「……また来るよ」

雨粒のせいなのか、溢れ出てくる涙のせいなのかわからない。
スポットライトが歪んで見えて、鮮やかな色相が重なり、まるで万華鏡のように綺麗だった。
体中を打つ雨足が私の汚いものを洗いざらいに流していくように。
すとんと。綺麗なものだけが体の奥深くに染みわたっていく。

私はあの日の光景を、きっと、これからも忘れない。





「おかえり未来」
「ただいま。すぐ準備するね」

大学の授業を終え自宅に戻った私は、荷物を適当なところに置いた。
髪の毛を束ねながらカウンター越しに店内を覗くと、1人の人物が目に入った。

(また来てる)

その人物は見覚えがあった。
半年前ぐらいから不定期に現れる常連客。いつも窓辺の席に座り、頬杖をつきながら外の景色をじっと眺めているのだ。
私の実家はカフェを営んでいる。知る人ぞ知る隠れ家的な店だ。
来る人は近所の人や、昔からの馴染みの人が多く、町中にあるようなおしゃれなカフェとは程遠い店。
おしゃれな女の子が来て仲良く会話に花を咲かせたり、ノートパソコンを持ち寄ってカッコよく仕事をしたりする人はいない。
だからその人物は良くも悪くも”浮いていた”。
整った容姿と洗練された美しさはこの店には不釣り合いで、いつまでたっても馴染まなかった。
顔はよく見えないけれど足を組んで窓を眺めているその姿はまるでドラマのシーンを切り取ったかのような光景で惚れ惚れしてしまうほど美しかった。

「未来。これ運んで」

黒のカフェエプロンを纏うと、父が早速仕上げた料理を私に差し出してきた。
トレイに乗せて常連客のところへ向かう。
ゆらゆらと漂う湯気にはほのかな香りが混ざっていた。

「お待たせしました」

カトラリーケースを添えてお皿を置くと、視線がゆっくりと動いた。
眼鏡越しに見つめる瞳には鮮やかな黄色が反射して映っていた。
長い睫毛が羽ばたくように落ち、その瞳が私を映した。

「ありがとう」

柔らかい声音が耳をついた。
細く白い指が銀色のスプーンに触れる。
何の変哲もないカトラリーがなぜだかおしゃれな宝石のように思えた。

(美少年ってこういう人のことをいうんだろうな……)

流行やおしゃれに頓着しない私は、クラスメイト達がテレビや雑誌を見て和気あいあいと盛り上がっている様子を傍目で見るタイプだ。
アイドルの○○がいいだの、ドラマのあの人がかっこよかっただの、そういう話はいまいち理解できなかった。
案の定クラスの誰がイケメンだとか、サッカー部の誰が人気とか、そういう話も一切興味がわかなかった。
そんな私にもこの人は世間一般では別格な人だとわかる。
オーラが違うのだ。オーラが。
私とは違う、キラキラした別世界で生きている人だ。

「……オムライス好きなんですか?」

そんな人がいつもうちの店に来ると庶民的なメニューを選んでいく。
(そもそもサラダランチとか、パンケーキ、エッグベネディクト……”おしゃれ”なメニューは何一つないうちの店に来ることが不思議でならなかった)
私は単純に嬉しく、親近感を抱いていた。
オムライスは私の一番好きな父の料理だったから。

「……うん。おいしいよね、ここのオムライス」

驚いた。
突然話しかけたというのにちゃんと答えてくれた。
しかも父のオムライスを褒めてくれた。
なんていい人なんだろう。

「ありがとうございます!私も大好きなんです!父のオムライス!!」

しまった。
興奮して思わず余計なことまで言ってしまった。
ふと我に返り、私は咄嗟に持っていたトレイで顔を隠した。

「すみません……どうぞ、ご、ゆっくり……」

顔が熱い。あー、なんてことをしてしまったんだ。
カウンター越しに父が不思議そうにこちらを覗き込んでいた。
羞恥心を落ち着かせようとグラスの水をごくごくと飲みほした。
喉を伝う冷たい感触が私をゆっくりと静めていく。
常連さん、きっと引いただろうな。
ふう。
自然とため息が漏れだす。
店内ではゆったりとしたオルゴールミュージックが流れている。

「未来」
「あ!はい!」

食べ終わった先ほどの常連さんがレジカウンターの前に立っていた。
父に促され急いで伝票を受け取り、会計作業を進める。
何となく目を合わせられなくて、綺麗な細指を見つめながら対応をした。

「20円のお返しです。……ありがとうございます」

深い会釈をする。
ドアについているベルがカラン、と音を立てた。
お客さんが帰った合図だ。
安心した私はゆっくりと頭を上げる。

「……また来るよ。キミの大好きなお父さんのオムライスを食べにね」

お客さんは帰っていなかった。
ドアを一度開けて閉めたのか――……片手はレバーをしっかりと掴んだまま、少しだけ弧を描いた目元が眼鏡越しに私を見ていた。
その言葉に私の頬は火を噴くのではないかと思うほど、再び急激に熱を帯びた。

カランカラン。
ベルの音が鳴る。
その音がやけに煩わしく感じた。
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