01

 Japan Clear Creation​───通称JCC。殺し屋養成機関であるそこに入学させられるはめになり、毎日必死で生きてきた一般家庭出身の私は、本日、とんでもないことを知ってしまった。

「早く終わらせよう。お前、俺のことが嫌いだろ」
「えっ……!?」

 想い人である坂本くんに、なぜか私が彼を嫌っていると勘違いされていたのだ。これは、JCCに入学したその日に彼に一目惚れをしていた私にとって、誠に由々しき事態である。

 ​─────十歳の頃。私の両親は詐欺グループに騙され、莫大な借金を背負わされた。それを肩代わりしたのが、昔JCCを卒業し殺し屋をやっていた父方のおじいちゃん。父に殺しの才能は全くなかったようだが、隔世遺伝か運動神経と頭脳に恵まれた私に以前から目をつけていたらしく、私がJCCに入学・卒業し、殺し屋として祖父の跡を継ぐことを条件に金の工面をしてくれた。
 おかげで私の家族は普通に生きられることになったが、それまで一般人として育ってきた私にとって祖父との修行は酷く苦しいものだったし、殺しなんて本当にしたくなかったから、JCCへの入学は苦痛でしかなかった。
 ……のだが、その日に話しかけてきてくれたリオンと、あまりにも好みどストライクの容貌で目の前に現れた坂本くんのおかげで、なんとかこの学校でもやっていけていたというのに。

「えっなん……なんで? えっ?」
「だってお前、俺にだけくん付けだし……俺が話しかけると固まってちょっと後ずさるし……」
「そ、それは……!」

 それは、あなたの事が好きだからで……!! と言いたいが、言えるような人間だったら確実に坂本くんに誤解を与えていないだろう。どうしよう! なんとか弁明しないと!!

 入学式の際、身の上話をして爆笑されたことをきっかけにリオンと仲良くなった私は、基本的にずっと彼女と行動を共にしている。コミュニケーション能力が高く典型的な陽キャである彼女の周りには人がたくさん集まるので、最初はかなりの人数が他にもいて、その中に坂本くんもいた。

 しかしあれよあれよという間にメンバーが減っていき、途中で転科してきた南雲が加わり、いつの間にかこの四人でいつメン! みたいになっている。
 しかし現在四人でよく行動してはいるものの、やっぱり坂本くんとは上手く話せない私は、先程行った買い出しジャンケンで一緒に負けたこの機会に少しでも仲良くなろう! と意気込んでいたのだが………………言われたセリフに固まるしかないのである。

 でも誤解を解きたくても、「お前マジで坂本のこと好きだよな(笑)全然まともに喋れてねーじゃん(笑)」と爆笑され、南雲も「本当に坂本くんのこと好きだよね〜(笑)好きすぎて挙動不審になってるもんね(笑)」と言われるくらいの私なのでどうすることもできない。
 今も、坂本くんが私のことをじっと見ていると思うと、心臓がバクバクして身体中の毛穴という毛穴から汗が出てきて、なんだかもう吐きそうになってしまうのだ。かっこよすぎる。無理、鼻血出る、死にそう。そしてこの私の動揺っぷりを見て、坂本くんの勘違いは加速する。

「……俺が一人で買ってくる。お前はアイツらと待ってろ」
「違うの!」
「え?」
「き、緊張しちゃうだけなの! 坂本くんが嫌いなんじゃないの! 私……わたし、そう! 男の人が苦手なの!!」

 坂本くんが背を向けたから慌てて制止しようと開いた口は、完全なる嘘八百を並べ立てた。坂本くんもさすがにおかしいと思ったのか、訝しげにこちらを見てくる。

「男が苦手って……南雲とは普通に話してるだろ」
「南雲髪の毛長いし!」
「俺の方が長いけど……」
「あ、やっ、んー! 南雲はなんか女みたいな感じするじゃん!」
「そうか……?」

 坂本くんが理解できない、といった顔をしているので、さすがに無理があったか!? と焦ったが、その後「まあ確かにニコニコしてるし話しやすいのかもな……」と納得してくれたようだった。しかし、よかった! と安堵する私に、坂本くんは引き続き気を使ってくれてしまう。

