麗人は嗤う
「こ、こんにちはー・・・」
コンコン。ドアをノックすると向こうの方から少し高くて可愛らしい「はーい、どうぞー!」という声が聞こえた。蘭ちゃんだろう。ドキドキしながら扉を開けて、少しだけ顔を覗かせる。
「し、失礼します・・・」
「こんにちは菜々子さん」
「こんにちはー、菜々子お姉ちゃん!」
「蘭ちゃん、コナンくん。こんにちは」
中を見るといつものかわいい蘭ちゃんとちょっと猫かぶりモードのコナンくんと目が合った。それに少し緊張がほぐれて毛利探偵事務所へ足を踏み入れる。
「おおいらっしゃい、いやーなんだか無理を言ってしまって悪いですなァ」
「いえいえそんな、こちらこそです!」
「とりあえずそこに座ってもらって、ああ荷物はテキトーに置いといてくれりゃあいいんで!おい蘭、茶を」
「はいはい!いま持っていきまーす!」
初めての毛利探偵事務所。前を通りかかること自体はわりと何度もあったんだけれど、中に入るのは初めてなのでファンとして非常にそわそわしてしまう。キョロキョロしたい気持ちやなんなら写真を撮りたい気持ちを無理やり押さえ込んでわたしは小五郎おじさんに促されるままソファーに掛けた。向こうの方で蘭ちゃんがとぽとぽとお茶を注いでくれる音がする。
「しかし本当にいいんですか?実際ちゃんと依頼としてくるものは浮気や不倫の調査みたいなものが多くてねェ。私が巷で騒がれる名推理は出先で偶然解決することになったものがほとんどで、お代をいただかないことばかりなんですよ。
まァですんで、せっかく事務として来ていただいても週1、2が関の山といいますか」
「あ、ぜんぜん、それで大丈夫です!というか、むしろありがたいです。記憶を探すのにフルで働くのはちょっときついですし、まずは慣れたいという気持ちもあって・・・」
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとう!」
おじさんと話している途中で蘭ちゃんがお茶を運んできてくれた。ニッコリお礼を言うと蘭ちゃんも微笑む。うーん、やっぱりかわいいよなあ。わたしはいただいたお茶を一口啜った。
「ふむ。まあそういうことなら私としてもありがたい話なんで、ぜひお願いさせてもらいましょうか。とりあえず条件面の話なんですが・・・」
そしておじさんとの話し合いの結果、まずは週二でお伺いさせていただき、様子を見て増やすか減らすかを考えることに。出勤するのは月曜日の午前中と土曜日の午前中である。(依頼が多いのは土日と平日の夜なので、資料を作成するにはちょうどいいだろうとのことになった。)
金銭面などの合意も取れて、いまは一旦諸々の書類に記入している。なんかこのへんテキトーにすると思っていたから、案外しっかりやってくれることにちょっと感動した。
その間わたしの持ってきた経歴書を見たおじさんが、ン?と声をあげる。
「この住所、探偵ボウズの家のあたりだな」
「え、そうなの?」
ひとりごとのようなつぶやきだったがさすが蘭ちゃん、工藤新一に関係するとなるともはや地獄耳だ。そうだわたしが工藤さんのお家に住んでるって説明しないと、と思ったのとコナンくんがあっと声を上げるのは同時だった。
「菜々子姉ちゃん、いま新一兄ちゃんのお家に住んでるんだ!!」
「ええっ!?」
そうなのコナンくん、と驚いた後に蘭ちゃんは目をパチクリさせながらこちらを見る。その表情はなんともいろんなことを物語っていた。
「え、あの、どうして、えっ、もしかして新一に、会っ」
見るからに動揺している蘭ちゃんに何から話そうかと一瞬詰まると、かわいらしいコナンくんのほうから説明が入った。
「ボクが鍵を貸したんだ!あともうひとり、昴さんって男の人も住んでるよ!」
「えええー!?そうなの!?どうしてもっと早く言ってくれないのコナンくん、そろそろ私アイツの部屋掃除しに行かなきゃって思ってたのに・・・そのこと新一は知ってるの?」
「ウン!メールしたら、返事がきたよ!」
「そうなんだ・・・あっすみません菜々子さん、大声出して」
「いえいえ」
慌てて謝る蘭ちゃんは可愛く、わたしはなんだか微笑ましい気持ちになって気にしないでねと返した。
そりゃ新一の家にどこの馬の骨とも知らない女が住んでたらびっくりするよな。そこまで考え、あれ?とわたしは心の中で首を傾げる。
「(なんか、いまここで工藤宅にわたしと昴さんが住んでることって知られたらダメだったような気が・・・?)」
でもそれが何故か思い出せないまま、とりあえず今日のところは蘭ちゃんやおじさんと連絡先を交換して帰ることになった。
ちなみにそのあと園子ちゃんのお家にも行き、空いた日は週3で園子ちゃんのお家のメイドもさせてもらうことになったのでもうこれで暇すぎる日々が終わろうとしている。
職の安定は心の安定!!!祝・無職卒業!!!!!
