても気をつかうひどい顔で相手が可哀想だ。
だけど諦めの悪い訪問者はぴんぽん、と何度も呼び鈴を鳴らす。仕方ない、この涙の大洪水の顔面で応対するかと重い腰をあげようとして固まる。カチャ、と鍵が開く音がした。合鍵を使う人は母しかいない。でもそんな約束なんてしていない。じゃあ、だれが、
「鍵、あいてましたよ、寝坊ですか?」
「ふ、安室さんっ!!」
恐怖に怯えたまま固まった私の耳に届いた声に目を見開いた。うそ。どうして。なんで。
気付いた時にはベッドから這い降りてものすごい瞬発力でその声の持ち主へと駆け寄りしがみつく。
きっと不法侵入した降谷さんの表情が私以上に驚きに歪んだ。だけどそんなこと気にしてる暇はなかった。触れてみたかった。温かいか確認したかった。現実なのか確認したかった。芸術品は触れちゃダメなのはわかっていても、触れて、確認したかった。友達なら、久しぶりに会ってハグするのくらい普通でしょう? 感動の再会のハグなんて可愛らしいものじゃなく、神様に縋る信徒のような必死さだっただろうけど。
「っ、もしかして、……今日の預言はなんですか?」
「も、もう本当に何もわからな、」
だって、変わっていた。みんなが生きていることを確認して、みんなに囲まれた安室さんが幸せそうに笑う一コマがあったりしたのをこの目で見た。もとより細かいことを覚えていなかったせいで何も役に立つ預言なんてできた覚えはないけど。
「ひ、」
ひゅ、と喉がなって、こきゅ、と骨がなった音がした。えっ痛い。降谷さんに会えて、降谷さんの温度を確認して、安心して溢れていた涙が痛みで止まる。痛みって涙止まるんだ、なんてあまりの痛さに思考がそれてしまった。
「悪い、力加減できなかった」
「あっなるほど」
降谷さんの声が耳元で聞こえてなんの痛みだったのか悟る。息が止まり、骨が鳴るほどの衝撃は、いつかの銀行で抱きしめられた時となんて比べようがないほど、降谷さんが力強く抱きしめたせいだった。謝罪が耳をかすめて息ができるようになったけど、それでも強い抱擁に安心する。痛みのおかげで現実だと理解できた。ここが、現実。ここも、現実。
「どこに行ってた」
「あの」
「気が狂いそうになりながら君じゃない君と話して、明日こそ君に戻ってるかもしれないと期待して、何ヶ月そうしてたと思ってるんだ」
「なん、かげつ……?」
「本当に、本当に、気が狂うかと思った。生きてるのに、動いてるのに、話せるのに、君じゃなくて、そこにいるのに、君を失ったかと、」
また抱擁が強くなって呻く。降谷さん待って。今は痛みも現実味があって嬉しいとはいえ限度がある。真面目な話をしたいのに痛みで思考が鈍ってしまう。
「もう二度と勝手にどこかに行くな」
痛すぎる抱擁をやめてくれたものの私の肩を掴んだまま真っ直ぐ見つめられたせいで久しぶりの御尊顔に心臓が変な鼓動を打った。だってもう会えないと思ってた。会えないなら、夢だと思い込んでいたかった。なのにまたこうして目の前で会えて、触れて、触れて?