「俺じゃなくて男が苦手なんだとしても、この状況は嫌だろう。早く終わらせよう」
「あ、あう〜〜〜〜〜」
「?」
「いや、えっと、男性嫌いを克服したいので嬉しい! です!」
「そうか? ならいいんだが。まあ無理しないようにしろよ」

 坂本くんはようやく理解を示してくれたようで、そのあとは普通に一緒に買い出しができた。けれども私がキョドる度に「近かったか」と距離を取るし、あまり話しかけないようにしてくれる。優しい。こういう案外優しいところも好きだ。
 ……でも、半径3メートル以内には近づかないようにしてくれてしまい、さすがにいたたまれなくなりながら買い出しを終えた。
 情けないやら悲しいやらで誰かにこの話を聞いてほしくなったが、リオンに言ったところで爆笑されて終わるだけだ。だから翌日、たまたま南雲と二人になった時に話してみた、ら。

「じゃあ僕が坂本くんに変装してあげるからそれで今度デートでもしてみる? それに慣れたら普通に話せるようになるんじゃないの」

 ……なんてとんでもない提案をされてしまった。いやいやそれは、さすがにない。そう断ろうとした瞬間、南雲がいた場所には坂本くんがいて。

「エッ!?」
「すごい、顔が真っ赤だね〜。恋する乙女じゃん、かわいい〜」
「ちょっと待って坂本くんは絶対にそんなこと言わないから黙って」
「はいはい」

 坂本くんになった南雲は、黙りながらもニヤニヤを隠そうともせずに私を見下ろしている。腹立つ。コイツが南雲だと思うと腹が立つ〜! ……けど、私を見て薄く微笑んでいる坂本くんなんて一生見ることはないだろう。それに南雲は私の気持ちを知っているから、私がどれだけドキドキして挙動不審になったとしても気分を害さない。
 付き合いたい! なんて恐れ多いことは思っていないが、昨日の買い出しの最中、あまりにも坂本くんに気を使わせてしまったことは本当に申し訳なかった。今朝会っておはようと言うときもめちゃくちゃ距離を取ってくれていたし、私が男嫌いだと嘘をついてしまったせいで坂本くんがやりにくくなっている可能性がある。そう考えると一刻も早く坂本くんの顔面に慣れ、普通に接することができるようになった方がいいのではないかと思い始めた。

「決まったか? お前がいいなら俺はいつ始めてもいい」
「ちょっと! 坂本くんの口調を真似しないでよ、ドキドキしすぎて死ぬから」
「そんなに?」

 首を傾げる坂本くん(※南雲)にキュンキュンしながら、私は彼に向かって深深と頭を下げる。
「特訓……お願いします! 坂本くんと普通に話せるようになりたい!!」
「わかった。じゃあ早速、今度の土曜日にでも出かけるか」
「はい! よろしくお願いします!!」

 かくして私と南雲の特訓が始まることになった。ちなみにお辞儀から頭を上げた瞬間、坂本くん(※南雲)が楽しそうにこちらを見ていたので、ちょっとけっこうまあまあかなりだいぶ死ぬかと思った。



「……っていうことがあって、南雲と今度坂本くん克服デートをすることになったんだ〜!」
「へぇ〜……」

 授業が終わってリオンとお手洗いに行った帰り、そういえばさぁ〜! と南雲とのやり取りを話すと、彼女はなんだか含みがある笑顔で相槌を打った。

「なに?」
「いやー? なんかおもしれーことになってるなって」
「面白い?」
「おー。南雲ってけっこう健気だよな〜」

 健気???
 どういうことかわからなくて首を傾げると、「まーお前はわかんなくていいよ」とリオンは笑いながらタバコに火をつけた。そしてフゥー……と煙を吐き出してこちらに視線をやる。

「で? どこ行くの?」
「あ、なんか南雲が考えてくれるらしい。私そういうのよくわかんないから助かる!」
「ふーん……。ま、気をつけろよ」
「え?何に?」
「別に〜」

 どういうこと!? と迫っても、リオンはこれ以上話す気はないようだった。ま、なんだかんだでアイツは優男だし大丈夫大丈夫〜と笑われたが、何がどう大丈夫なのかもわからない。いったいどういうことなんだ、と気になったけれど、リオンは完全にこの話題に飽きてしまったようで、「そういや姪がさ〜」と写真を見せてきたのでこの話はこれでおしまいになってしまった。

