暑い暑い夏の日。
ある一本の電話が大きく鳴り響いた。
「蒼南さん!浴衣買いに行きましょう!」
涙子ちゃんのその誘いで、私は今セブンスミストに出向いている。
黒子ちゃんと飾ちゃんは風紀委員の仕事があるらしく、今日は欠席だ。
「2人とも、どんな浴衣が欲しいの?」
「うーん。やっぱ大人っぽいのが一着欲しいなあって思ったんですよねえ!」
涙子ちゃんは紺や黒と言った落ち着きのある色味の浴衣を漁っている。
「蒼南さんはどれがいいと思いますか?」
「んーそうだなあ……こういうのは?」
「わ!すっごいかわいい!けど私には少し難しいかなあ……」
真剣に浴衣を選ぶ涙子ちゃんの姿がなんだか可愛らしくて、自然と笑みがこぼれた。
いつも帝督としか出かけたことがない私にとっては新鮮で、とても充実している時間に感じる。
「美琴ちゃんは可愛らしいのが好みなのね?」
「へっ!?いや、別にっ!!」
遠くの方でこっそりと選んでいる美琴ちゃんに歩み寄れば、恥ずかしそうに顔を真っ赤にして手に持っていた浴衣を勢いよく元に戻した。
その態度に少し驚きながらも、小さく耳打ちをする。
「大丈夫。美琴ちゃんならその浴衣、絶対似合うと思うよ。すっごく可愛い浴衣だし」
「え?そ、そう……ですか?」
「うん。絶対似合うよ」
そうかなあ、なんて言いながら美琴ちゃんは再び浴衣を手に取って顔をほころばせている。
どうやらこの様子なら、2人ともスムーズに浴衣は決まりそうだ。
「あれ?ところで蒼南さんはどれにするんですか?」
「え?」
私は思わず間抜けな声を出した。
てっきり今日は2人の浴衣選びに付き添っているものだけだと思っていたからだ。
「彼氏さんがいる蒼南さんが買わないでどうするんですか!」
「いや、彼氏じゃないって…それに、浴衣なんて小さい時から久しく着てないし……」
「ええ!もったいないです!!」
涙子ちゃんは迫りくるようにぐいっ、と私に顔を近づけた。
その勢いに私は思わず後ずさる。
「蒼南さんの浴衣姿、絶対彼氏さんみたいですって!さあ、選びましょう!」
「だから、彼氏じゃないって……」
「いいから、選びますよ!!」
「ちょ、ちょっと涙子ちゃんっ!!!」
こんなことがあったのが数日前。
「……つい、買っちゃった」
今日は花火大会当日。
私は目の前にある浴衣とにらめっこ状態だ。
時刻は昼2時。家事もほとんど終えてしまっていた。
残るは晩御飯の支度だけで、いつもはこのタイミングに帝督に確認のメールを送信する。
そう、いつも通りに送ればいいだけ。
それだけなのに、なぜか変に意識してしまっている自分がいた。
「うん。いつも通り。いつも通りに送ればいいだけ……」
自分に言い聞かせながら当たり障りない内容のメールを送信する。
これで返信が来なければ夕食が要らないというサインだ。
ここ数日もなかなか家に戻ることもなかったし、今日もきっと帰ってはこないだろう。
そう言い聞かせ部屋を立とうとした時だった。
「うそっ…!」
メール着信音が大きく鳴り響く。
『花火大会あるらしいから、そっちに行くぞ。準備しとけ』
そして本人が打ったとは思えない内容に、私は唖然とした。
カラン、コロン。
高い木の音を響かせながら、慣れない下駄で街のコンクリートを一歩、一歩と踏み進む。
何度も立ち止まっては窓ガラスに映る自分の姿を確認する。
「蒼南さんすっごく可愛いです!自信持ってください!」
急遽着付けをお願いした涙子ちゃんはそう言ってくれたものの、今一自信が持てなかった。
普段はあまりしない化粧を施したその顔も、まるで別人のように見えて落ち着かない。
(変じゃないかな。大丈夫かな)
もうすぐで帝督との待ち合わせ場所に着いてしまう。
きっと帝督は似合ってないとかいって笑い飛ばすに違いない。
自分だけ気合が入っているみたいでバカみたいだ。
そう考えると待っているであろう幼馴染に会うのがだんだんと億劫になってくる。
だけど帝督からとは思えない、思いがけない誘いに浮かれているのもまた事実で。
「……よし」
もう一度手鏡で自分の姿を確認した。
シンプルなまとめ髪のアップスタイルはなんだか少しだけ背伸びをしているような気がして。
普段は露出されないうなじに風が通る度、なんだかこそばゆい気持ちになる。
とりあえず落ち着こう。
目を瞑って深く息を吸い込めば、普段聞きなれている街の騒音も少しだけ遠くに聞こえてきて。
「六花?」
しっかりと、愛しい彼の声が強く耳に響いた。
「……帝督」
目の前には少しだけ驚いている表情の彼がいて。
なんだか恥ずかしくて、帝督の目を見つめることができなくて。
「……変かな、やっぱり」
一向に口を開かない彼の反応が怖くて、思わず背を向ける。
今すぐにでもこの場を去ってしまいたい。
似合ってないだとか。豚に真珠だとか。
普段叩いているような憎まれ口を言ってくれれば気が紛れて楽になるのに。
「六花」
先ほどよりもずっと近くで。私のすぐ耳元で、彼の囁く声が響く。
「……似合ってる」
ねえ、帝督。あなたはずるいよ。
あなたのたったその一言で、私がどれだけ嬉しくなるか。
あなたのたったその一言が、どれだけ欲しかったか。
あなたは知りもしないで。
「……ありが、とう」
精一杯のお礼の言葉を振り絞って。
私たちの手が触れそうで触れない、その距離を保ちながら。
夜空に浮かぶ綺麗な花火を何も言わずに、肩を並べて私たちは眺めていた。