03



それから程なくして到着した救急車に眠るわたしの体を乗せ、わたしは隣に座った。長すぎる足は座るには不便で右足を上にして組んでみるもやはり居心地が悪い。その上に乗せた長い腕の先にある手は細く美しく、それでもしっかり骨ばっていて全女子が理想とする男性の手だと思った。
伊弉冉一二三は顔や声だけでなく、形成するすべてが美の極地の詰め合わせなのだろう。奇抜な色なのに全く傷んでいない、顔周りでふわふわと揺れる美しい金色の髪が視界に入って改めてそう思った。

ふと視線を下にやれば、ごくごく普通のどこにでもいそうな二十代女性が眠っている。自分の寝顔を見るのはこれが初めてだった。わたし、口開けて寝るんだ・・・恥ずかしい。いやでもこれは本当にわたしなのか?わたしに口を開けて眠る習性があるのでなく、伊弉冉一二三にそういった習性があるのではないだろうか。そういうことをぼんやり考えているといつの間にか救急車は目的地に着いたらしい。声をかけられたのでわたしは降り、眠る自分が運ばれていくのを黙って見届けた。


「一二三くん!」

降りた先で推しの名前を呼ぶ聞き慣れた声がした。わたしは反射的にどこに一二三がいるんだとあたりを見回し、それからハッとする。伊弉冉一二三はわたしだった。痛恨のミスである。



「あ、いや、すまない。ええと・・・」
「神宮寺、寂雷先生ですよね。こんにちは」
「・・・本当に一二三くんではなさそうだね」
「みょうじなまえと申します」

まじまじと見つめてくる先生にわたしは苦笑する。なによりも自分から発するこの声に慣れない。
今日一日で麻天狼のメンバーに二人も会ってしまった。このままいくと独歩くんにも会えるだろうか。まあ彼のことだ、幼馴染であり唯一の友達である伊弉冉一二三に何かあったと聞きつけたら仕事をなんとかしてでも飛んでくるだろう。それは少し楽しみだったが、なんだか申し訳ないような気もした。


「なまえくん、だね。申し訳ないけれど、いったい何が起こったのか教えてくれるかな」
「もちろんです。と言ってもわたしもあんまりよくわかってないんですけど・・・」
「とりあえず中で話そうか、ついてきて」
「はい!」


そしてわたしは寂雷先生について歩を進める。寂雷先生は身長が高くてかっこよかった。この一二三の身長でもそう思うんだから、自分の姿に戻ったらあまりのスタイルの良さに愕然とするんだろう。
一二三の身長もけして低い訳では無い、むしろ男性の平均からは高い方なのに凄いなあとどこか他人事のように考える。普段のわたしがヒールを履いても達しないほどに高くなった目線で歩くのは不思議な気がした。

伊弉冉一二三はこんな世界を生きているのか。























「なるほど・・・確かに目が覚めた一二三くんに聞いてみないとわからなさそうだね」

起こった事をすべて話したけれどもそこから解決の糸口は見つからない。考え込むように手を顎にあてる寂雷先生は美しく、麗人という言葉が似合った。しばらくの沈黙。
そこで寂雷先生が、あっと声を出した。


「どうしました?」
「いや、その・・・うん。君には言っておいた方がいいだろう。実は、一二三くんのことなんだけど」

何故か先生は口ごもっている。どうしたんだろう、何を言われるんだろう。なんだかそわそわしながら待っていると、先生はできれば内緒にしてほしい、と前置きをした上で重々しく言った。


「彼、その・・・女性恐怖症なんだ」
「ああ」


なんだ、そのことか。とっくに知っていたそれにわたしはナチュラルに返す。すると寂雷先生は驚いたようにわたしを見た。


「ああって・・・、驚かないのかい?」
「あ。いや、えっと」


あ、やっちゃった。この世界では伊弉冉一二三が女性恐怖症であるということは別に全く常識ではないというのに普通に受け入れてしまった。
これは変に勘繰られたら面倒だな、とわたしは慌てて付け足す。

「その、実はわたし魔天狼のファンで・・・そういう噂を聞いたことがあったんです。それに入れ替わった直後の一二三さんの反応が、そんな感じだったから」


こんな理由で納得してもらえるだろうか。内心不安に思いながらも寂雷先生の返答を待つと、彼はまた顎に手を当てうーんと考え込んでいるようだった。



「ふむ・・・もしかしたら思っているよりも不味いことになっているのかもしれないね」


そう呟く寂雷先生にわたしは首を傾げる。思っているより、とは?

どういうことですか、と目で聞くわたしに寂雷先生は少し穏やかに微笑んで、一二三くんが目覚めたら話しましょうと言った。わたしもそれにコクリと頷くも、ふととある考えが頭に過ぎる。


「あの、先生」
「どうしました?」
「一二三さん、なんですけど。女性恐怖症なら、女性の声で話したりするのも無理なんじゃないでしょうか・・・」

というか、もはや間違いなくそうだろう。寂雷先生もそう思ったのか、うーんと唸ったあと一二三を見て苦笑した。


「メモとペンを用意しておきますか・・・」
「そうですね」


一二三はまだわたしの体で気持ちよさそうに眠っている。起きたら地獄になるのは間違いないのだから、せめていまはいい夢を見ていられますようにと願った。