 そして、デート当日。南雲に指定された待ち合わせ場所に行くと、そこには普通〜に普通〜の姿の南雲が立っていた。しかも逆ナンされている。いやなんで普通の南雲とデートしないといけないのよ、特訓はいったいどうなったんだ、ていうかそのお姉さんと出かけたらいいのでは? と思い引き返そうとしたとき、目ざとく私を見つけたらしい南雲に名前を呼ばれる。
 バレた、と思ったら、「ごめんね〜僕これからあの子とデートなんだ〜」と言われた。いやだから、私は坂本くんの顔とデートするために来たのであって、南雲とデートをしたかったわけでは……と思っていたら、南雲が小走りで近づいてきた。

「ごめんごめん! 絡まれちゃった〜」
「それは別にいいけど、なんで南雲のままなの?」
「んー? だって人目につくところで僕が坂本くんの変装をして出かけたら、もし誰かに見られた時に厄介なことになるでしょ」
「あ、た、確かに……」
「もしも君が僕に坂本くんの変装をさせてデートしてる、なんてことが広まったらめちゃくちゃ大変だと思うよ〜! 坂本くんにも気持ちがバレるだろうし、最悪ちょっと引かれるかも……」
「ゔ! そ、それはちょっと……!」
「ね? だからとりあえず今はこのまま出かけよう。今日は映画館に行くつもりなんだ〜。館内なら暗いし、二時間近く隣に座るなんてちょうどいい練習になるでしょ?」
「はっ……はわっ……はわわっ……」
「考えただけでそんな緊張する?」

 まあいいけど、と南雲は笑い、映画館に向かうためJCCの外へ向かう。……南雲、なんかいつも飄々としてるし、ノリで生きてる変なひとだと思っていたけれど、私のバカみたいな悩みを解消するためにちゃんと考えてくれて、いい人だな……とちょっと感動してしまった。JCCは不便で辺鄙なところにあるため、都会に出るにもかなり時間がかかる。南雲と二人だけでこれ程の時間を過ごすのは初めてだったけれどその時間も普通に楽しくて、南雲といるの、めちゃくちゃラクだな……とびっくりしてしまった。

 そして船と電車を使いようやくたどり着いた映画館。映画は以前から少し気になっていたものがあり、南雲もそれがいいとのことで即決。そして促されてお手洗いを済ませてから戻ると、南雲は飲み物とポップコーンを買ってくれていた。チケット代もいつの間にか彼が支払ってくれていたので、慌てて財布を出して半分払おうとしたところ、「女の子なんだから男に奢られときなよ〜」と躱される。
 ……これじゃまるで、普通に南雲と出かけてるみたいじゃん! とツッコミを入れても、「いいじゃんいいじゃん。せっかくデートなんだし」と言われてしまった。
 あれ!? それじゃ本当に前提がよくわかんなくなってくるけど!? ……と思いながらシアタールームに入って、次の瞬間。

「ギャーーーーーーーッ!!」

 目の前に坂本くんが現れて、不意打ちだった私は腹の底から叫んでしまった。

「ちょっと! 声が大きいよ」
「だ、だって……はわっ……! アッ……坂本くんになるのは、言ってからにしてよぉ……っ」
「もともとこのつもりで来たんだから今わざわざ言う必要なくない?」
「そ、そう、だけどっ……」
「…………」

 口調と表情は明らかに南雲だが、容姿と声が坂本くんになってしまった途端やっぱり信じられないくらい心拍数が上がってしまう。ダメだ、これ以上心臓が元気になるとうっかり口からまろびでてしまいそうだ。
 そんな私を少し笑った坂本くん(※南雲)にさらにまたときめいてしまう。いや! いやいや! 坂本くんは笑ったりしないのに! 私なんかに笑ったりしないのに!! …………かっこいいよおおおおおおおお!!!!!

