02
「いやァーサンジでも鼻の下伸ばさねェ女はいるんだな」
「…………私とサンジは幼馴染兼同僚だからね。そういうカテゴリーじゃないんじゃない?」
「そうなのか!? 幼馴染で同僚ってことはナマエもバラティエで働いてたのかー。道理でメシがうめェわけだ!」
「ルフィって結構相手のこと知らなくても船に乗せるよな」
「昔のことなんか興味ねェ。面白ェやつなら大歓迎だ! ニシシ」
「そりゃドーモ光栄です、せんちょ」
船縁から垂れた釣糸は四本。
船長らが食糧庫を漁ったせいで料理長の逆鱗に見事触れ、現在必死に食糧調達中である。
ぷっくりと腫れたたんこぶを脳天にこさえたルフィに反省の色はない。
「無駄口叩いてねェでしっかり大物釣り上げろクソ野郎ども!!」
「料理長ーウソップ君が用意した餌じゃ全然釣れませーん」
「よしウソップ、お前が餌になれ」
「お、それいいな」
「ちゃんとおれが診てやるからなウソップ!」
「なに考えてんじゃコラァ!!」
よく響くウソップの怒号を背に、タバコを燻らせたサンジが首尾よく頼むぞ、とキッチンへ戻っていく。
早速吊るされかけているウソップがビチビチと視界の端で暴れる。
幼馴染兼同僚には伸びる鼻の下もない、ってか。
みっともなく拗ねかけて、ナマエはふるふると頭を振って雑念を払う。
ナマエがこの船に乗ったのはサンジと恋愛をするためではない。彼女には彼女の夢があり、進めば進むほど治安も気候もどんどん物騒になるこの海を渡るために乗り込んだのがこの麦わら一味の船。期待通り一味は軒並み強く、海を渡る術に長け、難航していたナマエの旅路を頼もしく切り開いてくれた。テーブルマナーに精通しているとは言い難いものの、食卓を囲む団欒をこよなく愛し楽しむ彼らの笑顔は料理人冥利に尽きた。
せっかく交わった航路、何事も楽しんでいかなければ人生損だ。
「おーい、ナマエ!」
引っ込んだはずの向日葵の頭がキッチンの扉から彼女を手招きした。ナマエは釣竿をチョッパーに託して腰を上げる。潮風に乗ってふわりと甘い香りがした。
こんなことできんのはお前だけだよウソップゥ〜!! とおだてられたウソップが船縁でふんぞり返って大仰に真っ赤な演説を垂れている。船長たちの声援は厚い。
キッチンに入り、香りの正体が焼きたてのエッグタルトと知った。ナマエが思わず顔を綻ばせると、それを見逃さなかったサンジもにっと笑い、ひとつ差し出す。
「味見してみてくれねェか?」
「いいの? 美味しそう。海上で卵も牛乳も貴重だろうに」
「まァな。悪くならねェうちに使いたいってのもあってよ」
サンジは新しいタバコに火をつけ、ふぅと紫煙を吐いた。
チビナスの頃は無理して吸っていたタバコも今ではすっかり慣れたものだ。まだほのかに粗熱が残るエッグタルトを一口食べ、ナマエはいまだその舌がタバコで狂っていないことを再確認する。
「ん! おいし〜」
「そうか、そりゃ良かった」
「甘味にコクがあるね。なに使った?」
「お、やっぱり分かるか? 実はなァ……」
隠し味はなんだ、こんなひと手間加えてみた、同業者の会話なんて畢竟レシピの話に落ち着く。サンジもそのつもりで自分に最初に食べさせたのだろうと彼女も察しはついていた。いくら美味しい美味しいと食べてくれたとしても、その趣向を言い当てる舌はやはり料理人のものが一番。
こんな会話ができるのは、ナマエの特権とも言えるのだ。
「さ、そろそろ粗熱も取れたかな。麗しのレディにお出しするとしよう」
ラブコックの様相を見せてそそくさと皿とカップの用意を始めたサンジの周りに件のハートがふわふわと漂いだす。お役御免の気配を察してナマエはやんわりと視線を斜め下に逸らした。
甲板側からは魚の餌にされたウソップの断末魔と悲痛なSOSの声が聞こえてきた。
「ったく、うるせー奴らだな」
「あーあ、なんか大きいのが釣れてるねえ。今夜は白身魚のフライとかどう?」
「悪くねェな」
