雪解け - なんとはなしに

62*


 管狐はほくほく顔で大倶利伽羅に付いて回り、主人が躓きそうな枝を咥えて藪に捨てる。打刀といったらそれはもう迷惑そうに、鬱陶しそうに眉を顰めていた。
「俺一人で十分だ。さっさと向こうに行け」
 大倶利伽羅が足元をちょこまか走る管狐をストレートに追い払おうとするも、狐は「何を仰いますか! 他ならぬ我が主のため、私も誠心誠意を以って危険を排除せねば」と鼻息を荒くするばかり。大張り切りだ。そこへ、「俺もやるかな。みんなでやれば早いだろ?」と、フレッシュな笑顔の太鼓鐘貞宗も加わった。
 ──なぜこんなことに。
 一振りで手早く済ませようとしていた打刀は、狂った予定に辟易する。だが、狐が太い枝に手こずっていればひょいと拾って運んだり、短刀が枝を見落としていたなら「そこにもある」と教えたり、馴れ合いを好まぬ割にはなんだかんだと面倒をみてやっていた。
 太鼓鐘貞宗と管狐が加入して、どんどん取り除かれる枝。空き地の外れにある審神者お気に入りの散歩コースはみるみるうちに片付いていった。小枝や木の葉が残ってはいるが、誰かが転ぶようなサイズの物はもう落ちていない。事が終わると大倶利伽羅はやや疲れた様子(管狐のせい)で御殿に帰ってゆき、太鼓鐘貞宗も彼の後に続く。清掃チームは解散。狐も機嫌良く花壇の見回りに戻った。
 ぶっきらぼうで審神者に興味などなさそうだった打刀の心遣い。嬉しくてしょうがない管狐の尻尾は、高い位置で揺れている。
 狐は心弾ませ次の花壇、また次の花壇と巡回する。と、やにわに雨が降り始めた。土砂降りだが通り雨だったらしく、一時間と経たずに止んだ。その間、管狐は御殿の玄関先に避難し、居合わせた三日月宗近と談笑していたのであった。
「いやはや、滝のような雨でしたね。すぐに止んで良うございました。それでは、私はこれで」
「うむ。では、また」
 笑みを交わして別れ、三日月宗近は池の鯉を見に、管狐は最後の花壇へと向かう。空は青々と晴れ上がっていた。あの大雨が嘘のようだ。暗く厚い雲はどこへ消えたやら。冬の太陽に照らされ、管狐は空色が変わらぬうちにと駆け足で花壇と裏庭を回る。遅れは出ていたが、急いだ甲斐あって午前のパトロールは完遂。彼の判断は正解だった。昼前になってまたもや雨が降ったのだ。
 その日は結局、晴れ、雨、晴れ、雨、曇り、晴れ、曇り、といった天気になり、管狐も一部の刀剣男士も空に振り回されていた。庭で遊んでいた短刀らは雨で鬼ごっこができなくなり、江の刀のれっすんも野外になったり屋外になったり。剣の腕が鈍らないよう手合わせをしていた刀たちもだ。御殿内で刀を抜くわけにもいかない。
 審神者のいない本丸の二日目、曇天の宵の口。小暗い庭に水心子正秀と源清麿が出てきていた。二振りは雲に覆われた空を仰いで話し込んでおり、その表情は真剣だった。審神者の張った結界の側、東西南北に目を走らせながら話す彼らの人影を、管狐が戸口の隙間から認める。ただの散歩か、外の空気を吸いに来ただけか。食器を水に浸けつつ考えた狐だったが、二振りは左右に数歩動くことはあっても一向にそこを去らないでいた。
 私に用があるのでしょうか。いえ、ですが呼びかけのような声はない。単なる立ち話かもしれませんが、何やら気になりますな……。
 時が進んでも尚結界の側に留まる水心子正秀と源清麿を怪訝に思い、管狐は戸口をするりと抜け外へ出る。白と黄色の体毛が寒さでぶわりと逆立った。
 夜を隠すように天に被さる雲。日が沈んだ西の空は仄かに明るかったが、それでもいつもよりは暗い。
「源清麿、水心子正秀、どうなさったのですか。先刻からこちらにいらっしゃるようですが」
 二振りの足元に着いた狐が問うも、応答はなく。水心子正秀と源清麿は、「どうする?」とでもいうようにアイコンタクトを取っていた。