「ひえちかい」
「……もうこの顔に慣れなくていいから、勝手にどこかに行かないでくれ。君は、……君は、こっちよりも平和なそっちが大事なのかもしれないが、……俺の側から離れないでくれ、頼むから」
あまりの近さに思わず口から漏れ出た言葉にしょうがないなあ、みたいに微笑んでくれてるのに眉が寄っていて悲しそうな表情にも見える降谷さんを見つめて本物だと安堵する。
「あんなに目を覚ましたがっていたのに、目が覚めて、落胆したんです。また明日、って言ったのに、降谷さんに会えなくて、ばかって言ってごめんなさいって言おうと思ってたのに」
「あれは、……君は謝らなくていい」
やっぱり人がいることわかってたんですよね。でも降谷さんにばかって言ったのは罪すぎるから謝罪を受け取ってほしい。
「毎日俺に馬鹿って言っていいから、君と話せるならどんな言葉だって嬉しいから、君のことは絶対に守るし助けるから、だから、……二度と俺の手の届かないところにいくな」
命令形なのに請うような声に胸が詰まる。
「……生きてたんです、みんな、……みんな、生きてて」
「……」
「みんな生きてるのに、めでたしめでたしでよかったのに、降谷さんと話せなくなって、つらくて、悲しくて、」
止まった涙が思い出したせいでまた溢れる。降谷さんが指で拭ってくれるけど意味がない。降谷さんが存在してることが頬に触れる感触でわかるから、それだけでいい。涙なんて止まらなくていい。降谷さんがいるならそれでいい。
「あんなに帰りたかったのに、なのに、降谷さんと会えなくなるのは嫌なんです。みんな生きてるのに、みんな生きてて安室さんを囲んで話してるそこに私は存在しなくて、わた、私も、私だって降谷さんの友達なのに、っ」
涙を拭う指の感覚が強くなって驚く。潤んだ視界で降谷さんの表情を伺い見て不思議に思う。少しだけ安心したように微笑む降谷さんがなぜ微笑むのか分からなくて。
「自惚れてもいいか?」
「え?」
「もう二度と俺の手の届かないところにいかないって約束して」
「そ、れは」
私にはどうすることもできない。二つ返事で頷くことなんて難しいのは降谷さんだってわかってるくせに。
「俺の言うことは絶対なんだろう? 神様扱いしてたじゃないか。なあ、だから、俺に約束してくれ。気休めでいい。俺の側にいるって約束して」
「約束、は、……私にはどうしようもできないことだけど、でも、私、降谷さんの側にいたい、友達と離れたくない」
次から次へと溢れる涙につっかえながらも思いの丈を伝える。
「それで充分だ。ありがとう。……どう対策とればいいかはわからないが、……わからなくても、もう二度と勝手に消えさせたりしない」
降谷さんの笑顔と、根拠のない言葉に思わずつられて笑う。降谷さんが宣言すると本当に大丈夫そうで、なんだか安心できてしまう。友達の自覚はできたけど、でもやっぱり神様のような安心感にほっとする。友達兼神様じゃだめですかね。
「おかえり」
「……ただいま、」
です、と思わず付け足してしまって小さく笑われた。だってなんだか気恥ずかしくて。
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「ねえ、」
「あ、いちゃん」
ようやく戻ってきた日課のスケジュールを降谷さんに伝えていればどこか懐かしい声が聞こえて視線を落とす。久しぶりの哀ちゃんの眩しさに、緩みきった涙腺がまた壊れそうになったけどどうにか堪えて視線を合わせる。
「……お姉ちゃん?」
「ひえっ」
どこか機嫌が悪そうに眉間にシワを寄せたままの哀ちゃんを不思議がっていれば唐突につぶやかれて心臓を鷲掴みにされて固まる。
「……帰ってきたのね」
「僕たち、顔が良くてよかったですよね」
ぼそりと呟かれた言葉は心臓を鷲掴みにされた私には聞き取れなくて後悔する。哀ちゃんの言葉を聞き逃すなんて。
降谷さんが言った言葉は聞こえて首を傾げる。確かにふたりとも物凄い綺麗ですけど、何を唐突な。
「もう離さないでよ」
「言質もとりましたし離す気もありませんよ」
つんとした哀ちゃんが去っていて私の頭の中はクエスチョンマークだらけ。結局哀ちゃんはなんの用事だったのか。離さないで、だなんて、まるで私が私じゃなかったことに気付いていたかのような台詞に降谷さんを見上げる。
「気付く人は気付くんです。あなたはあなたしかいませんから。だからもう、勝手に僕の側から離れちゃダメですよ」
ふ、と微笑まれて言われた言葉に固まって、頭の中で反芻してからそれを理解して胸が熱くなる。小さくなっていく哀ちゃんの背中を見て、言葉を噛み締めて、もう一度降谷さんの綺麗な顔を見たつもりなのに涙が溢れた視界でぼやけてしまって見えなくなる。
私が自分で鞄の中からハンカチを取り出すより早く降谷さんがハンカチで涙を拭ってくれて、泣いてるはずなのに笑みが溢れてしまった。
「泣き虫ですね」
「安室さんのせいです」