「とりあえず席に着こっか。えーっと、こっちだね」
「は、はひ……っわ!?」
「あっちょっと!」

 惚けながら坂本くん(※南雲)を見つめていたせいでうっかり階段から足を滑らせた。やばい、と思った瞬間、ぼふっと顔が何かに埋まりって体全部が包み込まれる。状況が理解できなくて、何!? と固まると、頭上から呆れたような声がした。

「しっかりしなよ……君本当に殺し屋なの?」
「ぴ」

 ……その声は、口調こそ違えど、坂本くんのもので。一拍おいてようやく、自分が坂本くんに抱き止められているとわかる。いや、いやいやいや。これは坂本くんじゃなくて南雲だ。南雲だから大丈夫。南雲だから………………いや、南雲でもハグはやばくないか?

「おーい、聞こえてる?」
「はっ」

 次は南雲の声だった。私がやばくなりすぎてるから変装をといたんだ、と思い、謝ろうとして顔を上げた…………ら。

「ぴぎゅっ」
「え、ちょっと!? 鼻血!? コラちょっと! ねえ! おーい!! おーい!?」

 目の前にあったのは、端正な坂本くんのお顔で。凛々しい眉に切れ長の目、通った鼻筋に薄い唇。さらりと垂れる前髪もぜんぶぜんぶぜんぶ、私の……憧れだ。
 突然間近で浴びた坂本くんの麗しい顔面に、私は完全にノックアウトされてしまった。南雲が焦りながら私の名前を呼ぶ声が遠くで聞こえた気がするけれど、……定かでは無い。



「はっ」

 次に目を覚ますと、見慣れた天井があった。あれ、私いつから寝てた? あれれ? 今日なにしてたっけ……? そう首を傾げたところで、自分を包んでいるシーツの質感や匂いに違和感を覚える。そしてここどこだ、と体を起こそうとした時。

「あ、起きた? よかった〜」

 聞こえてきた南雲の声に目を瞬かせる。そこでようやく自分が、南雲に坂本くん慣れトレーニングに付き合ってもらっている最中にぶっ倒れたことを思い出した。

「南雲! えっあれ!? ここ……」
「僕の部屋。急に倒れちゃうからさ〜、どうしようか悩んだんだけどとりあえず担いで帰ってきた」
「映画館からJCCまでバカほど遠いのに!?」
「他に行くところもなかったしね〜」

 衝撃を受けていたら、ほら君の分のドリンクだよー、ポップコーンも一緒に食べよー、と言いながら南雲に映画鑑賞セットを渡される。とりあえず寝起きの喉を潤したくて渡されたドリンクを一口飲んだ。氷は少し溶けていたけれど変わらず美味しくて、本来なら映画館で飲むはずだったのにと申し訳なくなってきた。

「ご、ごめんね……せっかく映画、見ようとしてたのに……」
「いいよ別に。たぶん映画より鼻血出して倒れる君の方が面白いし」
「うぐっ」
「……ていうか本当に好きなんだね、坂本くんのこと。告白とかはしないの?」
「こ、こくっ、こくはく!?」
「まあ今の状態じゃできないだろうけどさ。でも付き合いたいとか思わないの?」

 南雲はベッドの縁に座り、ポップコーンを口に放り投げながら聞いてきた。それに私はもう一度ぢゅっとドリンクを啜ってから答える。

「お、恐れ多くて、そんな……」
「恐れ多いって。坂本くんも普通の男の子だよ? まあちょっと変わってるけど」
「ていうか、そもそも、つ……付き合ったことがないから、よくわかんない……」
「あー」

 そっか、男慣れしてなさすぎるのか。そう呟いた南雲はポップコーンとドリンクをテーブルに置いた。そして私からもドリンクを取り上げる。

「えっ何!?」
「ねえ。……いま君、男の部屋にいるんだよ。ここは僕のベッド。密室に二人だけ」
「わっ、」

 どさ。突然肩を押されて、私は後ろに倒れ込む。後頭部が南雲の枕に沈んで、嗅ぎなれない香りに包まれ息を呑んだ時、顔に影がかかった。

「……そういうのにも危機感がわかないくらい、恋愛慣れしてないの? それとも相手が僕だから?」
「南雲……?」
「さすがの君でもここまでされたら、この意味……わかるよね?」

 そう言って南雲は私を組み敷いた。艶のある彼の黒髪が私の視界の端で揺れる。漆黒の丸い瞳の中には惚けている私がいた。そして彼の顔がどんどん近づいてくる。……これ、こんな、まさか。キスする、みたいな。