「私にご用事ではないかと思いまして」
 ──単なる立ち話ではなさそうだ。管狐は髭をぴくぴくさせて新々刀らを精察する。二振りは目と目で何らかの意思疎通を行ったのだろう。少しの間を空け、源清麿が話し始めた。
「……雲を見ていたんだよ。全然動いていない気がしてね」
 狐に視線を向けた後、源清麿はまた空を眺める。何かを見定めようとするような、鋭い眼をしていた。
「雲が?」
 源清麿につられ、上に顔をやる管狐。日没後のそこは暗く、雲の陰影が朧げに見える程度だった。刮目して空を、雲を見る狐へ、水心子正秀が概況を短く伝える。
「日暮れまでは緩徐に動いていた。だが、いつからか止まっている。暗くなってしまって分かりづらいが、南の空を見ろ。上弦の月の周りにある雲はさっきから動いていない」
 新々刀の祖の語調は至って真面目だ。虚言や偽り言を発している雰囲気はない。
「ふむ……」
 管狐は半信半疑で南の方角に鼻先を向ける。一分、二分と時間が過ぎるが、雲は動いているような、止まっても見えるような──どうにも判然としない。ただ、空から怪しげな力は感じなかった。外部からの干渉もない。主人がいないと天気が安定しないとはいえ、雲が微動だにしないというのは有り得ないだろう。俄には信じがたかった。しかし二振りが嘘をつくとも思えず。さて、どうしたものか。
「止まっているような、動いているような……はっきり分かりませんね。けれど、雲が全く動かないというのは、ううむ」
 一拍悩み、狐は当たり障りない言葉を選ぶ。
「お二方を疑っているわけではありませんが、気のせいではないでしょうか? 今は風がありません。雲の流れが非常に緩慢になっているのやも」
 管狐がやんわり言うと、源清麿は「そうならいいんだけどね」と軽く息を吐き、水心子正秀は気難しい顔をした。
 彼らの間に妙な沈黙が垂れ込めた刹那、不意に冷たい夜風が吹き抜ける。昨夜の暴風のようにひどくはなかったが、そよ風ほど優しくもない。刀らの髪や服が、管狐の髭や体毛がはたはたと煽られた。
「──風が」
 声を零したのは誰か。皆、自ずと上を向く。少しすると雲が流れ、南の空より月光が漏れ始めた。
「……月が出てきたね」
「ああ。雲が動いた」
 淡く仄白い、青みがかった光。一匹と二振りは魅入られるかのように霞んだ月を見上げている。静黙の夜空に惹き込まれてしばらく、水心子正秀がぽつりと言った。
「今日の天気もおかしかった」
 月から離れた花緑青の瞳が管狐へ照準を合わせる。
「快晴、豪雨、晴れ、小雨、曇り、晴れ、曇り。こんなに次々天気が変わるのは、あの審神者が居ない時だけだ。彼女が本丸を去ると気象に波が出る。私たちだって気付いているぞ」
 水心子正秀は管狐の出方を窺い、管狐は水心子正秀の言わんとすることを思索する。両者、目を逸らさない。
「まあ、雨でも晴れでも曇りでも、赤と黒の穢れた空よりは断然良いんだけどね」
 管狐と水心子正秀の物々しい強張りを溶かすように、源清麿が柔和に笑う。そして彼は、遠い遠い雲の夜空をぼうっと見つめ、「なんだか、不思議だなあと思って」と独り言みたいに呟いた。
「他の本丸もこうなんだろうか」
 ふわふわとした穏やかな声が空に問う。それは昨日、管狐が寝しなに考えたことだった。
「どう──でしょう。私はこの本丸しか知りませんので、何とも言えません」
 何故だか胸がざわつく。不安要素などないはずなのに。理由もなくどきりとして、狐の小さな心臓は一度だけ大きく跳ねた。
「……お前、他の本丸で別の審神者に仕えたりはしなかったのか」
「ええ。先の審神者の強制退任と共に回収された私は、時の政府の管理下でずっと休眠──待機状態にありました。主様と出会うまで」
「へえ、そうだったんだ?」
「はい」
