04
「ん・・・」
「!」
もぞり。自分の声帯から出ていないのが不思議になるような自分の声が聞こえて、わたしの中に入り込んでしまった一二三くんが目を覚ましそうだと悟る。
寂雷先生と顔を見合わせた後固唾を飲んで見守ると、ゆっくりとまぶたが押し上げられた。わたしの寝起きってこんなに情けないのか・・・とちょっぴり切なくなる。目の前のわたしはゆっくりとぱちぱち瞬きをしたあと、まだ焦点の定まっていない目をしたまま口を開いた。
「ここ・・・ッ?!」
ここは、と呟こうとしたんだろうわたし、もとい一二三くんが自分の声に驚き目を見開く。とっさに両手を口に当て、そのまま驚きのあまり固まった。そして少しずつ、確かめるように自分の輪郭をなぞる。
「目が覚めたかい」
最初に話しかけるのは寂雷先生にしようと決めていた。先生の声を聞いて、わたしの顔は少しだけ安堵の色を浮かべる。
「せんせ、ッ・・・!!!」
今度こそ彼は、自分の声が普段とはとんと違い、まるで女のものであるのだと気付いてしまったようだった。
「もう自覚したようだね、一二三くん。・・・なまえくん、こちらに」
「はい」
呼ばれて寂雷先生の奥に座っていたわたしは立ち上がる。一二三くんの足はリーチが長く、たったの二歩でわたしはわたしの顔が覗き込める位置までたどり着いてしまった。
「・・・なっ、」
「はじめまして一二三くん、わたしはみょうじなまえです。・・・わたしたち、どうやら入れ替わってしまったみたいです」
わたしの目が大きく見開かれる。どうしたものか、と頭の片隅で思った。だって状況を受け止められていると思っていたのに、わたしから出る一二三くんの声は悲しくなるくらいに震えていたから。
自分の顔が驚くのを見るのは予想以上に厳しいものがある。鏡越しの自分を見ているようなのに、たしかにそれは大きく違って。まるで空間ごと歪んでしまったような違和感は足元を崩すようだった。ぐらりとするのを踏ん張って、わたしはなるべく微笑む。
「・・・ウソ、」
短い言葉を発しては女の声だと怯えるわたしの中に入った一二三くんはあまりに痛々しくて可愛そうだった。自分の顔を見てかわいそうと思うのもおかしいけれど、だっていままでこんなに震えた人を見たことがないってくらいに目の前のわたしは震えているんだから。
むくり、わたしが・・・一二三くんが起き上がる。ごくりと唾を飲むのが聞こえた気がした。一二三くんはわたしの手を見て、ネイルを見て、少しぐらりと揺れた。また意識を失うんじゃないかと思ったけれど、どうやら寸前で止まったようだった。どうして、と囁くように呟く。泣き出しそうだった。
「それを君に聞かないといけないんだ。話はできるかい、一二三くん。厳しければ筆談でもいいんだけど・・・。でもやっぱり少し落ち着いてからにしようか」
寂雷先生の声は凪いだ海のように優しく穏やかで深く落ち着かせてくれる。少し負けそうになっていたわたしもなんとか自分を保って、わたしの顔をした一二三くんに改めて笑いかけた。
「女の手がいやだったら、この軍手とかはめてもいいんで!でも女性が苦手なあなたにこの状況はあまりにも酷だから、無理もしないでください。
なんならもう一回寝てからとかでも平気なので」
一応さっき買っておいた軍手おいときますね、と一二三くんの枕元にある棚にそれを置くと、彼は少しだけ不思議そうにそれを見た後口を開いた。
「・・・優し、ッスね。俺っち、こんな、・・・情けないのに」
「ううん、わたしのほうがちょっと早めに状況を飲み込んだだけだから。一二三くんは一二三くんのペースで、大丈夫」
しっかりと声を出して女性のものであると認識するのが怖いのだろう。息だけで話すような彼の声は耳をすませても聞き取りづらく、おそらく慣れた自分の声だから拾えたんだろうと思った。
一二三くんがぺこりと会釈してわたしの渡した軍手をはめる。寂雷先生がハイ、とメモとペンを渡した。
「まず、なまえくんは君が蹲っているところに声をかけたみたいなんだけど、そうなった原因は覚えているかい?」
げんいん。わたしの口が繰り返すように小さく動き、少し考えるように目線を下にやった後、小さくうなずいた。
たぶん、っスけど。
また吐息のようなボリュームで囁いた一二三くんはノートを開きペンを走らせる。自分が自分とは全く違う筆跡で文章を書くのを見るのは、なんだか不思議な気持ちになった。
「違法マイクで間違いないでしょう」
やっぱりそうか・・・。寂雷先生が考えた末に発した言葉にわたしは頭が痛くなった。
一二三くんの話を纏めるとこうだ。
常連客との同伴に向かっていた際突然ドタキャンされてしまい、時間ができたことだし少しショッピングモールの方へ行こうとしたところ突如何者かに襲われた。応戦しようとしたものの、人通りの多いそこで戦えば一般人を巻き込んでしまう。
慌ててその場を離れようとするもその間おそらく複数人から次々と暴力的なヴァースを浴びせられ、なんとか人通りの少ないところで自分もマイクを握り戦ったものの防戦すらできずに攻撃を受け続けた体は悲鳴を上げていた。その後必死でリリックを叩き込んだことで相手達は蹴散せたようだったが、あまりにも苦しくしゃがみこんでいたところをわたしが見つけたのだ。
そこまで聞いて、寂雷先生は「常人の攻撃で一二三くんが押されることはありえないし、今の状況から考えて相手は違法マイクを所持している」と結論付けた。
そして、先日麻天狼が優勝したことを良しとしない連中がおそらく犯人だろう、とも。
「・・・ディビジョンラップバトルって、本当に大変なんですね。わたしぜんぜん分かってませんでした」
優勝した逆恨みで狙われるなんて、迷惑にも程がある。しかもわたしは今までお気楽に、まるでアイドルを応援するくらいの感覚でみんなを見守っていた。なんだかそれすら申し訳ないような気持ちになってくる。
ミーハー心がいたたまれなくなって少し落ち込んでいると、また何かを書いていた一二三くんがこれ、とわたしにノートの文字を見せてきた。
『巻き込んでごめんね』
申し訳なさそうにわたしが、一二三くんが、眉を下げる。わたしはふるふると横に首を振った後、大丈夫と伝えた。
「とにかく、一郎くんたちに急いで犯人を特定してもらおう。相手の顔など何か特徴は覚えているかい?」
寂雷先生にそう聞かれて、一二三くんが頷く・・・も。
どうやら少しもじもじしながらノートにまた何かを書き始めた。
なんだか少し様子の違う一二三くんに首を傾げながらそのペンが走るのを見て、わたしは彼が文章を書き終える前にあまりの事態に口元を引き攣らせた。
『その前に、トイレに行きたい』
わたしと一二三くんは目を見合わせ、そのあと寂雷先生を同時に見る。うーん、と寂雷先生は少し唸った。
「それは・・・困ったね」
でも生理現象だからね、と続ける寂雷先生。わたしも自分の体が御手洗に近いことをよく知っているので、仕方ないよなとある種諦めがつく。ただ1人、わたしの体に入った一二三くんがぷるぷると震えていた。
「・・・とりあえず、一緒にといれ行こっか」
頬を掻きながら言うと、一二三くんはまた泣きそうな顔をした。
わたしは今後想定できる数々の生理現象や避けて通れない事柄に思いを馳せ、わたしのメンタルはもちろんそれ以上に一二三くんはいろいろ耐えられるのだろうかと頭を抱えた。