「わぁーーーーーっ!!!」
「!」

 そう気づいた瞬間、私は全力で南雲を突き飛ばしていた。彼ももともと本気でどうこうする気はなかったんだろう。素直に吹っ飛んでベッドサイドの床に尻もちをつく。

「無理無理むりむり! 恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい! からかわないでよぉ南雲もイケメンなんだから普通に恥ずかしくなっちゃうじゃん! 危機感なくてごめんごめんごめん! 次から気をつけるからぁ〜!」
「……」

 彼は「痛い……」と言いながら打ったらしいお尻を撫でながら私を見上げた。

「……君、僕のことかっこいいと思ってたの」
「えっうん! ていうか女はみんな思ってるんじゃない!?」
「……その割に坂本くんの時と反応が違わない?」
「え。だって坂本くんは好きな人だけど南雲はただの男友達じゃん」
「…………」
「私があまりにもぼーっとしてるから、危機感持たせようとしてくれてたんでしょ? ありがとうね」
「………………」

 そう言って笑うと南雲はしばらく黙り込んだあと、はあー……と深いため息をついた。

「なんで僕はこんなのが……」
「えっ何? 違った?」
「違わないけど〜〜〜〜〜」

 床に座り込んでいる南雲はベッドに頭だけを預けて項垂れる。……さすがに、映画館からここまで私を担いできて疲れちゃったのかな? なんて考えていると、急に南雲がむくりと起き上がり姿勢を正した。

「まあいいや……今に始まったことじゃないし……。ていうかそれよりも君ね〜、いくら坂本くんが好きだからってあれくらいで心を乱されて階段から落ちるようじゃ本当に殺し屋とかできないから。JCCを卒業する前に死ぬよ?」
「ゔ」
「もうちょっと神経が図太くならないとこの世界で生き残れないって、いくら一般家庭の出身でもいい加減わかってるよね」
「わかってるけどぉ〜……」
「じゃあこれから毎日特訓」
「え?」
「毎日特訓しよう。坂本くんと男に慣れる特訓」
「は?????」

 坂本くんはともかく、男に慣れる特訓?????
 どういうことだと首を傾げていると、南雲が突然私の手を握ってきた。

「なにっ!?!?!?」
「これ、僕相手でも緊張する?」
「するに決まってんじゃん! バカなの!?」
「ふーん……」
「だからなに!!!!!」

 なぜか満足気な南雲は、私が手をぶんぶん振って払おうとしても、むしろ力を強めてしまいぜんぜん離してくれない。南雲の手のひらの体温は思いのほかあたたかくて、恥ずかしいやら意味がわからないやらで全身の血液が沸騰しそうなくらい熱くなるのを感じる。そんな私に南雲は笑いながら言った。

「これ坂本くんの顔でされたらどうなる?」
「死ぬ」
「でしょ? だから僕でこういうスキンシップに慣れつつ、同時進行で……」
「っわぁ!?」

 ぱっと南雲が私から手を離した瞬間、今度は目の前に坂本くんが現れた。

「この顔とも少し話をして慣れていく。どうだ?」
「あ、はひっ、は、はへっ、」
「……本当にこの顔が好きなんだね…………」
「こ、声も、声もすきでしゅ」
「聞いてないけど。まあとにかく」
「ア゙ッ!?」

 突然の坂本くん(※南雲)の美顔に耐えきれず目線を逸らしていたら、突然手が伸びてきて顎にそっと添えられる。そして抵抗する隙も与えず上を向かされて、目を合わされてしまった。ヒィ!? と固まる私に坂本くん(※南雲)は少しだけ顔を近づけて、その美しい目を細めてゆっくりと言った。

「……頑張ろうな」
「あ゙」

 パタリ。
 色気たっぷりなその声と仕草に私はまた鼻血を出して気を失った。だめ、これ、無理。慣れるより先に死んでしまう。



「で? なんて言われて付き合い始めたんだよ、南雲と」

 南雲と初めてのデート(特訓)から早一ヶ月。食堂に向かう途中でニヤニヤと楽しそうに笑うリオンに聞かれて私はきょとんと瞬きをした。

「え、付き合ってないけど」
「はあ!? じゃあなんだよ最近の距離!」
「距離?」
「ベタベタベタベタしやがって!!!」

 リオンに吠えられて、私ほようやく合点がいく。最近の南雲は特訓のためにやたらと私にスキンシップを取ってくるから、その距離感で交際していると勘違いされてしまったんだ!