ウソップのしりにかじりついた巨大な魚はルフィの強烈な一撃で伸され、その身を甲板に叩きつけた。見たことのない魚ならナマエももう少し興奮したが、残念ながらあの魚には見覚えがある。やはりこの辺りの魚はほぼ捌いたことがあるようだ。
ナマエはおもむろに調理器具が並ぶ収納から大きめの出刃包丁を取り出した。さあ、お仕事の時間である。
「鮮度が落ちないうちに捌いてくる」
「おう、頼んだぞ」
普通の喧嘩や化け物との戦いはてんで向かないが、こと“食材”に相対すれば話は別だ。料理人が食材にビビってどうする。
ナマエはふん、と腕捲りをして今しがた釣り上げられた、彼女の身長の5倍はあろうかという魚へ向かった。
***
夕飯の仕込み。
階段の一角で黙々と野菜の皮剥きに励むナマエの手元を人影が覆う。
「腹が減った」
「夕飯まで待てないくらい?」
「あァ、待てねェな」
賛同するかのように緑の腹巻きからグゥと虫が鳴く。五分もあれば剥き終わると説明すると、ゾロは待機を決め込んで腰を下ろした。
「意外といい太刀筋してんだな、お前」
「さっきの三枚下ろしのこと? これでも料理人だからね」
「あのアホコックと同じ出だっつーからてっきりお前も足癖が悪いんだと思ってた」
「あはは、私にできるのは料理だけだよ」
当初、蹴りでしか躾られないと言うオーナーはナマエがコックとして乗船することを許さなかった。まぁ、結論から言えば彼女の粘り勝ちだ。バラティエを出るその日までオーナーは彼女のことをコックとは呼ばなかったけど、厨房に立たせ、その技を盗ませてくれた。蹴れない分、サンジの倍は怒鳴られていたがそれもまたオーナーなりの愛だ。
ちなみに、柄の悪い客の退治はオーナーを含む血の気の多いコックたちがやっていたので彼女が出る幕はなかった。ナマエは厨房からそれを眺めたり、別の客に料理をサーブする客席で「騒がしくてすみませんね」と謝る係だった。
最後のじゃがいもを剥き終え、ナマエはぐっと伸びをした。
「おにぎりでいい?」
「構わねェ」
「お、持ってくれるの? ありがとうゾロ」
「早く作ってくれ。腹が減って死にそうなんだ」
「鍛練ばっかしてカロリー使いきっちゃうからじゃん」
「体が鈍るなんざ御免だ」
剥き終えた野菜が入ったかごを小脇に抱えて率先して歩くゾロの後ろをついていく。
初めて会ったときは野生の虎のようによそ者を寄せつけない鋭さがあったが、数日生活をともにしてみたらだいぶ丸くなった。ご飯をくれる人にはなつきやすいのかと思いきや、彼はサンジとは犬猿の仲である。
「……てめェらいつの間に仲良くなりやがった?」
この通り、サンジの機嫌がすこぶる悪い。キッチンに一緒に入るなりこの発言だ。
ゾロはゾロで、仲良くなっちゃまずいことでもあんのか?と煽るような台詞と好戦的な視線で応対するのでどうしようもない。火花を散らす二人の横をすり抜けてナマエは冷蔵庫を開ける。
「お米余ってたよねー。あ、沢庵あるじゃん。切るよ? いいよね?」
「クソマリモ、夕飯まで待てねェのか。筋トレでアホみたいに体力使ってんじゃねェぞ」
「似たような事を言うんじゃねェよ」
「あ?」
「塩むすびで勘弁だよゾロ」
「おう」
「おいナマエ、我慢ができねェだけの野郎の飯なんか作らなくていい」
「お腹空かせてる人には食べさせる、それだけよ」
サンジとナマエが共有する価値観にさすがの彼もぐっと言葉を詰まらせた。小さく悪態をついてサンジは夕食の準備を再開する。
大きめの塩むすび三つと沢庵数切れ。いただきますと手を合わせゾロは塩むすびを頬張った。美味しいの一言はなくてもその食べっぷりを見れば十分心は満たされる。よしよし、と内心で緑の虎ちゃんの頭を撫でてナマエは仕込みへ戻る。
「いつまで怒ってんの?」
「怒ってねェ」
「自分で思うよりサンジは分かりやすいよ? ほらほら、こんなにフィルター噛んじゃって」
「だから怒ってねェ」
「ま、そのじゃがいもはポトフには使えそうにないからメニュー変更しましょうかね料理長」
「あ」
サンジに小さく刻まれた悲しくも美味しいじゃがいもはポタージュとなってその晩の食卓にのぼった。