 頷いて、管狐は昔を思い返しながらこう話す。「またこの地に戻ることになり、始めは少々複雑でしたが、今となっては心から良かったと思っております。唯一無二の主人に出会えましたから。私を選んでいただいた担当官殿には感謝ですね」と。
「君はあの審神者がすごく好きなんだね」
「ええ、もちろんですとも。欠点は幾つかあれど、私にとっては最高の主様でございます」
 幸せそうにのろける狐に、源清麿は目尻を下げた。水心子正秀はというと、呆れるようにして鼻で息を吐いている。
「ここに新しく配属された審神者なるもの。君が『主』と呼ぶ彼女は、穢れを祓い、僕たちの手入れをして、今は刀剣に頼らず自ら時間遡行軍と戦っている。……立派だと思うよ。とても」
 源清麿が物腰柔らかに言い終えると、風がさっと通っていった。その時にはもう、彼の顔色は無になっていた。微笑みの形だけを残して、風が感情を掠め取っていってしまったかのようだった。
「でも彼女──本当にこの本丸を治める人間なのかな?」
 牡丹の色をした眼が薄闇に蠢いた。管狐を搦め捕るが如く。
「体が弱っているわけじゃない。だけど、ちょっと本丸を留守にしただけで天気が……空間が不安定になってしまう。それって彼女の霊力が定着していないってことじゃない? ここに来てもう半年以上も経っているのに」
「いえ、そんな」
 主人を批判されたような、疑われているような気になり、管狐は反射的に反論の声をあげる。だが水心子正秀が語勢を強めて遮った。
「あの男の足元にも及ばないが、彼女の霊力は少なくも弱くもない。あの男が規格外だっただけだ。彼女くらいの霊力なら、半年もあれば十分定着してもいい」
 きっぱりと告げられ、狐の心に迷いが生じる。分からなくなったのだ。天気が安定しないのは? 霊力の定着? 考えても記憶を辿っても、答えは見つからなかった。
 管狐が口籠っていると、源清麿はその場に蹲って黒い瞳を覗き込む。
「ねえこんのすけ」
 垂れた目尻、緩やかな目元。笑っているはずのその目は、狐をぴりりと緊張させた。
「彼女とここに来る前、君は政府になんて言われたの?」
 詰問する声色ではない。源清麿はおっとりとした調子を保っていた。しかし、牡丹色の眼は有無を言わさぬ何かを孕んでいて、管狐は若干気圧される。
「……新しい審神者がこちらに赴任するので、その補佐をと」
 先の審神者を捕らえるべく乗り込んできた政府の特殊部隊。隊員の一人に回収された管狐は、政府本部で治療を受けたのちに深い眠りに落とされた。そんな彼を呼び覚まし、新たな任を与えたのは、他の誰でもない斉藤である。
「そう。他には?」
「──何も」
 斉藤は極めて淡泊だった。腹の読めない仮面のような笑みを唇に貼り、「おはようございます。調子は如何ですか」と言った男。彼は挨拶や労いもそこそこに、覚醒した管狐に申し付けた。「かつてあなたが居た本丸に、新たな審神者が赴任します。その補佐を任せたい」と。命令同然だった。時の政府の式神たる管狐に拒否権はなかった。故に狐は、暗澹たる思いを抱きつつも従順に「はい」と返事をする。任務に関する斉藤からの説明は皆無だった。
「何も、か」
「……はい」
 管狐が微かに首を縦に振れば、源清麿は帽子の鍔を指で摘み、雲の泳ぐ夜空を仰ぐ。
「彼女はどう聞いているんだろうね」
 尋ねているのかいないのか。曖昧な口振りだったので、狐は返答し兼ねていた。新々刀らは追及してこない。
 二度、三度と風が踊り、程なくして源清麿が短く息を吸う。
「明日はもっと、天気が乱れそうだ」
 そう言った彼の瞳は、月を通して別のものを見ているかのように、遥か彼方へ向けられていた。

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