「特訓の一環だよ〜!」
「特訓ン〜?」
「そうそう! 前にさー、坂本くんに慣れるための特訓に南雲が付き合ってくれることになったって言ってたじゃん? 私初めてそれをした日に坂本くんの顔が好きすぎて二回鼻血を出して倒れちゃって」
「病気じゃね???」
「でね、そこからちゃんと特訓するかってなって〜。時間を取れる日は坂本くんの変装もしてもらってちょっとずつ慣らしてるんだけど、さすがに毎日二人で会う時間は取れないじゃない? だからとりあえずスキンシップだけは取って男の子に慣れるようにしようって」

 私が人差し指を立てながら明るく説明すると、リオンは信じられないものでも見るかのような顔をしたあとハァー……と盛大なため息をついた。

「お前、マジで詐欺に遭わないように気をつけろよ……。そういやお前がこの学校に入ったの、親が詐欺に遭って金が必要になったからだっけ……」
「うん、そうだよ〜!」
「DNAがもうバカなんだな」
「酷くない???」

 いや酷くない????? と私は思わず二回言ったが、リオンは呆れ顔でタバコを吸ったままだ。もう、と私がむくれていると、彼女は聞き取れないような小さな声で何かを呟く。

「……どう考えても周りに牽制されてんのに、本人がバカすぎてどうしようもないな」
「なに? なんて? えっバカって言った? バカって言った?」
「バカだけ拾ってんじゃねーよこのバカ」
「ねえだから酷くない!?」

 そう騒いでいたとき、後ろに何かの気配を感じる。あっこれは、と思った瞬間、ズンっと両肩と頭に重みがかかった。

「なんの話してるの〜?」
「わあっ! 南雲!」
「まーたバカが増えた」
「赤尾酷くない??」

 リオンにそう言いながら、私を後ろから抱きしめる南雲に心拍数が跳ね上がる。あわわ、と慌てていたら、南雲がクン、と私の髪の匂いを嗅いだ。

「あれ、シャンプー変えた? 昨日までと匂いが違う」
「ちょ、ちょっとそんな嗅がないでよっ!」
「で、変えたの? 変えてないの?」
「かっ、変えた! 気になってたのが安くなってて……っ、」
「へー。前のもいいけどこれもいいね〜」
「ちょ、わっ、わ〜!! そんなにクンクンしないでよ!! 恥ずかしいし汗かいてるっ!」
「大丈夫大丈夫。それにほら、特訓でしょ?」
「う、ゔ〜〜〜〜〜」

 ぐりぐりと私の髪に頭を埋められてさすがに恥ずかしいのだが、確かに特訓だもんな……と思っていると、リオンがものすごい顔でこちらを見たあとため息をついててくてく歩き始めた。

「えっリオン!? 何、どこ行くの!?」
「付き合いきれねー」
「何が!?」

 しかしリオンは私の問いに答えず去ってしまう。ちょっとー! と追いかけようとしたが、南雲の腕が私に巻きついたままでそれは叶わない。離してよー! と暴れる私に、南雲は笑いながら言った。

「まあまあ。それより今度の日曜日、出かける約束なの覚えてる?」
「お、おぼえ、おぼえてるけどっ……」
「何?」
「ちょっ……さ……さすがに近すぎない!?!?!?」

 後ろから抱きしめてきていた南雲はそのまま流れるように私の腰を抱き、私を見下ろしている。しかし私の体は完全に南雲にすっぽり包まれていて。

「そんなに緊張する?」
「するけど!!! キレるよ!?!?!?」
「なんで?」
「わっ、」

 今度は突然左手を絡め取られたかと思いきや、そこにあたたかくてふにゅりと柔らかい感触が押し付けられた。
 それにエッ!? と驚いてそちらを見たら…………やっぱり南雲が私の手の甲に口付けをしている。

