そう言って、彼女は犬みたいに笑っていた




緑谷出久は部屋中を見渡し、納得したように頷いた。
完璧だ。口にはしないがそう言いたげな表情だった。
寮から自宅に戻りあまり居座っていなかったとはいえ、長年自分が生活した部屋。
母が掃除をしていてくれたとはいえ、自分で整頓するとより一層綺麗になった気がして気分がよかった。
緑谷はコートを手に取りリビングへと向かう。キッチンでは母が忙しそうに料理の準備をしていた。

「お母さん、ちょっと作りすぎじゃない?」
「そう?だって出久の友達でしょう?ヒーロー志望でしょう?普段から鍛えているんだからこのくらいじゃむしろ足りないんじゃないかしら……」
「いや、大丈夫だよ……」

机の上に並べられる大量の料理を見て思わず苦笑する。今日はクリスマス。
家には飯田と轟が来ることになっていた。男3人でクリスマスパーティーというのは世間的には悲しそうに見える字面だが、緑谷にとってはそうではなかった。
仲の良い友達と初めて過ごすクリスマス。今までの自分からしたら考えられないイベントだった。
雄英高校に入れただけでも自分にはもったいないほどの幸運だと思っていたが、こうして信頼できる友人に出会えた。
幸せだ。緑谷は満たされていた。そんな緑谷の様子に、母もとても嬉しそうな顔をしていた。その2つの笑顔は瓜二つ。似た者親子だ。

「じゃあ僕、友達迎えに行ってくるね」
「行ってらっしゃい!気を付けるのよ!」

長年愛用している赤色のスニーカーは緑谷の足に合わせて形を変えていて、すっぽりと収まり良く緑谷を包み込む。
首元にマフラーを巻き、少し冷えたドアノブを掴んで外に出た。
2人とは最寄り駅を待ち合わせにしていた。町はクリスマスをイメージした装飾で包まれていて、より一層煌びやかに見えた。
彩られた街並みを横目で見ながら、はやる気持ちを抑えて駅までの道を行く。
周りには自分と同じように目を輝かせている人たちが多かった。いや、もしかしたら今だからそういう風に映っているのかも知れない。
ともかく緑谷には周りの人たちがいつも以上に楽しそうに見えて仕方なかった。
だから逆に暗い表情の人が目に映りやすかった。

「……かっちゃん!?」

ので、しかめっ面の爆豪を見つけるのはいとも簡単な事だった。というより、見慣れたその風貌と表情は強い存在感を放っているので、嫌でも目に入ってきた。
しかし爆豪は逆に緑谷には気づいていないようだった。
両手をジャケットのポケットに入れ、寒そうに首をすぼめながらすれ違う人たちの合間を縫って駅までの道のりを進んでいた。

(かっちゃん、誰と会うんだろう)

緑谷と爆豪は幼馴染であり、幼稚園から高校までずっと同じ進路を辿っていた。
だから共通の知り合いは多かったし、なんとなく互いに交友関係も把握していた(と緑谷は思っていた)。

(切島くんや上鳴くんかな……いや、それとも地元の……)

爆豪が休日過ごしそうな相手を何人か思い浮かべながら、その後ろをばれないように追っていた。
ここで緑谷の存在に気が付けば爆豪が憤怒することは目に見えていたので、緑谷は面倒ごとを避けるために必死に気配を消した。
幸い爆豪はそんな緑谷に気づくことなく黙々と道を進んでいる。
最寄り駅はすぐそこまで来ていた。

「……爆豪くん!」

思わず声が漏れそうになった。咄嗟に両手で口を抑え、物陰に身を隠した。
名前を呼ばれた爆豪は気怠そうに声の主のもとへと進んでいく。

(苗字さんだ……)

苗字名前。
同じ折寺中学に通っていた女子生徒。
無個性というレッテルを張られ何かと周りは緑谷を蔑んでいたが、この女子生徒は別だった。
いつだって分け隔てなく誰とでも対等に接していた。人によって態度を変える事なんてなくて、緑谷にも優しい声をかけてくれることが多かった(緑谷は意識してその声かけにもうまく応えられることはなかったが)。
そんな態度から大半の生徒が彼女を羨み、人望も厚かった。簡単に言えば学校の人気者だった。
爆豪の荒々しい態度に対しても灸をすえる事が多く、そんな光景を緑谷は感心してみていた思い出がある。

「久しぶりだね!元気してた?」
「あー……」
「ちょっと。その明らかにメンドクさーってカンジな態度、やめてよ」

苗字は笑った。目が細くなるその笑顔はあどけなく優しい笑顔だった。
爆豪は苗字を1度ちらりと見て、そのまま改札に向かって歩いていった。
苗字はそんな爆豪の後を楽しそうに追っていき、2人は人ごみの中へと姿を消した。

「……とんでもないものを見てしまった」

緑谷の心臓はバクバクと音を立てていた。
見てはいけないものを見つけてしまった。まさしくそんな気持ちだった。
緑谷は深呼吸をして待ち合わせの場所に向かって歩き出した。





「みんなもういいの?遠慮しなくていいのよ?」

2人と無事合流し自宅について母がこしらえた料理をたくさん食べた。
緑谷が家を出てから食卓に並んだ料理の数は出る前の倍に増えていた。2人も口にはしてなかったが予想以上の料理に少し驚いていたのを緑谷は見逃さなかった。

「もう大丈夫です。ごちそうさまです」
「とてもおいしかったです!!栄養バランスを考えて作られた料理の数々、お心遣いに感謝です!!!」

控えめに言った轟のあとに飯田がいつものように声を張り上げた。
ビシッ、と効果音が聞こえてきそうなほどまっすぐに手を上げてハキハキと喋る様子に少し気圧されながらも、緑谷の母は少し満足そうに顔を綻ばせた。

