夢十夜
家まで送ってもらうなんて悪い、とは言ったものの直前まで殺人事件の被害者になりかけていた女を夜道に一人で戻すわけにはいかないという正論の元わたしはRX-7へと乗せてもらうことになった。
まじで夢なんじゃないかと目眩がするも、安室さんは夢でも追いつかないだろうくらいにカッコよくてイケメンで顔が良くてお話が上手だった。
さすがに沖矢さんのことを思うと家の真ん前まで来てもらうわけにもいかないので付近の住所だけお伝えする。震えながらわたしは助手席に座らせていただいた。
「にしても本当によかったです、お怪我がなくて」
「感謝してもしきれないです・・・そういえば、あの後どうなったんですか?」
「たまたま近くを巡回されていたお巡りさんに任せました。最近パトロールを強化されていたみたいで」
「そうだったんですね」
たぶんさすがにそんな都合のいいことはなく、きっと自分の部下に任せたんだろうなあと思いながら相槌を打つ。
不思議な感じがした。安室さんの懐かしいような匂い、エンジンの音や車体の揺れ。窓の向こうで風景は緩やかに流れていった。安室さんの愛車に乗せていただいてどこに視点を置けばいいのかわからなかったわたしは、じっとフロントガラスを見て遠くにある月が綺麗だと思った。
「おや」
「?」
「月が綺麗ですね」
安室さんがそう言ったので、少女漫画だったら卒倒しそうなシチュエーションだなあと思いながらちらりと横顔を盗み見た。
街頭に照らされてあまりにも美しくて、どうしてかまた胸がズキンと痛んだ。さすがに死んでもいいわ、だなんて言えるわけもないし。
「そうですね。とても」
同じものを見て綺麗だと思えるなんて。それも安室さんと。
すごい世界に来てしまったなあと思った。どこの世界でも月は綺麗なんだ。
そんなことを思っていたらまた安室さんが口をひらいた。
「まるで、百年目に咲く百合の花のようだ」
わたしはその言葉にびっくりして固まった。ちら、と彼を見ると相変わらず穏やかな笑顔を浮かべている。
読めない人だ、と思った。まあそもそも、この『安室透』自体作り物だからそんな言葉も出て来るのだろう。
何かうまい返しがないかと思ったものの出てこなかった。手が届かないから綺麗なんだろうなあ。
「あ、ここで停めてください」
「はい」
沖矢さんの家から徒歩5分くらいの場所に、ちょうど停車できそうなスペースがあったのでそう言った。
少しの雑談を添えて行われた深夜のプチドライブ(と言っても送ってもらっただけ)は本当に夢のようなものだった。実はあの時死んでしまって、死後に夢を見ているんじゃないだろうか。もしくは殴られて意識が戻っていないとか。
安室さんはゆっくりと車を停めてくれた。
「今日は本当にありがとうございました。何から何まで」
「いえいえ、お気になさらず。何もなくてよかったです、もう夜道を一人で歩いてはいけませんよ」
「はい」
二度とそんなことしません、と思いながら深く頷くと安室さんはクスクス笑った。かっこいい。
「でも、もし何かあればよければ連絡してください。一応趣味でボクシングをやっていて、そこそこ腕は立つので」
「え、あ、や、そんな・・・」
「実は僕、私立探偵をしているんですがボディーガードめいたことでもよくお声がかかるんですよ」
安室さんはそう笑ってわたしに名刺を渡してきた。ひ、ひゃああ!本物!あの、偽物すら品薄になり高価格で取引されていた!あの!!!名刺!!!!!!