「+〆○*\$%÷°#☆」
「あ、鼻血出る?」
「〜〜〜〜〜〜ッ、」
「なんだ、耐えちゃった」

 はあっはあっはあっ。うっかりまた倒れそうになったがそこをギリギリのところで踏みとどまって、私は南雲をえいやと押しのける。

「あの、き、キスはやりすぎ」
「手にしただけだけど。挨拶じゃん」
「日本でそんなキザな挨拶が横行してたまるか!!」
「でもさ〜」
「っうわあ!」

 さすがに南雲からのスキンシップが過度になりすぎている気がするので、ちょっともう特訓の中断でも申し出ようかと思った瞬間、目の前に坂本くんが現れた。
 これはいつも通り、南雲が変装した坂本くんである。最近南雲は坂本くんの姿では私に触れてこない。彼は両手を離してひらひらとさせ、少し距離を取りながら口を開いた。

「ほら、離れた」
「!」
「前ならこの近さは鼻血出して倒れてたろ」
「……………………」
「特訓の成果が出てるな」

 そう満足気に言う坂本くん(※南雲)。しかし私は正直もう、それどころではなかった。

「ッ………………かっこよすぎる………………」
「うわっ泣いた!?」

 確かに特訓のおかげなのかなんなのか、最近は至近距離で坂本くん(※南雲)を見ても鼻血を出さなくて済むようになってきた。代わりにまじまじとそのお顔を見つめることができるようになり、涙が出る。美しいって力なんだな。坂本くんって生きる彫刻、いやもうパワースポットなのかもしれない。
 ……なんて思っていたとき、後ろから「えっ」と驚いたような声が聞こえてきた。それに振り返ると、そこには。

「俺が、二人……?」

 目を丸くしてこちらを指差す坂本くんがいた。その状況のマズさを理解するより先に、私はこの夢のような空間にノックアウトされてしまう。

「さっ……さかも、さかもとくんがっ……ふたりっ……」
「わーっ!」

 坂本くん×2はさすがに死んでしまう、と思ったところで、変装を解いて本来の姿に戻った南雲に抱きとめられた。やばいやばいどうしよう、見られた!! 私が坂本くんのことが好きなのがバレてしまう……!! そう焦りで目の前が真っ暗になったとき。

「じゃあ坂本くん来たし、次は山田先生」
「うわぁっ!? やだ!!!」
「やなんだ」

 私を受け止めて顔を覗き込んでいた南雲が突然、推定年齢五十代の山田先生になった。直前まで端正な南雲の顔があったのに、いきなり眼前にちょっと脂ぎったおじさんフェイスが現れたことが嫌すぎて大慌てで離れる。そんな私に南雲は笑ったが、その様子を見て坂本くんは一層眉間に皺を寄せた。

「……何やってるんだ、お前ら」
「男に慣れる特訓してあげてるんだ〜。いろんな人に変装中。ほら」
「わあぁっ校務員さん!!!」

 なんでさっきからオジサンばっかりなの!? と慌てていると、坂本くん(本物)がじいっと私を見てきた。え、何!? 何!! 死ぬけど!?!?!?

「……そんなに治したいのか、男嫌い」
「へっ!? えうっ! あっはい!!」
「最近……お前が男が苦手だと知ってからあまり近づかないようにしたり、話さないようにしたりしてたが、よくなかったか」
「!」

 坂本くんが顎に手を添えて考えるようなポーズをしながら聞いてくる。……坂本くんが、大好きな憧れの坂本くんが、私のことを考えてくれている。そ、それだけで、死ぬほど嬉しい。死ぬほど嬉しい、けど……!

「ふ、普通に……接してほしい……ですっ……! ど、どもっちゃうかも、だけど……っ」
「それは別に気にならない。何か問題があれば都度言ってくれたら、できる範囲で対応する」
「あ、ありがとう……! 助かる……!!」

 南雲との特訓のおかげだろうか。本物の坂本くんを前にしても、なんとかギリギリかろうじて会話ができる。ありがとうすぎるよぉ〜〜〜! と思い南雲の方に視線をやった。
 ……しかしそこには、なんだか酷く暗い目をした死んだ顔の南雲がいて。