あれからそんなに時間が経ったようには思えなかったが、外はすっかり藍色に染まっていた。時計の針が大分進んでいたことに気づく。緑谷は驚いていた。
3人で過ごす時間はいつもあっという間だ。幸せだ。緑谷は母と同じように顔が綻んだ。





「そういえば、ここに来る前に爆豪とすれ違った」

あれから少し談笑をして、3人は緑谷の家を後にした。
駅まで送ろうと緑谷も外に出て、いつものように3人肩を並べた時、ぽつりと轟が言った。

「そういえばそうだったな。女子生徒と一緒の様だったが」

女子生徒。その言葉に緑谷の心臓が跳ねた。
頭に浮かんだのは苗字の顔だった。2人は確かに一緒にどこかへ出かけて行った。
自分以外にも目撃者がいたとは思わず、なぜか緑谷は冷汗をかいていた。

「あいつ、彼女いたんだな」
「ふむ。健全な付き合いをしていればいいが」

まるで親御さんのようなセリフだと緑谷は心の中で思ったが、「ああ、そうだな」と、興味がなさそうに轟が相槌を打ったので、緑谷は突っ込む気が失せてしまった。
2人の天然な会話はたまにエネルギーをどっと持っていく。気が抜ける。緑谷はただ苦笑するしかなかった。

「緑谷くんは爆豪くんと幼馴染だったな」
「う、うん。そうだよ」
「爆豪は昔からあんななのか?」

轟の言う”あんな”がどんなことを指しているのかがわからなかったが、緑谷は当たり障りなく「かっちゃんは昔からすごいやつさ」とだけ言っておいた。轟は「そうか」とまた抑揚ない声で呟いた。
緑谷はこの話題を変えたかった。なぜならもうすぐその爆豪の家の近くを通る事になっていたからだ。
万が一、もし、ここで本人と鉢合わせなんてことになったらどうなるかは嫌でも想像がついた。

「おや、あれは爆豪くんじゃないか?」

血の気が引く思いをした。自分の悪運を緑谷は恨んだ。
飯田の言った通り、目の前には見慣れた金髪の後姿が目に映った。その隣には昼間に見かけた苗字の姿があった。2人は歩くペースを揃えてゆっくりと閑静な住宅街を進んでいた。幸い、こちらには気づいていないようだ。

「2人とも、こっち!!」

緑谷は小声で2人を呼び止め、死角になる場所に移動をした。
駅に行くには爆豪たちを追い抜かさなければならなかった。しかし爆豪たちは道の途中で立ち止まった。
ここで2人を追い抜いていく勇気は緑谷にはなかった。ここで息を殺すのが賢明だと思った。

「勝己くん……」

突然の事だった。
爆豪は苗字を引き寄せ、自分の腕の中に閉じ込めていた。
まるでドラマの中のワンシーンのような光景を自分の同級生が、幼馴染がやっている。
緑谷の心臓がバクバクと音を立てていた。見たいようで見たくない、そんな複雑な光景だった。

「なんて破廉恥な……同じクラス委員長として注意しなければ!!」
「待って飯田くん!今はよそう!」
「どうしてだ!?その時に言って聞かせなければわからないだろう?偶然近隣の方が通りかかったら迷惑だろう!!」
「落ち着けよ飯田」

冷静に轟が飯田を制した。珍しい。轟くんも空気が読めるんだ、と、緑谷は失礼なことを考えていた。

「ねえ、前より逞しくなったね」
「お前は太っただろ」
「ちょっと、どうしてそういう事しか言えないの!?」

苗字は腕の中から抜け出そうとしたが、それを爆豪は許さなかった。
さらにぎゅっ、と力を込めて苗字を抱きしめる。
その表情は緑谷が今まで見た事のない表情だった。見てはいけないものを見ている。緑谷は顔を逸らした。緑谷の中に罪悪感のようなものが立ち込めていた。

「勝己くん、」

苗字の甘い声がした。
ドクン、と心臓が脈を打った。
爆豪は右手で苗字の髪を優しく撫で、顔を斜めに傾けた。
苗字もその動きに応える様に頭を傾ける。ゆっくりと距離が縮まっていく。2人の鼻筋が重なる。
ドクン、ドクン。
心臓が跳ねる。



「――……っくし」

静寂に響いたのは轟の声だった。
ずずっ、と鼻をすすったあと、「あ」と間抜けな声を上げた。
爆豪と苗字の視線が嫌でもこちら側に突き刺さる。

「悪い、爆豪」

大して悪びれもしない轟の謝罪に、爆豪がわなわなと震えだす。
一気につりあがっていく目じりに緑谷は思わず後ずさりをした。

「クソデク、テメェー!!!!!!」
「なんでええぇぇえぇええ!?!?」

爆豪は手から爆発を起こし、緑谷に襲い掛かっていく。
その火花はまるでクリスマスのイルミネーションに劣らない程煌びやかに緑谷の視界の端に映った。
ああ綺麗だ。皮肉にも緑谷はそんな事を考えながら思った。

「悪い、緑谷」

やっぱり轟くんは、空気が読めない。
そしてごめん、苗字さん。
折角のムードを僕らが台無しにしてしまった。

「勝己くん……雄英に入ってよかったね」
「ああ!?」
「なんか安心した」

彼女は変わらなかった。昔からこういう人だった。その笑顔はとっても眩しく見えた。
かっちゃんにはもったいないな。
考えが読めたのか、爆豪は緑谷をさらにきつく睨みいつけて拳を掲げる。


「勝己くん、とっても楽しそう!」