01

 
 気付けばいつもどう生きたいかより、どう生きれば良いかを考えていたように思う。

 物心ついた頃に両親を亡くしてから育ての親となった優しい祖母を安心させようと彼女は一生懸命で、彼女の行動の指針はいつも祖母にあった。

悪いことはしない。
弱音は吐かない。
感謝と努力を忘れず笑顔を絶やさない。

 そんな大好きな祖母が風邪を拗らせて呆気なくこの世を去ったのは、彼女が高校にあがる少し前のことだった。祖母が残した遺産でなんとか高校進学を果たした彼女は勉学・アルバイト・一人暮らしのあれこれに追われて気付けば1年が過ぎていた。
 高校生になって迎える2度目の春は、朝から晩までわざとアルバイトで埋めた。祖母が遺してくれたお金になるべく手をつけないように、というのは建前で実のところは何も考えたくなかったからだ。ひたすら体を動かせば思考も止まる。
 どこへ向かえばいいのか分からない。
 祖母という指針を無くした今、彼女は繁忙の渦中に自ら飛び込むことでなんとか形を成しているに過ぎなかった。
 四季はめぐれど、しんと静まり返った雪原の月日の中に彼女はずっといた。


 春の少し冷たい夜風がナマエの頬を撫でる。
 フルタイムで入ったアルバイトの帰り道、彼女はうつろに疲れた頭で、片付けなければならない課題や溜まった洗濯物、自分の腹の虫のことだとかを取り留めもなく考えた。
 ふと、足を止めてため息をつく。

「もー……どっか行っちゃいたいなー……」

 視線をあげた先には淡く霞んだ儚げな月があった。
 そういえば今日は満月だったかしら。朧月夜という言葉をぼんやりと思い浮かべ、濃紺の空を見上げて一歩踏み出したときである。がくんと体が落ちた。

 まずい、階段を踏み外した。そう思ってぎゅっと目を瞑ったがいつまで経っても体に衝撃はこず、その代わりにずっと落ちてる感覚が続いた。



唐突に潮の香りが満ちた。


「え!?」


 違和感に目を開けると、一面の青である。
 太陽の光を受けて眩しく反射する水面がざぶんと音を立てた。

「なになになになになに!?」

 眼前にはあるはずもない青海が迫っていた。

 つい先ほどまで春の夜道を歩いていたはずなのに、ここは明らかに真昼の海。
 彼女が状況を一切つかめていなかろうと、体は重力に従ってまっ逆さまに落ち続け、ついに海面との距離はもう10mもない。

確かにどこかに行ってしまいたいと言ったけれど、なにがどうしてこうなるのか。
ああこんな訳の分からない死に方をするなんて!

 ナマエは小学校のプールで初めて味わった腹打ち飛び込みの痛みに備えて身を固くした。


 しかし。荒々しく波を掻き分ける音が近付くと同時に、海水ではない何かの上に体が収まった。脳裏で生々しく再現した水中は痛くて冷たかったのに、場違いに温かくて不可思議だった。

「なァ、大丈夫か?」
「へ……?」

 頭上から降ってきた声にきつく瞑っていた目を開ける。帽子の影と逆光で顔がよく見えない。上手く回らない頭で呆然としていると、ようやく目が慣れてきた。

「いやァ驚いたな! あんたこんな海のど真ん中でどっから落ちてきたんだ?」

 ナマエを横抱きにした謎の男はにかっと笑った。声からイメージされた快活さをそのまま写したような男だった。
 その笑顔をポカンと見つめながら、「そんなの、私が聞きたいよ……」と彼女は至極当たり前に思ったのだった。

青海にて
(君と出会う)