「南雲?」
「ん? あ、ごめんごめんボーっとしてた! じゃあ早速だしみんなでお昼食べに行こっか〜。赤尾はもう食堂に行ったかな?」

 急に明るく話し始めた南雲に少し違和感を覚える。けれども南雲のことだから何を聞いても「えー? 気のせいじゃない?」とか言われそうだし、まあいいかと思いみんなで歩き出そうとした時……後ろにいた坂本くんに名前を呼ばれた。それに驚いてびくん! と肩を跳ねさせたとき、すっと坂本くんが私に向けてその美しい手を伸ばす。

「髪に糸くずがついてる」
「エッ!?!?!? あっ!?!?!?!?」
「取れた」
「〜〜〜〜〜〜〜〜ッ、」

 やばい、倒れる、死ぬ、鼻血出る。坂本くんの指が私の髪を掠めた感覚に悶えながらも、私は固く拳を握りしめてなんとか堪え、「ありがとう……!」と絞り出した。

「……取って大丈夫だったか?」
「だい、だ、大丈夫。す、すごく、うれしい」
「嬉しい?」
「あ、や、えっと、あっ、あの、アッ……」
「?」

 男が嫌い、と言ってからの嬉しいはさすがに無理があるか!? と思うも、せっかく近づいてくれた坂本くんにしっかり返事をしたい。私は死にそうになりながら、震える声で懸命に言葉を紡いだ。

「さ、さか、さかもとくんとっ……! な、なかよく、なりたいっ、から……! こ、こうやって、親切にしてもら、って……! うれしいっ……! です……!!」

 い、言った。言えた。言えたけどキモイかもしれない。でもこれは完全に私の本心です。あっやばいでも坂本くんに「キモイ」とか言われたらどうしよう……!? そう冷や汗をかいていると、坂本くんは少しの間を開けた後口を開いた。

「……仲良くって、例えば?」
「た、例えば!? 例えばっ……例えば!?」
「仲のいいやつとはいつも何をしてるんだ?」
「いつも!? えっ、何!? なんだろ、ご飯行くとか!?」
「じゃあ行くか」
「行くの!?!?!?」

 嘘でしょ!? とひっくり返りそうになるが、目の前の坂本くんは非常に涼しい顔をしている。幻聴? 幻聴じゃない? 夢? そもそもこれはすべて幻??? と混乱していると、「この週末は両方空いてる」と言われた。……日曜日は南雲と会うが、土曜日は空いている。

「ど、土曜日……! あ、あいてますっ……!」
「じゃあ土曜日に。何か食べたいものはあるか?」
「えっ!? な、なんでも!」
「まあ会ってから決めるか。じゃあ土曜の十一時の船に乗って外に出よう」
「ふぇっ……あっ……ひっ……はいっ……」
「あ、向こうに赤尾がいる。飯に誘おう」

 状況を理解する前に、窓から上半身を出してタバコをふかすリオンを見つけた坂本くんが彼女の方へ向かっていき、この話は終わりになった。……いや、この話が終わりになったというか、普通に会う日時もろもろが決まったから終わりなのである。私は、土曜日、坂本くんと二人で、JCCの外に行く。

「%*#@_'~:/&\。?'€」
「あ、またショートしちゃった」

 気絶しそうになっている私を南雲が笑う。むり、たすけて、と半分泣きながら小声で言うと、南雲は一つ瞬きをした後こちらを見ずに言った。

「じゃー行くのやめるって言えば〜?」
「は!? いいい言えるわけないでしょっ、そもそも嬉しいしっ、」
「だよね〜」

 はあ、と南雲はため息をひとつつく。それに私は首を傾げた後、はっ! と理解した。こんな大イベントを前に、私が荒れ狂ってさらに迷惑をかけてしまうことを彼は危惧しているんだろう。

「ご、ごめん助けてとか言って! これ以上負担はかけないから安心して! 南雲のおかげでだいぶ坂本くんと話せるようになったから、あとは当日頑張ってくるよ!!」
「なんもわかってなーい……」
「?」

 はーやだやだ、と首を振る南雲はそれ以上私が何を言っても「別に〜」やら「なんでもなーい」と流すだけだった。なんなんだ!? と思ったけれど、私の脳みそは坂本くんとのご飯でいっぱいになってしまっているので、それ以上深く追求することはできなかった。