「わ、わあかっこいい、ありがとうございます!すみません、名刺入れがなくて」
「いえいえ。そういえば中村さんはなんのお仕事をされてるんですか?」
両手で丁重にお名刺を受け取りながらそう言うと、安室さんに痛いところを突かれた。うーんこういうときのために仕事は見つけておきたい・・・などと思わず笑顔が引き攣る。
まさか安室さん相手に自分がニートであることを告白するはめになるとは思わなかった。
「じ、実は・・・いま求職中なんです。この間住んでいたアパートが放火されて、その時に倒れてきた柱か何かに頭をぶつけて記憶喪失になって」
「そうだったんですか・・・それは大変失礼いたしました」
申し訳なさげに言われてしまい胸が痛くなる。いや、そもそもそんなことはないはずなんだけど・・・!
「もし何かお力になれそうなことがあれば言ってくださいね。一応身辺調査とかも得意ではあるので」
「あはは、ありがとうございます」
安室さんの手にかかれば、本当に『わたしはここには存在していないはず』という事実を簡単に突き止められてしまいそうだと思った。
「引き止めてしまってすみませんでした。お家はもうすぐそこですか?」
「はい、本当に助かりました。何から何までありがとうございます」
「いえいえ」
口だけの感謝だけじゃなんとも足りない気がして、お礼に何かしたいけれど家に上がってもらうわけにもいかないし今度ご飯でお礼でも、なんて言うのも憚られた。改めて菓子折りだけ買って、時間がもし合いそうであれば渡しに行こう。
「じゃあ、ここで。お気をつけておかえりくださいね」
「はい、中村さんもお気をつけて。」
名残惜しいような気もしたけれどわたしは一度ぺこりと頭を下げて助手席の扉を開けた。夜の風が気持ちよく頬を掠める。ギィと音を立てて扉を開いて立ち上がり外に出た。
「本当にありがとうございました」
「どういたしまして」
安室さんが笑顔でそう返してくれたのでわたしは扉を閉めた。車のドアはいつだって重たい音がする。
まるで夢から覚めたようだった。
ぺこりと頭を下げると安室さんも下げる。このままだとわたしが消えるまでここにいてくれそうな気がして、それはありがたいけれど申し訳ないし、何より沖矢さん的にもよくないだろうからわたしは見送りに徹することにした。
車の横で立っていると、少し間を置いてエンジンがかかる音がする。
彼はまたわたしに会釈をして去っていった。わたしも笑顔で頭を下げた後、車が角を曲がっていなくなるまでずっと見守っていた。
名刺を改めてまじまじ見るとメールアドレスが記載されていた。わたしはお家に帰ったらそこにお礼をしなきゃ、と急ぎ足で家路についた。
帰路、車を走らせながら降谷零はため息をついた。彼女は自分が想っていた、ずっと大切にしていた中村菜々子で間違いなかった。
確かに自分との記憶は消えていたようで、どこか余所余所しい菜々子はそれでも時折特別な感情を目で寄越した。その度胸が痛くなり、この巡り合わせを少し恨んでは初めてようやく本当の意味で空間を共にできたことに目頭が熱くなった。
ブル、と音を立てて安室透用の携帯が震える。
ちょうど家に着いた降谷は車を停めて携帯を見た。
お礼を丁寧に綴った菜々子からのメールが届いている。
ハァ、と降谷は大きくため息をついた。無事でよかった。菜々子を付け狙う怪しい人間を見たとき、背筋が凍る思いがした。菜々子に何かあれば、本当に今度こそもう立ち直れないのではないかとすら思った。
立ち直るも何も、自分の気持ちなど関係なくやらねばならないことのために責務を全うするのみの人生ではあるが。
笑い声も肌の白さも睫毛の長さも菜々子だった。扉を開けて出て行く際、重い音を立てて扉が閉められる際、あまりにも胸が苦しくて頼むからどこにも行くなと思った。
ずっと側にいてくれるなら、いくらでも俺が守るのに。そう思っては自嘲した。こんなにも危険な環境に身を置いているくせに思い上がりも甚だしい。
車から出ると夜風が頬を掠めた。月を見る。
変わらず美しかったけれど、菜々子といたから美しく見えたのだろう、と思った。
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