「ただいまでーす!」
今日は2件も面接的なことをしてちょっと疲れた。でも仕事が決まったというのはそれ以上に心が踊り、わたしは元気に帰宅早々声を出す。
すると向こうの方から昴さんのおかえりなさーいという声がした。
いつも通りリビングに向かうと昴さんがニュースを見ながらコーヒーを飲んでいる。わたしも喉がかわいたのでなにか飲もう、と冷蔵庫の方に行った。
「その様子だと無事にお仕事決まったみたいですね」
「あっはい!わかります?」
「菜々子さんはわかりやすいですから」
そう言われてわたしは思わず苦笑する。なんかもうまじでいろんなこと見抜かれちゃってそうだよなあ、異世界から来たとかはともかく記憶喪失やらわたしの経歴やらって無理あるし。怪しまれないようにしたいんだけどなあ、そう思いながら冷蔵庫にあるオレンジジュースを取った。
「けっこう忙しくなるんですか?」
「あ、いえ!探偵事務所の事務は週2で月曜日と土曜日の午前中に行くだけですし、鈴木財閥のメイドさんも週3で4時間からなので比較的楽なほうかと!」
「ホォ、それはよかった」
「まだフルタイムで働くのはちょっと怖いですしねー、覚えなきゃいけないこともいっぱいあるし」
そう言いながらごくりとオレンジジュースに口をつける。おいしい。緊張して疲れた体に酸味が沁みる。
昴さんはそんなわたしをじっと見ていたので、なんだろうと首を傾げると彼はいつもの穏やかな口調で聞いてきた。
「・・・菜々子さん、わりとよくジュースは飲んでますけどアルコールは飲んでるところは見たことがないなあと思って。お酒は苦手ですか?」
突然そう聞かれて、自分そんなにジュース飲んでたっけ・・・とちょっと恥ずかしくなる。いやたしかに飲んでるけど。あると飲みたくなるよねジュース。
しかしわたしは案外お酒はいけるほうだ。トリップする前も仕事の付き合いでけっこう飲んだりすることもあったし。めっちゃ強いわけではないと思うけど、普通に飲む分には問題ない。
「いや、そんなことないですよ!お酒も好きです。まああんま家では飲まないですけど」
「なるほど、外食だとけっこう飲むんですか?」
「そうですねえ、友達とかとはけっこうの・・・」
やっちまった・・・・・。
友達とはけっこう飲む、とまで言いかけてから気づく。わたし友達いないじゃん!!!記憶、ない、設定じゃん!!!!!!!!!
「・・・」
「・・・」
やらかした、と気付いて黙ると昴さんも黙ってニコニコと微笑みながらこっちを見ている。ひ、ヒィ、いたたまれない。わたしもつられて口角を上げてはみたけれど、たぶん痙攣したみたいに引きつってるだけだろうなというのは容易に想像できた。
「飲むと、思います。まだ、一度しか飲みにいったことないですけど!」
「ホォー・・・もしかしてこの間家の前まで送ってくれたイケメンくんですか?」
「は、はい」
いやまだ飲んでないけどー!!!!!!!!心の中で叫ぶ自分がいるが無理やり抑えてわたしは微笑む。これさあ、わたしさあ、ぜったい怪しまれてない?昴さんに。ねえ。
どうしたものかと思ってまた押し黙っていると(こういうところがたぶんよくない)、昴さんがにっこりと笑って口を開いた。
「せっかくだから今度一緒に飲みに行きませんか?就職祝いに、ね」
「えっ、あ、」
「時間があえば一緒に夕食は取っていますが、外食なんて一番最初のファミレスでしかしてないでしょう?そういえばこの前教えてくれたラーメンも食べてみたいですし」
そう言われてしまえばわたしには断る理由がない。油が切れたロボットみたいなぎこちなさで首を縦に振ったあと、ぜひ、と答えたわたしはアルコールのせいでどんどんボロを出す未来が見えて心配で死にそうである。
非常に怪しいのは重々承知していますが、わたし、害はないんですよ・・・。毒にも薬にもならない、無害で無益な一般ピーポーですよ・・・。ちょっと出生地が違うだけで・・・。
わたしは遠い目になりながら昴さんとの携帯のカレンダー画面を開き、予定を調整した。あ、そういえば安室さんにも連絡しなきゃだ・・・ははは・・・。
(夢のようなシチュエーションなのに手放しで喜べないのがつらい)
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